第3話

文字数 6,659文字

 照れ笑いを浮かべたまま春平たちが席につくと、改めて明が口火を切った。
「では始める。春平、昴、夏也、香苗、私たちが何について話していたのかは察しているな」
 四人は、はい、と声を揃えて頷いた。
「二人はそれらを完全に絶つことはできない。だが、獣で代用できるそうだ。ただ精気は代えが利かないため、大河くんが二人に精気を与えることで解決となった」
「えっ?」
 春平と昴と香苗が同時に驚き、夏也が無表情のまま目をしばたいた。やっぱり驚かれるよな、と大河は苦笑した。
「ちゃんと分かった上で、俺から言ったんだ。柴と紫苑も分かってくれてる。それに、志季と椿が治癒に来てくれるし、条件付きだから大丈夫」
「条件?」
 昴が尋ねた。
「俺の体調が万全な時と、柴と紫苑の二人が揃ってる時以外は与えないこと」
 ああ、と四人が意味を理解して嘆息した。
「あ、でも、大河くんの体調が悪い時は……?」
 春平が恐る恐る尋ねた。
「その時は、宗史くんが代わりに与える」
「えっ」
「条件を出したのは俺だ。それに、霊力が強いほど精気は濃いらしい。その分、量が少なくて済む」
「俺、適任」
 大河は自分を指差してへらっと笑った。
「宗史さんは霊力も強いですし、大河くんの精気が垂涎ものというのは、そういう理由ですか」
 夏也が視線を落とし、ぽつりと言った。
「では、私は何のお役にも立てませんね……」
 変わらず無表情だが、その声は少し寂しそうだった。柴と紫苑のために、何かできることはないかと考えてくれていたのだろうか。しかし、こればかりは霊力の問題でどうにもできない。
 初めて聞く夏也の寂しそうな声に、大河は励ましの言葉を探す。先に、華が穏やかに口を開いた。
「夏也、そんなことないわ」
 夏也が視線を上げて華を振り向く。
「今年も猛暑だし、特に今は体調に気を付けてもらわなきゃ。美味しくて栄養があるご飯を作って、たくさん食べてもらいましょう。それに、柴と紫苑はせっかく今の時代に復活したんだもの。色んな物を堪能してもらいましょうよ」
 ね、とにっこり笑った華に、大河は虚をつかれた。封印が解かれた理由だとか、人肉や精気はどうするだとか、問題点ばかりに気を取られていた。せっかく復活したんだから、なんて考えもしなかった。
「そうだよ」
 弘貴が柔らかな笑みを浮かべて言った。
「俺らの飯作るのは夏也さんたちにしかできないじゃないですか。何の役にも立てないなんて、そんなことないって。な、春」
「うん。僕、夏也さんたちのご飯好きです。美味しくていつも食べ過ぎそうになるから、我慢するの大変なんだ。僕太りやすいし」
 そう言って照れ臭そうに笑った春平に、お前まだ気にしてんのかよ、と弘貴が呆れ気味に突っ込んだ。
「美味かったぞ」
 不意に口を挟んだ紫苑に視線が集まる。
「島へ向かう際に口にした物は実に珍妙な味だったが、お前たちの食事は美味かった」
 隣で柴が深く頷き、ほらね、と言うように華が得意顔で笑った。
 夏也はゆっくりと視線を巡らせ、大河と宗史、そして柴と紫苑で目を止めた。
「ありがとうございます」
 微笑むように目を細め、伏せ目がちにそう言った夏也は、少し照れているように見えた。
「他にあるか?」
 笑みを浮かべた明の問いに、一様に首を振る。
「では、あとで何かに気付いたり疑問に思ったことがあれば、放置せずに必ず相談、報告するように」
 口々に上がる返事を聞き、明は宗一郎へ視線を向けた。
「全員に言っておく」
 宗一郎は視線を巡らせた。
「これまでは、主に宗史、晴、樹、怜司、茂さん、華の六人が前線に立っていたが、そんな悠長なことを言っていられるほど人員は潤沢ではない。各々が前線に立つつもりで訓練に励みなさい」
「はい!」
 凛とした全員の返事が、空気を震わせた。
 大河は背筋を伸ばし、姿勢を正して宗一郎を見据える。空気は一瞬で張り詰め、しかし心地よい緊張感。初めての会合の時に感じた空気と同じだ。
 あの時は部外者の気分でいたのに、今は皆と同じ場所にいる。そう改めて気付くと、嬉しくて、少しくすぐったかった。
「最後に、樹」
 ついと向けられた視線から、樹は素早く顔を背けた。皆が来たなといった様子で興味津津に樹を見やる。
「分かっていると思うが、報告を怠った処分を言い渡す。今から十日間、甘味禁止だ」
「今から!?」
 予想通りの内容だ。目を丸くし、弾かれたように顔を向けた樹に、全員から笑い声が漏れる。
「これでもかなり譲歩した方だぞ。陽が、油断した自分のせいでもあると言い張ったらしいからな」
 樹はぐっと声を詰まらせた。せめて明日からと言いたいのだろうが、年下の陽に庇われては、これ以上食い下がれないだろう。すみません力及ばず、と低い位置で合掌する陽に、樹は困惑したようなバツが悪いような顔をした。
「……わ、わか……った……」
 テーブルの上の拳を握り、今にも血反吐を吐きそうなほど苦渋の表情で声を絞り出す樹に、大河は心の中で手を合わせた。彼の異常な甘党ぶりを考えると不憫だが、どうしようもないのだ。
「それと、怜司。お前も知っていたな」
「はい」
 怜司がどの段階でどの程度気付いていたのかは分からないが、一連の出来事を知っていて報告をしなかったのは事実だ。処分を受けて当然だと本人も分かっているのだろう、こちらは至って冷静だ。
「樹と同等、あるいはそれ以上までレベルを上げなさい」
 ぎょっとしたのは大河だけではない。式神を含めた全員がどよめき、また怜司本人も思いもよらなかった処分に目を丸くしている。それはつまり、宗史と同等という意味でもある。そう来たか、と晴が呟いた。
 眼鏡の奥で目をしばたく怜司に、宗一郎がうっすらと笑みを浮かべた。
「できないか?」
 あからさまな挑発。怜司の目が据わった。
「了解しました」
 挑むような目で言い切った怜司に、宗史と樹が敵意にも似た色を目に浮かべた。宗一郎の思惑にまんまとはまっていることは承知の上だろうが、それでも負けん気の方が勝つらしい。人のことは言えないが、ずいぶんと負けず嫌いな三人だ。
 それにしても、と大河は笑いを堪えて肩を振るわせる明と晴に白けた視線を送る。何がそんなに面白いのか分からない。見た目や立ち居振る舞いは似ていないが、笑いのツボは似ているようだ。
 ふと、賀茂家に独鈷杵を取りに行った時、宗史が呟いた言葉を思い出した。晴の方が強い、と。
 現在、当主を除いた陰陽師の中で一番は宗史。というのが皆の共通した評価だ。思い出すのも腹立たしいが、会合の時、草薙一之介も宗史と同等の実力者がいるから問題ないと言っていた。氏子らの中でも同じ認識なのだろう。だが宗史自身の評価は違う。晴は訓練を怠っていたようなことを言っていたし、それとも幼馴染みゆえの評価、なのだろうか。
 頑張れよ宗、お前に言われたくない、といつも通りの掛け合いを横目で見て、大河は首を傾げた。
 樹が盛大に溜め息をついた。
「簡単に追い付かせてあげる気はないからいいけどさ。でも宗一郎さん、僕の処分もう少し待ってよ。せっかくフレンチトースト作ってもらう約束したのに」
 フレンチトーストは甘味ではないと思うのだが。
「ああ、そうだったな。ならば食べたあとからだ。それと、スポーツドリンクは別だ。熱中症で倒れられたら困る」
「やった。ありがと」
 二人の中の甘味の定義は一体どうなっている。樹は満面の笑みを浮かべた。それまでに甘いもん食べ溜めする気だぜ、と晴がこっそり囁き、大河と宗史は大きく頷いた。それは間違いない。
「ではこの後だが、大河、陽、美琴はそれぞれ訓練の進捗具合、香苗は新しい擬人式神を確認させてくれ。今日の会合はこれまで、解散」
 終了の宣言がされ、それぞれが一斉に動き出す。華はさっそくキッチンに入り、双子は待ってましたと言わんばかりに椅子から飛び降りて柴と紫苑の元へ駆け出し、地図の説明をするために茂が続いた。柴と紫苑は地図に手を伸ばし、樹は案の定、お菓子のストック棚を漁りにキッチンに入る。怜司、弘貴、春平、夏也、美琴、宗一郎と明に指示を受けた閃、右近、左近が縁側へ向かう。残った昴と香苗が顔を見合わせて大河を見やり、腰を上げた。
 その大河はというと、宗史と晴、側に来た陽、志季と椿に笑われながら必死の形相で腰を上げていた。
「笑いごとじゃないからっ」
 やはり長時間の同じ体勢はよろしくない。会合前も護符を描くために座りっぱなしだったし、今から夕食まではできるだけ体を動かした方がいい。夜は風呂でしっかり筋肉をほぐして、寝る前もストレッチをして、早く治さねばまともな訓練ができない。
「あの、大河くん」
 肘置きを支えになんとか立ち上がった大河の元に、神妙な顔をした昴と香苗が歩み寄った。
「ちょっと、いいかな。話したいことがあるんだ」
 改まった申し出に大河は首を傾げた。
「いいですけど……」
「ありがとう。えっと、じゃあ、和室の方で」
「はい」
 わざわざ和室に移動してまで話したいこととは、一体何だろう。
 先行する昴に続いて、大河は少々へっぴり腰で和室に入った。最後に入った香苗が襖を閉めると、正座した二人に倣って大河も正面にゆっくりと正座する。
 緊張と、不安、だろうか。妙に二人の空気が張り詰めている気がする。
 微かにリビングから皆の話し声が届く。二人は覚悟を決めた顔で大河を見つめ、やがて昴が深く息を吸った。
「あの、公園の件なんだけど――」
 そう言って切り出された話は、二人にとってかなり衝撃的なものだったのだろう。昴は、時折苦しそうに声を詰まらせ、また香苗も涙を堪えた様子で顔を強張らせてはいたが、視線を逸らすことはなかった。
 退席した時の香苗の涙は、これが理由だったらしい。必然と偶然が重なった結果が影正の死へと繋がってしまったあの事件を、二人はずっと気に病んでいたのだ。
 柴と紫苑の証言から判明した事実は、話を聞きながら当然気が付いていた。少しの違和感を残して。
 だが、その違和感を二人に話すわけにはいかない。それに、今考えるべきはそこではないのだ。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした」
 大河は、案の定両手を畳について頭を下げようとした二人の肩を、腰を浮かし、腕を伸ばして掴んだ。
「二人のせいじゃないよ。大丈夫だから」
 昴と香苗の肩からゆっくりと手を離すと、二人は俯いたまま体を起こした。今にも泣き出しそうだ。
 この様子では、何を言っても気休めにすらならないだろう。大河は逡巡し、浮かした腰を上げた。目で追いかける二人を見下ろし、笑みを浮かべる。
「二人に――皆に聞いて欲しいことがあるんだ。向こうで待ってて、すぐ戻るから」
 戸惑いつつ頷いた二人を置いて和室を出ると、皆が一斉に視線を投げた。心配と好奇心が入り混じった視線を浴びながら大河は笑顔を残し、少々不格好な小走りでリビングを出た。
 本音を言うと、少し迷った。藍と蓮にも聞かせてしまうことになるから。しかし、罪悪感を抱えたままでいて欲しくない。皆も言わないだけで気にしているかもしれない。それならこの機を逃さずに、きちんと伝えるべきだ。もちろん罪悪感を完全に拭うことはできないだろう。けれど伝えずにいるよりは、ずっと楽になってくれると思う。同時に、気になっていた疑問を二人に尋ねることになるが、きっと想像通りの答えをくれる。
 大河がリビングに戻ると、また一斉に視線を向けられた。昴と香苗が伝えてくれたのだろう。藍と蓮は柴と紫苑の膝の上だが、他の皆はそれぞれの席に戻っている。
 ここはやはり。
「しげさん」
「うん?」
 大河がそれを差し出すと、茂は首を傾げながら手を伸ばした。表に書かれた文字を見て目を丸くし、大河を見上げる。
「大河くん、もしかしてこれ……」
 大河はこくりと頷いた。
「じいちゃんが、手紙を残してくれてたんです。皆にも聞いて欲しくて」
「……いいのかい?」
「はい」
 茂は両手で持った封筒に視線を落とし、祈るように目を伏せた。すぐに瞼を上げ、静かに告げる。
「拝見します」
 丁寧に便箋を取り出す間に、大河はソファに戻った。
 開け放したままの縁側から響く蝉の声に、茂の落ち着いた声が重なる。
 あの日から何度も読み返した影正(かげまさ)の手紙は、もう暗記してしまった。寮の皆はもちろん、まさか柴と紫苑の前で読み上げられるなんて、影正も想像していなかっただろう。今頃「恥ずかしいからやめないか!」と顔を真っ赤にしているかもしれない。これが逆の立場なら、化けて出てでも止める。
 それでもこうして皆に聞いてもらったのは、少しでも罪悪感を取り除くと同時に、影正が残した言葉が、柴と紫苑を含め、皆の支えになればいいと思ったからだ。一緒に聞いている内通者の心に届いて、迷っているならば断ち切るきっかけに、心変わりをしていなければ考え直すきっかけになればと、そう願った。
 誰も相槌を打つことなく、ましてや口を挟むこともなく、ただ静かに紡がれる言葉に耳を傾けていた。
「――私は、幸せだったよ」
 最後の一文を読み終え、茂はゆっくりと息を吐いた。我慢していたのだろう、香苗が両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。箱ごとティッシュを手渡した華の目にも涙が滲み、昴も唇を噛んで必死に涙を堪えている。他の者たちも、どこか思案顔でじっと一点を見つめて動かない。藍と蓮にはまだ難しかっただろうが、葬式のような重苦しい空気に不安になったのか、柴と紫苑にしがみついている。
「俺も」
 不意に声を発した大河に、皆が視線を投げた。
「自分のせいだって思った。じいちゃんが死んだのは俺を庇ったせいだって。でも、じいちゃんは自分が決めた人生を全うしたんだ。だから、俺たちが自分を責めることも、後悔し続けることも望んでないよ。父さんも母さんもそう思ってる。でもそんなに簡単に割り切れないことも分かる。だからさ、ゆっくりでいいから、じいちゃんの意思を尊重してあげて欲しい。二人が――皆が笑ってた方が、じいちゃんも喜ぶよ」
 大河は言葉を切り、昴と香苗を見据えた。
「もっと早く話せばよかったね。ごめんなさい」
「そんな……」
 昴が掠れた声を絞り出して首を横に振った。
「でも、ずっと気にしてくれてたんだって知って、嬉しかった。ありがとう」
 微笑んで告げたとたん、香苗の目から再び大量の涙がこぼれ落ち、昴が溢れる涙を隠すように俯いた。あとは、二人がどう自分の中で決着を付けるかだが、華たちがついている。心配いらないだろう。
 香苗の嗚咽が小さく響く中、大河は宗一郎と明へ視線を向けた。
「宗一郎さん、明さん。聞いてもいいですか」
 返された沈黙を了承と取り、大河は尋ねた。
「じいちゃんの先見のこと、知ってましたか」
 驚いたのは、宗史と晴、陽、式神を除いた全員だ。
 刺さるような視線を浴び、二人は大河から視線を逸らすことなく頷いた。
「ああ。知っていた」
「私もだ」
 ガタンと弘貴が息を飲んで椅子を鳴らした。見開いた目がゆらりと揺れ、動揺しているのが分かる。
「弘貴」
 大河が冷静な声で呼ぶと、弘貴は浮かせた腰をしぶしぶと下ろした。改めて宗一郎と明へ顔を向ける。
「止めて、いただけましたか」
 疑っているわけではない。ただはっきりとした答えを、二人の口から直接聞きたかっただけだ。影正は自分の人生を全うしたのだと、さらに納得するために。納得してもらうために。
「ああ。もちろんだ」
 宗一郎の答えに明が頷いた。大河はそれを見て長く息をつき、ふと困り顔で笑みを浮かべた。
「じいちゃん、聞かなかったでしょう」
 宗一郎はああと肯定して目を伏せた。
「思った以上に頑固で――潔い人だったよ」
 まるで、祈り、敬意を表しているような仕草。潔いと評されるのは誇らしいが、影正の方が年上だとはいえ、陰陽師家当主として術者たちをまとめる宗一郎にさえも頑固と言わしめるとは。
 しょうがないなぁ、と一人ごち、大河はくすりと笑った。
 もう一度息をついてから、改めて宗一郎と明を見据える。姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
 止めてくれたことや、知っていた上で謝罪してくれたこと。そして何よりも、影正の意思を尊重してくれたこと。一つの命が消えてしまうと分かっていて心に秘めることが、どれだけ辛いか。その辛さを、影唯(かげただ)雪子(ゆきこ)と共有してくれたことに、心からの礼を告げた。
 顔を上げると宗一郎と明は何も言わずに小さく頷き、大河は満面の笑みを返した。
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