第10話

文字数 3,489文字

「下平さん、岡部どうなりました?」
 今朝の捜査会議で、牛島(うしじま)が開口一番そう尋ねた。
「向こうには伝えたぞ。今日確認に行くっつってた。助かったってよ」
 そうですか、と牛島はその厳つい顔に似合わず無邪気な笑顔を浮かべた。
 昨日、部下たちには、深町弥生の情報と引き換えと言って岡部の捜索を頼んだ。六年前に指名手配された男が、深町仁美の事件とどう関係しているのかしきりに気にしていたが、さすがに聞いていないと言い張った。
 イレギュラーな捜査で、昨日はそれなりに意気揚々としていたが、引き続き雅臣と弥生の捜索へ戻った今日は、少々気が重そうだった。二人が京都市内に潜伏していれば、岡部と同様、雨風がしのげる場所にいると踏んでいただけに、不発に終わったことがそうさせるのだろう。
「そろそろ市外や県外も視野に入れるべきでしょうか」
 榎本(えのもと)の意見に、そうだなと皆が同意した。市内を探していたといっても、南側に隣接する日向市や長岡京市、久御山町までは足を伸ばしている。ならば宇治市、八幡市、亀岡市、南丹市の方まで行ってみるかと話がまとまり、下平と榎本は亀岡市の担当となった。奇しくも田代と三宅が殺害された場所へ聞き込みに行くことになろうとは。
 亀岡市へ向かう途中に佐々木からメッセージが入り、思わず眉根が寄った。
「どうしたんですか?」
 難しい顔で画面を凝視する下平を、榎本が横目で見やった。
「ああいや、元嫁だ」
 適当に返すと、榎本はそうですかと呟いた。どこか納得していない声だったが、何だと聞き返せば余計に突っ込まれる。下平は佐々木のメッセージを明と近藤へ送り、また近藤には映像が回ってきたら急いで頼むと付け加えた。
 これまで、捜査中は必ず二人一緒だった。だが、聞き込みは榎本に任せることも多くなっている。一人で任せてもいいかもしれない。それに、早々に連絡を取りたい相手がいる。
「榎本、お前そろそろ一人で聞き込み回ってみるか?」
 適当なパーキングに車を入れてそう提案すると、榎本は嬉しそうな顔で驚いて、すぐに気合の入った顔で頷いた。よーし行って来い、と送り出した背中には、緊張感と使命感が漂っていた。
 榎本とは反対の方向へ足を向けた下平が電話をかけたのは、宗一郎だ。
 初めて聞く賀茂家当主の声は、余裕があって穏やかだったけれど、妙な貫禄と威圧感があった。
 軽く挨拶を交わし、さっそく推測を口にすると、実に楽しげな声でさすがですねと返ってきた。
「我々もそう読んでいます。ところで下平さん、そちらで六年前の事故のことをお調べになっていますね」
 さらりと問われた疑問に、下平は閉口した。何故それを。沈黙した下平に、宗一郎は喉を鳴らして笑った。
「簡単にお話ししておきましょう――」
 そう言って、宗一郎は六年前から岡部を独自で捜索していたこと、その黒幕など全てを語った。
 土御門栄晴の死に疑問を持ち、その黒幕の目星も付いていた。さらに式神らの協力があってもなお、六年もの月日がかかった。全てを承知の上で過ごした六年、そして知らずに過ごした六年。どちらが辛いのだろう。
 比べるもんじゃねぇか。下平は小さく頭を横に振った。それに、危惧すべきは真実を知った晴たちだ。特に陽はまだ中学生。しっかりしているとはいえ、大丈夫だろうか。
「しかし、こう言ってはなんですが、証拠が……」
「はい。しかしこのままにしておく気はありません。ですので、別の方向からと考えています」
「別の方向?」
 ええ、と頷いてさらに語られた内容に、下平は愕然とした。
「それについては気になっていましたが、まさか、そう繋がるとは……」
 これは、何かの因縁だろうか。呆然と呟いた下平に、宗一郎はくつくつと笑った。笑いごとではないのだが。
 ひとしきり笑ったあと、宗一郎は何ごともなかったように続けた。
「現在、妙子さんが大岩神社で待機しています。そちらへは、熊田さんと佐々木さんが向かっていますね」
「はい」
 全ての情報を握っている宗一郎ならば、誰が動けて動けないのか考えなくても分かる。
「では、お二人に妙子さんのことは黙っておいてください」
「……やはり、疑っていますか」
「ええ」
 あっさり肯定されるのは同じ刑事として残念だが、分かっていたことだ。仕方ない。むしろ、熊田と佐々木も妙子のことは疑ってかかるだろう。何せ彼女は完全にノーマークだったのだから。
「妙子さんも全てをご承知です。ただ、お二人をシロだと判断した場合、ご協力いただこうと思っています」
「協力?」
「はい――」
 宗一郎が口にしたその内容に、下平は瞠目した。
「ちょ、っと待ってください、それは……!」
 あまりの驚きにおかしなところで声が詰まった。
「変更はありません。熊田さんと佐々木さんにご協力いただけないのなら、こちらから出向くまでです」
 頑なな声に、下平は言葉を失った。
 土御門家と双璧をなす、賀茂家当主。こんな決断まで下さなければいけないのか。もしもと考えないわけではないだろうに。
 沈黙した下平に、宗一郎は続けた。
「もちろん万全の体勢を整えます。それに、絶対に手出しはしませんよ」
 それについての異論はない。異論はないが――。
 下平はぼりぼりと頭を掻いた。この期に及んで躊躇するのは、無駄に事件を長引かせるだけかもしれない。それにおそらく、最善策だ。
「分かりました。では、確認が取れ次第ご連絡します」
「よろしくお願いします。それと、紺野さんにはこちらから伝えておきます。下平さんは、終息後連絡を頂けますか。状況によっては寮においで頂くことになると思います」
「分かりました。ああ、こちらからもお伝えすることが」
 そう前置きをして、下平は一つ報告をした。
「なるほど、そうでしたか……」
 ふむ、と宗一郎は一つ唸った。彼の中で、何が構築されているのだろう。
「ありがとうございます、良い証拠になります」
「いえ」
「では今夜、よろしくお願いします。何かあればすぐにご連絡を」
「はい、失礼します」
 下平は耳から携帯を離し、終了ボタンを押した。宗史の年齢からして、宗一郎は年下のはずだ。それなのに、こんなにも緊張するとは。同じ当主なら明の方がよほど話しやすかった。つい深くて長い溜め息が漏れる。
「っと、あとは冬馬と……」
 宗一郎と意見が一致しているのなら間違いない。龍之介が事件に関与しているかどうかはともかくとして、冬馬たちが狙われている可能性があるのなら、今日必ず動く。
 下平は気を取り直して冬馬へメッセージを送ったあと、ある人物に電話をかけた。
 そして少し遅めの昼食を終えて店を出た時、佐々木から妙子から話を聞いたとメッセージが届いた。シロだと判断されたらしい。紺野の方は、宗一郎が連絡をすると言っていたけれど、沢村が一緒なら詳細を聞くのは早くても夕方以降だ。
 さらに時間は過ぎ、特に収穫もなく引き上げようとした夕方頃、ある人物から電話が入った。その内容を宗一郎と佐々木へ送り、榎本と合流して署へ戻り、いつも通り報告会議と報告書の作成を終わらせた。
 そして午後七時過ぎ。自家用車を取りに戻っている暇もなければ、のんびりと夕飯を食べている暇もない。捜査車両を失敬して出発しようとした間際に、冬馬からメッセージが入った。リンが体調不良で早退するらしい。マジか、と一人呟いて、大急ぎで宗史と晴へメッセージを送って車を走らせた。
 この時間だと、犯人側からしてみれば予定通り。リンの自宅で張っているだろうが、椿と志季がいるなら問題ない。冬馬もいる。彼らに任せるしかない。
 数十分後、南区のコンビニに到着し、おにぎりを買ってお茶で流し込む。
 待ち合わせの人物はまだ来ない。下平は、一旦落ち着こうと店舗の端っこに設置されている喫煙スペースで、敷地の入口の方を眺めながら煙草に火を点けた。腕時計の時刻は七時半を過ぎている。待ち合わせの時間は八時。時間はある。来ないことはないだろうが、足取りは重いだろう。
 昼間の熱を残したまま、夜がやってくる。真っ赤に燃えるような赤と鮮やかなオレンジ、そして空の青の境目は曖昧で虚ろだ。美しくもあり、また物悲しいとも思う。この光景も、あと少しで闇に飲み込まれる。
 不意に携帯が震え、確認すると佐々木からだった。文面を読んで、眉間に皺を寄せる。ままならない、間に合うだろうか。了解と返信し、深く煙を吸い込んで長く吐き出す。
 まだ近藤から映像の解析が終わったと報告がない。合成技術のことはさっぱりだ。よほど精巧に作られていたのだろうか。
 気になることは多々あっても、今はやるべきことをやらねば。
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