第14話

文字数 5,186文字

 土御門家に到着し、晴に案内されて庭に面した部屋に行くと、見覚えのある風呂敷、麦茶のポットとガラス製の湯のみが用意された大きな一枚板の座卓の前に、当主二人と陽、陽の背後に右近と(せん)が揃っていた。さっそく湯のみを手にする陽とは廃ホテルの翌日の会合以来だが、元気そうだ。それにしても、と大河は小首を傾げた。まだ十二時を少し回った頃だから樹と怜司が来ていないのは分かるが、左近がいない。哨戒だろうか。
「お疲れ」
「お疲れ様」
 宗一郎と明の声に出迎えられ、それぞれ挨拶を交わしながら座敷に入る。大河は陽の隣に腰を下ろし、宗一郎に尋ねた。宗史と晴は、椿(つばき)と志季を召喚中だ。
「宗一郎さん、左近は哨戒ですか?」
「いや、所用で出掛けている。そろそろ戻るだろう」
 ふうん、と相槌を打ってボディバッグを下ろし、回ってきた湯のみを隣に置きながら今度は明を見やる。
「あの、(すず)は……?」
「大丈夫、心配いらないよ。ありがとう」
 あれから三日、もう四日目だ。人より自己治癒力が高いらしい式神でも、まだ治らないのか。心配顔で肩を落とした大河に、明がくすりと笑った。
「大河くんは、大丈夫かい?」
 逆に気遣われてしまい、大河は慌てて顔を上げて笑った。やっぱり伝わっていたのか。召喚された椿と志季が閃の隣に座り、宗史が大河の隣、晴は陽の横に腰を下ろす。
「あ、はい大丈夫です。すみませんでした」
「謝ることじゃないよ。当たり前のことだ。ところで」
 さすが慣れたものだ。宗一郎と共に、綺麗なにっこり笑顔を向けられた。俺とは完成度が違う、と大河はその人に嫌な予感をさせる笑顔に笑顔を返した。向けられる側としては大河の方が慣れている。
「何でしょう」
 すっかり慣れた様子で聞き返した大河に、宗一郎が小さく笑って尋ねた。
「結界の進捗具合は?」
 無理難題を言い付けられなくて一安心だが、これはこれであまりよろしくない。大河はうーんと長く唸りながら頭を掻いた。
「行使はできるんですけど、なんか不安定です。形も歪で保てない時があるし、強度もいまいち」
「原因は自分で分かっているか?」
「はい。集中力が足りないんだと思います。初級以上に神経使うみたいで」
「そればかりは慣れだな」
 あっさり答えにならない答えを返され、大河は「そうですよね」と肩を竦めた。樹からも同じことを言われたのだ。何度も反復して、体に感覚を馴染ませるしかないと。以前と同じように、失敗するたびに新しく覚えた真言を暗唱させられた。
「しかし、未完成とはいえもう中級の結界を行使できるなんて。さすがに驚きますね」
「同感だ。ということで、大河。あとで樹にも話すが、地天(ぢてん)はもちろん、水天(すいてん)火天(かてん)の略式を会得しなさい。その後、水天と火天の術を会得するように」
 この二人は事前に会話の打ち合わせでもしているのだろうか。そう疑ってしまうほど流れがスムーズだ。さらりと口にされた課題に、大河は目をしばたいた。宗史と晴と陽が、ああ、と何やら意味深な納得の声を漏らす。
「え……、は?」
 略式とはつまり、宗史らが行使するあれか。霊刀に水やら火やらを纏わせて飛び道具のように使う。
「えーと……、地天は分かりますけど、水天と火天も……?」
 きょとんとした顔で尋ねると、明が言った。
「略式がどんな術かは分かるね?」
「はい」
「まず、地天の術の特徴は?」
 改めて何だろう。大河は困惑した顔で答えた。
「土を利用して、壁を作ったり攻撃をする。あと、大地そのものを揺らしたり形を変える術、です」
「その通りだ。では、大地は、どこにある?」
 またわけの分からない質問だ。どこにって、とぼやきながら大河は見事な庭へと顔を向け――気付いた。
「あ、そっか……」
 深刻な顔をして呟いた大河に、明と宗一郎が満足そうに笑った。
「ビルの中とかだと使えないんだ」
「いや。正確には、使えないことはない。建物の下は、すべて大地だからね」
「でもそれって……」
「ああ。街中や建物の中、大地がアスファルトで覆われた場所で地天の術を行使した場合、その下の大地が呼応する。そうなると、アスファルトは割れ、建物は瓦解するね」
「するねって……」
 そんな他人事みたいに。いつかテレビで見た、ビルを爆破して解体する映像を思い出した。
「現代において、街中での戦闘は、地天の術は不利なんだ。火天は、真言によって神の火を召喚して行使する。水天は空気中に含まれる水分や神の水を利用し召喚する。こればかりは、術の性質としか言いようがない」
 不公平だと思わなくもないが、昔はこんなに建物も多くないだろうし、ましてや大地をアスファルトで覆い尽くすなど想像もしなかっただろう。発展とともに、使いづらくなった属性なのか。
「だからこそ、他の属性の術を会得する必要がある」
 ここでやっと思い出した。属性の説明を受けた時、茂が言っていた。威力に物足りなさはあるが、他の属性の術も行使できると。
「分かりました。両方か……、どっちが向いてるんだろう……」
「大河くんの性格なら火天かな」
 属性が性格に影響をもたらすのか、それとも性格が属性を決めるのか。どちらにせよ、確かに性格を参考にするなら火天の方が良さそうだ。
「じゃあ、地天と一緒に先に火天か……」
 大河は真剣な顔でテーブルに目を落とした。
 真言は何度か聞いているからすぐに覚えられるだろう。地天の前半部分の真言は二つだ。級に分けるなら、初級と上級。水天と火天の真言がどうなっているのか分からないから、あとで宗史たちに聞いて初級を覚えて――いや、前半部分だけだし、中や上級があるなら先に覚えておいた方がいい。そうすれば、すぐに水天と火天の術が行使できるようになるかもしれない。先鋭の術の後半部分は地天と同じだったのだ。他にもあるかもしれないから、これもあとで聞いて、頭に入れておかなければ。
 唇に指をあてがって一人ぶつぶつ呟く大河を見て、全員が小さく笑みをこぼす。
 と、車のエンジン音が敷地に入ってきた。樹と怜司が到着したようだ。玄関から入ってくると思いきや、足音は庭へ直接回ってきた。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
 挨拶が飛び交い、それぞれペットボトル片手に、樹は紙袋も抱えて縁側から座敷へ上がった。
「陽くん、椿、これ。忘れないうちに渡しておくよ」
 上がるや否や、そう言って樹は二人に紙袋を手渡した。陽も椿も、不思議そうな顔で受け取る。
「あの、樹さん。これは……?」
「下平さんが冬馬(とうま)さんから預かったんだって。二人にお礼みたいだよ」
 やっぱり夕飯後に会いに行ったのは下平だったのか。しかし、内通者がいるのに冬馬に会いに行くと言ってよかったのだろうか。そんなことを考えながら、大河は座ったまま横へずるずると移動して間を詰めた。そうしてできた宗一郎と宗史の間に、樹と怜司が腰を下ろす。宗一郎を起点にして、時計回りに明、晴、陽、大河、宗史、樹、怜司の席順だ。こう男ばかりだと少々狭い。
「お礼?」
「落ちてたハンカチ、陽くんのでしょ? 治癒の時に噛ませたんじゃないの?」
「ああ……。でも、あれは僕のせいでもありますし、こんな高そうな物を頂くわけには……」
「あの、宗史様……」
 陽は樹へ、椿は宗史へ困った顔を向ける。
「受け取っておきなよ。二人のために選んだんだろうし」
 そう言われては受け取るしかないだろうが、それでも申し訳なさそうな顔で紙袋を見つめる二人に、宗史と明が苦笑した。
「椿、受け取っておけ。冬馬さんの気持ちだ」
「せっかくだ、陽も受け取っておきなさい」
 陽と椿は顔を見合わせ、じゃあ、と言って微笑んだ。
「下平さんにお礼を伝えてもらうように、メッセージを入れておきます」
「宗史様、私もお願いしてよろしいですか?」
「ああ、分かった」
 あの兄ちゃん律儀だな、と晴が苦笑いを浮かべた。陽はハンカチだろうが、椿には何を選んだのだろう。大河が野次馬根性にうずうずして湯のみに口を付けると、庭に人影が下りてきた。左近だ。
「戻ったか。御苦労」
「ああ。――宗一郎、明」
 左近は挨拶もそこそこに縁側へ上がると、視線で二人を廊下の先へと促した。宗一郎と明は目を細め、無言のまま腰を上げる。
 連れ立って消えていく三人の背中を、大河たちが怪訝な顔で見送った。
「何かあったの?」
 尋ねた樹に、宗史と晴は湯のみを手に首を横に振った。
「いえ、何も聞いていません」
「俺も」
 大河も陽と顔を見合わせて首を傾げる。誰も何も聞いていない。だが、明らかに何かあった雰囲気だ。何だろう、嫌な予感がする。
「樹さん、怜司さん、お茶どうされますか?」
 陽が小首を傾げた。
「あるからいいよ」
「俺も大丈夫だ。ありがとう」
 陽はいえと謙遜し、腰を上げてポットと湯のみが乗ったお盆ごと抱えた。すると志季が立ち上がって受け取り、端の方へ置く。
 しばらくして戻った三人の表情はいつも通りで、特に変わった様子はなかった。
 宗一郎と明が席に戻り、左近が右近の隣に腰を下ろすと、明が口火を切った。
「では始める。まず初めに、紺野さんからの緊急連絡について伝えておく」
 そう言って、明は全員の顔を見渡した。
「――北原さんが、平良に襲われたそうだ」
「え……」
 心臓が止まるかと思うくらいの衝撃を受けた。宗一郎と右近、左近、閃以外の全員が目を丸くしている。平良から襲撃。何だ、それは。
 我に返ったのは、樹の舌打ちだった。
「あいつ……」
 不快気に顔を歪ませてぼそりと呟いたその一言には、明らかに怒りがこもっている。
「容体は」
 硬い声で宗史が問うた。
「命に別条はない。手術は無事成功したそうだ」
 長い安堵の息を吐いて脱力する。楽観視はできないだろうが、ひとまず安心だ。
「で、どういうことだよ」
 晴が苦い顔で明を見据えて先を促す。
「順を追って話そう。まず、全員亀岡の事件は聞いているな?」
 無言で全員が頷く。
「その時に発見された、白骨遺体の身元が判明した。紺野さんの姉・朱音(あかね)さんの元夫の、三宅孝則(みやけたかのり)だそうだ」
「え……?」
 思わず声が漏れた。元夫?
 困惑した顔を浮かべているのは、大河と陽、樹と怜司で、目を丸くして驚いているのは宗史と晴だ。
「晴と宗史くんは、知っているね?」
「あ、はい」
「ああ……」
 二人が我に返って答えると、明は簡潔に説明した。
「昴は、十五年前に朝辻家の養子として引き取られた。原因は霊力だ。父親――三宅孝則は大の幽霊嫌いだったそうだ。決定的な出来事は、紺野さんの祖父の葬儀の際、昴が祖父の姿を『視て』しまったことらしい。そこから関係は悪化。離婚を機に母親は精神を病んで入退院を繰り返し、今から六年前、入院先の病院で自殺した」
 何でもないことのように告げられた言葉に、一瞬で息が詰まった。自殺――。
 樹と怜司が深く溜め息をついた。
「会合の時、紺野さんの言い回しがおかしかったからもしかしてとは思ってたけど」
「あの時の『とうさん』は、漢字変換したら義父だったのか」
 二人の冷静な感想を聞きながら、大河は奥歯を噛み締めた。
 昴は、頭がおかしくなって入院している、文献のことを知っていたら自分も母親もあんなに悩まなかったと言った。つまり、精神的に病むほど追いつめられていた――いや、追いつめられた。父親に。その結果、母親は自殺したのか。しかもその理由が大の幽霊嫌いで、挙げ句、父親が殺害されるなんて。
 昴が聞いたら、どう思うだろう。それにもし昴が内通者だとしたら――考えたくない。
 宗史は拳を握って俯いた大河を一瞥し、明を見据えた。
「では、昴は疑われ、紺野さんは捜査から外されているんですか」
 冷静な宗史の声に、大河は顔を上げて慌てて頭を動かした。
「ああ。捜査本部の見解は、自分を捨て、母親の死の原因を作った父親を恨んだ末の犯行と見ている。だが紺野さんが言うには、離婚したのは昴が三つの頃で、父親の顔すら覚えていないだろうとのことだ」
「ということは、偶然敵側に三宅孝則に恨みを抱く者がいたと」
「そういうことになる。しかし、今のところ三宅が恨みを買っていたという証言は出ていないらしい」
「捜査本部は、昴を探しますよね」
「その点については、おそらく紺野さんたちが推理済みだ。昨夜、昴の給料はどうなっているかと聞かれた」
「銀行口座からですか」
「ああ。だが、昴の給料は手渡しだ。携帯も(しげる)さん名義になっている。住民票など、知られる恐れがあれば連絡が来るだろうが、何もない」
「知られる可能性は低いと判断したんですか」
「だろうね」
 昴のことに加え、給料だとか携帯の名義だとか、こう新しい情報が多いと処理が追い付かない。でも、だからこそここは余計な口を挟まず、話を漏らさず聞くのが正解だ。落ち込むのも驚くのもあとでできる。大河は顔を引き締めて明を見据えた。
 そんな大河を宗史が横目で窺い、瞬きをすると同時に視線を明へ戻した。
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