第7話

文字数 4,007文字

      *・・・*・・・*

 熊野本宮大社まで、約三時間半。寮から一番遠い道のりである。
 やけに気合いが入ってるな。助手席でぶつぶつと呟く樹を、怜司は少々不気味そうな目で盗み見た。せっかく新車をゲットして気分が上がっていたのに台無しだ。
「大量の悪鬼を引き連れてくるのは間違いないとして、それに実力を加味すると、楠井満流と昴くんと平良は単独だと思うんだよね。で、式神は満流と一緒でしょ。人数的に、隗と皓と千代が同じ場所に配置されることはないから、もし式神や鬼がいた場合は、閃、よろしくね」
「ああ……」
 振り向きもせず指示した樹に、閃が怜司と同じ目をして答えた。車外から護衛すると言った閃を、距離もあるし体力温存しろと言って樹が無理矢理乗せたのだ。乗り慣れないせいか、少々居心地が悪そうだ。
「あとは残りのメンバーだよねぇ。菊池と渋谷、深町弥生と玖賀真緒の四人。もし他に仲間がいなければ、この四人を二人ずつ二カ所に配置して、隗と皓を付ける。椿がいればこっちにつくかな。その時は使いを援護に付けて何とか凌ぐしかない。で、問題はもう一カ所と千代だよねぇ……」
 腕を組んで「うーん」と低い唸り声を漏らす。確かにこれからを決める重要な戦いだが、こうも真剣になられると逆に怖い。いつもなら、今から緊張してたら身がもたないよ、などと言いそうなのに。
「お前、妙に気合いが入ってるな。どうした?」
 怪訝な顔で尋ねると、樹は腕を組んだまま振り向いた。
「どうしたもこうしたもないよ、当たり前でしょ。怜司くん、今日で何日目か覚えてる?」
 何の話だ。怜司が小首を傾げると、樹はずいっと迫った。
「甘味禁止処分。今日で九日目。明日で十日。明日さえ乗り切れば処分が解けるんだよ」
「ああ……」
 それか。気のない返事をした怜司と、後部座席で呆れ気味に溜め息をついた閃に、樹は「もうっ」とぼやいて体を引っ込めた。樹と違ってこっちは処分に期限などない。当主陣の判断一つだ。人の処分経過日数をいちいち覚えていられるか。
「ここまで我慢したのに直前になって死ぬとか、僕嫌だからね。スイーツ食べずに死ねないよ。僕はね、死ぬ時はスイーツ食べながら死ぬって決めてるの」
 死ぬ間際の人間がスイーツなんぞ――いや、樹なら食べそうだ。
「棺桶の中にちゃんと入れてやるから安心しろ」
 樹が目を丸くして振り向いた。
「入れて大丈夫なの?」
「和菓子やクッキーなんかの焼き菓子なら大丈夫らしいぞ」
「そうなんだ。でも実際に食べられるわけじゃないでしょ。死ぬ気で勝つよ」
 気合いを入れるようにふんと鼻から息を吐き出して、前を見据える。こいつの行動基準は分かりやすくていい。
「で? 千代がどうしたって?」
「ああうん。千代はどこに配置されるのかなぁって」
「何かヒントでもあるか?」
「ほら、大河くんの件」
 突然出てきた大河の名前に怜司が逡巡し、同時に我関せずで車窓を流れる景色を眺めていた閃が振り向いた。ルームミラー越しに、樹が眉を寄せて見やる。
「やっぱり、合ってたんだ。敵の標的は大河くんって推理」
「気付いていたか」
「そりゃあね。結構分かりやすかったから」
 糖分糖分、と言って樹がドリンクホルダーのスポーツドリンクへ手を伸ばした。怜司が尋ねる。
「大河には話したのか?」
「ああ。帰郷する前日、宗史が話した。紫苑も知っている。奴は、やはり真の目的を知らなかったそうだ」
 樹がペットボトルから口を離した。
「じゃあ、その辺の誤解はちゃんと解けてるんだ。特に変わった様子はなかったから、大丈夫なんだよね」
「ああ」
「そう。それならいい」
 紫苑は、柴が復活した時の本当の目的を知らなかった。そう判明したにも関わらず当主陣から説明がないのは、する必要がないからだろう。敵対する以上、全員が狙われるのは確定事項だ。忠告だけなら、樹と平良の件で十分。この件に関しての最大の問題は、最悪の事態になった場合、樹と大河が自分を責めるかどうかであって、自分たちがどう思うかは知れている。だから説明しなかった。
 怜司は話を戻した。
「お前の懸念は、大河の負の感情を利用して悪鬼を呼び寄せるなら、大河の所に千代が配置されるんじゃないかってことか」
「そう。でも、いくらなんでも無理だよねぇ」
「と、思うけどな。でも、独鈷杵回収の日をどうやって知ったのか判明してないだろ。こっちの動きを知る方法が何かあれば、今日の配置も漏れているかもしれない」
「実は内通者がもう一人いたりして」
「お前か」
 むっとして樹が振り向いた。
「怜司くんはどうしてそう僕を裏切り者にしたがるの?」
「お前が変な冗談言うからだろ」
「可愛い冗談でしょ」
「ほんとに一度脳外科受診しろ、お前」
「酷いなぁ。僕はまともだよ」
 お前がまともなら世の中全員まともだ。と返すと収拾がつかなくなりそうなのでかろうじて飲み込む。膨れ面でペットボトルをホルダーに戻し、樹は何か思い付いたように「ああでも」と続けた。
「敵が全員判明してるのかしてないのか、分かってないのは間違いないよね」
 含んだ言い回しに逡巡する。
「そうか。大河たちのあとを付ければ」
「そう。悪鬼を使えば式神に悟られる危険がある。付けるとしたら、車だろうね。方向でどこへ向かってるのか分かるでしょ。どこから来るのか知らないけど、悪鬼を使えば道路状況なんて関係ないし、十分間に合うと思うよ。ただ、宗史くんと左近がいるし、尾行は素人だからね」
「すぐにバレそうだな」
「となると、中心の平城京跡かな」
「悪鬼が向かう方向で大河の居場所が一番分かりやすい場所だな」
「そう。で、僕たちを各地に配置したってことは、宗一郎さんたちの護衛は尚さんってことになるけど」
 樹はルームミラー越しに閃を見やった。言外に、実力を問うている。
「尚は、強いぞ」
 端的で断定的な答えに、樹が渋い顔をした。
「ま、そうじゃないと尚さん一人に護衛を任せないよねぇ」
「相当強い証拠だな」
「なんか悔しいなぁ」
 ちぇ、と一つぼやいてだらしなく座席に沈む。目標、あるいは超えるべき相手がもう一人増えた、とでも思っているのだろう。
「何にせよ、宗一郎さんと明さんがさっさと結界発動してくれることを祈るよ。で、大河くんと春くんは解決してないみたいだけど」
「大河の方は大丈夫みたいだけどな」
「閃、何か聞いてる?」
 今度は声だけで問う。
「ああ。そちらも向小島へ出立する前日、宗史が相談を受けたそうだ。このまま待つ、と答えを出したらしい」
「よろしい。同じ轍を二度踏まなかったみたいだね。対応も、まあそれしかないだろうねぇ」
「当事者が何を言っても余計空しい気持ちにさせるだけだ。下手をすれば嫌味にしか聞こえない」
「そうそう。こういうのって、ほんとに本人の気持ち次第なんだよね。嫉妬をプラスに持っていくか、マイナスに持っていくか。春くんは完全にマイナスタイプ」
「逆に大河と弘貴はプラスだな」
「二人の半分でも単純さがあれば、まだマシだったかもね」
「あの状態で大丈夫なのか?」
「悪鬼を取り憑かせるってやつ? 大河くんが一緒じゃないから、戦いに集中すれば平気だと思うけど」
「まあ、夏也と弘貴がいるしな」
「夏也さんも気付いてると思うんだけど、何も言わないなんて意外。タイミングを見計らってるのかな?」
「相手は春だし、繊細な問題だからな」
「怜司くん、僕なら遠慮なく言うでしょ」
「言う。思い切り上から目線で罵ってやる」
「ひっど。繊細な僕に対して。そんなことされたら死にたくなるでしょ」
「お前が負けっぱなし、言われっぱなしでいるわけないだろ」
 何言ってんだ、と付け加えた怜司に、樹がふと笑った。
「怜司くんって、なんだかんだ言っても僕のことよく分かってるよねぇ」
「で、もう一つ気になることがある。柴のことだ」
 さらりと流すと、照れてる、と樹がにんまり笑った。蹴り落としてやりたい。
「日記のあれね。どうなの?」
 二人同時にルームミラー越しに目をやると、閃は一度瞬きをした。
「お前たちなら気付くだろうと、明も言っていたが」
「やっぱりそうなんだ。確認したの?」
「ああ。宗史が確認した。間違いないらしい」
 怜司は目を瞠り、樹が勢いよく体を起こして振り向いた。
「ちょっとそれ……」
「最後まで聞け」
 苦言を遮っての報告は、納得せざるを得なかった。何せ、鬼の寿命がどのくらいなのか、両家の文献にも記されていない上に、見当すら付かないのだ。
「お前たちに伝えなかったのは、この戦いに支障がないと判断したからだ」
「だろうね」
 樹が嘆息と共に座席に座り直した。難しい顔で唇に指を添える。
「柴と紫苑が復活させられた理由、それに関係してるのかな?」
「例えば?」
 怜司が問うと、樹はおどけるように肩を竦めた。
「分かんない。宗一郎さんたちは何か言ってなかった?」
「いいや。それについては、宗一郎も明もまだ解明していない」
「あの二人もまだなんだ」
「この事件の最大の謎は、あの二人かもな」
「かもね。ああもう、やっぱり糖分不足だよー。何にも浮かばないや」
 お手上げと言わんばかりに両手を上げ、ずるずるとシートに沈む。
「お前は推理に詰まるとそれだな。あと一日なんだ、我慢しろ」
「言われなくてもするよ。ここまで来て延長になったら、僕ほんとに死んじゃう」
「スイーツが食べられなくて死ぬ人間なんかいないだろ」
「処分明け一口目は何にしようかなぁ。やっぱりケーキかな。あとはシュークリームにチョコにアイス。迷うなぁ。あ、宗史くんたちに抹茶パフェ奢ってもらう約束してたんだっけ。守ってもらわなきゃ」
 これから未来をかけた戦いへ行くというのに、頭の中はすっかりスイーツまみれだ。まあ、変に緊張するよりはいいか。
 大河はやめとけよ高校生だからな、さすがにそれは分かってるよ、と事件とも戦いともまったく関係のない話をする二人を背後から眺め、閃がこっそり嘆息した。
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