第12話

文字数 2,878文字

 アヴァロンが大好きになって、智也や圭介とも顔見知りになって、お客さんの中にも何人か知り合いができた。さすがに毎日は無理だったが、その分アヴァロンに行く日が待ち遠しくて仕方なかった。智也と圭介を介して、冬馬とも少しずつ距離が縮まった。
 でもある時、気が付いた。
 冬馬の笑顔がずっと、寂しげなことに。接客業なのだから作り笑いをする時があって当たり前で、彼の笑顔は見惚れるほど綺麗だ。一分の隙もない。
 それなのに何故か、寂しそうに見えた。
 恰好良くて、仕事もできて、優しい。そんな彼でも、心の中に何か抱えているのだろうか。いつもなら気になったことははっきり聞けるのに、何故かそのことだけは、触れてはいけない気がしていた。
 アヴァロンに通うようになって二か月が経つ頃、ナナと出会った。
 カウンターでぼんやりしていたナナを見付けて、初めてアヴァロンに来た頃の自分を思い出した。躊躇しなかったといえば嘘になる。自分とは違うタイプだなと思ったから。でも、散々見た目で判断されて嫌な思いをしてきたからこそ、同じように判断したくなかった。
 いつものノリで声をかけると、同じカタカナの名前だと分かり、勢いで半ば無理矢理一緒に踊りに誘った。初めは戸惑っていたようだったけれど、次第に体でリズムを取り始めたナナは、楽しんでいるように見えた。けれどすぐに、その笑顔に違和感を覚えた。ぎこちないというか、笑い方を忘れた人が笑っているような笑顔。
 冬馬のこともあったからだろうか。酷く、心配になった。
 でもやっぱり、断られたらと思うと怖かった。その理由が見た目なら、なおさら。あの笑顔も、無理して笑ってくれていたからぎこちなく見えたのかもしれない。そう思うといつものノリでは言えなくて、でもこれ切りで終わらせたくないと思った。
 玉砕覚悟で連絡先を交換して欲しいと言うと、とたんにエレベーターの中の空気が冷めていくのを感じた。
 エレベーターを降りても、何か言いたそうにしているのになかなか口にしない。ナナは、きっと優しい人なのだ。断ったら傷付けるかなと、気にしてくれているのかもしれない。悪いことをした。でも気持ちは伝えたい。
 そう思って、せめてと名刺を渡すと、ナナは受け取ってくれた。それだけで嬉しくて、十分だと思った。ただ一つ、予想通りの反応に少しだけ拗ねてみた。
 青森リンという名前は、子供の頃は嫌いだったけれど今は気に入っている。一度で覚えてもらえるし、会話のきっかけにもなる。それに、日本一だ。
 ナナにそれを言うと、どうやらじわじわとウケたらしい。やっと笑って名前を呼んでくれた。
ナナの本当の笑顔は、生真面目そうな外見とは反対に、とても無邪気で綺麗だった。例えるなら、雪景色。真っ白な雪原が、太陽の光を反射してきらきらと輝いているような、そんな純真で、綺麗な笑顔。
 見た目も好みも正反対のタイプなのに、周りから不思議がられるくらい気が合った。
 ナナは、どうして友達になってくれたんだろう。
 冬馬たち、そして親友と言えるナナと出会ったアヴァロンは、大切な場所になった。
 やがて耳に入ってきた冬馬のおかしな噂を笑い飛ばし、ここ最近流れたイツキという胡散臭い除霊師の噂はただのネタだった。
 けれど――。
 あの日は、友人たちと一緒にVIPの特別ルームの予約をしていた。特に何があったというわけではない。一度は使ってみたいよねと話をしたことがきっかけだった。予約が空いていた日と職場の飲み会が重なってナナが来られなかったのは残念だったけれど、シフトを交代して、たまたま休みが重なっていた智也と圭介も誘い、皆で気兼ねなく騒げることを楽しみにしていた。
 イツキを探しに来た二人組の男に対しての対応には少し驚いた。でもそれ以上に、同じ名前を名乗る男が来た時の方が衝撃だった。まさか追い出されるとは。
 しばらくして智也が呼びに来て部屋に戻ると、冬馬は「悪かったな。一杯奢る」と言っていつもの笑顔を浮かべた。それからだ。冬馬が、心ここにあらずといった雰囲気でぼんやりし始めたのは。噂のイツキはあの人なのかと聞くと、冬馬は違うと言った。あいつは関係なかった、と。
 そのあとすぐに、冬馬は仕事に戻った。
 女の勘、とでも言うのだろうか。あの時の冬馬の心は、間違いなくイツキに向いていた。もちろん気になった。あんなにぼんやりする彼を見たのは、初めてだったから。冬馬をあんなふうにしてしまう人は、どんな人物なのか。好奇心と、多分嫉妬もあったと思う。
 でも、聞けなかった。
 智也や圭介、昇や他のスタッフに聞くこともできた。けれど、冬馬の寂しそうな笑顔とイツキが関係している気がして、どうしても聞く気にはなれなかった。
 翌日、悶々としたまま少しふてくされた気分でナナを誘ってグランツに行った。友人の彼氏がグランツで働いているため、何度か行ったことがある。
「……やっぱり、変えた方が良かったのかな……」
 あの日のことを思い出して、リンは抱きしめたクッションに顔をうずめた。
 龍之介から声をかけられて、いつかと同じ腕を掴まれた瞬間、ゾワッと全身に寒気が走った。この男は駄目だと本能で感じた。反射的に抵抗して、さらにはナナにまで手を出そうとしたことが許せなかった。スタッフが仲裁に入ってくれたけれど、感情に任せてつい「サイッテー」と言ってしまった。
 ナナや冬馬たち、アヴァロンの皆が優しくて、他の人から自分がどう見えるかなんてもう気にならなくなっていた。ありのままの自分を受け入れてくれる人たち、自分らしくいられる場所。ナナたちがいれば、それで良いとさえ思えた。
 でも――。
「……っ」
 ぎゅっと胸が苦しくなって顔をうずめたクッションに、涙が滲んだ。
 ナナの家には、何度か遊びに行ったことがある。月に一度、同じ日に休みを取ってアヴァロンに入り浸り、うちで一泊がお決まりのコースになった頃、ナナから両親が一度挨拶をしたいらしいと言われたのだ。その頃には、ナナの父親のことも聞いていた。脳卒中で倒れてから、一命は取り留めたが左半身に麻痺が残り、左目も視野が狭くなっているらしい。どう接していいか分からないのもあったけれど、改めてこんな自分で大丈夫だろうかと不安に思った。でも、ナナの両親は笑顔で暖かく迎えてくれた。美味しい料理と楽しい会話。途中でナナのお兄さんが加わって、さらに会話は弾んだ。
 帰り際、またいつでもおいで、と言われて心の底から嬉しかった。
 だからこそ、ナナから、両親に今回の件を話したと、しばらくうちに泊まればいいと言ってくれていると聞いて、嬉しい反面、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 大切な娘を危険に晒しているこんな自分を気遣ってくれる。あの時、自分が龍之介に逆らったからナナを巻き込んでしまったのに。もっと穏便に断ればこんなことにならなかった。
 ナナだけではない、冬馬も、智也も圭介も、下平も。こんな自分でなければ、皆に迷惑をかけることなんかなかったのに。
 くぐもった嗚咽が、小さく部屋に響いた。
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