第8話

文字数 2,507文字

 水龍が二発目の水塊を放ってすぐ、怜司と樹は熊野川の方へ駆け出した。道路を渡っている途中で弥生と健人が頭上を吹っ飛んで行き、あっという間に姿が見えなくなる。
「見た? あの二人の顔。すっごいびっくりしてた!」
「楽しそうだな、お前」
 けらけらと笑う樹に白けた目をしつつ、バスのロータリーへ入る。
『せっかく鎮守の森があるんだから、利用しないとねぇ。それと、向こうには僕たちの情報がダダ漏れでしょ』
 悪役のような笑みを浮かべた樹の作戦は、こうだ。
 相手が誰か分からないのは、こちらも向こうも同じ。警戒するのは当然だ。ならば、その警戒心とダダ漏れの情報、さらに引き連れてくるであろう悪鬼の邪気を利用して隙を作り、強制的にここから退場させる。
 警戒心が強いからこそ、有り得ないことでも一瞬「まさか」と考える。そして、良親から漏れているであろう、嘘をつかない樹の性格。その二つを利用し裏をかけば、ほんの一瞬でも隙が生まれる。
 ただ、司令塔であり、式神と行動を共にする満流。こちらの性格を熟知し、なおかつ晴を一人で相手にできるほどの実力がある昴に通用するかは、正直微妙なところだった。唯一例外だったのが、平良だ。
『平良だった場合、小細工はしない。あいつの目的は僕と戦うことなんだから、場所を変えようって言っても、間違いなく乗ってくる』
 異論はなかった。平良は、実力からみて一人で来る可能性が極めて高い。ならば、平良を樹に任せ、悪鬼は閃と一緒に排除すれば効率がいい。二人がかり、あるいは水龍を援護に付けろと言わなかったことは少し気になったが、北原の敵を自分で討ちたいとでも思っているのだろう。気持ちは分かるので、何も言わずにおいた。
『もちろん、人数や現れる場所、相手や状況によって臨機応変に変える必要はあるから、油断しないでね。何度も言うけど、とにかくここから引き離すことを最優先に考えて』
 結果、樹の思惑通りに事は進んだ。敵側からしてみれば、わざわざ昴を潜入させてまで得た情報と、誰と対峙するか分からないことへの警戒心が裏目に出た。ひいては、では独鈷杵の回収日をどうやって知ったのかという疑問が残るのだが、さて、答えてくれるだろうか。
 二体の水龍が追いつき、右手の熊野本宮館の駐車場を突っ切り、和歌山県世界遺産センターと町民プールの間を一気に駆け抜けた。土手の階段を上ると、目の前に熊野川が広がる。下流の方に飛ばされたらしい、宙に浮かんだ人影と球体はまだ動いていた。
 怜司と樹は土手の上から躊躇いなく飛び下り、難なく着地して再び駆け出した。駐車場として利用されているためしっかり整備されているが、そこを抜けると砂地になり、踏ん張れないことはないが少々心許ない。
 先に健人が水塊を破壊し、少し遅れて弥生が脱出。健人が弥生に駆け寄り、二人の話し声が微かに届いた。
「何が右近、左近よ。あいつ嘘がつけないはずでしょ」
「いや、あれは嘘じゃない」
「は?」
 水塊を破壊する方法と並行して、あの言動の意味を考えていた。情報通り、健人は頭が回るらしい。樹が速度を落として口を挟んだ。
「そうだよ。僕、嘘なんかついてないよ」
 歩み寄りながら、霊刀を具現化する。適度な距離を保って足を止めると、水龍が目の高さまで下りてきて、二人の横に付いた。
「二体もいたら、名前がないと指示を出す時不便でしょ。だから付けたんだよ。右近と左近って。ね? 嘘じゃないでしょ?」
 したり顔の樹に、弥生が小さく舌打ちをかまし、犬神がぐるると低く唸った。理屈は通っているし嘘ではないが、何せ式神の名だ。向こうからしてみれば、取って付けたような言い訳にしか聞こえないだろう。作戦というよりは、むしろ悪知恵だ。成功したので何も言えないが。
 樹が、わざとらしく小首を傾げた。
「ていうか、自分たちは違うの? 犬神、二体いるって聞いてるけど。名前ないの?」
 同じなのに気付かなかったの? と遠回しに言っている。弥生がぐっと声を詰まらせ、忌々しげに樹をねめつけた。本当に嫌味ったらしい奴だ。これ以上煽ってくれるな。怜司はこっそり溜め息をついた。
「さて」
 樹がぐるりと周囲を見渡すと、弥生と健人が反射的に構えた。
「犬神は一体だけみたいだね。他に仲間もいないようだし、右近、左近。犬神をよろしくね」
 水龍が大きく尾を振って応え、すうっと浮かび上がる。
「クロ、頼んだわよ」
 弥生が指示を出すと、犬神と悪鬼は水龍を追いかけて同じ高さまで上昇した。
「何だ、やっぱり名前あるじゃない」
「うるさい。嫌味ったらしいわね、あんた」
「そうだぞ、樹。お前、学校で友達いなかっただろ」
「失礼だなぁ。いたよ、ちゃんと。事実を言ったまででしょ」
「それが嫌味なんだ。いつも言ってるだろ。お前はひと言多いんだよ。そのうち皆にも嫌われるぞ」
「えー、何で?」
 そんなつもりないのに、余計質が悪い、と軽口を叩く二人に、弥生が苛立った様子で口を挟んだ。
「話には聞いてたけど、ほんとにふざけてるわね」
「弥生、落ち着け」
「何言ってるのよ。ここまで舐められて――」
 昴はどういう報告をしたのだろう。ふざけているつもりはないし、ましてや舐めているつもりもないのだが。
 それはともかく。弥生の方も、どうやら報告通りのようだ。クールに見えて好戦的。実力は怜司と同等ということだったが、あくまでも「そう見ていた方が無難」のレベルだ。
「黙ってられるわけないでしょ!」
 憤慨っぷりから樹を狙うかと思いきや。相手は決めていたらしい。こちらへ真っ直ぐ向かってくる弥生を見据えて、怜司は霊刀を構えた。一方、健人の方も一歩遅れて砂地を蹴る。
「怜司くん。分かってると思うけど、手を抜かないでね。こっちにとってもいい機会なんだから」
 こちらの心情を見透かしたような、至極真剣な忠告とひと言。
「ああ」
 怜司は短く返して、柄を強く握り直した。
 香穂と同じ傷を抱えた弥生。けれど選んだ道は正反対のものだった。一方は己の死を、一方は義父の死と母親の破滅を選んだ。どちらの選択が正しくて、どちらが間違っているかなんて未だに分からない。それでも、一つだけ、言えることがある。
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