第4話

文字数 2,871文字

 大滝が難しい顔で言った。
「でも、矛盾しませんか。展望台の件で、下平さんがお守りを持ってることは向こうも知ってますよね。なら、冬馬くんたちもって考えてもおかしくないと思うんですけど。それに、悪鬼は巨大結界の方に投入してるはずなんじゃ」
「これも憶測だが、狙いは冬馬じゃなかったんだろうな。悪鬼の性質と犯人の周到さから考えると、今じゃなくて、これから先だ」
「これから先……」
「あ、そうか」
 いの一番に閃いたのは、新井だ。
「悪鬼の補充」
「そうだ。もし結界の発動を阻止できなかった場合、悪鬼を大量に失って、だが事件は続く。多少の悪鬼を残して人に取り憑かせ、増やそうって魂胆だろ。分裂できるらしいし、例え初めは一匹でも数は増やせる。つーか千代がいるから何でもありって考えてた方がいい」
「陰陽師たちがいない今なら、取り憑き放題ってわけですか。まるでウイルスだな」
「それと、この憶測が当たっていたとしたら、悪鬼の補充をするってことは、負けたとしても逃げる算段はついてるってことになる」
 周到すぎるだろ、と新井が溜め息交じりにぼやいた。前田が視線を寄越した。
「さらにだ。謎はもう一つある。あの女性客、消えたって言ったんだよな。で、そのあとに騒ぎが収まった」
「はい。それって、店内に陰陽師がいて調伏したってことになりますよね」
「そうなんだよな。こっちの味方であることは間違いないと思うんだけど、全員いないはずなんだよなぁ」
 眉間にしわを寄せ、前田は腕を組んだ。牛島が口を開く。
「確か悪鬼って、取り憑いた奴が恨んでる人間を襲うんですよね。ここ以外の現場で、誰かいなくなったような話は聞きました?」
「いや、言ってなかったな。今のところはだけど」
「てことは、ほとんどの悪鬼が新しい悪鬼になる前にやられたってことに……え、この広範囲を? どうなってるんですか?」
「分からないから謎なんだろ」
 新井がぴしゃりと一蹴し、大滝が唇に指を添えて神妙な顔をした。
「可能性として考えられるのは、俺たちが知らない仲間がまだいる、かもしれない?」
 ああ……、と全員が遠い目で溜め息のような声を漏らした。
「土御門尚の件があるからな。牛島が言った通り、短時間で広範囲の悪鬼を調伏するとなると複数……」
 中途半端に言葉を切り、前田は眉間にしわを寄せたまま数秒固まった。気持ちは分かる。味方であることは間違いない。だがそれが誰か分からず見当もつかない。何だかこう、もやもやする。
「ああもう、わけが分からん! とりあえず無事みたいだから良し。下平さんから連絡が来たら報告する。で、この辺りはしばらく落ち着かないだろうから、署で待機だ」
「はい」
 がしがしと乱暴に頭を掻いて足を踏み出した前田に続く。
 そうこうしている間に、レジには聴取を終わらせた客が行列を作っていた。一部の客の揉め事なら営業を続けるだろうが、店全体だ。しかもスタッフを含め、一斉に怒鳴り始めるという異常な事態だった。客は居続けたくないだろうし、店も営業は続けられないだろう。
 榎本は、金銭トラブルがあった様子の四人の女性客を横目で盗み見た。怒鳴った女性はすすり泣き、相手の女性は俯いて肩を落としている。金を借りておいて返済から逃げていたようだったから、聴取した警察官にお灸を据えられたのだろう。
 誰でも不満や怒り、苛立ちを抱えている。それなのに彼ら彼女らが悪鬼に選ばれたのは、それだけ強く、あるいはたくさんの負の感情を胸の内に溜め込んでいたから。
 たった一軒の店で、何人の人が悪鬼に取り憑かれたのだろう。
 下平さんたちよくこんな事件を三人で抱えてたな、とぼやく前田のあとに続いて席に戻ると、先程のカップルがこちらに気付いて腰を上げた。ぺこりと会釈する。
 全員が会釈を返し、前田が立ち止まった。
「お話を聞かせていただいて、ありがとうございました。聴取はまだ?」
「あ、いえ。聴取は終わったんですが、その、鞄が置きっぱなしだったので……」
 彼女が視線を向けた先には、榎本のショルダーバッグがぽつんと残されている。しまった。
「す、すみません。見ていてくださったんですね、ありがとうございます」
 慌てて深々と頭を下げると、前田たちから溜め息が漏れた。
「いいえ、こちらこそ。話しを聞いていただいて、ちょっと気が楽になりました。本当にありがとうございます」
 言葉通り清々しい笑顔を浮かべた彼女に、榎本は照れ臭そうにはにかんだ。
「じゃあ、俺たちはこれで。失礼します」
「はい。気を付けてお帰りください」
 道を開け、気を付けて、と前田たちも声をかけて見送る。仲睦まじく寄り添って会計を済ませる二人は、見ていて胸がほんのり温かくなる。もう二十も半ばを過ぎたが、仕事に手一杯で恋愛には縁がなかった。昔の経験も多少は影響しているのだろう。かといって、憧れがないわけではない。いいなぁ、と心の中で呟きながらバッグに手を伸ばし、ふとテーブルに目が止まった。何だろう。何か、違和感がある。
「榎本、行くぞ」
「あ、はい」
 小さな違和感に首を傾げながらも、大滝に呼ばれて小走りにその場を離れた。
 会計を済ませて店を出ると、情報通り、周囲は少々騒がしかった。パトカーが数台停まり、しかし別々の場所で警察官たちが聴取をし、遠巻きに通行人たちが通り過ぎてゆく。歩道で、店の前や中で。人手が足りないのだろう。警察官はいないが、取り憑かれていたのだろうとおぼしき人たちもいる。
「あたしのこと、そんなふうに思ってたんだ」
「ちょ、ちょっと待てよ。誤解だって。ていうか、記憶が曖昧でよく覚えてなくてさ」
 カップル。
「ごめんね。貴方のことそんなに追いつめてたなんて」
「ずっと我慢してた。どうしてお母さんが叶えられなかった夢をあたしが叶えなきゃいけないのって。あたしの人生はあたしのものなのにって」
 親子。
「俺、そんなつもりでお前に言ってたわけじゃないんだよ。お前ならもっとできるって」
「分かってる。でも、俺には耐えられなかった……っ」
 同期。
 悪鬼に取り憑かれ、意思と反してずっと胸に秘めていた負の感情を吐かされた。
 彼らはこれから、どうなるのだろう。良くも悪くも、いつかは同じ結果になっていて、それが早まったというだけのことなのだろうか。
 正直に言えば、この世を混沌に陥れるなどと言われても、いまいちぴんと来なかった。けれど、先程の光景を目にして、やっと実感が湧いた。
 もし、もしもだ。巨大結界の発動が阻止され、破壊されたとしたら、店で見た光景が日本中で起こるのだ。今回こそ何者かのお陰で大ごとにならずに済んだようだが、あのまま騒動が続いていたら、暴力沙汰どころか傷害、あるいは殺人事件に発展したかもしれない。
 あれが、日本中で起こる。悪鬼が取り憑く対象は、警察官も例外ではない。陰陽師や式神たちだけでは手が回らない。間違いなく手遅れになる。――人が、たくさん死ぬ。
 ゾクッと、全身を寒気が襲った。榎本はそれを押し込めるようにバッグの持ち手を強く握り、前田たちを小走りに追いかけた。
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