第5話

文字数 4,466文字

 警務部監察官室。いわゆる「警察の中の警察」と言われ、警察官の不祥事や規定違反などの質疑を行う。服務規程違反をしまくっている紺野にとって、他人事ではない。ここは様子を探って情報収集をしておくべきだろうか。それ以前に加賀谷のことを聞いておきたいが、聴取内容などは口止めされているだろうし、不用意に話しを振って口を滑らせるわけにはいかない。
 そんなことを考えていると、沢村が沈黙を破った。
「捜査の方は、どうだ?」
「あ、はい。えーと、例のDVDですが、合成でした。色々な顔が流用されていて、最後に渋谷健人が映っていました。復讐殺人として、引き続き所在を確認中です」
「……そうか」
 世の中にやりきれない事件は多いが、復讐殺人もその一つだ。被害者にされなければ、加害者にもならなかった。健人だけではない。雅臣も弥生もそうだ。
 溜め息まじりに呟いた沢村の横顔に、憂いが浮かんだ。
 一階に下りて駐車場へ向かう途中、紺野は再び口を開いた。
「それと、発見された岡部ですが、搬送先の病院で亡くなったそうです」
 あの日、夜の報告会議で岡部のことは報告された。那須管理官の判断が早かったのは、報告書にそれが残っているためだ。
 熊田と佐々木は、明への嫌疑を深めるだろうかと悩んだらしいが、今後下鴨署が鬼代事件に関わって来ないとも限らない。発見者の身元は当然記録している。捜査中の出来事だ。何かの拍子に話しを持ち出されると、何故報告しなかったのかと追及される。紺野と北原が動けない今、余計な疑いを向けられるリスクはどうしても避けなければならない。
 それに、これが殺害されていたとなると嫌疑を向けられるだろうが、岡部は間違いなく病死だ。表向き、誰がどう見ても鬼代事件とは無関係だと判断する。案の定、岡部の件については言及されていない。
「……熊田さんと佐々木さんは、岡部が供述したと言っていたな」
「ええ」
「お前は、詳しく聞いたか」
「気になったので、一応」
「……その中に、謝罪の言葉はあったのか」
 そこを気に止めるのか。
「いえ……、ほとぼりも冷めているかと思ったと、言ったそうです」
 ぎゅっと、沢村が唇を結んだ。
「……何だ、それは」
 忌々しそうであり、やるせない声でもあった。
 事件の参考人であり、一方で別の事件の被害者遺族。明の立場は、健人と大差ない。沢村が明のことをどう思っているのか知らないが、この反応を見る限り、被害者遺族として同情しているように見える。
 そういえば、健人はどうだったのだろう。心神喪失だったのなら、田代から謝罪はなかったかもしれない。ますます憎しみは増しただろう。
「ただ――沢村さんは、佐々木さんの父親のことをご存知ですか?」
「父親? いや。佐々木さんとは、そこまで接点がない。何かあったのか」
「実は、二十四年前に押し入り強盗に殺害されているんです」
 沢村が目を丸くして勢いよく振り向いた。
「犯人は男二人。そのうちの一人が、岡部でした」
「本当か」
「ええ――」
 駐車場に到着し、車に乗り込む。右京署を出ながら説明した経緯を、沢村はただ黙って聞いていた。
「――自供は取れませんが、おそらく間違いないと思います」
 そう締めくくると、沢村は難しい顔でしばらく考え込んでいた。やがて口を開く。
「その、岡部の娘の所在は?」
「さすがにそこまでは。ですが、再捜査になるでしょうし、昔のホームレス仲間が何か知っているかもしれません。それに、もう一人の犯人が割れればはっきりすると思います」
 娘のことは、もしかすると「主」が知っているかもしれない。ただ、共犯者が分かっても今のところ証拠がない。どう落とすかが難題になるだろう。
「……そうだな」
 頷いて、沢村は再び沈黙する。
「何か、気になりますか?」
 推理としては筋が通っているはずだが。遠慮なく尋ねると、沢村は「いや」と呟いて、小さく息をついた。
「状況証拠ではあるが、筋は通っている。ただ、まただなと、思っていた」
 ちらりと横目を向けられ、紺野は苦笑した。あれか。
「確かに、ここまでくると本当に何かあるんじゃないかと思います。前に、一課長に呪われてるんじゃないかって言われたんですよ。お祓い行った方がいいですかね?」
 溜め息まじりに言うと、沢村の顔に微かな笑顔が浮かんだ。
「どうだろうな。悪い結果ばかりじゃないようだし」
「悪い結果……」
 ぽつりと言葉尻を取ると、沢村は慌てた様子で振り向いた。
「すまない。責めているわけじゃ……」
 眉をハの字にして申し訳なさそうな顔をする沢村に、紺野は噴き出しそうになった笑いを噛み殺した。しかし小刻みに揺れる肩はごまかせない。沢村が言葉を切って拗ねたようにふいとそっぽを向く。
「……先輩をからかうとは、いい度胸だ」
「すみません、つい」
 先日といい、なかなか面白い反応をしてくれる。こんな一面もあるのだと同僚たちが知ったら、もっと印象が変わるだろうに。
 余計な世話だろうかと思いつつ聞いてみる。
「そういえば、沢村さんは飲み会に参加したことないですよね。ああいう場所は、苦手ですか」
 話題の転換に戸惑いつつ、沢村は一拍置いて言った。
「……妻の仕事が、忙しくてな」
「じゃあ、家事をするために?」
 何故か照れ臭そうにして、小さく頷く。
「でも、毎日というわけじゃない。俺もこんな仕事をしているし。ただ、大変な仕事だから、できるだけ負担をかけたくないと、思っている」
 ということは、飲み会が苦手というわけではないのか。しょっちゅうあるわけではないし、よほどタイミングが悪かったらしい。
 正直、沢村の妻がどんな人なのか想像できない。忙しくて大変な仕事はいくらでもある。警察官もそうだ。その上で、妻の仕事を尊重、尊敬している様子が窺える。
 今どき、家事は女がするものだとは思わないが、その風潮はまだまだ根強く残っている。沢村のような男は貴重だろう。
「沢村さんの奥さんは、男を見る目がありますね」
 素直に伝えると、沢村は驚いたように瞬きをしたあと、俯いて照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
 普段の口数の少なさに体格の良さが相まって誤解されるタイプだが、加賀谷はきっと、こんな沢村を知っていた。彼をはじめ、自分を慕ってくれる後輩たちを裏切っていることに、酷く悩んだだろう。また沢村も、加賀谷が本当はどんな人物か知っていた。酷く衝撃的で、信じ難かったはずだ。
 取引を打ち切ると脅されたとはいえ、下平の部下の牛島が言ったように、おそらく回避する方法は思い付いたはずだ。それでも草薙に従わざるを得なかった。他に、どんな理由があったのだろう。
「紺野」
「あ、はい」
 無意識に眉間に皺が寄っていた。我に返って皺を伸ばすように眉を跳ね上げると、沢村は何か言いづらそうに言い淀み、予想外のことを口にした。
「お前は、料理が上手いと聞いた」
「……は?」
 一瞬思考が停止した。突然何だ。
「前に、北原がそう言っていたが……、違うのか?」
 初めて泊めた翌日は公休日だった。次の出勤日に、北原が同僚たちにべらべら喋って散々からかわれたことがある。人は見かけによらないだの、弁当作ってきてくれだの、俺にも食わせろだの。聞いていたのか。
「別に上手いというほどでは。普通だと思いますけど、それが何か」
 まさか食わせろとか教えてくれとか言うわけではあるまいが、妻のためという純粋な目的ならば教えなくもない。
「……肉じゃが」
「はい?」
「色々試してみたんだが、なかなか味が染み込まない。何か、コツはないか」
 先走った考えと当たらずとも遠からずの答えが返ってきた。紺野は赤信号で停車し、ぼそぼそと告げる沢村を横目で見やった。もしや、妻が肉じゃが好き、とか。そうだとしたら微笑ましすぎる。
 もし俺が女だったら間違いなくお前より沢村さんを選ぶぞ。紺野は密かに近藤へ嫌味を投げて、そうですねと呟きあれこれ方法を思い出す。冷ます、醤油は最後に入れる、男爵イモを使うといった方法はよく聞くが、色々試したのならこちらは駄目だったのだろう。ならば。
 青信号に変わり、ゆっくりとアクセルを踏みながら口を開く。
「下味を付けるやり方はご存知ですか?」
「下味?」
 沢村が意外そうに問い返して振り向いた。
「ええ。切ったじゃがいもを一度水に漬けて、アクとでんぷんを抜いてください。五分から十分くらいです。それから水気を拭き取って、三十分ほど砂糖と醤油で下味を付けてから煮るといいですよ。漬け汁も一緒に入れて大丈夫です。あとは、やっぱりちょっと冷ますことですか」
「じゃがいもに、下味を付けるのか」
「ええ、祖母に教わりました。ポリ袋を使うと便利です。漬け込んでいる間に、他のことができますし」
 もう一品作ったり、風呂を洗ったり洗濯物を取り込んだり、と言いかけて思いとどまった。これ以上家庭的な部分を晒してどうする。沢村も似たようなものだから、からかわれることはないだろうが。
「アクとでんぷんが抜けたところに、味が染み込むのか」
「そうだと思います」
 さすがに調べたことがないため定かではないが。なるほど、と呟いて、沢村は何か考え込むように口を閉じた。
 話しの流れ的に不自然ではなかったけれど、まさかこの状況で肉じゃがを作るコツを聞かれるとは。加賀谷のことからは遠い話題だ。――故意、だろうか。そうだとしたら、沢村自身、まだ気持ちの整理が付いていないのだろう。むやみに話題にしなくて正解だった。個人的に気になるけれど、宗一郎は今さらと言っていたし、急ぐことはない。
 右京署に到着し、車を降りる。まだ八時を回った頃だというのにこの暑さ。ドアを開けたとたん襲った熱気に、思わず顔が歪んだ。
 燦々と照り付ける日差しに揃ってうんざり顔を浮かべ、署の入口へと向かう。
「今日、四十度近くまで上がるらしいですよ」
「……茹で上がりそうだな」
「焼き肉の肉ってこんな感じなんですかね」
「……焼き肉が食えなくなるから、やめろ」
 たくましい想像力に笑い声を響かせ、紺野は不意に足を止めて後ろを振り向いた。暑さにぼやく捜査員がこちらへ向かっており、初老の男性が乗った自転車と軽自動車が目の前を横切る。
 今、視線を感じたが――。
「どうした?」
 一歩先で足を止めた沢村に尋ねられ、紺野は訝しげに眉を寄せて自転車を目で追った。素早く周囲に視線を走らせる。
「……いえ、何でも」
 ――気のせいか。
 行きましょうと促して再び足を進める。
 清々しく晴れた空の下、建物の上にも電柱のてっぺんにも人影や悪鬼の姿はなかった。人影はともかく、悪鬼は常に見えているわけではないので絶対とは言えないけれど。こんな状況で下平からもたらされた情報もあり、神経過敏になっているのだろうか。
 紺野は微かに眉をひそめた。
 午後五時頃。宗一郎から連絡が入った。無事独鈷杵を回収した報告かと思ってこっそり開いたメッセージに届いていたのは、一枚の写真。
「なんで鈴がいるんだよ・・・・・・」
 しばし白けた目で見つめ、紺野は静かにメッセージを閉じた。
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