第15話

文字数 5,450文字

 外灯がほとんどない、片側一車線の道路。右手は店舗や広い敷地を有した工場や会社、小さな空き地がぽつぽつと並ぶ。左手には林が広がり、地図アプリでは気付かなかったが、途中の開けた場所に小さな鳥居がぽつんと建っていた。その両脇に、綺麗に刈り揃えられた垣根が植えられており、周辺の木々は手入れがされていた。高さがあまりないので鬱蒼とした雰囲気は全くなく、向こう側の夜空が見える。宮司や地域住民がきちんと管理しているのだろう。
 そこを少し過ぎると、突如ブロック塀が現れた。道路から少し奥まった場所に建っているので通行の邪魔にはならないが、蔦が這う塀と内側に鬱蒼と茂った木々が、とたんにおどろおどろしい気配を漂わせ始める。そのさらに少し先、一本の外灯が設置されている場所が、目的地だ。
 外灯に近付くと、栄明たちの乗った車が速度を落とした。ハザードを点灯して左に寄せ、外灯を通り過ぎた向こう側で停車した。紺野たちは外灯の手前だ。
 紺野は車から降りて、ぐるりと周囲を見渡した。道路の向かい側には、貿易会社の駐車場だろうか。トラックが数台停車している。この時間帯はもうどこも終わっているようで、ここに来るまでも数台の車とすれ違っただけだ。
 そして道路から奥まった場所には、外灯の薄暗い光に照らされた、武家屋敷の門。大きく真っ黒な口を開け、まるで闇から浮き出たように静かに佇んでいる。撮影時期が冬だったのだろか。地図アプリで見た様子とは少し変わっていて、今は砂地の通路は左右から好き放題伸びた雑草がはみ出し、立ち入り禁止の看板はあるが侵入防止用のロープは張り直されていた。
 紺野、熊田、栄明が懐中電灯を灯し、自然と全員が門の前へ集まった。
「郡司、君は」
「ご一緒致します」
 平然と言葉を遮られ、栄明が郡司を見つめたまま固まった。しばし二人の間に沈黙が落ち、折れたのは栄明だ。長い溜め息を漏らす。
「分かった。まあ、ここにいて職質されても困るしね。でも、君は護符を持っていないから絶対に離れないこと。いいね」
「承知致しました」
 忠実なのか何なのかよく分からない秘書だが、栄明の言い分は一理ある。紺野たちなら、被疑者の目的情報が入っただの何だのと言い逃れができるが、郡司は一般企業の秘書なのだ。大の大人がスーツを着て心霊スポット巡りもなかろう。確実に怪しまれて連行される。
 涼しい顔で頷いた郡司と、もう一度溜め息をつく栄明に、小さな笑い声が漏れた。長い付き合いなのだろう。いいコンビだ。
 下平が言った。
「ああ、そうだ。行く前に、一つ報告が」
 そう前置きをして、下平は例のヤナギバヒマワリのことを含め、近畿全域で何が起こっていたか、その騒動の目的と白狐たちの動向を伝えた。
「明さんと賀茂さん、あと白狐たちに感謝しねぇとなぁ……」
 言いつつも、熊田の顔は渋い。
「でも、明さんたち本当に大丈夫なんでしょうか」
 眉尻を下げた佐々木が視線を向けると、何やら考え込んでいた栄明が顔を上げ、にっこり微笑んだ。
「ええ、心当たりはあります。大丈夫です、対処できますよ」
「そうですか、それなら」
 ほっと安堵の息をつく佐々木と熊田とは反対に、紺野はわずかに眉根を寄せた。白狐改め諭吉はあまり心配したようではなかったけれど、浮かべた笑顔が少しだけぎこちなく見えたのは、気のせいだろうか。
「ああそれと、白狐なんですけど。諭吉って名前を付けました」
 さらりと付け加えた下平の報告に、あら可愛い、いいじゃねぇか、と特に驚いた様子もなく褒めたのは言わずもがな佐々木と熊田で、えっ、と目を丸くしたのは栄明と郡司だ。
「確かに、俺ら全員に白狐が付いてるなら名前があった方がいいよな」
「そうですね。あたしは何にしようかしら」
「俺もさっきから考えてるんですけど、ペット飼ったことがねぇからなぁ」
「わしらをペット扱いするとはいい度胸じゃのう」
「下平さん、祟られますよ」
 今から心霊スポットに潜入するとは思えない、緩い会話だ。
「名前なんて、よろしいのでしょうか……」
 郡司が珍しく唖然と呟き、栄明は名前の候補を上げ連ねる紺野たちを見つめ、頬を緩めた。
「大丈夫だよ」
 名のない神にとって、名を与えられる行為は「契約」を表す。本来の力は封印され、人に仕えなければならない。それが式神だ。けれど紺野たちは陰陽師ではないし、白狐も式神ではない。それに、白狐――いや、諭吉のまんざらでもなさそうな顔。放っておいても大丈夫だ。
 栄明は気持ちを切り替えるように目を伏せ、そもそもオスなのかメスなのかという基本的な疑問に気付いた紺野たちを見渡した。
「さて、皆さん。私からも一つ」
 いつまでも緩い話しをしている場合ではない。紺野たちの表情がすぐに刑事のそれに変わる。
「何か見たり感じたりしても、絶対に無視して下さい。護符もお持ちですし、使いや白狐……えーと、諭吉様がいらっしゃるので近付いてくることもないでしょうが、念のために。いいですね?」
 至極真剣に、そして強く押された念に、紺野たちは無言で頷いた。
「では、行きましょう」
 紺野と熊田、栄明が、黒い口へと懐中電灯を向ける。先行してロープをくぐったのは、諭吉だ。そのあとに栄明、郡司、続いて紺野、下平、朱雀、最後尾に熊田、佐々木、水龍と続く。
 入ってすぐの正面と左手は、進入を拒むように鬱蒼と雑草や木々が茂っている。右側に、正面奥へと伸びる砂地の通路が一本あるだけだ。地面が見えないほど、一面枯れ葉に覆われている。
「見事に真っ暗ですね」
 懐中電灯で照らされる周囲を見渡しながら、佐々木が囁いた。携帯のライト、あるいは懐中電灯一本では心許ないくらい深い闇。三本あって助かったと思うほどだ。
一行の足は、自然と右へ進む。
「これ、道路から見えた建物だな」
 下平が横目で見ながら通り過ぎたのは、門の隣に建っていた朽ち果てた建物だ。割れた瓦や青いビニールシートらしき物が落ちている。壁や天井、床板なども剥がれて崩れ落ち、窓もなく、雑草が生えて蔦が侵入し、中が丸見えの半壊状態。見るからに、長い時間人の手が入らないまま、雨風に晒されていたことが分かる。そのうち台風で全壊しそうだ。
「何に使っていたのかすら分かりませんね」
「だな」
 佐々木と熊田が小声で感想を漏らす。
 懐中電灯が届かないほどの闇、鬱蒼と茂った木々、枯れ葉に覆われた地面、ひんやりとした空気に辺りを包む虫の音。これではもう森だ。敷地の外に町があるとは思えない。
 それぞれが注意深く周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩みを進める。枯れ葉を踏みしめる足音がやけに大きく響いて、緊張感を煽る。
 少し行くと、左右に建物が二棟あった。通路から少し奥まった場所。木々に埋もれるようにして建ち、こちらもまた酷く荒れ果てている。元は建物の一部だったのだろう。廃材と化した木材が積み上げられ、先程の建物と同じく半壊状態だ。
「そういや、龍之介はどこで楠井満流と会ったんだろうな。一応、中も確認するか」
「あ……っ」
 下平が建物の方へ足を向けたとたん、栄明が小さく声を上げて振り向き、朱雀が前を塞ぎ、紺野が素早くがっしりと腕を掴んで引き止めた。
「ん?」
 下平がきょとんとした顔で朱雀を見上げ、振り向いた。
「やめた方が、いいと思います……」
 紺野が真剣な面持ちで見上げて忠告すると、察してくれたらしい。下平は一瞬凍りつき、
「おう……」
 とひと言だけ返した。朱雀は安心したように下平の肩に止まったが、熊田と佐々木は顔を引き攣らせて辺りを見渡した。水龍は変わらず二人の周りをゆったりと漂っている。
 実は、門を入った時から見えていた。木々の間からこちらを睨むように見据える髪の長い若い女。建物の中でじっと佇む浴衣姿の老人。歩き回る男とおぼしき下半身、地面を這う血だらけの手、手を繋いだ眼球のない中年の女と幼い子供。それと、そこら中を飛び回るたくさんの白い玉。まるで幽霊の吹き溜まりだ。
「お前、見えてんのか。体調大丈夫か? 廃ホテルの時ヤバかっただろ」
「護符のおかげですね。何ともありません、大丈夫です」
「そうか。ならいいけど」
 彼らからは、悪鬼のようなおぞましさは感じない。確かに見た目はアレだし、睨むような目付きや虚ろな眼差しは不気味ではあるが、明も冷やかしたりしない限り問題ないと言っていた。触らぬ神に祟りなし、だ。
「それより、さっき下平さんも言ってましたけど、龍之介はどこで満流と会ったんでしょう」
「そのことですが」
 栄明が口を開いた。
「もし蘇生術を試していたとしたら、どうしてこんな場所でとは思いますが、先程の地下室の様子を見る限り広い場所が必要になると思うんです。他の目的は見当もつきません。当時、千代はまだ蘇生されていないはずなので悪鬼化はできませんし」
「ああ、そうか。一瞬、術に悪鬼が必要だったのかと思ったんですが、そうですよね」
 邪気や浮遊霊を悪鬼化するのは、千代の専売特許だ。龍之介が満流に会ったのは三、四年ほど前だから、悪鬼化は有り得ない。
「はい。ですから、ひとまず外を確認して、建物の中はそれからにしましょう」
「分かりました」
 紺野と一緒に下平たちも頷いた。
 再び奥へ足を向けながら、下平が思案顔で低く唸った。
「もし術を試すためじゃなかったら、こんな所で何をしてたんだろうな」
「そもそも、建物の中ってかなり危ないですよね。あの様子じゃ床も抜けてるでしょうし、残った屋根もいつ落ちてくるか分かりませんよ。夜ならなおさら危険です」
 佐々木の指摘に、それぞれが周囲を見渡しながら悩ましい声を漏らす。
 陰陽師である満流が、こんな幽霊の巣窟のような場所に足を運ぶ理由。取り憑かれることはないだろうが、それでもわざわざ目的もなく足を運ぶ場所ではないだろう。栄明が言うように、術を試すなら地下室で十分だ。龍之介と会った時はなかったのだろうか。
 と、ふと気付いた。そういえば、龍之介は式神――杏と言ったか。彼のことを口にしなかった。だから蘆屋道満の子孫だと言われても笑い飛ばした。ならば、当時はまだ使役していなかった。あるいは召喚していなかったと考えるのが自然だろうか。
 楠井家は謎が多い。そしてここは本当に幽霊も多い。木々を照らすとついでに映る浮遊霊はこれで何体目だろう。もう慣れてきた。紺野が少々うんざりした顔でこっそり溜め息をついた、その時。
「待て」
 先頭の諭吉が硬い声で制止して足を止めた。あちこちにいる浮遊霊に気を取られていたせいで、思わず驚いて肩が跳ね上がる。紺野たちは弾かれたように視線を前へ投げ、足を地面に滑らせて立ち止まった。
「動かないでください」
 栄明が小声で忠告する。
 紺野はごくりと喉を鳴らした。視線の先には、左手に小ぢんまりとした小屋のような廃屋が一棟。向こう側で道が左へ分かれており、そのちょうど分岐点に、さっきまではいなかった一人の男がこちらを向いて佇んでいる。
「身長百七十センチ前後の浴衣姿。細身ですが、背格好からして男です。顔が見えないので年齢は不明」
 囁くように、かつ簡潔に男の特徴を伝えると、背を向けたままの郡司を含め、下平たちは怪訝そうに眉をひそめた。
 男の顔は、闇に溶け込んだように顎から上が真っ黒で、年齢の見当が付かない。姿勢は悪くないので老人とまではいかないだろうが、若くも見えるし、中年でもおかしくない。
 こちらの様子を窺うだけで近付こうともしない浮遊霊たちとは、明らかに違う。陰陽師に精霊、さらに神がいると分かっているはずなのに、わざわざ道を塞ぐように待ち構えていた。つまり、意図的に接触してきたのだ。
 双方の間に張り詰めた空気が漂い、緊張と警戒で呼吸が浅くなる。
 おもむろに男が腕を持ち上げ、左の道へ指をさした。こっちに来い、と言っているように見える。何か伝えたいことがあるのか、それとも罠か。
「左の道を指しています」
 男の動きを伝えると、下平たちは視線だけを動かした。
「敵意は感じられんが。どうする」
 諭吉が振り向かずに尋ね、沈黙が落ちた。
目的はおろか、表情すら読めないこの状況でどうするのが正解なのか。突如現れた男の幽霊。ここは満流が通っていた場所だ。しかし、事件に関係があるとは思えない。無視して進む選択もある。だが――。
「行きましょう」
 静かに告げた紺野に視線が集まり、諭吉はぴくりと耳を動かした。
「敵意がないのなら、何か伝えたいことがあるんだと思います。それが満流の目的だった可能性もあります。確実に潰していきましょう」
 ここへは、事件の捜査で来ている。自分たちは刑事だ。不確かなことは実際に目で見て確かめる。幸いにも、こんな非現実的な状況に対応できるだけの人材は揃っているのだ。例え無駄になったとしても、事件解決へ一歩でも近付けるのならば、選択しない余地はない。
「そうだな」
 同意したのは熊田だった。振り向くと、真っ直ぐな眼差しと目が合った。隣で佐々木が大きく頷く。紺野は二人に頷き返し、下平と郡司を見やった。こちらも満足げな笑みを浮かべて頷いた。最後は栄明だ。
 注がれる視線の中、栄明は覚悟を確かめるように四人の顔を順に見渡して、小さく頷いた。
「分かりました。行きましょう」
 全員が挑むような視線を向けると、男は上げていた腕をゆっくりと下ろした。緩慢な動きで体の向きを変え、すいと宙を滑って左の道へと入って行く。
 紺野たちは、小走りに男のあとを追いかけた。
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