第10話

文字数 5,449文字

 捜査会議が終了した十時頃、紺野と北原は右京署の裏にある洗車場で掃除機を借りることにした。だが。
「紺野さん気にしすぎですって、時間なくなりますよ!」
「待て待て、もうちょっと、この隙間がなぁ……」
「紺野さんってば!」
 ひとたび掃除を始めると、あちこち気になりだしつい手が止まらなくなった紺野から、北原が無理矢理掃除機を取り上げる羽目になった。側でパトカーの洗車をしていた新人の様子を見に来た、紺野と顔見知りの古株の警察官によると、東山警察署の交番勤務時代から「紺野に洗車をさせると一日車が返ってこない」と有名だったらしい。
「一日は大げさだ」
 府警本部に戻る中、パンをほおばりながらそう否定した紺野に、北原が盛大に溜め息をついた。
「綺麗好きを舐めてました……」
「いいじゃねぇか、車内は綺麗になったし、朝飯もゆっくり食えただろ」
「ゆっくり過ぎますよっ」
 もう、ともう一度息をついた北原が、そういえばと話題を変えた。
「紺野さん、右京署の前は東山署にいたんですか?」
「ああ、新人の頃な。松原交番だ」
「五年前くらいになでしこ交番になったんでしたっけ」
 なでしこ交番とは、女性警察官が二十四時間対応している交番で、現在京都府内に二十二カ所設置されている。
「俺がいた頃はまだそういうのなかったんだよ。いくら警察官って言っても、やっぱ女同士じゃないと話し辛いことはあるしな。特にあの界隈は花街だし」
「そうですよねぇ。俺もよく聞かれましたもん。婦警さんいないのって」
「俺もだ。女子供とか年配の人はどうしてもな。良い意味で適材適所だと思うぞ」
「ですね」
 紺野はパンの空いた袋を丸めてコンビニの袋に放り込み、お茶で口直しをすると、よしと気合を入れた。
「さて、腹ごしらえもしたし、明に報告だ」
 臨戦態勢で携帯と手帳を取り出した紺野に、北原が苦笑いを浮かべた。相手が明なだけに空腹では応戦できない。今のところ勝てた試しはないが。
 北原にも聞こえるようにスピーカーに切り替える。三度の呼び出し音のあと、もしもし、と明の落ち着いた声が車内に響いた。
「ああ、俺だ。今大丈夫か?」
「おはようございます。大丈夫ですよ。昨日はありがとうございました、お怪我はありませんでしたか」
「大丈夫だ。気にするな、こっちも話してねぇことあったし」
「身元調査の件ですか」
「ああ」
「構いません。晴と宗史くんからお二人が寮に来たと報告は受けていましたから、何となく察していました」
 あの二人はそんなことまで報告していたのか。おちおち寮に行けないではないか。紺野は短く息をついた。
「分かってて俺たちを放置してたのか?」
「問題ありませんから。むしろ、何か分かればと期待していましたよ」
「今さらプレッシャーかけても遅ぇよ」
「おや、もう終わりましたか。何か不審な点は見つかりました?」
「いや。正直なところ、全員に動機があって絞り切れん。決定打にはならねぇな。まあ、施設組と怜司は結局中途半端で終わっちまったんだが」
「ああ、彼らについては難しいでしょうねぇ。しかし、怜司については昨日のことで晴と宗史くんから違うと報告を受けていますし、お二人もそう判断されたのなら大丈夫でしょう」
「持ち上げても何も出ねぇしお前が言うと裏があるように聞こえるからやめろ」
「心外ですねぇ」
 本心なのに、と溜め息をつく明に紺野は溜め息を返した。会話の流れがパターン化している気がする。
「そもそも、お前はあいつらのことどこまで把握してんだ」
 ここまで来て遠慮する意味はない。気を取り直して率直に尋ねると、明はそうですねぇとのんびりとした口調で言った。
「こちらで保護した時の状況と、そこから察した彼らが置かれていた環境以外は特に。今回のことに関しても、樹と付き合いがあった人物のことまでは知りませんでしたから」
 紺野は眉をひそめた。
「何も調べずに寮で保護したのか」
「ええ。というか、調べようがありません。私たちは警察ではありませんから、さすがに不審がられます。それに、彼らは過去に何かしらの傷があります。根掘り葉掘り聞くのは酷かと」
「まあ、それはそうだが……」
 その無防備さと甘さが内通者を抱えることになった、などと言わなくても分かっているだろう。
「つーか、あいつらの家庭環境なんかは分かったけど、お前らに保護された原因まではさすがに分からなかったんだよ。そこから何か分からねぇのか」
「何を言っているんですか。分かっていたら、今頃拘束して尋問しています」
 さらりと飛び出した物騒な発言に、縛り上げられて宗一郎と明に尋問される様を想像した紺野と北原が身震いした。警察のように規定や規則に縛られていないため、容赦がなさそうだ。俺速攻で自白する、と北原が呟いた。気持ちは分からないでもないが負けてたまるかとも思う。
 それはともかく、つまりは彼らの動機も、彼ら自身のこともよく知る明たちでさえ判断が付かない、ということになるのだ。まさか樹と怜司以外全員共犯なんてことはないだろう。
 紺野は気を取り直すように溜め息をついた。
「で、本題だ。昨日の事件のあらましと新しい情報は聞いたんだよな」
「はい。寮の者たちには、今日伝えます。事実とは少々異なりますが、事件の内容さえ分かれば問題ありません」
 内通者は無視して、寮内の安定と敵側の情報を共有することを優先したか。妥当な判断だ。こちらとしても、今彼らに仲間割れされては困る。
「分かった。それで、亀岡の事件なんだが――」
 紺野は、昨日の捜査会議で得た情報と、後の捜査で分かった情報を明に伝えた。
 昼間の捜査会議の後、立岩殺人班の捜査員たちによって判明したのは、まず、田代基次の現在の生活状況だ。
 田代は左京区の指定通院医療機関に通いながら就職活動をしていたが、かなり難航していたようで現在は無職。近隣住民との接触もなく、必要以上の外出もしておらず、半引きこもり状態だったという。父親の年金と清掃のアルバイトで生計を立てており、家計はかなり逼迫していたようだ。
 事件当日の行動は父親から聞き出せた。
 あの日、病院へ行くために午前十時頃に自宅を出て一旦帰宅したものの、スーパーへ行くと言って午後六時頃に再び家を出たらしい。だが、一時間経っても戻って来なかったため、父親がスーパーまで探しに行ったが結局見つからなかった。病院の担当医師からの聞き込みとスーパーの防犯カメラから裏は取れたが、この後の足取りは掴めておらず、犯人が接触したのはスーパーからの帰り道だろうと推測されている。現在周辺の防犯カメラを確認中だ。
 一方、田代が殺害した被害者の夫である渋谷健人(しぶやけんと)は、住所は事件当時のままだったが、訪ねてみるとすでに引き払われていた。マンションの管理人によると、今年の三月に実家に戻ると言って家財のほとんどを処分し、引っ越したらしい。だが、実家の両親は戻っていない、聞いていないと言って驚いていた。また、勤めていた会社も同様、同じ時期に実家に戻ると言って退職しており、行方が分からない。引っ越した時期と退職した時期が、田代が大阪の指定入院医療機関を退院した時期と重なるため、重要参考人として所在を確認中だ。
 念のために火葬場も調べてみたが、従業員に不審な人物はおらず、不法侵入された痕跡もなく空振りに終わっている。
「――ここまでで何か質問は?」
 右京警察署から府警本部までは、順調に進めば二十分もかからない。情報漏洩をしながら府警本部に入るわけにもいかず、北原が近くで車を路肩に寄せた。二人揃ってペットボトルに手を伸ばす。
「殺害方法から見て鬼代事件の被害者でしょうが……しかし、もし渋谷健人という人物が犯人の一人だとしても、どうやって田代基次の居場所を知ったんでしょうか」
「それなんだよ。医療観察法に、被害者保護のための制度があるの知ってるか。簡単に言えば、被害者や遺族が加害者と顔を合わせないようにするための制度だ」
 被害者や遺族からしてみれば、一生顔どころか名前も聞きたくないだろう。同じ市内に住んでいれば、偶然加害者の自宅周辺に行くことや、あるいは引っ越しも有り得なくはない。それを避けるために定められたものである。
「無罪が確定してから加害者――対象者って言い方が変わるんだが、対象者への処遇を決めるための審判が裁判所で開かれるんだ。情報を漏らさないとかの条件はもちろんあるが、被害者や遺族は申請すれば傍聴できる。あとは、対象者の氏名や住所、処遇がどの段階にあるか、例えば入院措置が終わったとか、通院措置が始まったとかも申請すれば情報が提供されるんだ。ただ田代の場合、退院したあとの住所が変わってるから、もし奴が犯人だとしたらどうやって調べたのか議論になったそうだ。今方法を探ってる」
「なったそうだ?」
 今そこに引っ掛かるか。
「昨日の廃ホテルの騒ぎで夜の捜査会議出られなかったんだよ」
「ああ、それは申し訳ないことをしました」
「陽が無事だったんだから別にいいって、しょうがねぇ。で、他には?」
 明の漏らす小さな笑い声を聞きながら、紺野はペットボトルを煽った。なんで笑われてるんだ。
「いえ、続けてください」
 紺野はペットボトルから口を離し、手帳を繰った。
「遺体の鑑定結果についてだが、白骨遺体の方の年齢が分かった。四十代から五十代前半。身長は173センチ。今、京都市と亀岡市の歯科に協力要請を出してる。早ければ今日中に分かるかもしれんが、こればっかりは歯科医院の対応次第だ。それと、胸に空いた穴も道具を使った痕跡はなかった。ただ、切り落とされた四肢の切断面だが、骨に一切欠けた部分がなかったらしい。繋ぎ合わせたら隙間もなくぴったりだったそうだ。かなり研ぎ澄まされた刃物だろうって話だ。ひとまず市内に住む日本刀所持者から聞き込みを始めてる」
 日本刀を所持するには教育委員会への登録が必要になる。当然、刀を無登録で所持している者がいないとも限らないが、とりあえずは所持者が分かる。だが、斧や鉈などであった場合は手当たり次第に探すしか手がなくなる。普通に捜査をするのなら。
「かなりの技量ですね」
「やっぱそう思うか。あと、監察医が言うには、そもそもこの白骨遺体は不自然らしい」
「そうでしょうね」
 明はすんなり肯定した。どこまで頭の回転が速いのか。
 人体を炭化させるには、火葬場でさえガスや灯油などの燃料を使い、密閉された炉で長時間、二千度以上という高温を要する。その際、骨は内部組織まで破壊消失してしまうため砕けてぼろぼろになる。けれど今回の場合、屋外で燃料が使われた痕跡はなく、しかし人体は炭化している。にも関わらず、骨はしっかり形が残っていた。
「DNA鑑定が可能かもしれんってことで、今科捜研が鑑定中だ。もし前科があれば照合できるが、普通なら残ってねぇらしいんだよ」
 土葬などで自然に白骨化したものや、火災現場などで燃焼遺体として発見された骨は低温で短時間が多く、DNA鑑定が可能だ。だが、高温、長時間焼かれると内部組織共々DNAも消失し、鑑定はほぼ不可能らしい。
「で、一つ質問だ」
「そんなことが可能かどうか、ですね」
「ああ。できるのか」
「できます」
 きっぱりと言い切られ、紺野と北原は眉をひそめた。
「陰陽術で行使する火は、私たちが普段使っているものとは別物です。神によって生み出される火は、温度が桁違いなんです。現象においても術者の意思が反映されるので、人体を炭化させ骨だけを残すことも可能です。ただし、遺体の状態からするとかなりの集中力と繊細さが必要な現象なので、相当訓練された者でないと無理でしょうね」
「あ、だから昨日、大河くんにイメージしろとか加減しろって言ってたんですね」
 北原が思い出して口を挟んだ。あれはそういう意味だったのか。真言を唱えれば勝手に状況に合った現象が起こるのかと思っていたが、陰陽術とはなかなか神経を使うもののようだ。
「神社から一キロの距離があるにしても、長時間現場にいたとは考えられません。となると、高温で短時間。中級レベルの術なら可能かと」
 うーん、と紺野は思案顔で頭を掻いた。
「中級とか言われても想像できねぇな……」
「昨日、大河くんの術をご覧になっていますよね。地天の術と結界。あれが初級です」
「えっ!?」
 紺野と北原は同時に驚きの声を上げた。あの巨大な土壁が初級。
「ついでに言うと、晴と宗史くんが行使した尖鋭(せんえい)の術」
「あの針みたいなやつか?」
「はい。あれも初級に入ります」
「げっ!」
 今度は同時に目をひん剥いた。
「もし上級を行使していたら、建物ごと瓦解していますよ」
「陰陽術って危険極まりねぇじゃねぇか!」
「はい。ですから日々訓練を行っています。警察官の方々も、射撃訓練をするでしょう。それと似たようなものですよ」
 紺野は眉根を寄せて思案顔を浮かべた。比較対象の次元が違いすぎてよく分からない。同じだと言われればそんな気もするし、まったく違う気もする。思わず北原を見やった。
「そうなのか?」
「何で俺に聞くんですか、そんなの分かりませんよ」
 渋い顔で反論され、紺野は「だな、すまん」と素直に謝った。
「それはともかく、てことは、やっぱり凶器は霊刀で、炭化は陰陽術か」
「おそらく間違いないでしょう。それも、かなり訓練された者のようですね」
「だろうな」
 紺野は重苦しい溜め息をついた。あの遺体はどこの誰で、誰からどんな恨みを買っていたのだろう。
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