第1話

文字数 4,468文字

 幼い頃は、母と祖母の三人、神戸にある公団住宅で暮らしていた。
 間取りは三K。玄関を入って右手は水回り、左手に母の部屋。正面の扉の向こうはキッチン、向かい合う形でリビングに使っている和室が一室、その隣の和室は、祖母と二人で使っていた。
 母は当時から夜の仕事についていて、昼は就寝、夜は家にいなかった。だから、保育園の送り迎えも、学校の参観日や運動会などの行事も、食事の支度や身の回りの世話も。全て祖母が参加し、面倒を見てくれていた。父の話をすると母の機嫌が悪くなるので、どこの誰かも、どんな人だったのかも知らない。祖父は母がまだ幼い頃に亡くなったらしく、写真でしか見たことがない。
「ちょっとお人好しなところがあったけど、誠実で優しい人だったのよ」
 そう言って色褪せた古い写真を眺める祖母の眼差しは、懐かしそうでもあり、寂しそうでもあった。のんびり屋で穏やかで、困っている人には躊躇なく手を差し伸べる。そんな祖母と誠実な祖父。写真の中で身を寄せ合う二人は、とても幸せそうに微笑んでいた。
 祖父の墓があることもあって、祖母は自宅からバスと徒歩で十五分ほどの場所にある、大本山・須磨寺という大きな寺によく足を運んでいた。
 正式名称は、上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)。古くから「須磨のお大師さん」として親しまれ、弘法大師信仰の中心的な霊場となっている。
 1184年に起こった源平合戦・一の谷の戦いで、源氏の大将・源義経の陣地であったと伝えられており、義経が山から馬で駆け下りて奇襲をかけた「逆落とし」(鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし)や、源氏の武将・熊谷直実と平敦盛の一騎打ちは、平家物語の中でも一番涙を誘う史話として有名だ。境内には「源平の庭」と称して一騎打ちの場面を再現した像が設けられ、宝物館には源平ゆかりの宝物、また重要文化財の観音像や不動明王像など、多数の寺宝が展示されている。
 本堂や護摩堂、出世稲荷社、三重塔、敦盛塚、敦盛首洗い池、源義経腰掛けの松、弁慶鐘等々、見どころの多い境内で、祖母はいつも「奥の院」へ参拝していた。専用の納札(おさめふだ)を持って「十三沸(じゅうさんぶつ)」(三十三回忌までの追悼供養を司る仏)と「七福神」をお参りする「お山巡り」だ。
 境内の東から、山の中腹に建立された「奥の院」を経て、西の三重塔の辺りまでに参道が設けられている。東の参道は「十三沸」、奥の院の「弘法大師」、西の参道は「七福神」の祠があり、札を納めながら参拝するのだ。
 祖母に連れられて何度か参拝したことがあるけれど、幼心にただただ急で長い階段が辛いとしか思わなかった。何がそんなに面白いのと尋ねると、
「神様と仏様を一緒にお参りできるなんて、お得でしょ?」
 と祖母はいたずらっ子のように笑って言った。その頃は神と仏の区別などついておらず、そもそも興味もなかったので、お得と言われてもよく分からなかった。お寺はお墓がある場所という認識しかなく、唯一、仁王門の両脇に鎮座する仁王力士が怖いと思ったくらいだ。
 祖父の月命日や護摩祈祷、お釈迦様の誕生祭の花まつり、縁日が並ぶ毎月二十日と二十一日の大師縁日。成長するにつれて友達と過ごす時間が増え、祖母と一緒に行く機会は減った。一緒に行っても、お山巡りをする祖母を一人で待つようになった。ふらふらと境内を見て回ることもあれば、休憩所でぼんやりしたり本を読むこともあった。祖母を嫌いになったわけではなく、ただ純粋に階段を上るのが嫌だっただけだ。
 訪れる回数は減り、観光地にもなっているので人が多い時もあったけれど、境内の清らかで落ち着いた空気が好きだった。そこだけ時間がゆったりと流れているようで、祖母と同じ、いるだけで気持ちが穏やかになって、居心地が良かった。
 一方母との思い出は、旅行はおろか、近所のスーパーに一緒に出掛けた記憶すらない。母はいつも何かに苛立ち、険しい顔でピリピリとした空気を纏っていた。生活時間はすれ違っているし、仕事が休みの日は日がな一日寝ているのでほとんど顔を合わせない。合わせても、機嫌一つで些細なことでも怒鳴り散らすため、不用意なことが言えず、会話らしい会話もない。母の顔色を窺いながらの生活は、息苦しさしかなかった。それでも、祖母がいたから何とか耐えられた。
 大きく変化したのは、小学六年生の時。祖母がパート先で倒れ、そのまま搬送先の病院で亡くなった。脳梗塞だった。
 葬儀には、たくさんの人が参列してくれた。昔からの友人や、同じ団地で交流があった人たち。皆、心から悼んでくれた。
 諸々の手続きが終わった頃。母は祖母の遺品の買い取りを業者に依頼した。嫁入り道具だと言っていた桐のタンスや鏡台、着物一式、祖父から贈られた指輪や愛用していたミシンまで。
 大きなトラックや作業着姿の業者は、当然近所の住民たちの目に止まった。
「お葬式終わったの、ついこの前よね」
「遺品整理って、ちょっと早すぎない?」
「薄情よねぇ」
 こそこそとそんなことを話す近所の住民に、母はにっこり笑って言った。
「自分が死んだあとは、売れる物は売って美琴のために使いなさいって言われてたんですよ。ほら、この子来年中学でしょう? その準備もあるし、早い方がいいじゃないですか」
 前へ進むために、悲しみに暮れながらも早めに遺品整理をする人もいるだろう。けれど母の場合、目的が違う。どんなに愛想良くしても、体のいい言い訳で取り繕っても、時折母の怒声が響くことや祖母が子供の面倒を見ていることは、周知の事実だった。その上で、自分の母親が亡くなって間もないのに大がかりな遺品整理をすれば、薄情に思われても仕方がない。それに気付いていないのか、それとも、気付いていた上での牽制だったのかは分からない。よその家のことに口出しするな、と。
 残ったものは、まとめてゴミに出された。祖母が友人からもらったというハンカチやお気に入りのストールから、美琴が保育園のお遊戯会で使った象の衣装や、運動会でもらった金メダルまで。おもちゃの光る指輪が景品だったのは、いつだっただろう。母は一切躊躇うことなく、次々とゴミ袋に放り込んだ。
「こんなもの、いつまでも取っといてもしょうがないでしょ。どうせいつかゴミになるんだからさっさと捨てなさい。いいわね、今日中に終わらせてよ」
 お母さんにとってはそうだろうけど、あたしにとっては違う。そんな反論でもしようものなら、ヒステリックに怒鳴り散らされる。唇を噛み締めて、必死に言葉を飲み込んだ。
「おばあちゃん……」
 ゴミ袋が膨らんでいくごとに祖母との思い出が一つずつ消えていくようで、とめどなく涙がこぼれた。唯一手元に残ったのは、仏壇とあの古い写真一枚。
 祖母と一緒に使っていた部屋はすっかり広くなり、しかし同時に、心の中にも空しい空間ができた。祖母のいない現実を、突き付けられた気がした。
 祖母が亡くなってからの日々は、地獄のようだった。
「美琴、あんたもう六年生なんだから、留守番や掃除洗濯くらいできるわよね。米を炊くくらいは構わないけど、ご飯は作らなくていいわ。火事なんか起こされちゃたまんないから。いい? コンビニ弁当なんて買うんじゃないわよ。高いから」
 祖母がこなしていた家事は全て任され、いつも温かかった食事はスーパーの総菜やカップ麺、冷凍食品に変わった。朝食は食パン一枚。時々米を炊いておにぎり作る。給食が唯一まともな食事だった。
 朝起きて支度をし、一人で食パンをかじって、送り出してくれる人のいない玄関に向かって「行ってきます」と呟く。帰宅する時間は、まだ母が寝ているのでうるさくできない。テーブルに買い出しのメモと夕飯代を含んだ最低限のお金が置かれている日は、スーパーに行って買い物を済ませてから宿題。余った時間は勉強をするか図書室で借りた本を読む。母を送り出し、掃除や洗濯を済ませ、一人で夕飯。少しだけテレビを見たあと、風呂に入って就寝。
 母の仕事は平日が休みだけれど、ほぼ寝ているのでやることは変わらない。食事を作ってくれるでもなく、掃除洗濯をしてくれるでもない。ただ食事の時間が一人か二人かの違いだけ。むしろ、いつ機嫌が悪くなるか緊張しながらの食事は窮屈で、息が詰まりそうだった。だから宿題やテスト勉強を理由にさっさと風呂に入り、部屋に引っ込んだ。
 買い出しの追加を頼まれることもあったので、母が起きる時間には家にいなければならない。早かったり遅かったりと、起きる時間がまちまちなせいで友達との時間はなくなり、やがて遊びに誘われなくなった。それは決していじめではなく、友人らが気遣ってくれた結果だ。大変だね、時間できたら教えて。かけられた言葉に他意はなく、純粋に大変だと思ってくれたのだ。その証拠に、学校にいる間は今まで通り接してくれた。担任の先生も、何か困ったことがあったら相談してねと気に止めてくれる。嬉しい反面、皆との間に見えない壁があるように感じていた。
 そんな日々の中で、何度も何度も実感する。祖母はもう、いないのだと。
 温かい食事、綺麗に整った部屋、笑顔でかわす挨拶、笑い声の絶えない団欒の時間。キッチンに立つ祖母の背中やふっくらした柔らかい手、穏やかな笑顔と話し声。少し薄味の味噌汁が、無性に恋しくなった。
 祖母の遺骨は、祖父と一緒に須磨寺の墓に納骨されている。休日に時間を見つけては、祖母の面影を追うように足を運ぶようになった。バスを使うとお金がかかるので、三十分以上かけて歩いた。お墓参りをし、ゆっくりと時間をかけて境内を見て回り、あれだけ嫌だったお山巡りを何度もした。納札は子供でも買える値段だが、この頃は少額でも痛手だった。少しの後ろめたさを抱えながら一段一段階段を上り、十三沸と七福神に手を合わせた。
 もっとたくさん一緒に登ればよかったと、後悔した。祖母は仏と神に、何を祈っていたのだろう。
 ある日、狭いリビングで一人、母が手元に目を落としてぽつりと呟いたのを聞いた。
「これだけ……? 来年はあの子も中学に上がるのに。だから葬式なんて嫌だったのよ……」
 その時はどんな意味なのか分からなかったけれど、今思えば死亡保険金だったのだろう。祖母の遺品を売っていくらか入っても、病院代や葬儀の費用などで金はかかっている。差し引くとぼやいてしまう程度の額だったのだろう。
 母との生活がいつまで続くのか。この先ずっと、母の機嫌を窺いながら暮らしていかなければならないのか。大学進学や結婚、出産はおろか、高校を卒業し、就職して自立――そんな未来すら、見えなかった。
 その年の冬。中学の入学準備をしなければいけない時期が来た。制服や靴に鞄、体操服、上履き、文房具。教科書代はかからないにせよ金がかかることに変わりはないし、制服の採寸も行かなければならない。
「お金ばっかりかかるわね。給食費も馬鹿にならないのよ。義務教育なんだから、全部無償化してくれればいいのに。時間も取られるし」
 母のぼやきに、学校へ行くことにさえも後ろめたさを覚えた。

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