第5話

文字数 5,745文字

 昨夜、同時通話機能を利用した報告会が行われた。下平は一人暮らし、近藤は紺野の家に連日お泊り、佐々木は旦那が夜勤。そして熊田は書斎があるため、話すには何ら問題ない。ちなみに熊田のアイコンは「熊」の文字で、佐々木は愛猫だ。
 豪雨に加え、短い停電後の報告会は、近藤の愚痴から始まった。
「なんで僕だけ除け者なの? 酷くない?」
「紺野がお前はいいって言ったんだよ」
「なんでっ!」
「うるせぇ叫ぶな近所迷惑だ。大体、お前仕事いつ終わるか分かんねぇだろ。それに推理は仕事じゃねぇって自分で言ったんだぞ」
「僕は被害者なの、関係者。状況が違うでしょ」
 除け者にするなんて酷いよ、とぼやく近藤に重なる紺野の溜め息と、下平や佐々木の苦笑いを聞きながら、熊田も苦笑してコーヒーに口を付けた。
 まあまあと下平が宥めに入る。
「あとで招待送ってやるからそうぼやくな」
「絶対だよ? 嘘ついたら麻酔なしで解剖するからね?」
「分かった分かった。それで、鑑定の方はどうだ」
「これと言って予想外のことはなかったよ。ただねぇ――」
 近藤は辟易した息をつき、東山署の刑事が聞き込みに来たこと、別府たちも聴取を受けたこと、また北原の所持品の鑑定結果を報告した。
「なんで刑事ってあんなにしつこいの? 知らないって言ってるのに同じことを何度もしつこいんだよ」
 刑事四人の前で素直な奴だ。
「それでボロを出す奴がいるんだよ。つーかお前、俺らの前でよく言えるな」
「聞いたからには対処してよね」
 しねぇよ、と一蹴し、次は紺野が報告に入った。こちらは下平へ向けてのものだ。
「捜査の方は特にこれと言って進展はありません。今朝、携帯が壊れていて彼女の連絡先が分からないからと、同僚からメモ帳とお守りのことを聞かれたくらいです。」
「そうか。通信履歴の方はどうするんだ。明さんたちには言ってあるんだよな」
 下平の質問に、思わず朝の嫌な予感が脳裏を掠った。答えたのは近藤だ。
「聞かない方がいいと思うけど。完全にアウトだよ」
 電話の向こうで下平が黙りこくった。
「……まあ今さらって気がしないでもないが、そうか……じゃあやめておく」
「賢明な判断だね」
 近藤の称賛を、下平はそりゃどうもと軽く流した。
 下京署で話しをした時、それと廃ホテルの事件を聞く限り、彼はとても情の厚い人物という印象だ。警察官を長くしていれば、一人や二人忘れられない人物はいるけれど、そんな中でも特に成田樹と桐生冬馬の二人には、特別な情があるように思える。こんな事件に巻き込まれたと知って、気が気ではないだろうに。気丈な人だと思う。紺野と北原が信じるはずだ。
「それと、沢村さんから聞いた話ですが――」
 続けられた報告の内容は、非常に意外なものだった。彼の鋭さもそうだが、特に加賀谷に関するものは、紺野が言ったように別人ではないかと思ったほどだ。過去に何か警察組織に失望するようなことがあったのかもしれない。紺野はそう言って、病院へ行ったことを話して締めくくった。
「あたしたちも、捜査に行く前に寄ったんだけど……」
「まだ起きませんか」
 下平の問いに、ええ、と佐々木は悲しげに頷いた。手術は成功した。だが――熊田は浮かんだ可能性を振り払うように小さく首を振った。
「大丈夫ですよ、北原は」
 紺野が落ち着いた声色で言った。
「あいつ、ああ見えてしぶといので」
「そうそう。それに、紺野さんのオムライス食べてないしね」
「あっ、こら余計なこと言うんじゃねぇっ」
 紺野の料理の腕は噂に聞いているが。熊田はふと口角を緩めた。
「何だ、そんな約束してんのか。だったら、俺らが先に食うぞって言ったら起きるんじゃないのか?」
 冗談めかしに言うと、紺野が呆れたように息をついた。
「あいつどんだけ食い意地張ってるんですか」
「いやいや、有り得るかもしれねぇぞ。一人暮らしの男なんて手料理に飢えてるからな」
「それ女の手料理でしょう」
「やあね紺野くん。手料理に男も女もないわよ」
「俺は女の方がいいですけど」
「えー、それ激マズな手料理食べても言えるの?」
「どんだけ不味いんだよそれ。食べたことあるのかお前」
「あるよ。大学時代に付き合ってた子が家事全般苦手な子でさぁ、部屋とかすっごかったんだよね。しかも本人はそれを何とも思ってなかった。だから次は絶対家事できる子にしようって決めてるの」
 ああ、と何故か納得する紺野の声が聞こえた。納得した理由も気になるが、初めて聞く近藤の恋愛話や「次」を考えていることの方が意外だ。興味が薄いのだとばかり思っていたから、近藤が「お付き合い」をしている姿が想像できない。デートで女性をエスコートなどするのだろうか。あの近藤が。
「で、それはともかく、熊さんたちの方はどうなの? 何か収穫あった?」
 近藤が軌道修正すると、下平と佐々木がそうそうと我に返った。どうやら考えることは同じらしい。熊田は、気を取り直すように口を付けたマグカップをデスクに置いた。
「あったぞ、一応な」
 そう前置きをして、熊田は言った。
「奴と草薙が繋がった」
 一瞬、沈黙が流れた。
「……それ、本当ですか」
 紺野の唖然とした声にああと頷き、熊田は協力者の身辺調査の結果を伝えた。
 身辺を探っていることが本人に悟られるのはまずい。家族、近所住民に聞き込みができない。さてどうしようかと思いつつまずは実家へ向かい、唖然とした。豪邸とまではいかないが、一般住宅の規模を超えていた。一体何者なんだと自宅前で方法を模索していると、宅配業者が尋ねてきた。知っているかどうかは分からないが、藁にもすがる思いで業者を捉まえて聞いてみると、彼は当然のように言った。
『ああ、生駒製薬(いこませいやく)っていう会社をやってるらしいですよ』
 と。ネットで調べるとすぐにヒットし、ご丁寧に詳しい社史まで載っていた。
 明治時代、京都で生駒太志(いこまふとし)により起業され、医薬品の製剤研究、受託製造を行う製薬会社らしい。二十代の頃に京都から上京した太志は、薬の製造を専門とする製薬会社に就職し、技術者として働いていた。その腕に惚れ込んだのが、当時の草薙製薬の社長だった。彼の後押しとサポートのおかげで、太志は故郷へ戻り独立、起業。受託のほとんどは草薙製薬からのもので、また太志の誠実で義理堅い性格を社長も気に入っており、草薙製薬が自社工場を持ち始めてからも取り引きは続いていた。そして大正時代、跡取りに恵まれなかった生駒家は、当時の社長の片腕だった男へ会社を譲っている。それが協力者の曽祖父に当たる人物であり、太志の志や理念もきちんと受け継がれ、今でも関係が続いているそうだ。
 話し終えても、紺野たち三人はしばらく口をつぐんでいた。重い空気が電話越しに伝わってくる。
「ということは」
 下平が静かに口を開いた。
龍之介(りゅうのすけ)の被害届を揉み消したのは」
 ええ、と熊田は頷いた。
「十中八九、奴です。ですが、事件に関わってるとは断定できない。動機まではさすがに調べられませんでしたし。まあ、面識くらいはあったでしょうが」
 協力者は少女誘拐殺人事件の捜査員の中にいる、という推理の筋は通っているし、紺野と北原が目星を付けた理由も分かる。だが、あくまでも憶測であり、確定ではない。それは草薙も同じだ。これまでの彼の言動が不審というだけで、決定打にはならない。
「しかし、可能性は上がった」
 下平が神妙な声で言った。
「ええ。そうなると、桐生冬馬たちの危険度も上がります。大丈夫でしょうか」
 低い唸り声と共に、ライターを擦る音が届いた。
「それについては、昼間に宗史から連絡がありました。龍之介が事件に関わっていると前提の上で対策を練ったらしく、椿と志季が護衛につくそうなので大丈夫だと思います。冬馬たちにもそのことは伝えましたし、何かあればすぐに連絡しろと言ってあります。ああ、それと昨日、あのあと冬馬から追加の連絡が入って、今日からナナがリンの家に泊まり込むことになっています。今日はリンが休みなので、送り迎えはナナだけです。この時間に連絡がないということは無事だったんでしょう」
 熊田はカーテンが引かれた窓を見やった。雨風が酷く、ばらばらと窓ガラスを叩く音がする。
「この天候で動かないっていうのは、ちょっと不自然じゃないですか?」
 佐々木が訝しげに言った。
「俺もそう思います。もしかして杞憂だったのかもしれませんが……」
 下平は頭を切り替えるように紫煙を吐き出した。
「まあ、あいつらのことは樹も気にかけてるし、冬馬もついてます。何より式神がいるので。それより、こっちも収穫がありましたよ。岡部安信(おかべやすのぶ)と思われる人物の情報が入りました」
「――えっ!」
「へぇ」
 ついでのようにさらりと告げられた収穫に、紺野たち三人が驚きの声を上げ、近藤が感心した声を漏らした。例の事件以降、岡部の消息は一切不明で足取りさえ掴めなかったのだ。こうもあっさり掴まれて驚かない方がおかしい。
「なんだ、思ったよりあっさり見つかりそうだね」
「うーん、確かにこの豪雨が幸いしたって感じだが、さてどうだろうな」
「どういうこと?」
 近藤が尋ねると、下平は面白そうに喉を鳴らした。
「この事件らしいといえばらしい情報だ」
 意味深な前置きをして、下平は簡単に経緯を説明した。
 下平たちは、指名手配されており、かつ豪雨という予報もあって、一時宿泊所などの施設や駅、警察が巡回に来る二十四時間営業の店の駐車場、川が氾濫する恐れのある橋の下などではない、雨風がしのげる場所にいるだろうと考えたそうだ。例えば公園のトイレや宮司や住職が常駐していない神社や寺、夜なら商店街。
 そして雨風が強くなってきた夕方頃に、新井と牛島という部下がとある公園のトイレで「(ぬし)」に出会った。主は三十代から二十年ほどホームレスとして生活しているらしく、その知恵や知識などの豊富さから、かつては仲間から「主」と呼ばれていたのだという。今はその仲間の数も減り誰からも呼ばれなくなったらしいが、彼は未だその肩書きに誇りを持っているそうだ。
 それはともかく、新井と牛島はまず雅臣と弥生のことを尋ねたが首を横に振られ、続けて岡部のことを尋ねたとたん、にやりと笑ったらしい。
『俺が見たわけじゃねぇよ? 人から聞いた話だ。二カ月くらい前だったかな。昔の仲間がさ、仕事中に岡ちゃんに似た奴を見かけたらしいんだよ。あんたら、伏見区の大岩山にある大岩神社って知ってるかい。そこへ向かう道にふらふら入って行ったんだって。手配かけられてるのは知ってるけど、やっぱ昔の仲間だしさ、気になって行ってみたんだってよ。そしたらだぁれもいなかったらしい。何度か行ったけどやっぱりいないって言ってたぞ。あの神社、ずいぶん前に廃墟になってるみたいだからさぁ……』
 ひっひっひ、と黒く汚れた顔に皺を刻ませて引き攣った笑い声を上げた主からは、それ以上の情報は得られなかったそうだ。
「大岩神社……初めて聞きますね」
「僕も初めて聞いた」
「あたしも初めて聞いたわ。……熊さん、静かですね。どうしたんですか?」
 どうしたもこうしたもあるか。その神社を調べるのはどう考えても自分たちだ。
「もしかして、怖いの?」
 からかい口調で近藤が余計な口を挟み、熊田は一人バツの悪い顔をした。近藤のニヤついた顔が浮かぶ。
「怖くはないけど、今までそういうの見たことないからな、不気味だろ」
 以前なら、そんな馬鹿なことあるかと一蹴しているが、鬼だの悪鬼だの聞かされた今は違う。もしもと考えても仕方ないだろう。警察官も人間なのだ。拗ねたようにぼそりと呟いた熊田に、近藤がけらけらと笑った。
「もし憑かれても、本物の陰陽師がいるんだから祓ってくれるでしょ」
「嫌なこと言うな! ていうか佐々木、お前なんで平気そうなんだ」
 紺野と下平の噛み殺した笑い声が聞こえる中、矛先を変えると佐々木がしらっと答えた。
「夫から時々そういう話を聞くんです。ほら、ああいう施設とか病院って出やすいっていうじゃないですか」
 こっちもすでに耐性があったか。熊田は敗北感を覚えて脱力した。
「佐々木さんの旦那さんは、看護師か何かですか?」
 下平が問うた。
「いえ、介護士なんです。あっ、でも全く怖くないわけじゃないですよ。あたし自身は見たことないので」
 気を使われてしまった。熊田は背中を走る薄ら寒さをごまかすために、強く咳払いをした。
「とにかく、明日その大岩神社へ行ってみます」
「はい。よろしくお願いします」
 声が震えてるぞ紺野。正直、気は進まないがこれも仕事だ。熊田は、そうそう幽霊なんか出てたまるかと自分に言い聞かせた。
「ところで近藤。深町伊佐夫のパソコンはどうなったんだ?」
 さっさと話題を変えてくれた下平にほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、まだ解析中みたいだよ。連日徹夜で死相が出てたけど、ああいう手強いものほど燃えるんだって。やだよねぇ、専門家って」
「お前が言うな」
 紺野と下平と熊田が即座に突っ込み、佐々木がくすくすと笑った。
 それからしばらく雑談混じりに推理をして、佐々木の飼い猫が乱入し、犬派か猫派かでひとしきり盛り上がり、どっちも可愛いという結果に落ち着いたところで報告会は終了した。
 ついさっきまで騒がしい声がしていた携帯を眺め、熊田は冷めたコーヒーを喉に流し込み、静かに息を吐いた。
 右京署に配属された頃とは比べ物にならないほど、刑事らしくなったと思う。手がかかる子ほど可愛いというが、昔の紺野はまさにそんな感じだった。勘も良く優秀ではあったが、若さゆえなのか、猪突猛進、危険を顧みないタイプで、何度もぶつかって言い合いもした。叱り飛ばしもしたし、時には手が出ることもあった。
 今思えば、紺野はあの頃すでに朱音の件を胸に抱えていたのだ。生来の性格もあるのだろうが、彼はずっと、何かに苛立っていたのかもしれない。それが三宅へのものなのか、それとも自分自身へかは分からない。
 そして、今。
 三宅、昴、北原。刑事として、叔父として、相棒として。彼の心境は察するに余りある。
「……無茶すんなよ、紺野」
 お父さんお風呂あいたよー、と階下から娘の声が響き、熊田はマグカップを持って腰を上げた。
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