第8話

文字数 2,784文字

「おーい、どっちか交代しようぜー」
 今にもスキップしそうなほど上機嫌で宗史らに駆け寄る志季の後ろを、大河は千鳥足で省吾の元へ向かう。
 あれからしばらくして柴が戻り、紫苑が島の確認へ向かった。さらに少しして紫苑が戻り、二対一だった手合わせが二対二になった。柴と紫苑から助言を受けつつ、休憩を挟んで四人の手合わせは続いた。途中、森へ消えた四人を省吾が携帯を持って追いかけていた。
 一方、大河はというと、日々受けている樹からの指導のおかげで、刀を振るうことに慣れ剣術も多少上達しているが、志季には一撃どころか掠りもしなかった。具現化の影響ですぐに息が上がり、強度もたいして上げられない。弱いだの遅いだの軽いだのと罵られ続けた挙げ句、疲れのせいで強度が下がったところを見事に叩き折られ、ついでに集中力も切れた。
「人目を気にしなくていいって、いいよなー」
 物騒な志季の台詞を背中で聞きながら、大河は何とか辿り着いたレジャーシートの上へ倒れ込んだ。お疲れ、と省吾から声がかかる。体術から剣術へ移行したらしい、剣戟の音と共に、馬鹿お前手加減しろと晴の怒鳴り声が響く。
 志季元気だなぁ、と感心しながら体全体で呼吸を整える。すぐ側で液体を注ぐ音がして、大河は首だけでそちらを振り向いた。省吾が一旦携帯を止め、紙コップに水を入れてくれている。ありがたい。
 だが、体を起こして当然のように手を出すと、すいと避けられた。
「お前じゃない。柴にだ」
 そう言って腰を上げ、志季と交代し、宗史らの手合わせを眺めている柴の元へ運ぶ。死にかけの幼馴染みより客人優先らしい。冷たい、と溜め息まじりに一人ぼやいて、大河は自分でスポーツドリンクを注いだ。
 省吾が声をかけて紙コップを差し出すと、柴は礼を言って一気に飲み干した。さすがの鬼もこの気温には敵わないようだ。
 降り注ぐ夏の強い日差しは、目が眩むほど明るく広場を照らし、一方で枝葉の影を地面に濃く映す。標高が高く土が熱を吸収してくれるとはいえ、こうも微かな風すら吹かないと、たいして涼しさは感じられない。せわしない蝉の鳴き声が暑さを増長しているように思えて恨めしい。
 平安時代は、やっぱり今より涼しかったのだろうか。でも暑いものは暑いだろうし、冬はどうやって凌いでいたのだろう。ひたすら耐えていたのだろうか。もし平安時代にタイムスリップしたとしたら、扇子や火鉢くらいはあるだろうが絶対に耐えられない。エアコンどころか扇風機もストーブもないとか拷問か。文明万歳。
 そんなどうでもいいことを考えながら、大河は一気に紙コップをあおった。
 宗史たちの手合わせを眺めながら、柴と何か言葉を交わしていた省吾が戻ってきた。
「すげぇな、あれ。ドラマのアクションシーンみたいな動き」
「俺も初めて見た時そう思った。今でも思うけど」
 もう一杯とペットボトルを持ち上げて紙コップに注ぎ、また一気に飲み干す。
「あれだけ動けば、そりゃ飲むよな」
 大河の隣に腰を下ろしながら向けた視線の先には、空になった二リットルのペットボトルが三本。飲んだだけ汗になるので、もう汗だくだ。
「飲まないと死ぬから。寮のでっかい冷蔵庫、一段丸々五百のスポドリで埋まってるし」
「人数多いもんな。ゴミもすごそう」
「コップだと、縁側に置きっ放しにするから埃が入るんだよ」
「ああ、それで五百ミリか」
 うんそう、と頷いて紙コップと交換でタオルを手に取る。
 毎日大量に出るペットボトルは、捨てる際に個々でラベルと蓋を取り除き、軽く洗っておくのが決まりになっている。それを、掃除の時間に藍と蓮が足踏み式の潰し器でまとめて潰しているのだ。毎日楽しそうに潰しまくっている。
 大河は汗を拭きながら携帯を拾い上げ、動画を確認した。綺麗に撮れている。森の中での手合わせは、遠目で若干暗いが見えなくもない。もともと運動神経が良いとはいえ、あの四人をよく追いかけられたものだ。どうせなら大きな画面で見たいが、パソコン、いや寮のテレビに繋げられるだろうか。
 この手のことは怜司だ。そろそろ起きている時間だし、と思いメッセージを開きかけて、大河は手を止めた。宗史たちは手合わせに集中している。話すなら今。
「あのさ」
「んー?」
 よほど訓練が面白いらしい、あちこち動く宗史らを真剣な目で追いかけながら、省吾が空返事をした。
「秘密基地、覚えてる?」
 唐突な質問に、省吾が一拍置いて振り向いた。
「ああ、懐かしいな。覚えてるけど……」
 ふと、省吾が言葉を切って宗史らへ顔を戻した。
「どうしたの?」
 小首を傾げると省吾は我に返り、取り繕うように「いや何でも」と笑った。
「それで、秘密基地がどうした?」
「うん、あの……」
 携帯の画面に目を落としてもごもごと口ごもる大河に、今度は省吾が首を傾げた。省吾なら分かってくれると思ったけれど、いざとなったらやっぱり後ろめたい。でも、黙っておくのはもっと後ろめたい。
「実は、神社の他に独鈷杵の在り処に心当たりがないかって聞かれて、宗一郎さんたちに教えたんだ。ごめん、誰にも内緒って約束だったのに……」
 バツが悪い顔を隠すように、タオルを口元で覆う。そんな様子の大河に、省吾はきょとんとして目をしばたいた。
「そんなの、別に気にしなくていいって。子供の頃の話しだしさ」
 大河は窺うように省吾を振り向いた。ははっと笑う、いつもの笑顔にほっとする。
「でも、あそこに隠すのはさすがに無理だろ」
「俺もそう思ったんだけど、一応。龍穴かもしれないから、一度調査するって言ってた。前例がないし、沈むから可能性は低いらしいけど」
「マジか。そんなの考えたことなかったわ。さすが、視点が陰陽師だな」
 でも確かに沈むからなぁ、と呟く省吾を横目で見ながら、大河は携帯を横に置いた。怜司に聞くのはまたあとにして、Tシャツを脱ぎ、細長くしたタオルで背中の汗を拭う。
「おー、筋肉付いたな」
「これでも毎日訓練してるから」
 自慢げに笑って、胸や腹の汗も拭き、濡れたTシャツを両手で持ってぱたぱたと振る。その辺に置いておいたらすぐに乾きそうだが、男ばかりとはいえ半裸で訓練はさすがに恥ずかしい。
 着替え持ってくればよかったとぼやく大河から、省吾が宗史らへ視線を投げた。しばらく静かに見つめ、ゆっくりと口を開く。
「秘密基地でさ、二人して寝たことあっただろ」
「あー、あったあった。あれヤバかったよな。省吾が起きなかったら溺れてた」
 すぐに思い当たり、大河は笑った。
 あれも夏休みだった。小学生の時、宿題やゲームやお菓子を持って秘密基地で遊んでいたら、いつの間にか二人して眠ってしまっていたのだ。省吾に叩き起こされた時には、猫の額ほどの砂地の半分まで波が迫っており、大慌てでその場から離れて事なきを得た。本気で命の危険を感じたが、今となってはいい思い出だ。
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