第7話

文字数 3,139文字

「できる限りの対策は取っておこう。香苗ちゃん――」
 擬人式神を前に新たに対策を立て、念のために伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)へ電話をかけると、宮司が出た。「今から行きます」と連絡を入れ、美琴に車の鍵を渡し、柴がしっかり帽子をかぶったことを確認して腰を上げようとしたその時。柴の携帯が震えた。
 柴は袂から携帯を取り出し、
弘貴(ひろき)だ」
 と言って逡巡し、恐る恐る通話ボタンをタップした。
「……私だ」
 少しの間は慣れないせいだろう。自分で提案しておいてなんだが、鬼と携帯はやっぱりミスマッチだ。何かあったのかな、と首を傾げる茂たちの横で、柴はしばらく無言だった。やがて、
「食事を終わらせ、今から神宮へ向かうところだ。……ああ、何も問題ない。……紫苑」
 相手は紫苑か。茂と香苗がくすりと笑い、美琴と右近が短く嘆息した。柴のことが心配で電話をかけてきたのだろう。
(みな)を、頼むぞ」
 そのひと言に笑いが引っ込み、代わりに胸がほのかに温かくなる。自然と、口元に笑みが浮かんだ。
 ではな、とひと言残し、柴は携帯を耳から離した。
「待たせた」
「ううん。じゃあ、行こうか」
 今度こそ腰を上げる。茂は、扉にかけた手をふと止めた。入店した時よりも騒がしい声が微かに届く。これは来た時よりも騒ぎになるかな。茂はこっそり苦笑いして、覚悟と共に扉を開けた。
 ちょうど注文の品を運んでいた店員が振り向き、茂のあとに柴と右近が続けて出たとたん、ざわっと店内がざわついた。客が増えている分、ざわめきも倍だ。何かの撮影? 俳優? コスプレ? やだ超イケメン、と囁く声がそここから聞こえてくる。客席の間を通って美琴と香苗が二人の背中を押し、茂は小走りにレジに並んだ。
「あの、どこかで撮影でもやってるんですか?」
 若い女性店員が、会計をしつつ視線は柴と右近を追いかけながら小声で尋ねてきた。頬がほんのりと赤いのは気のせいではない。
「いえいえ、ただの一般人です。あ、領収書お願いします。宛名はあけておいてください」
 あははは、とわざとらしく笑いながら札を出し、ついでにちらりと彼女の背後にある掛け時計を見やる。急いでますよのアピールだ。おつりと領収書を受け取り、ありがとうございましたの声に押されてそそくさと出る。
 後ろ手に扉を閉めて、茂は苦笑した。二人を連れて新幹線に乗った大河たちは、もっと大変だっただろう。乗降場に降りた時も大注目だった。あの時の様子を思い出し、笑いを噛み殺しながら車へ向かう。二人を目にしたらしい、色めき立った声を上げる二人連れの女性客とすれ違った。
 先に目立つ二人を押し込んだようだ。隣同士に収まった柴と右近、少々疲れ気味の美琴と香苗を乗せて、茂は車を発進させた。
 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、日本最古と言われる神社のうちの一つだ。御祭神は、日本で最初の夫婦とされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱。イザナギが余生を過ごした幽宮(かくりのみや)(今でいう終の棲家)の跡に墓を築き、さらにその墓の跡に本殿が建てられたと伝えられている。
 国生み、そして三十五柱もの神々を生んだ、まさに日本の生みの親である神が祀られており、さらに巨大結界の一端を担っていることから、パワースポットとしても有名だ。
 食事処からほんの数分。十字路の角に建つ鳥居が見えてきた。高さ八メートルの大鳥居は、阪神・淡路大震災で倒壊し、再建されたものだ。
 来る途中で伊弉諾神宮のホームページを確認した美琴が言うには、授与所は午前九時から午後五時までだが、参拝は自由らしい。だが、今日ばかりは午後六時で境内への出入りが禁止になっているそうだ。
 予告通り、大きな灯籠と狛犬を携えた鳥居の前に赤いコーンが置かれ、ポールが渡されている。さらにその向こう側には看板が立てられ、達筆な文字で「非公開特別神事のため、関係者以外参拝禁止」としたためられている。西と東の鳥居も、同じく閉鎖されているのだろう。
 観光客らしい男女が、看板を見て名残惜しそうに立ち去った。
 申し訳ないなぁ。茂は罪悪感を覚えながら鳥居を右手に直進し、ナビを確認してゆっくりと車を進めた。歩道脇にいくつもの灯籠が等間隔に並び、鬱蒼と茂った森が続く。鎮守の森だ。しばらく進んで封鎖された西鳥居を通り過ぎ、見えた参集殿と思われる木造の建物は、やはりエアコンの室外機が丸見えになるほど歩道ぎりぎりに建っている。
「ここ、やっぱり結界は張れませんね」
「だね」
 低い石垣が間にあるにはあるが、結界の形状を考えるとどうしても無理だ。
 様子を確認しながらさらに進むと、横断歩道の少し先には左に神宮専用の駐車場、右に脇道がある。一旦停車し、対向車線の車が途切れるのを待ってハンドルを切った。
 と、すぐに見えたのは、装束をまとった初老の男性だ。白髪を後ろへ撫で付けた彼は、道の左側に立ち、こちらを見るなりぺこりと会釈をした。ナンバープレートで茂たちだと分かったのだろう。
 車一台分ほどの狭い道を、ゆっくりと進む。倉庫と鉄製の錆びたゴミ収集ボックスを横目に通り過ぎ、宮司の側で停車する。美琴が窓を下げた。
「お疲れ様です」
 姿勢を低くした宮司に、臆することなく声をかける。
「お疲れ様でございます。寮の方々ですね?」
「はい」
「そちらからお入りください」
 そう言って差し出された手の先には、森の中へと延びる小道。参拝者用の駐車場は、先程通り過ぎた駐車場の他に、東と西にも設けられている。一方こちらは、神宮の裏手になる。関係者用なのだろう。ひとまず礼を言って、車を乗り入れた。
 蝉の鳴き声がいっそう激しく降り注ぐ小道は、そう長くない。すぐに抜けるとちょっとした広場になっていて、一台の軽自動車が停まっていた。参集殿とおぼしき建物と森に囲まれ、広場の向こう側にはさらに道が続いている。位置的に、西鳥居へ抜けられるのだろう。
 軽自動車の隣に車を滑り込ませ、停車する。ここなら周囲の目を気にしなくていい。
 車を降りるなり鼓膜を襲った蝉の鳴き声に、思わず空を仰ぐ。
「すごいなぁ」
 寮も桜の木があるためそこそこ鳴き声はするが、比ではない。まるで豪雨のようだ。
「ここ、思いっきり敷地内ですけど……」
 美琴が言わんとすることは分かる。車が破壊されようものなら、バスや電車を乗り継いで新幹線、あるいは変化した右近に頼るしかない。だが、戦いのあとに無駄な体力を使わせるのは忍びない上に、自動車保険の手続きやらが面倒だ。なんて言い訳をしよう。
「端っこだから大丈夫。だと思う」
 あはは、と乾いた笑いを上げた茂を、美琴が胡乱な目で見やった。
 必要な荷物だけ持って何となく周りを見渡していると、宮司が小走りに戻ってきて、柴と右近を目にするなり息を詰めた。速度が落ちた足取りは、まるで二人を実物だと認識するための時間を稼いでいるように見える。
 集まった茂たちへゆっくりと歩み寄り、足を止めた。表情を引き締めて姿勢を正し、真っ直ぐ二人を見据えるその目に怯えはない。二人の存在感に純粋に圧倒され、緊張しているのだ。
 三鬼神の一人である柴と、神である右近。歴史ある古社の宮司であり陰陽師家と繋がりがあるとはいえ、鬼はもちろん、こうして実際に式神と対面するのは初めてだろう。伝承として耳にするだけだった鬼と、決して肉眼で見ることの叶わない神が、揃って目の前にいる。緊張して当然だ。
 宮司は気を落ち着かせるように深呼吸をしたあと、深々と頭を下げた。
「どうか、よろしくお願い致します」
 とても真摯で、けれど憂いを帯びたひと言だった。日々感謝や祈りを捧げる宮司とはいえ、この戦いにおいては何もできない。さぞ悔しいだろう。
 茂はきゅっと唇を引き締め、静かな声で答えた。
「最善を尽くします」
 今は、そうとしか言えない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み