第1話

文字数 6,288文字

 午後一時過ぎ。
 寮に到着すると、ちょうど哨戒組とはち合わせた。弘貴(ひろき)春平(しゅんぺい)(すばる)(はな)だ。本来は美琴(みこと)なのだが、用心して華と交代したそうだ。診断結果に異常はなかったらしく、一安心だ。一方、相当絞られたようで弘貴が目に見えて憔悴していた。だがテスト期間中もあんな感じなので特に気にしなかった。一応「気を付けろよ」と声はかけたが。
 庭へ回ると、木刀を使って紫苑(しおん)による剣術指導が行われており、その側では、すでに来ていた(せい)(しげる)と手合わせ中。また縁側では、(あい)(れん)に習いながら(さい)が擬人式神を作っているという妙な光景があった。(いつき)怜司(れいじ)は就寝中で、大河(たいが)は真言の暗記で部屋に籠っているのだろう。
「お、来た来た」
 宗史(そうし)に気付いた晴が構えを解いた。全員が一斉に振り向いて挨拶が飛び交う。
「弘貴がかなり参っていたみたいですが、どんな訓練をしたんですか?」
 晴と共に縁側に集まった茂に尋ねた。
「特別なことはしてないんだけどねぇ」
「離れに結界張って隔離したらしいぞ」
 笑顔でペットボトルを煽る茂の答えを、晴が胡乱な目をして即座に否定した。
「……そうですか」
 またずいぶんな強硬手段に出たものだ。よほど集中力が続かないらしい。春平たちは大丈夫だろうが、やはり問題は弘貴か。思わずため息が漏れる。
「弘貴くんは大河くんと同じで体で覚えるタイプだから、コツを掴めばすぐに慣れるよ。まあ掴むまでが大変なんだけど。それより二人とも、ちょっといいかな。報告があるんだ」
 ぽろりと本音を漏らした茂に促され、宗史と晴はリビングに上がった。
 茂の過去については詳しく知っている。保護をしたのが弘貴と春平ということもあるが、妻の恵美(めぐみ)の実家とは連絡を取り合っているそうで、知り合いの茶農家からいただいた新茶が毎年送られてくるのだ。両家へもお裾わけが回ってくる。
「僕が思っていた以上に思い詰めてたよ。もっと早く話すべきだった」
 そう言って茂は顔を曇らせた。
「それは俺たちも同じです。ありがとうございました」
「ううん。あ、もしかして話しをしようと思ってた? ごめん、余計なことしたかな」
「いえ、まさか。しげさんだからこそ、大河もそれだけ吐き出したんだと思います。正直、どうやって切り出そうかと思っていましたから」
 茂は適任だ。気持ちは互いに痛いほど分かるだろう。茂がほっと安堵の顔を浮かべた。
「最悪、志季(しき)に任せようと思ってたんだけどな。大河にとっちゃ命拾いしたかも」
 しらっと物騒な企てを口にした晴を責めてやりたいが、どうしても口を割らないようだったら椿(つばき)に泣き落としさせるかとちらりと考えた手前、何も言えない。口をつぐんだ宗史とは反対に、茂は楽しそうに笑い声を上げた。
「大河は暗記中ですか?」
「うん。お昼食べてすぐに部屋に籠ってたよ。午前中に二つ覚えたみたいだけど、僕が中断させちゃったから」
「迷いが消えたのなら集中力が上がってるかもしれませんね。様子を見てきます」
「うん」
 今夜の仕事の話しもしなければいけない。揃って腰を上げ、茂は縁側へ戻り、宗史と晴はリビングを出た。
「ちょっとヤバかったかもな」
「ああ。タイミングが最悪だったからな。もう少し遅ければ霊力が使えなくなっていたかもしれない。しげさんに感謝だ」
「言えてる」
 霊力は何がきっかけで覚醒し、封じられるか本人にも分からない。茂もそれを考慮した上で話しをしたのだろう。
「どう思うよ」
 晴の問いに、宗史は逡巡した。恵美と真由との約束、そして大河との約束。これだけを見るなら茂は内通者ではないと言い切れる。感謝の気持ちも嘘ではない。しかし、疑り深いと自分でも思うが、敵側の目的を考慮すると。
「……できれば、信じたい」
 ぽつりと呟いた宗史を晴は一瞥し、俺も、と小さく同意した。
「大河、入るぞ」
 宗史は大河の部屋の扉をノックした。やはり集中しているのだろう。返事がない。
「どうする?」
「邪魔したくないな」
「んじゃ、あとでいいか」
 そうだな、と言って踵を返したその時。
「よっしゃ終わりー! 訓練訓練!」
 部屋の中から非常に浮かれた独り言が漏れてきた。
「でけぇ独り言だな」
 晴が引き気味でぼやいた。宗史が苦笑いを浮かべて扉を開けると、独鈷杵など一式を握り締めた大河が振り向いた。
「あれ、宗史さん、晴さん」
「お前、独り言でかすぎだろ」
「えっ、聞こえてた?」
「丸聞こえだったぞ」
「うわマジで?」
 気を付けよ、と言ってはにかむ大河を観察しながら部屋へ入る。ひと皮むけたというか、遥かにすっきりした顔と雰囲気だ。
「しげさんから聞いたぞ」
 ベッドの端に腰を下ろしながら切り出すと、大河は一気にしゅんとして申し訳なさそうな顔で俯いた。扉を閉めた晴が、宗史の隣に座る。
「ごめんなさい」
 椅子に座りながら告げられた言葉に、宗史と晴は小首を傾げた。何故謝る。握っていた独鈷杵を机に置きながら大河は言った。
「せっかく京都に連れてきてくれたのに、俺、ちゃんと覚悟ができてなかった。それで心配かけるとか、ほんと情けなくて。ごめんなさい」
 頭を下げた大河を見据え、宗史が口を開いた。
「それも込みでお前を連れて来たんだ。別に謝ることじゃない」
 う、と大河が声を詰まらせた。
「やっぱり、分かってた……?」
 窺うような上目遣いで顔を上げた大河に、宗史と晴は同時に頷いた。ああやっぱり、と悲痛な声で呟いて、大河は両手で顔を覆った。
「覚悟ができていようといまいと、動揺して当たり前だ。頭で理解しているからといって、心が追いつくとは限らないことくらい分かっている。仕方ない。だからこそ、もう少し早く話しをしておけば良かったと思ってる。悪かった」
 そう言ったとたん大河は勢いよく顔を上げ、目を丸くして身を乗り出した。
「宗史さんが謝ることじゃない。俺のせいなんだから。俺の考えが甘かったんだから……、ていうかこれほんと甘えじゃないの!? 自分で言うのもなんだけど宗史さん俺のこと甘やかしてない!?」
 境界線が分かんないんだけど! と何やら一人で頭を抱える大河に、宗史は首を傾げた。
「甘やかしているつもりはないぞ」
「いや十分甘やかしてんだろ」
 間髪置かず突っ込まれ、宗史は心外そうに眉を寄せた。
「……どこがだ?」
「今まさにだ」
 ますます眉を寄せて困惑顔をする宗史に、晴が苦笑した。
「まあそれはともかくとして。で? 大河、お前これからどうすんだ?」
 仕切り直した晴に大河は顔を上げ、宗史は大河を見やる。大河が真剣な面持ちで背筋を伸ばした。
「俺は、もっと強くなりたい」
 言外に、このまま寮に留まると告げた大河に、宗史と晴は無言を返した。
「しげさんに話を聞いてもらって、ちゃんと考えてみた。俺、やっぱり理由が知りたい。どんな理由でも許す気もないし納得もしないけど、でも、ここで諦めたら絶対に後悔するから。だからもっと強くなりたい。陰陽師としても、精神的にも。それと……」
 大河は言葉を切り、少し自信なさげに続けた。
「これ、俺の勝手な想像なんだけど。(かい)ってさ、仲間を裏切ってまで千代(ちよ)の味方について人を襲ったんだよね。食う目的じゃないのにそこまでするのって、多分、大切な人を亡くしたからじゃないのかなって。それで、それって多分……人に、殺されたんじゃないのかなって、思ったんだ。しげさんの話を聞いて気付いた。調伏されなかったってことは、隗は千年以上、ずっとこの世に留まってたってことになる。悲しい記憶を抱えたままなんだよ。それって、すごい辛かったんじゃないかなって。隗からしてみれば余計なお世話かもしれない。でも――この世を混沌に陥れようとしてるっていうのも理由の一つだけど、それ以上に、今度こそ解放してあげたいと思う」
 理屈は通っている。大河らしい答えだと思った。許す気はないと言いながらも、隗の気持ちに寄り添う。矛盾していることに気付いているのか、それとも大河の中では矛盾していないのか。お人よしもここまでくれば呆れるが、大河が大河である所以なのだろう。
渋谷(しぶや)のことも、考えた。あの人、俺やしげさんとは違う道を選んだんだよ」
 茂は内通者ではないと判断したらしい。
「渋谷の話を聞いた時、思ったんだ。復讐して満足したのかなって。犯人を殺したいって気持ちはすっごいよく分かる。だから俺は、復讐は絶対駄目だって言えない。でもさ、復讐が終わって、家族もいなくて、これからどうするんだろうって思った。渋谷って、親はいるの?」
「ああ。悪い、全部話すと時間がかかるから要点だけに絞ったんだ。親もいるし仕事もしていた。警察が聞き込みに行ってる」
「じゃあさ、復讐して、満足したかしてないかは置いといて、そのあと普通に親や友達と顔合わせられるもんなのかな。俺だったら無理。合わせる顔がないって思う。……まあ、中には平気な人もいるんだろうけど」
 宗史と晴は虚をつかれた顔をした。
「そうか……」
「おい、まさか……」
 大河が頷いた。
菊池(きくち)も同じ状況だけどそうだとは限らないし、平良(たいら)はそんなこと考えるように見えないけど、でも渋谷の最終目的は、もしかして死ぬことじゃないのかなって」
 茂がそうだったように、死を選んでも不思議ではない。もちろん被害者遺族全員がそうではない。どこかに隠れて生きるつもりなのかもしれない。しかし、死ぬ前にせめて、と思ったのだとしたら。
「てことは、渋谷はもう生きてねぇのか?」
「いや、生きてる」
「何で」
「紺野さんたちは、法律に焦点を当てることが目的じゃないかと推理している。俺も同感だ。あの事件が公表されれば、世間でもかなり物議を醸すだろう。それを見届けてから死ぬつもりなのかもしれない」
「改正されるかどうかも分かんねぇうちにか? つーか、そもそも法律の改正なんて簡単にされねぇだろ」
「さすがに渋谷もそのあたりは分かってるだろう。一時的な興味や流行りではなく、長期的、かつ大々的に議論されることが目的だとしたら?」
「つまり、でかい一石を投じることができればいいってことか?」
「ちょっと待って待って。あくまでも俺の勝手な想像だからっ」
 さくさくと話を進める二人に、大河があたふたとした様子で口を挟んだ。
「分かってる。けど、可能性の一つとして考慮するべきだ」
 柴と紫苑の証言もあって、この世を混沌に陥れることは敵側全員の共通した目的だと思っていた。そこに行きつくまでの経緯が違うのだと。しかし、もし大河の予想が当たっていたのだとしたら、その推理が覆る。この世を混沌に陥れるのは、例えば首謀者や千代、隗の最終目的であり、雅臣や健人、平良あるいは他の仲間は別の最終目的がある。平良はともかく、雅臣と健人にとって、それが「死」だとしたら。
 しかしそうなると矛盾も出てくる。雅臣や健人には両親がいて、さらに雅臣には仲の良い同級生がいる。賀茂家での会合で(はる)も言っていたが、自分が死を覚悟しているからといって、復讐に手を貸した橘詠美(たちばなえいみ)の母親や彼らを巻き込むような目的に手を貸すだろうか。少なくとも雅臣は自ら復讐を果たそうとしているのだから、弱味を握られて脅されているとは考えにくい。嘘をつかれている、あるいは知らない。
 いや、悪鬼を従わせているのだから千代が復活していることは知っているはずだ。彼女の正体も、どうやって復活したのかも。だとしたら目的を知らないのはおかしい。彼らは、どこまで情報を共有しているのだろう。内情がさっぱり分からないと、仮説ばかりが増えていく。
 口元に手をあてがい考え込む宗史に不安を覚えたのか、大河が小声で晴に言った。
「なんか俺、余計なこと言っちゃった?」
「いやいや。むしろよく気付いた。偉い偉い」
「またそうやって茶化すっ」
「人聞き悪ぃな。褒めてんじゃねぇか」
 褒めてるように聞こえない、と膨れ面でぼやいて、大河は息をついた。
「俺さ」
 改めて口を開いた大河に我に返り、宗史は視線を上げた。
「渋谷の話を聞いた時、今まで思ってたことは全部復讐するための建前だったんじゃないかって思ったんだ。理由を知りたいとか、これ以上犠牲者を増やしたくないとか、罪を重ねて欲しくないとか。さっきも色々理屈捏ねたけど、結局それも都合のいい言い訳で、偽善だって言われたら否定できない。でも、隗のことも内通者のこともそうだけど、もうこれ以上罪を重ねて欲しくないし、悲しむ人を増やしたくないって思う気持ちは、嘘じゃない。だから偽善だとか矛盾だとか、そんなのどうでもいい。俺はただ、この事件を終わらせたい」
 開き直りとも取れる台詞を、大河は強く言い切った。
 偽善、矛盾。そんな風に考えていたのか。茂が言ったように、こちらが想像していた以上に大河は思い詰めていたようだ。
「いいんじゃねぇの、それで」
 おもむろに晴が口を開いた。
「偽善だろうが矛盾してようが、自分の気持ちがはっきりしてんならさ」
 そう言って晴が笑うと、大河は一瞬驚いたような顔をしたあと、笑ってうんと大きく頷いた。
珍しいなと思った。晴がこんなことを言うなんて。何か心境の変化でもあったのか。それともよほど大河のことが心配だったのだろうか。
「……何だよ」
 横目で窺っていた宗史を見やり、晴が気味悪そうに眉間に皺を寄せた。
「いや、別に。大河」
 怪訝な顔をする晴をよそに、宗史は微かに笑みを浮かべて大河に視線を向けた。
「俺も晴に賛成だ。矛盾や偽善なんか、誰もが抱えながら生きてる。お前だけじゃない。それに、今は事件を終わらせたいという気持ちが一番重要だ」
「そうそう。あんまごちゃごちゃ考える必要無し」
 大河はほっとした顔をして、肩の力を抜いた。
「うん。ありがとう」
 照れ臭そうに笑った大河に、宗史と晴が安堵の笑みを浮かべた。
「あっ、それともう一つ気になったことがあって」
「何だ?」
 大河は視線を落とした。
「俺、いっつも肝心なことに気付くの遅くて今頃気付いたんだけど、昨日のこと。香苗ちゃんのお父さんがさ、俺たちのこと……気持ち悪いって言ったんだよね。ピアノの時の江口(えぐち)さんは俺たちのこと知ってたからだろうけど、初陣の時のお姉さんたちとか冬馬(とうま)さんたちは、知らないのにそういうこと言わなかった。でも、やっぱりそういう風に見る人もいるんだなって改めて思った」
 大河は心配顔で視線を上げた。
「昴さんと会った?」
「ああ、さっき玄関で」
「俺には、昴さんいつも通りに見えたけど……」
 会合で昴が言っていたことを気にしているのだろう。
 昴については、直接相談に来たこと、家出をしていること、その家には養子として引き取られたこと以外は知らなかった。家出をした理由についても、霊力のせいで家族に迷惑をかけるからと聞いていた。まさかその「迷惑」が、あんな噂だとは。
 あの時、昴は「あんなにも悩まなかった」と言った。文献の存在を知っていたら、陰陽師の家系だと知っていたら、あんなにも悩まなかったと。さらに、母親は「頭がおかしくなって入院している」と噂されていると言った。以前から霊力で悩まされ、また母親の入院もそれが原因なのだとしたら、気持ち悪いなどという言葉は、これ以上ない暴力だ。
「俺もいつも通りに見えたけどな」
「ああ、俺もだ。特に変わった様子はなかったと思う」
 晴と宗史が答えると、大河はそっかと呟いて顔を緩ませた。
「弘貴と春もいつも通りだったし、皆、強いね」
 見習わないと、と笑う大河に宗史と晴は微かに苦笑いを浮かべた。茂のおかげでもあるけれど、自分の気持ちときちんと向き合い、弱さや短所を認められるのは間違いなく強さだというのに。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み