第3話

文字数 2,289文字

 そのガタイの良さで土偶に「可愛らしいのにな」と話しかけるのはよせ。
「そういや、お前らに言いたいことがあるんだけど」
 杏が土偶から顔を上げた。
「そっちが仕掛けてきたんだから、きっちり関係者に手ぇ回しとけよ。何こっちに丸投げしてんだよ」
 憤然とした顔で苦情を伝えると、杏は土偶を手に乗せたまま小首を傾げた。
「私たちに、そのような伝手はない。そもそも、誰がいようと悪鬼を目にすれば逃げ出す」
 何言ってんだと言いたげに、かつ至極当然のように言い返されて、志季は目を丸くした。開き直ってんじゃねぇよ、という意味ではなく。
「あ――、そうか、なるほど。そうだよなぁ――」
 顔を覆って天を仰ぐ。言われてみればそうだ。関係各所に伝手があるのは土御門家と賀茂家で、蘆屋家に伝手があるとは思えない。もしこの場所に一般人がいたとしても、あの大きさの悪鬼ならば間違いなく見える。唸り声を上げる得体の知れない黒い塊に、人々は恐怖を感じて逃げ出すだろう。つまり、わざわざ手を回す必要はなかった。
「とか言うわけねぇだろ!」
 志季は我に返って杏を見据えた。
「確かにそうだけど、お前らの狙いは犯罪者だろ。善良な市民が巻き込まれる可能性もあったんだ。その辺はちゃんと責任持て。持てねぇなら今すぐこんなことやめろ。あとかかった諸費用払え」
 こんな事件を起こした奴らに責任がどうこう言うのもおかしな話だろう。けれど、あまりにも無責任すぎる。ついでに費用請求すると、杏は土偶を離した。すっと宙に浮き、未だ志季を取り囲む列の最後尾に加わった。
「申し訳ないが、金については、私の一存ではどうこうできぬ」
 まずそこなのか。
「この戦についても、同じだ。以前にも言ったが、主に従うことも、我ら式神の役目。主の決定に従うまで」
 要は、主の決定がどうであろうが口出しはしない、ということだ。不意に昔の記憶が蘇り、志季は刀の柄を握り直した。
 どうやら、参考になればと言ったのは本気らしい。土偶が頭からさらさらと砂となって崩れていく。
「お前は、それで主が命を落としても後悔しないんだな?」
「ああ」
 即答か。志季はわずかに眉根を寄せた。
 杏という式神が、よく分からない。罰を受けても構わないと即答するほどの忠誠を誓いながら、主が死んでも後悔しないと言う。
「そうか」
 正直、杏の様子を見る限り、本心だと思う自分と腑に落ちていない自分がいる。どちらにせよ、この事件から手を引く気がないのなら、逃すことはできない。
 志季が刀を構えると、杏も真っ黒な刀を具現化し、構えた。
 地面を蹴ったのは、同時だった。真っ赤な刀身と真っ黒な刀身がぶつかり合い、弾き合い、火花を散らす。振り下ろされた杏の刀を受け、間髪置かずに右から襲った足を右足の脛で受ける。ぐぐと歯を食いしばって耐えるが、結局押し負けた。
 勢いよく吹っ飛ばされ、しかし体勢を整えて草履の底で地面を擦りながら止まる。杏の姿が消えた。次の瞬間、背後に気配を感じた。
「く……っ」
 振り向きざまに刀を振り上げ、ガキンッ! と重厚な鉄の音が響いた。腕に痺れが走り、刀身が真っ二つに折れた。立て続けに思い切り腹を蹴り飛ばされ、がはっと胃液を吐きながら宙を滑る。衝撃で吹っ飛んだ真っ赤な刀身が宙を舞いながら、溶けるように消えていく。
 背後にそびえる大木に激突し、志季は歯を食いしばって呻き声を堪えた。大木が大きく枝を揺らして葉を落とす。
 幹の表面を滑ってどすんと地面に尻をつき、志季は吐き出すように咳き込んだ。やはり動きが速い。正面からやりあっても絶対に勝てない。
 あの馬鹿がとっとと覚醒しやがらねぇから。そう思いはするけれど、直接本人に言ったことはない。
 初めて召喚されたのは、今から八年前。晴が十四の時だ。その頃には、もう明との間に微妙な距離があった。仲が悪いわけでもないのに、どこか晴の方が明を避けているように見えた。まさかと思ったのは、訓練時。頻繁にさぼるわりには、順調に術を会得していく。対して明の方は、晴と比べると成長速度は劣っていた。
 なるほど、と思うと同時に呆れもしたし、憐みもした。ただ、全く成長しないわけではない。契約と同時に神気が封印され、窮屈さはあるけれど戦うに困るほどではない。馬鹿で不器用な奴だと思いつつも、何も言わずにいた。
 そんな中で起こった鬼代事件。
『強くなりなさい』
 明が直接そう告げたにもかかわらず、未だ覚醒の兆しはない。
「やっぱ、ケツ叩くべきだったな」
 この期に及んで一体何を気にしているのか。最後に一度咳き込んで、志季は長く息を吐いた。
 頭を振って積もった葉を払い、悠然と歩み寄ってくる杏を見据える。自分とは違う、圧倒的な神気を纏う式神。
 もし晴が覚醒していたとしても、勝てただろうか。そんな弱気な考えが頭を掠り、志季は自嘲気味な笑みを口元に浮かべた。
 考え方を変えろ。山頂から離したのは、満流の邪魔をさせないためと、おそらく伊吹山を横から一気に吹っ飛ばすためだ。最善は敵を倒すこと。けれど勝てる見込みは極端に薄い。ならばせめて、巨大結界が発動するまで奴を抑え込む。
 ここで踏ん張らなければ、全てが終わる。
 志季はゆっくりと腰を上げ、刀を具現化した。目を見開き、全ての感覚を研ぎ澄ませて集中する。
 ふわりと志季の髪が揺れ、杏が足を止めて刀を構えた。全身から煙のように立ち昇るのは、真っ赤な神気。つい先ほどまでとは比べ物にならないほどの集中力だ。
 そんな志季を見つめ、杏が薄く唇を開いた。
「――」
 ぽつりと呟いた杏の言葉は、志季が強く地面を蹴った衝撃音に掻き消された。
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