第8話

文字数 2,616文字

「で、どうするんだ。牙も干渉してきたし、独鈷杵も向こうの手に渡った。まずいんじゃないのか」
 渋面を浮かべて、雅臣が不満そうに口を開いた。
「問題ありません、とは言い切れませんね」
 治癒が終わり、Tシャツを下ろしてから腰を上げた満流を杏が支えた。その杏の足元も真っ赤だが、傷はもう消えている。
「ただ、牙はここだからこそとも考えられます」
「島以外では干渉しないってことか?」
「可能性の話しです。ですが、刀倉大河くんがいますからね。さすがの僕もそこまでは。それと独鈷杵ですが、確かに問題はあります。しかし、対峙する分には警戒する必要はありませんよ。機会はまたあります」
「……まあな」
 雅臣が自分の手に目を落とした。
「そもそも、初めから戦力的にも不利でしたし、牙が干渉すればこちらの勝算は皆無であることは織り込み済みでしたから。干渉した事実を確認できただけでも収穫です」
 この争奪において、勝敗を左右するのは牙だった。しかも干渉してくる可能性は極めて高く、平良たち居残り組を動員しても、結果は変わらなかっただろう。あちら側が人員、実力的に不利になれば、牙はもっと早く、あからさまに干渉してきたはずだ。そうなれば、無駄に戦いが激化して被害が拡大し、こちらは全滅していた。一方で、干渉してこない可能性は、ほとんど考えていなかった。それほど、牙にとって影綱は――ひいては大河は、特別なのだ。
 とはいえ、今後のことを考えると、ここで独鈷杵を奪ってしまうのが最善だったのだが。
「それよりも、土御門尚さんもそうですが、柴と紫苑に渡った刀。あれこそまずいですね。聞いていませんよ?」
 小首を傾げて見やったのは昴だ。
「悪いけど、僕も知らなかったんだ。訳に書かれていなかったから」
「ですよねぇ。影綱が隠していたのは間違いないでしょうが……。あれは、お二人のものなんですか?」
 皓へ視線が集まる。
「そうよ。間違いないわ。ていうか、独鈷杵の在り処は誰も知らなかったんでしょ? どうしてあんなに綺麗に残ってるのよ」
「おそらく、刀倉影正さんがご存知だったんでしょうね。当主のみに伝えられていたんでしょう」
 雅臣が眉根を寄せた。
「争奪戦になると予測して、わざと誰にも教えなかったってことか?」
「うーん、どうでしょうねぇ。ご本人に聞いてみないことには」
「……まあ、別にもうどうでもいいけど」
 思案顔で首を傾げる満流に、雅臣は諦めたように息を吐いた。不意に、杏が頭上を見上げた。
「戻りましたか」
「ああ。使いもいる」
「慎重ですねぇ」
 満流が喉を鳴らすと、犬神に連れられた弥生たちが姿を見せた。離れた場所から見張っているのだろう、使いの姿は見えない。
ゆっくりと下りてくる弥生たちの様子に、揃って眉をひそめる。
「怪我をしていますね」
 弥生は表情を硬くして深く俯き、彼女を横目で窺う真緒は心配顔だ。どこか重苦しい空気を漂わせる二人とは反対に、健人だけが平常通り。するりと触手が離れた。
「何があったんですか?」
「……何もないわよ」
 満流が声をかけると、酷く無愛想な答えが返ってきた。
「杏、治癒を」
「いい」
 食い気味に一蹴され、満流はふむと一つ唸った。
「では、使いもいることですし、ひとまず船に戻りましょう。雅臣さん、二人をお願いします。真緒さん」
 先に行けと言外に告げる。真緒は力なく頷いて、行こ、と犬神を促した。犬神は三人の腕に触手を絡め、気遣うようにゆっくりと飛び去った。
 宙を滑るように向島へ向かう雅臣たちをしばらく見送ったあとで、実はと健人が口を開いた。
「――なるほど。それは確かに、複雑でしょうねぇ」
 満流が、溜め息まじりに感想を漏らす。
「弥生が抜けると、真緒や里緒も抜けると言いかねない。不利になるぞ」
「ああ、それに関しては心配していません」
 何故だ、と目で問われ、満流は口角を上げた。
「これまでの自分を否定することになるからです」
 端的な答えに、なるほど、と健人が呟いた。
「むしろ、単独行動をしないかの方が心配です」
 やれやれと言った様子で息をつき、満流は向島へ視線を投げた。犬神が戻ってくる。
「仕方ありません。目を離さないように真緒さんにお願いしましょう。百合子(ゆりこ)さんや椿もいることですし、しばらく様子見です」
「了解」
 健人が答え、犬神が到着した。健人と皓に順番を譲り、残ったのは昴と満流、そして静かに背後に控える杏だ。
「それにしても、刀倉大河くんの成長ぶりは目を瞠るものがありますね。まさかあの状況を一人で切り抜けるとは」
「樹さんいわく、実戦で成長するタイプらしいよ」
「ああ、なるほど。いいですねぇ、これからが楽しみです」
「それで?」
 遠ざかる二人を眺めたまま昴が尋ねると、満流は観念したように肩を竦めた。
「独鈷杵の件は、意図的でしょうね。自分の死を先見した上でこの事件です。大河くんの性格を把握していたのなら、首を突っ込むことは想像できたでしょうし。さらに言うなら、あの時点でこちらの力量は判明していなかった。となると、争奪や内通者がどうこうというより、大河くんへのメッセージ、と言ったところでしょうか。手紙といい、愛されてますねぇ」
 くすくす笑う満流を、昴はちらりと一瞥する。フルネーム呼びが「大河くん」になっている。
 影正の手紙の内容は、満流以外の者へは伝えられていない。どんな形であれ、大勢の人間を殺害した。計画に加担した時点でそれ相応の覚悟はできているだろうが、所詮は人間だ。余計な迷いが生まれないとも限らない。その証拠に、展望台の件だ。宗一郎は松井桃子を使って雅臣に揺さぶりをかけた。今は立ち直っているようだが、見るからに動揺していたと健人から報告を受けている。
「弥生さんについては?」
「大河くんの幼馴染みは、いい仕事をしてくれました。あれは弥生さんにとって受け入れ難いでしょう。加えて、怪我をしていたとはいえ、大河くんに圧されたようですし。悔しいでしょうねぇ。彼女は、まだ強くなりますよ」
 笑顔のままで返ってきた答えに、昴は呆れ気味に短く息を吐いた。
「前から思っていたんだけど、君は本当に酷いね」
「貴方に言われたくないですよ」
「どれが本当の君なの?」
 さらりと反論を聞き流した昴に、満流は口を閉じた。波が弾ける音にしばらく耳を澄ませ、視線を遠くへ投げる。
「さあ。どれでしょう」
 返ってきた答えを掻き消すように波が激しく崖にぶつかり、大きな水飛沫を上げた。
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