第14話

文字数 3,405文字

「全員揃ったな」
 宗一郎が振り向いて視線を巡らせると、緩みかけていた空気に張りが戻った。
「まず、茂さん、華、志季、ご苦労だった。それと下平さんも。こちらの意向を汲んで頂いて、ありがとうございました。熊田さんたちは」
「全員無事です」
 端的な報告に、宗一郎が安心したように頷いた。
「志季、下平さんの治癒を」
「あ? ああ、別にいいけど……」
 右近がいるにもかかわらず指名された志季が、不思議そうな顔で下平の元へ歩み寄る。そしてそれを見た下平が、若干不安そうな顔をした。勘が鋭い。
「右近、うちに戻って冬馬さんを送って差し上げろ。左近には連絡してある」
「了解した」
 ああなるほど、と志季が小さく納得して下平の腕に手をかざし、間仕切りの残骸の向こう側にいた右近が身を翻して大きく跳んだ。あっという間に姿が見えなくなる。
「茂さんたちから、特に報告事項はありますか」
 宗一郎が尋ねると、意外にも柴が口を開いた。
「茂。申し訳ない、まだ伝えていない」
「ああ、そうなんだ。じゃあ僕からいいですか」
「どうぞ」
「渋谷健人のことですが、彼は、僕の元教え子です」
 さらりと告げられた内容に、華と下平と柴以外の全員が「え」と口の中で呟いた。
「渋谷健人って、確か……」
「草薙さんが言っていた、敵側の一人ですね」
「マジで?」
 春平と夏也と弘貴が顔を見合わせて確認する。
「間違いありませんか」
 宗一郎が聞き返すと、茂は神妙に「はい」と頷いた。
「話を聞いたあとに、覚えがある顔と名前だと思って卒業アルバムを確認したんです。十一年前、彼が中学三年の時にクラスを受け持ちました。今日、現場へ行く途中で待ち伏せしていたのも彼でした。間違いありません」
 先の樹と下平のやり取りや今の話しから考えると、茂たちは雅臣に呼び出された尊のところへ行っていたのだろう。その途中で、かつての教え子に待ち伏せされていた。ということは、一戦交えたのか。教え子と。
「何か話をしましたか」
「いえ。お久しぶりですと挨拶はされましたが、それ以外は何も。こちらも急いでいましたし。すみません、何か聞き出せればよかったんですが」
「いいえ、状況的に仕方ありません。分かりました。他には」
「あの、説明は明日ですか」
 間髪置かずに拗ねた顔で尋ねた弘貴へ、宗一郎が視線を投げる。
「悪いがそうなる。今日は皆疲れているだろうし、宗史もあんな状態だ。それに、明日の会合に参加していただきたい方たちもいる」
 宗一郎は紺野を見やった。
「熊田さんと佐々木さんは、動けますね」
「はい」
「では、明日午後一時、寮へお越しいただくようお伝えください」
「分かりました」
「それと、下平さん。できれば直接お話を伺いたいのですが、難しいでしょうか」
「いえ、大丈夫です」
 さらりと返ってきて、宗一郎が「おや」と意外そうな顔をした。下平が申し訳なさそうに頭を掻いた。
「実は、何故か榎本が現場に来まして、全部見られました。さすがにごまかし切れません」
 困り顔で嘆息した下平に、えっと紺野が目を丸くした。
「すみませんが、全部話すことになります。もちろん動くなと釘は刺しますので」
「そうですか……」
 宗一郎は目を落として逡巡し、分かりましたと視線を上げた。
「そちらはお任せします。他には何かありますか」
「うーん、明日でも大丈夫ですかね?」
 茂と華に振ると、二人は「そうだね」と顔を見合わせた。
「まとめて話した方がいいですし」
「ですね。じゃあ、俺たちからはこれで」
 三人の判断がまとまったところで、宗一郎が頷いた。
「では、茂さんと華は、会合までに弘貴たちにこれまでのことを全て伝えてください」
「了解です」
 茂と華が声を揃えた。
「晴。宗史は寮に置いていく。お前も残って、同じく大河に伝えるように」
「了解」
 大河はこれまでのことを知っているため、分けたのだろう。そのことを知らない弘貴たちが、不思議そうな顔で大河を見やった。
「陽、明が心配するだろうから、志季と一緒に帰りなさい」
「あ、はい。分かりました」
「それとだ」
 宗一郎は嘆息すると、ぐるりと庭を見渡した。
「庭師を呼ぶべきなのだろうが、しばらくこのままにしておこう。塀で外から見えることはないし、訓練をする時に広さも取れるだろう」
 腕を組んで、まったく、と渋面を浮かべた宗一郎につられて、全員から溜め息が漏れる。
「派手にやってくれたよねぇ」
「今朝掃除したばっかりなのに、僕たちの苦労が水の泡だよ」
「誰が片付けると思ってるんだろうな」
「修繕費請求できないかしら」
 茂、樹、怜司、華がしかめ面でぼやいた。
「では、今日はこれで解散するが、紺野さんと下平さんはどうしますか。寮に泊まっていただいても構いませんが……、そういえば、紺野さんはお車ですか?」
「いえ、タクシーで……」
 紺野は思案顔を浮かべ、痛みに顔を歪めた下平を振り向いた。
「下平さん、どうします?」
「面倒だから泊まりたいところだけど、着替えとかないだろ。俺は署に置いてるから、戻るわ。適当にタクシー捕まえる」
「下平さん、その恰好でタクシー乗るの? 乗車拒否されない?」
 樹が渋面を浮かべて口を挟んだ。
「警察手帳持って来てるから問題ない」
「あ、なるほど」
 確実に怪しまれるが、手帳を見せれば捜査か何かで負傷したと思われる。それに行き先が警察署なら、なおさら大丈夫だろう。
「じゃあ、俺も帰ります。大通りまで大した距離じゃないので、歩いて行きます」
「そうですか、分かりました。……志季、まだか?」
「急かすなって、もうちょっとだよ。俺が治癒苦手なの分かってんだろっ」
 志季がムキになったとたん、下平の顔がさらに歪んだ。いたたた、と悲鳴が上がる。晴が「すまん」と下平に向かって両手を合わせた。
「あ、そうだ」
 大河はふと思い出し、柴を見やった。
「ねぇ、柴。気になってたんだけど、一介さんたちと何かあったの? お礼言われてたよね」
 あーそれ気になってた、と皆が興味津々な眼差しを柴へ向ける。
「何かあったというわけではないが、ここへ戻ってきた時、表に人が集まっていたので、裏から入ったのだ。そこで、ちょうど彼らの車と鉢合わせした」
 揺れの影響でまだ人がいたらしい。離れの裏は駐車スペースになっている。ヘッドライトに照らされた柴を見て、さぞや驚いたことだろう。
「どうしようか迷っていると、(おきな)が声をかけてきた」
 おきなって年配の男性のことだよな、多分。と少々自信のない変換をしつつ、耳を傾ける。
「柴か紫苑かと聞かれたので、柴だと名乗ると、そうかと言って車から降りてきた。杖を持っていたので、体が不自由なのだと思い、抱えてあの動く椅子に乗せた。それだけだ」
 一介と一信は宗一郎から先に話を聞いていたようだが、それでも、突然鬼を目の前にして平然とした態度は称賛ものだ。おそらく、そんな一介だったからこそ柴も手を貸したのだろう。
「そっか」
 大河が相好を崩すと、柴はこくりと頷いた。
「一介さんらしいわね」
 不意に、小さな笑い声と共に律子がそう言った。
 草薙たちに一喝し、これ以上ないほどの制裁を下す厳しい姿。かと思えば、人を食らう生き物だと知っておきながら怯えない度胸、そして、躊躇いなく頭を下げる潔さ。もちろん、人である以上短所もあるのだろうが、でも、尊敬する大人の男の姿であることに間違いない。
 もしかして、あの言葉も意識的だったのだろうか。彼は、お前たちは人ではない、悪魔だと言った。鬼、ではなく悪魔だと。
「あ、でも優しい悪魔とかいたらどうなるんだろう……」
 ぽつりと意味不明の言葉を呟いた大河に、隣で陽が首を傾げた。と。
「よっしゃ、終わり。いいぞ、おっさん」
 満足そうな顔で志季が胸を張った。
「おお、すげぇな。綺麗に治ってる。ありがとな、志季」
「おうよ」
 志季がにっと自慢げに笑みを浮かべたところで、さて、と宗一郎が動いた。
「全員、今日は本当にご苦労だった。では解散」
 宣言されるや否や、はーやれやれといった空気が流れ、ぞろぞろと寮の方へ足を向ける。
 とりあえず戻って一息つこう、そうですね、その間にお風呂入れますね、と茂たちの会話を聞きながら、大河はふと離れを振り向いた。
 初めて昴と出会い、言葉を交わした場所が、今度は別れの場所となった。――敵として。
「おーい、大河。早く来ないと閉め出すぞー」
「あ、はーい」
 晴の声に我に返り、大河は身を翻した。
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