第6話

文字数 3,549文字

 昨夜から、消化不良だった。
 美琴の境遇は知らされていないけれど、おそらく香苗と同じだろう。さらに夏也の生い立ち。施設出身であることは知っていたし、何かしら事情があるのだろうとは思っていた。その上、菊池雅臣と渋谷健人の件に、深町弥生の義父。立て続けにあんなことがあって、あんな話を聞かされて、何も考えないわけがない。
 よく、死んでいい人なんかいないというけれど、綺麗事だと思った。大切な誰かを奪われても、理不尽に傷付けられても、そんなことが言えるのかと。世の中には、死んで然るべき人間もいる。――それが、現実だ。
 暴風雨の音が耳障りな部屋。ベッドサイドに立って筋トレをしていると、不意に扉が鳴った。
「はーい、どうぞー」
 樹はダンベルを持ち上げる手を止めることなく返事をした。扉が開き顔を覗かせたのは、怜司だ。
「あれ、怜司くん。なに、夜這い?」
「そのダンベルで殴り殺してやろうか」
「やめてよ、そこそこ値段したんだから」
「止めるところおかしいだろ」
 怜司が部屋を訪れるのは、樹を叩き起こす時くらいだ。珍しいなと思いつつ軽口を叩き、ダンベルを交互に持ち上げながら改めて尋ねる。
「で、どうしたの?」
 怜司は椅子に腰を下ろし、改まった面持ちで言った。
「お前、廃ホテルの帰りに聞いたろ。俺が何か隠してるんじゃないかって」
「ああ、うん。聞いたね」
 樹は左のダンベルを持ち上げたところで手を止めた。あの時、怜司は言った。「まだ」話せない、と。では、時期が来たのだろう。
「いいよ」
 樹はダンベルをゆっくりと床に下ろし、ベッドの端に腰かけた。怜司から机に置いていたペットボトルを受け取って、喉に流し込む。
 樹が一息ついた頃を見計らって、怜司は語った。二年前、何があったのか。この二年、陰陽師として訓練を受けながら、同時に何をしていたのか。
 実質、草薙たちを調べていたのは仲間たちだったけれど、宗一郎や明との仲介役として怜司がいなければ、実現しなかった。実現しなければ、彼らは泣き寝入りするしかなかった。理不尽に傷付けられ、それでも何の反撃の手立ても機会も与えられず、口を閉ざしたまま。一生。
 草薙一之介に初めて会ったのは、三年前の会合の時だった。初めからいけ好かない男だと思った。六年前にすれ違った宗教の信者や、良親と同じ目をしていたから。でも、会合と言っても氏子のみの参加の方が圧倒的に多く、必ず会うのは年始の時くらいだ。鬼代事件が起こるまで、数えるほどしか会っていない。秘書の二においては、会合中は外か車で待機がお約束で、帰りにちらりと見るくらい。顔すら覚えていない程度だ。しかし、龍之介は別だ。聞いていた悪い噂が噂ではないだろうと確信する程度には、寮を出入り禁止になるまで女性陣にちょっかいをかけに来ていた。新たに仲間が加わった時は必ず会合で紹介されるため、どうしても草薙経由で龍之介に伝わる。美琴はともかく、香苗の時は大変だった。茂と華が、どこかに埋めてやろうかと真剣に計画を立てるほどだ。香苗は大人しい性格だから、言いなりにできるとでも思ったのだろう。ファッションセンスは悪いし、性格も頭も悪い。そのくせ自分はモテると思い込んでいる。意味が分からない。
 そんな印象だっただけに、怜司の話を聞いてますます嫌悪感は増した。
「……それ、間違いないんだよね」
「ああ。間違いない」
 返ってきた怜司の答えは、確信に満ちていた。宗一郎と明、栄明、郡司、怜司。そして怜司が選んだ仲間たち。疑う余地はない。
 樹は長く深い息を吐き出した。
「ありがと、話してくれて」
「……突っ走るなよ」
 神妙に釘を刺されて、樹は苦笑した。
「僕があのくそったれ親子と秘書を暗殺するとでも思ってる? やっていいならするけど、でも計画はきちんと立てなきゃね」
「お前が言うと洒落に聞こえないんだよ」
 渋面を浮かべた怜司に、樹は「ははっ」と笑った。
「まあ、自覚はあるけどさ。怜司くんの中で、僕はどんな人間なの?」
「面倒臭いの一言に尽きる」
 樹はむっと唇を尖らせた。
「酷いなぁ。相棒に向かって」
「お前が我儘言ったから仕方なくだ」
「ますます酷い」
 もう拗ねた、と言いながらベッドに両腕を広げて倒れ込む。
「お前、なんで俺が何か隠してるって思ったんだ」
「怒るから言いたくない」
「何しやがった」
「人聞き悪いなぁ。わざとじゃないもん。写真見ちゃった。あと資料」
 言いたくないと言いつつさらりと白状した樹に、怜司は片手で顔を覆って盛大な溜め息をついた。
「勝手に部屋に入った上に、引き出しを開けたのか」
「だって、霊符用の和紙貰いに行ったら怜司くんいなかったんだもん。ストック切らしてたから急いでたの。その日、夜に仕事入ってたから。ごめんなさい」
「まったく反省の色が見えないな」
「反省してるって」
「それが反省してる奴の態度か」
「あはは。確かに」
 ごめんって、と言いながらごろんと体を横向きに変える。まったくとぼやいて息をつく怜司を見て、樹は微笑んだ。
 彼女の写真と資料を見た時、三年前のことが頭をよぎった。怖くなかったと言ったら、嘘になる。自分の知らない怜司が、そこにいるという事実。
 でも、自分にも探られたくない過去があった。誰にでも過去はあって、腹の底まで知ることなんかできない。それはお互い様だ。だから黙っていた。何があったとしても、怜司が忌憚なく接してくれているのは間違いないし、相棒であることは変わらない。いつか話してくれる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。それはそれで構わなかった。
 怜司が怜司のままでいてくれれば。
 そんな中、鬼代事件が起こった。正直、疑った。いつか見たあの写真と資料がどう繋がっているのか分からなかったけれど、疑心と信頼の狭間で心は揺れた。
 これまで自分が見てきた怜司と、知らない彼。冬馬と同じ。腹の傷が疼いた。
 直接問い質して、もし怜司が敵側の人間だったとしたら逃げられる。まだ時期ではない。そんな合理的な判断をする自分と、知りたくないと思う弱い自分がいた。
 でも廃ホテルの事件で、二つ同時に解決した。冬馬と怜司への疑心は、雲一つなく綺麗に晴れた。
 だからこそ、いつも通りの軽口を叩いて、他愛無い会話をしながらも、腹の中はマグマのような感情がぐつぐつと煮えたぎっていた。
 居場所をくれた冬馬と宗一郎。誰よりも忌憚なく接してくれる怜司――彼らを、傷付けた。
 鬼代事件が起こらなければ、冬馬はもちろん、下平と再会するのはもっと先、あるいは一生なかったかもしれない。事件が起こったからこそ、半ば強制的ではあるが再会し、やっと過去から抜け出せた。
 ――だから何だ。
 抱えていた葛藤と天秤にかけても、奴らの罪は相殺できない。そもそも天秤にかけるものではない。
 草薙親子と二はもちろん、どんな理由があれ、奴らと共にこんなくだらない事件を起こしたどこかの馬鹿共も、許す気はさらさらない。共謀したのは明白。どちらが先に話を持ちかけたのか、主犯は誰かなど関係ない。
 全員、同罪だ。
 駆け寄った勢いのまま、樹は正眼の構えを取り振り下ろした。後ろへ下がりながら横に構えた平良の霊刀と交差し、キンッと澄んだ音が響く。
 足を止めることなく霊刀を引き、切っ先を平良へ向けて水平に構え、片手で連続して突きを繰り出す。平良は後ろ向きに蛇行しながら、襲う切っ先を軽々と弾く。その顔は、どこか不満そうだ。
「速いけど、こんなもんじゃねぇだろ」
 不意に平良が口を開き、樹が霊刀を引いた一瞬をついて足を止め、一歩踏み込んで霊刀を振りかぶった。樹は咄嗟に両手で柄を握り直しながら右半身を後ろへ下げ、霊刀を横に倒す。振り下ろされた霊刀を受け、即座に上へ弾き飛ばした。半身を下げた勢いでくるりと一回転すると、目の前に横に薙いだ霊刀が迫っていた。霊刀を縦にして受け止め、振り下ろして押し返す。
 樹は、一旦後方へ数歩飛び退いて距離を取り、半身になって左脇に霊刀を構えた。
 刀身はこちらの方が長い。にも関わらずしっかり防御してくる。ということは、対策済みだ。刀身の長さが有利にならないのなら、強度。本物の刀は、何度も刃を合わせると刃こぼれするらしい。しかし霊刀は、霊力によって強度が決まるため、刃こぼれも折れるも、あるいは再度具現化するも霊力量次第だ。
 樹は瞬き一つせずに平良を見据え、ゆっくりと深呼吸をする。
「お、本気になったか?」
 子供のように目を煌めかせ、平良も左脇に霊刀を構えた。実力はまだ測りかねる。けれど、負けるつもりはない。だからこそ、慎重に対峙する必要がある。
 樹は息を詰め、今一度柄を握る手に力を込めた――と。
「はい、動かないでね」
 昴のどこか余裕のある声が響いた。
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