第8話

文字数 5,692文字

 大河たち三人の向かい側のソファに、今度は小田原と翔太が座る。
「まずは、お父さんの名前を教えてくれ」
「はい。早坂一成(はやさかいっせい)です。漢数字の一に、平成の成」
「一成さんだね。ありがとう。では、これまでの経緯の説明を」
「はい。えっと、気付いたのは、葬儀の準備をしている時でした。前々から、彼女できたのかなとは思ってたんですけど――」
 翔太が言うには、男――早坂一成は、亡くなるまで沙織のことは一切話さなかったらしい。若い母親ができるかもしれないという話を、多感な年頃の息子に話すにはタイミングが重要だ。時期を見計らっていたのだろう。
 警察から事故の連絡が来て、諸々の手続きや連絡、通夜や葬儀は祖父母が取り仕切った。そんな中、仕事関係者や友人を携帯で調べている時に、沼田沙織の名を見つけた。残されていたのは、一枚の写真とメッセージ履歴。最初から最後のやり取りまで全てを読んで、理解した。この女に騙されていたのだと。一成の遺品をひっくり返すと、書斎のデスクの引き出しから手帳が見つかり、渡した金の流れを把握した。
 どうしても許せなかったと、翔太は言った。本人から話を聞いて、謝らせたかったと。
 けれど、一成のふりをしてメッセージを送っても返事はなく、電話は拒否しているのか繋がらなかった。一体どこの誰なのか、分からなかった。
 証拠があるため、初めは弁護士に相談しようと思ったが、法的処置をしただけでは腹の虫が収まらない。ネットで探偵事務所を検索し、一番信用できそうな望月探偵事務所を選んだ。写真を渡し、費用は溜めていた自分の貯金を全額はたいた。
 調査期間は二カ月。手始めにネットで検索すると、沙織とおぼしき女のSNSがすぐに見つかったらしい。そこからまずは沙織がよく利用する店のヒントを探り、足を使って本人を探し出し、自宅、職場、日々の行動、友人関係全てを洗いざらい調べてもらった。
 受け取った調査報告書の中に、小田原の名もあった。他の男と違って金の受け渡しはなく、しかも大手芸能事務所が経営しているとはいえ、事務員だ。沙織が満足するほどの金を持っているとは思えない。この男は本命、あるいはグルなのかと疑ったけれど、沙織とのデートで贅沢をしているでもなく、金を受け取っている様子もない。デート以外の日は自宅と職場の往復しかしておらず、週に三度、多い時は四度、決まった曜日にスタジオで夜遅くまで稽古をする。休日は、沙織とのデートがなければスタジオに行くか家から出ないという、地味な生活だった。
 小田原への疑問はあったが、とりあえず沙織のことは全て分かった。
「男から騙し取った金で贅沢三昧の生活をして、罪悪感の欠片もない。読めば読むほど、殺してやりたいという気持ちが強くなりました。けど、俺、今じいちゃんとばあちゃんと住んでるから、迷惑かけるわけにはいかないし、さすがに殺すのはと思って。でも……」
 迷っている時に、移転の話を知った。それが約一カ月前。沙織の自宅はモニター付きのオートロックで、話がしたいと言っても開けてはくれないだろう。移転先も今と違ってセキュリティーが万全のビル。外での沙織は常に友人か男と一緒にいて、むやみに接触できない。
 そこで思い出したのが、小田原だった。彼が稽古をする時に、時折付き添うことがあると報告書に書かれてあった。
 接触するなら、その時しかないと思った。話をして、反省して謝ってくれればそれでいい。そう思っていても、胸の奥で燻る殺意が足を止めた。祖父母の顔が脳裏をよぎり、もし勢いで殺してしまったら、小田原も巻き込んでしまったらと思うと、なかなか決心がつかなかった。小田原が稽古をする曜日は分かっていたため、毎回スタジオの扉の前まで行っては何もせずに帰るということを繰り返した。そんな中、「時折」と書かれていた沙織の付き添いが、毎回になっていることに気が付いた。
 移転の日が迫っている。
 そして今日。今度こそはと、養成所に足を運んだ。
「事務所に明かりが点いてたから、事務所にいるのかと思って扉の外で聞き耳を立ててたら、小田原さんの声がして。でも知らない人の声も聞こえたからやめようと思ったんですけど、その、他の人がいた方が……、冷静に話しができるかも、と思って……」
 翔太は語尾を濁しながら俯いた。
「もしかして、止めて欲しかった……?」
 不意に尋ねた大河に、翔太は小さく頷いた。
 翔太は、怖かったのだ。沙織と直接会った時、自分が何をするか分からなくて。
 許せない気持ちと、祖父母への思いと。二つの気持ちの狭間で揺れていたからこそ実行に移すのに時間がかり、一成は何度も小田原の元に現れた。息子の殺意を知っておきながら、止めたくても止められない。そのもどかしさは、想像するに余りある。
 俯いた翔太の姿が、自分と重なった。自分が何をするか分からない恐怖は、痛いほどよく分かる。でも翔太は、立ち去る沙織を追いかけることはせず、何よりあえて人を頼った。ぎりぎりのところで正しい選択をした。大切な人がいるからこそ、ナイフを持ち歩くほどの憎しみに囚われずにすんだのだ。
 このことを、覚えておかなければいけない。
「ほんと、迷惑かけてすみませんでした」
 翔太は勢いよく頭を下げた。
「それで、どうする? 彼女を訴えるか?」
 静かに尋ねた宗史に翔太は顔を上げ、テーブルに置かれた写真と報告書に目を落とす。
「……じいちゃんとばあちゃんに、相談してみます。何となく気付いてるかもしれません」
「いい判断だ。それと、これは没収する」
 息をついた宗史からナイフを渡され、大河は苦笑いで受け取ってボディバッグにしまう。顔を上げ、肩を竦めてすみませんと呟いた翔太に、晴が呆れ顔で言った。
「ていうか、お前高校生だろ。こんなもん持って補導されたらどうするつもりだったんだよ」
「え、俺、二十歳(はたち)ですけど」
「え?」
 全員から疑問を返され、翔太は苦笑した。
「俺、童顔だしよく間違われるんですよね。でも何故か職質されたことないんですよ」
「あー、タイミングよく逃れるタイプか」
 晴は、いるんだよなーそういう奴、としみじみぼやいた。なんでそんなこと知ってるの、とは聞かないでおこう。
「探偵は未成年と契約できないから、どうしたのかと思っていたが……」
「そうなの?」
「ああ、違法だ。いいか大河、未成年でも契約する探偵には気を付けろよ」
「……なんで俺に言うのかな」
 至極真剣な面持ちで注意され、大河は渋面を浮かべた。そんなに騙されやすそうに見えるのか。心外な心配に嘆息し、小さく肩を震わせる翔太を見やる。
「二十歳だったんだ。俺、同じ年くらいだとばっかり思って、ました」
 敬語に直した大河に、翔太は「ははっ」と短く笑った。
「別にいいよタメ口で。なあ、それよりさ、大河って言ったっけ」
「うん」
 翔太は尻ポケットから携帯を取り出すと目の前に掲げた。
「メッセージ、交換しねぇ?」
 予想外の申し出に大河は瞬きをして、相好を崩した。
「うん、するする!」
 大河が目を輝かせてボディバッグから携帯を取り出すと、あの、と小田原が恐縮した様子で口を挟んだ。
「僕もいいかな。ファンとは言えないかもしれないけど、MVに出てからアルバムを少しずつ集めてて……」
「ぜひ」
 大河と翔太が間髪置かずに声を揃えると、小田原ははにかんで鞄から携帯を取り出した。三人がテーブルに身を乗り出して携帯をつき合わせる。
 突然始まったメッセージ交換会を、宗史と晴は苦笑いで顔を見合わせた。
「大河って呼んでいいか?」
「うん。俺は翔太さんって呼ぶね」
「翔太でいいよ。小田原さんも、優さんって呼んでもいいですか」
「もちろん。僕も大河くんと翔太くんって呼んでもいいかな?」
「はい」
「もちろんっす」
「あの、翔太くん、さっきは怒鳴ってごめんね」
「うん? あー、あれ。別にいいっす、全然気にしてません。ああでも、一つだけ」
 翔太はしかめ面で携帯に目を落としたまま言った。
「親父も親父だけど、優さんも優さんっすよ。あんな女にありがとうとか思う必要ないでしょ。ていうか、役者が騙されてどうするんすか」
 確かに、と大河と宗史と晴が同時に呟いた。思ったことをはっきり言うタイプなのか。反論の余地が微塵もないほどの厳しい正論だ。
「す、すみません……」
 年下に叱られて肩を竦めた小田原に、笑い声が漏れる。
「あの、でも……」
 三人同時に携帯を引っ込めながら、小田原は遠慮がちに口を開いた。
「思ったんだ。大河くんが、本気で夢を追ってる人を笑うなって言ってくれた時。こんな風に言ってくれる人がいるんだから、この経験も演技の糧にしなきゃって。へこんでる場合じゃないなって。あのありがとうは、そういう意味なんだ」
「ああ、なんだ。そういう意味すか。それならよし」
 すんなりと、しかし上から目線で納得した翔太に、小田原がくすくすと笑った。
「そうだ。優さん、また仕事決まったら連絡くださいね。友達にも教えます」
「あ、俺も。バイト先の奴らにも教える」
「え、あっ、そうか。うん、ありがとう。お願いします」
 じゃあもっと頑張らなきゃ、と真剣な顔で呟く小田原をちらりと盗み見て、大河はこっそり笑った。宣伝ができることに気付かなかったらしい。
「で、気になったことがあるんですけど」
 今度は自分たちに視線を向けられ、大河は携帯をしまって姿勢を正した。何を言われるのだろう。そんな大河の緊張とは裏腹に、翔太は小首を傾げた。
「さっきの呪文、あれ、真言ってやつですよね。急急如律令って言ってたし。もしかして……」
 急急如律令は有名な文言だ。加えて「除霊師」と知っていれば、気付いても不思議ではない。
「あの、僕も、もしかしてって思ってたことがあるんですが」
 小田原が少々身を乗り出して口を挟んだ。
「ここに来た時、賀茂家って言いましたよね。もしかして、賀茂忠行の?」
「ええ」
 宗史が肯定し、小田原と翔太が目を丸くした。
「賀茂忠行って、安倍晴明の師匠とかいう、あれ? じゃあ本当に、陰陽師……?」
「ああ」
 陰陽師であることを隠しているわけではないらしい。二人が賀茂忠行を知っていたことに大河は自分の浅学さを再確認し、こっそりと遠い目をした。島で自己紹介された時、分からなかった。
「ほんとにいるんだ、陰陽師……」
「僕たち、すごく貴重な体験をしたのかな……」
「かも……」
 小田原と翔太は、ぽかんと口を開けて驚きと関心が混じった顔で大河たちを眺めた。そうまじまじと見られると恥ずかしい。大河は苦笑いで視線を逸らした。
 話が途切れたところで、晴が腰を上げた。
「さーてと。そろそろ撤収すんぞ」
「そうだな」
「うん」
 このあと会合も控えている。あまり悠長にしている時間はない。立ち上がった大河たちに倣って小田原と翔太が腰を上げ、急いで写真と報告書を封筒にしまう。宗史と晴を先頭に、揃って出入り口へと向かった。
「な、ライブある時さ、皆で一緒にチケット取って行かね?」
「いいね、それ。僕、まだ行ったことないんだ」
「あー……」
 最後尾で乗り気の小田原とは逆に、大河は難しい顔をした。間違いなく楽しいだろうが。
「大河、ライブ行かない人?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……、俺さ、山口に住んでるんだ」
「え?」
 小田原と翔太が意外そうに瞬きをした。
「大河、高校生だよな。じゃあ夏休みでこっちに来てるって感じか?」
「んー、まあ……そんな感じ……」
 もごもごと煮え切らない返事に、小田原と翔太はふうんと相槌を打つ。ぞろぞろと事務所から出て、最後に小田原が扉横の電気とエアコンのスイッチを切った。街灯の明かりが差し込んで、窓側だけが明るい。
 不意に、小田原がオートロックパネルを操作しながら言った。
「僕、山口ってまだ行ったことないんだ。秋吉台(あきよしだい)とか秋芳洞(しゅうほうどう)って、山口だよね」
「あ、はい」
 暗唱番号を打ち込んで「ロック」のボタンを押すと、自動で鍵がかかった。念のためにきちんとロックされているか引っ張って確認し、小田原は微笑んで大河を見下ろした。
「行った時、案内してくれると嬉しいな」
「あ、いいなー。俺も行きたい。ライブじゃなくても普通に旅行とか行きません?」
「いいね、行こうよ。ゆっくり旅行なんていつぶりだろう」
 電灯が照らす階段を下りながら、関門海峡(かんもんかいきょう)巌流島(がんりゅうじま)錦帯橋(きんたいきょう)の話で盛り上がる小田原と翔太の声に、大河はこっそり笑った。秋吉台や秋芳洞は山口県のほぼ中央に位置する美祢市(みねし)にあり、関門海峡と巌流島は一番西の下関市(しものせきし)、錦帯橋は一番東の岩国市(いわくにし)だ。知ってくれていたのは嬉しいが、一日では回り切れない。
「まあ、適当に連絡取ってそのうち遊びに行くから、そん時はよろしくな」
「うん、了解。俺も楽しみにしとく」
 そこでちょうど階段を下り切った。階段の横の壁際には一台の原付バイクが停めてあり、歩道で大河、宗史、晴、そして翔太と小田原が向き合う。
「今日は、本当にありがとうございました」
「ありがとうございました」
 小田原に倣って翔太も深々と頭を下げた。
「いいえ。では、俺たちはこれで失礼します。気を付けてお帰り下さい」
 もしかして、宗史は警戒していたのかもしれない。謎の多い仕事の依頼者は役者だ。何か隠しているかもしれないと。けれど今はずいぶんと柔和な笑顔で気遣う宗史に、小田原と翔太は笑って頷いた。
「じゃあ大河、またな。連絡する」
「本当にありがとう。またね」
「うん、また。二人とも気を付けて。俺も連絡する」
 二人に背を向けながらひらりと手を振り、大河は宗史と晴を追いかけた。
「この原付、翔太くんの?」
「はい。優さん、あっちですよね。俺も同じ方向なんで、途中まで一緒しません?」
「それは構わないけど……、あ、そうか」
「優さんのことは大体知ってますよー」
「それ、なんか恥ずかしいなぁ」
 ひひひ、と翔太の悪役みたいな笑い声がした。
 徐々に遠ざかる二人の和んだ会話を背中で聞いて、大河は頬を緩めた。寮の皆や事件関係者以外で初めてできた、京都の友達。またね、という言葉が、妙にくすぐったかった。
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