第1話

文字数 2,366文字

「後ろは任せた」
 大河は背後の朱雀にそう告げると、低い体勢で霊刀を左脇に構えたまま、目の前の悪鬼へと地面を蹴った。ほぼ同時に触手が伸びて、靴底で地面を滑りながらスピードを殺し、霊刀を振るう。
 護符と独鈷杵がある限り、悪鬼は絶対に分裂しない。ならば無理矢理にでも近付いて、中から調伏する。それに、殺すなと平良から指示が出ている以上、攻撃の手は緩む。その証拠に、こうして周囲を囲んでいるにもかかわらず、触手を伸ばしてくるのは一部だけだ。とはいえ数は多い。さすがに全部は避け切れないけれど、動きは見える。何とかなる。
 ただ、あくまでも殺さなければいいのであって、悪鬼には独鈷杵奪取の指示も出ている。どんな攻撃を仕掛けてくるか分からない。油断は禁物だ。
 頬や腕、胴体に足。戦闘開始早々あちこち触手に掠め切られつつも、じわじわと距離を詰める。比例して、背後では朱雀が炎を吐きながらぴったりくっついてくる。反対に、悪鬼は同じ距離だけ後退する。上からだと、黒いドーナツが少しずつ移動しているように見えるだろう。動くなこの野郎と言いたい。
 もしこれが宗史や晴たちだったら、きっと無傷のまま瞬く間に距離を詰めて調伏し終わっているはずだ。
 初陣での光景は、まだ目に焼き付いている。打ち合わせもしていないのに、息の合った動きであっという間に悪鬼を調伏した、凛々しくて恰好良い姿。どれだけ訓練をすれば、あんなふうになれるのだろうと思った。あれからほんの半月ほどしか経っていないけれど、それでもそこそこ強くなったと自分でも思うし、霊刀の扱いや悪鬼の動きにも慣れてきた。だから、あの時の二人みたいに自分も恰好良く――。
「できるわけないだろ!」
 一向に減る気配のない悪鬼に苛立ちをぶつけるように、大河は触手目がけて霊刀を振り下ろした。真正面から突っ込んできた触手を仰け反って避け、横に移動しながら手首を返して霊刀でぶった切る。
 たかが半月の訓練で、幼い頃から陰陽師として育てられた二人のようになんて、おこがましいにも程がある。実際こうして悪鬼にてこずる程度の実力だ。しかもすでに体中傷だらけで、廃ホテルの時よりも酷い有り様だろう。
「どんだけいんだよ、これ」
 大河は、息を切らしながら頬を流れる血を拭った。頭から流れる汗が傷に沁みて顔が歪む。
 足を止めた大河と朱雀を相も変わらず取り囲んだまま、悪鬼が様子を窺うように動きを止めた。うねる触手が嘲笑っているように見えて癇に障る。
 この調子ではキリがない。時間と体力と霊力を消費するだけだ。略式なら広範囲で仕留められるだろうけれど、この数を一気に仕留められるわけではない。尖鋭の術も、どうしても隙間ができる。となると、林立する木々を傷付けてしまうが。
「しょうがない」
 大河は口の中で呟いて、静かに息を吸い込んだ。この形で行使するのは初めてだが、森の中だ。地天と相性はいい。あとは、自分のイメージ次第。
「オン・ビリチエイ・ソワカ――」
 霊刀を構えたまま、至極小さく真言を口にする。触手が警戒するように動きを止め、先端を向けた。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)渾天雨飛(こんてんうひ)――」
 イメージしろ。霊符は放たずに、高さは地面から悪鬼より上。範囲は、周囲三百六十度。
斥濁砕破(せきだくさいは)――」
 素早く霊符を取り出してしゃがみ込み、地面に叩きつける。とたん、大河と朱雀の周囲の大量の砂がぶわっと浮き、枯れ葉が舞い上がった。弾かれたように触手が一斉に襲いかかる。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
高らかに命じた大河の声に呼応し、米粒大ほどに固まった砂の塊が鋭く空を切った。尖鋭の術よりも密度の高い、砂の壁。隙間を抜けることはできない。確実に捕えられる。
 ドドドッ! と連続して衝撃音が鎮守の森に響き渡り、土煙の白と消滅する悪鬼の黒が混じり合った煙が上がる。
「くそっ!」
 大河は頭上を見上げて悪態をついた。浮かんでいるのは、若干小さくなった悪鬼本体。とっさに上へ逃げおおせたらしい。三分の二ほどに縮んだせいか、周囲を囲まずに一カ所に集まってくる。背後からすかさず朱雀が炎を吐き出し、悪鬼は燃え盛る一部を切り離しながら横へ移動した。
「オン・ビリチエイ・ソワカ!」
 悪鬼の動きを目で追いながら立ち上がり、霊刀には勢いよく周囲の土が蠢いて絡み付いた。ぐっと歯を食いしばり、霊刀を薙ごうとした、次の瞬間。
「うわっ!」
 右足に触手が絡み付き、ぐんと力強く引っ張られてバランスを崩した。霊刀に絡んだ土がほどけるようにばらっと落ち、尻もちをつく。
 ――しまった、また!
 術の発動直後の隙を狙ったらしい。上にばかり気を取られて、足元の注意を怠った。さらに横へ強く引っ張られて尻が地面から浮き、仰向けになる。視界の端に、大木が映った。
「っ!」
 大河は歯を食いしばって体をよじった。瞬間、ドゴッと鈍い音と共に大木に激突した。背中に激痛が走り、霊刀が消え、ぐっとくぐもった呻き声が漏れる。続けざまにまた足を引っ張られて宙を飛ぶ。
 木にぶつけてダメージを与え、独鈷杵を手放したところを奪う気だ。
「放してたまるか……っ」
 噛み締めた歯の隙間から忌々しくぼやきながら霊刀を具現化し、同時に少しだけ上半身を起こす。とたん、再び視界に大木が映った。とっさに体をひねる。
「が……っ」
 呻き声と共に唾液が飛び出す。さっさと触手を切らなければ本当に独鈷杵を落としてしまう。そして三度宙を飛んだ、その時。ゴッと足元を真っ赤な炎が勢いよく横切り、触手を燃やし尽くした。
 突如支えを失った体は勢いのまま放り出され、地面をごろごろと転がった。両足を踏ん張り、左手で地面を擦りながら止まる。這いつくばるような恰好のまま勢いよく顔を上げ、目を瞠った。
「朱雀ッ!」
 目の前で朱雀がいくつもの触手に串刺しにされ、形を失っていく。
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