第11話

文字数 4,788文字

 和室の方では藍と蓮が目を覚まし、寝ぼけ(まなこ)でふらふらと柴と紫苑の元へ行って膝の上によじ登った。呆れるくらい懐いたな。ゼリーを食べながら、柴にしがみつく藍と紫苑に体を預ける蓮を眺めていると、茂が霊符を手に戻ってきた。
「お待たせ。とりあえず五枚渡しておくね。少なくなったらいつでも言ってくれて構わないから」
「すみません、ありがとうございます」
 大河はスプーンを置いて、賜るように両手で受け取った。こちらは宗史のものよりは若干大きな符号で、綺麗さは引けを取らない。弘貴と春平は、描き続けていたら手癖みたいになると言っていたけれど、自分がいつかこんなふうに描けるようになるとは思えない。
 ほんとに大丈夫かな、と不安に思いつつ霊符を眺め回す大河に、茂が苦笑した。
「大河くん、そんなにまじまじ見ちゃ駄目だよ。宗史くんのと比べてまだまだだし」
「え、そんなことないですよ。しげさん謙遜しすぎ」
 そうそう、と怜司と華が頷いた。
「むしろ宗史くんの丁寧さと正確さが異常です」
「年季の差もあるけど、性格が出るわよねぇ」
 言えてる、と大河は心で同意して、宗史の左右対称一糸乱れぬ正確な霊符を思い出す。あれを基準にしてはいけない。柴も言っていたではないか。他の者と比べるな、と。
 大河はわずかに顔を曇らせた。ふとしたことで、影綱の存在を思い出す。霊力のせいで辛い思いをしたこともあったけれど、もう疎ましく思っていないし、ましてや影綱のことを恨んだことはない。むしろどんな人物だったのかもっと知りたいと思う。その反面、時折彼の存在が、自分の中に大きな影を落とす。
 僕ここが苦手なんだよね、あたしも苦手、ここ潰れやすいですよね、と霊符を見ながらコツを教え合う三人を横目に、大河はぼんやりとした顔で霊符を揃え、ゼリーを口に運んだ。
「ああそうだ。大河くん、報告書は書けた?」
 不意に声をかけられ、大河は我に返ってゼリーを飲み込むついでに頷いた。
「じゃあチェックするね」
「すみません、お願いします」
 うん、と言ってローテーブルに足を向ける茂の背中を見て、大河はそうだと華と怜司を見やる。
「あの、地図を見ててちょっと不思議に思ったことがあるんですけど」
「うん?」
「左京区と右京区って、なんで逆なんですか?」
 京都の区画は実に分かりやすく覚えやすかったが、そこだけが気になった。二つの区は京都市の北側に位置し、東から西、つまり右側が左京区、間に北区を挟んで左側に右京区と並んでいる。北区はともかく、地図で見るのなら左京区と右京区は逆の方がいいように思えるが。
「ああ、やっぱり気になるのねぇ」
 苦笑いをした華に首を傾げる。
「やっぱり?」
 怜司が口を開いた。
「美琴も同じことを聞いてきたんだよ」
「何か理由があるんですか?」
 最後のひとかけらのゼリーを口に入れ、ごちそうさまでしたと手を合わせる。
「大河、平安京がどこにあったか知ってるか?」
「え? どこって、京都市じゃないんですか?」
「京都市は京都市なんだけどな、まず、鴨川は京都市のどの位置にある?」
「確か、真ん中より右寄り」
「どんな形になってるか気付いたか? 大雑把でいい」
「あ、それは気付きました。Yの形に似てますよね」
 華が書き損じた霊符をひっくり返し、右寄りに筆で縦線が長いYを描いた。大河と怜司が目を落とす。
「じゃあ、京都御所の位置は?」
「えーと、確か、Yの分岐の左側のところくらい?」
 大河の答えに合わせて、華が黒丸で印を付ける。
「東寺は?」
「京都駅から、ちょっと離れたところです。左側」
 京都駅は、御所の西側に走る烏丸通を真南に下った先、地図で見るとほぼ真下になる。華は、京都御所の黒丸から真下に筆を移動させ、さらに少し左斜め下の位置に印を付けた。全部美琴が印を付けていた場所だ。
「京都御所を右上の端に置いて、東寺までが縦。東寺を中心にして、左右対称の距離が横」
 華が京都御所から真っ直ぐ線を下ろし、次に東寺の印から左右対称に線を引いた。
「で、北側と西側にも線を引くと、長方形になる」
 慎重に上と左側に線が引かれ、怜司の言う通り長方形ができた。華がくるりと和紙をひっくり返して大河へ向け、携帯で何かを検索し始めた。
「はい、なりますね」
「これが平安京だ」
「えっ」
 大河がテーブルに両手をついて身を乗り出した。
「これが? ほんとに?」
「本当だ」
「ちっさ!」
 目を丸くして怜司の顔と図をせわしなく交互に見やる大河に、二人から笑い声が上がった。
「まあ、今と比べればな。東寺は羅城門、平安京の正門の東側に建てられていたから位置がちょっとずれるけど、大方こんな感じだ」
「へぇ――」
 長い感嘆を吐いて、大河は食い入るように図を眺める。京都市の真ん中に位置しているとはいえ、まさかこんなにも規模が違っていたなんて。
「で、本題だ。当時天皇のいた大内裏(だいだいり)が、ここ」
 怜司は一番北側の真ん中を指差し、ちらりと大河を見やった。言外に、察しろと言われている。大河は唇に手をあてがい、うーんと唸る。
 資料集をめくっていた柴と紫苑が、双子を連れ立って集まってきた。藍と蓮が自分の席に座り、書き損じた和紙を引き寄せて筆でお絵かきを始める。
 羅城門が都の正門で、その直線上に天皇がいた大内裏がある。ということは。
「あ、そうか。天皇視点」
「そうだ。平安京は、長安に倣って作られたということは知ってるな?」
「はい。歴史の授業で」
「長安などの王城都市には、君子は北を背に、南に向かって君臨し政務を司る、という決まりがあったそうだ。平安京もそれに倣っているから、天皇から見て左側が、地図で見ると右側になる。当時も、羅城門から大内裏に伸びる朱雀大路を境に、右が左京、左が右京と呼ばれていた。その名残が今でも残ってるんだ」
「平安京があった頃の名残かぁ。京都って感じで面白い」
 うきうきした顔で、大河は改めて図に目を落とした。もちろん京都だけではないだろうが、この街は、千年の歴史が受け継がれているのだ。
「大河くん、これ。中京区に平安京創生館っていうところがあってね、そこに平安京の復元模型が展示されてるの。この写真だったら分かりやすいと思うんだけど」
 華がいじっていた携帯を、向きを変えて差し出した。
「ありがとうございます。へぇ、千年以上前の都の模型とかすごい。どうやって調べたんだろう」
 興奮気味に大河が受け取ると、柴と紫苑が興味津々な顔で背後から覗き込んだ。
 携帯画面には、羅城門の斜め上辺りから模型全体を撮った写真が映っており、柴と紫苑が「ほお」と感心した声を漏らした。
「うわ、ほんとに碁盤の目になってる」
 中央の朱雀大路はもちろん、ぱっと見ただけでいくつもの通りが交差しているのが分かる。たくさんの長方形の箱を乱れなく並べたように整然とし、羅城門の両側に建つ東寺と西寺の形もほぼ同じだ。周囲は山や畑に囲まれ、右手には鴨川が流れている。
 ふと、大河は首を傾げて羅城門を拡大した。
「あの、羅城門より朱雀大路の横幅の方が広く見えるんですけど……」
 まさか作り間違えたなんてことはあるまいが、都の顔ともいえる正門が道幅より狭いなんてことあるのだろうか。
「ああ、羅城門の幅は約三十五メートル、朱雀大路は約八十四メートルだったらしいぞ」
「八十四メートル? なんで!?」
 何故そこまで広く作る必要があったのか。思わず聞き返した大河に、華と怜司が笑い声を上げた。
「儀式や軍の出征、凱旋する時に使われたらしいから、広さが必要だったんだろ。あとは外交使節への示威。要するに見栄だ」
「うわ……」
 ちゃんと実用性があったことに感心したのに、速攻でしぼんだ。見栄の一つや二つあって当たり前だが、なんだか少し残念だ。
「柴と紫苑は見たことあるでしょ?」
 華の問いかけに柴と紫苑に視線が集中した。答えたのは紫苑だ。
「ああ。確かに広い道が京を貫いていた」
「じゃあ、本当に平安京ってこんな形してたんだ。すげぇ……」
 当時の平安京を知っている紫苑が言うのだ、間違いない。大河は再び携帯に目を落とす。
「しかし、私たちが入京した頃には、羅城門はすでに倒壊していたぞ」
「え?」
 何やらロマンを壊す証言が飛び出し、再び紫苑を見上げる。
「そういえば、何度か倒壊して最後には結局再建されなかったのよね」
「都の顔を放置!?」
 目を丸くして今度は華を振り向いた大河に、怜司が「忙しい奴だな」と突っ込んだ。
「そう驚くことではなかろう。都では、疫病や災害が多かったと聞いている。再建どころではなかったのではないのか?」
「ああ、学校じゃあその辺さらっと流されるよな。実際はかなり不衛生だったらしいぞ。色々説はあるけど、俺が一番引いたのは、その辺の道端に排泄物が」
「あああ怜司さんもういいです! 俺の中の平安京が倒壊する!」
 首を勢いよく横に振る大河に、また笑い声が上がる。事実は時に残酷だ。漫画や映画の優雅で美しい平安京でいいのだ。倒壊しかけた平安京を立て直そうと悲痛な顔で携帯を見つめる大河を、柴と紫苑が不思議そうな顔で見下ろした。
 こうして改めてみると、本当に美しい街並みだ。怜司の余計な情報はともかく、この都でたくさんの人々が日々生活をしていたのは間違いない。
 霊力を受け継ぎ、残された日記があり、柴と紫苑もいるとはいえ、リアルに復元された平安京を見ているとますます実感が湧いて、改めて思う。
 本当に、晴明と影綱は生きていた。この世の、この国で。
 同時に思い出すのは、島で突然実感したあの時の感覚。千年以上前から脈々と受け継がれた命。幾つもの命の先に、自分がいる。
 影綱と、繋がっているのだ。
「……生きてたんだ。ほんとに」
 ぽつりと呟いた大河に華と怜司、茂が感慨深そうに頷き、柴と紫苑が携帯の平安京へと視線をずらした。
 と、リビングの扉が開いて、樹と弘貴がうんざりした顔を見せた。
「もう、この湿気どうにかならないの? 廊下にもエアコン付けて欲しいよねぇ」
「どこの金持ち思考ですか、って、あれ?」
 入るなり、どこかしんみりとした空気に二人は足を止めた。
「え、何? 大河くんまた何かやらかしたの?」
「なんで俺なんですか。何もしてません」
 失礼なもの言いにすぐさまふてくされ、大河は「ありがとうございました」と言って華に携帯を返す。
「歴史の勉強してたんだよ。お前たちもするか?」
「冗談でしょ」
「俺も頭パンクするんで遠慮します」
 渋面を浮かべて冷蔵庫を漁る樹と弘貴に苦笑いをし、怜司はさてと腰を上げた。
「夕飯までもうひと頑張りするか」
「あたしはそろそろ支度しなくちゃ」
 続けて腰を上げた華につられるように、大河も立ち上がる。何でも人に聞けばいいというわけではないし、今どきネットで調べれば大概の事は分かる。けれどこうして人から話を聞くと、文章が苦手な自分にとっては、熱が加わって活字より頭に入ってきやすい。有難い環境だ。
「華さん、怜司さん、ありがとうございました」
「ああ」
「どういたしまして」
 軽い返事をして怜司はリビングを出て、華は皿を持ってキッチンへ入る。藍と蓮がお絵かきに夢中になっているためか、柴と紫苑はそのままローテーブルへ向かった。
「じゃあ、大河くんはこっちを再構築しようか」
 ちょいちょいと手招きをされ、大河は肩を落とした。自分の文才のなさが恨めしい。はーい、と覇気のない返事をして、大河は霊符を手にローテーブルについた。ここの説明なんだけど、と茂に指摘と指南を受けながら文を書き直す。
 樹と弘貴がペットボトルを手に藍や蓮と一緒に落書きをはじめ、華は米を研ぎ、柴と紫苑はまた資料集をめくる。そろそろ夏也と香苗が夕飯の支度をするために下りてくるだろう。春平と昴と美琴は独鈷杵や霊符に集中しているのかもしれない。
 窓の外から、ゴロゴロと雷鳴が響いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み