第16話

文字数 2,546文字

「まず、楠井家についてだが、こちらはあとで説明する。現在、越智さんに住所を探ってもらっている最中だ。下平さん、彼らについて何か出ましたか」
「いえ。補導歴、犯歴、事件・事故関係者、念のために捜索願も調べましたが、何も出ませんでした」
 宗一郎と刑事組以外の誰もが怪訝な顔をした。楠井親子はともかく、玖賀真緒はどこの誰で、何がきっかけで事件に関与したのか分からないままだ。
「分かりました。では次。映像解析の詳細を」
「はい」
 答えたのは紺野だ。紺野は、先に再就任した那須管理官のことに触れたあと、報告に入った。
「――以上から、復讐殺人の線が濃厚と見て捜査を進めています」
 昨日、宗一郎が草薙らに口止めをしたばかりだというのに、健人は顔を晒したのか。警察は本腰を入れて健人の捜索に乗り出す。大丈夫なのだろうか。
 心配顔の大河をよそに、宗一郎が問うた。
「渋谷健人の目的について、話は出ませんでしたか」
「いえ、それについては何も」
「分かりました。初めから身元を隠すつもりがなかったのなら、おかしくはありません。捜査本部が把握しているのは昴と渋谷健人のみ。深町弥生の方は別件として扱われていますし、栗澤平良もまだ身元が割れていませんね」
「はい」
「ならば問題ありません」
 さらに言うなら、雅臣の件は下平が担当している。おそらく厄介なのは、これらの事件が全て鬼代事件と繋がっていると、捜査本部に感付かれた時だ。捜査員の数はますます増えて、捜索範囲も広がる。それでも発見できない場合は、指名手配されたりするのかもしれない。彼らを発見し安易に近付けば、何をされるか分からない。ましてや術を行使された日には、陰陽師を名乗る明と関連付けられてますます疑われ、面倒なことになる。
 さすがに、全ての事件が繋がっていると考えるには警察が持っている情報では無理だろうが、いつまたどんな事件を起こして顔を晒すか分からない。できるだけ早く終わらせなければ、犠牲者が増える。
「では次に――」
 と、玄関の方から車のエンジン音が響いた。敷地へ入ってくる。
「おや、もうご到着か」
 早いな、と呆れ気味にぼやいて宗一郎が腰を上げた。やっぱり誰か来る予定だったのだ。
「誰? 栄明さん?」
 大河は、右近と左近を連れて縁側へ向かう宗一郎から、宗史と晴へ顔を向けた。
「いや、聞いてないな」
「俺も」
 宗史と晴だけではない、全員が誰だろうといった顔だ。右近と左近が縁側の窓を大きく開けると、ドアがバタンと乱暴に閉められた音がして、すぐに足音が玄関ではなく庭へ駆けてきた。すると、父さん! と焦った男性の声が聞こえた。
 とたん、一斉に勢いよく宗史らが立ち上がった。正確には、宗史、晴、樹、怜司、茂、華、そして志季の六人。ぎょっと彼らを見上げる大河たちを置いて、何やら険しい顔で縁側へ足を向ける。
「え、ちょっと何……」
「み・こ・と・ちゃ――――ん!」
 大河の戸惑った声を、砂を蹴る足音と共に、非常に浮かれた男の声が遮った。ずいぶんとしわがれていて、年配であることが分かる。大河たちの視線が美琴に集中し、一様に怪訝な顔になった。知り合いの訪問とは思えないほど、美琴の顔が引き攣っている。
 夏也が何やら気付いて話しかけ、美琴が頷く。弘貴たちは「あー」と間延びした声を漏らしたが、紺野と下平は首を傾げている。これで取り残されたのは、大河、柴と紫苑、刑事組だ。
「千ちゃんが会いに」
「帰れジジイ」
 駆け込んだ男性が言い終わる前に晴が冷ややかに言い放ち、今度は晴へ視線が向けられる。まるで侵入を阻止するように、縁側で横並びに立つ宗史らの隙間から見えたのは、むっとした顔で晴を見上げる甚平姿の年配男性だ。小さな風呂敷包みを提げて、白髪に真っ白な髭。仙人? と大河たちが呟いた。
「お前に言われる筋合いはないわ。わしは美琴ちゃんに独鈷杵を届けに来たんじゃ。おお華ちゃん。相変わらずべっぴんさんじゃのう」
「それはご苦労さん。じゃあ独鈷杵置いて今すぐ帰れ。つーか何で直接持ってくんだよ、送れよ郵送しろよ」
「なんじゃ樹、その恰好は。わしに会うなら女装しろと言うたじゃろう」
「聞けよ!」
「殺す!」
 晴の苦言をしらっと無視し、樹にとんでもないことを言い放った「千ちゃん」に、晴と樹の怒声が響き渡る。独鈷杵を取り出した樹を、まあ落ち着け、と言って怜司と茂が羽交い絞めにし、宗一郎が笑い上戸を発動させた。
 独鈷杵。大河は「あ」と呟いてソファから立ち上がり、テーブルに身を乗り出した。佐々木が慌ててスタンドから携帯を外して手渡す。
「ちょっと父さん、やめてください!」
 遅れて庭へ駈け込んで来たのは、風呂敷に包んだ長い物を両手で抱えた、中年の男性だ。すっきり整えられた頭髪に細面。チノパンにポロシャツとラフな格好の優男だ。
 大河は佐々木に礼を言って携帯を覗き込み、一瞬で明に聞くことを諦めた。ばっちり声が届いているらしい、テーブルに突っ伏して背中を震わせている。これは無理だ。
「陽くん、もしかしてあの人」
「あ、はい」
 呆れ顔で溜め息をついていた陽が言った。
「独鈷杵を作っていただいている、仏具師の乾千作(いぬいせんさく)さんと、息子の作造(さくぞう)さんです」
「仏具師?」
 驚きと怪訝が混じった声を揃えたのは刑事組で、
「ほう」
 と感嘆を吐いたのは柴と紫苑だ。
「止めないでよ! このじいさんだけは絶対殺す!」
「わしを殺したら独鈷杵の新調や修繕に困るぞ」
「作造さんがいるでしょ!」
「何を言うか。こいつはまだまだ未熟じゃ、任せられん。ええい、さっさとそこをどかんか。わしは美琴ちゃんに用があるんじゃ」
「危険人物を入れるわけねぇだろ。つか帰れっつってんのが聞こえねぇのかジジイ」
「父さんいい加減にしてください、恥ずかしい!」
 美琴が独鈷杵を作りに行く前、華たちがしつこいほど言い聞かせていた。絶対に宗史と晴から離れるな、千作には近付くな、言葉を交わすな、と。一体どんな人なんだと思ったけれど、まさかこの人が。
 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、千作の動きに合わせてディフェンスよろしく右へ左へと移動する宗史らを後ろから眺め、大河は呆然と呟いた。
「ていうか、誰が止めるの、これ……」
 やめてください! と作造の悲痛な声が、夏の青空に響き渡った。
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