第7話

文字数 2,416文字

      *・・・*・・・*

 伊吹山の麓の町にある食事処でゆっくり夕飯を済ませ、晴、陽、志季の三名は六時過ぎ、伊吹山ドライブウェイへと向かっていた。
「お前いい加減にしろよ」
 晴がしかめ面で一瞥したルームミラーには、後部座席で膨れ面をして、だんまりを決め込む面倒臭い式神が映っている。食事処の近くに大きな銭湯があったらしいのだが、ちょっとだけ寄ろうぜと言った提案を一蹴してからずっとこの調子だ。
 一般的な銭湯とは違い、ヨモギを主とした七種の薬草を使用した薬草風呂が売りだそうだ。しかも、屋内風呂だけならず露天風呂まであり、さらに国内最大級の大きさの花崗岩(かこうがん)(御影石)を使用しているらしい。志季の興味を引くには十分だ。
 確かに薬草風呂は魅力的だ。わけの分からない事件を次々と起こされ、どこぞの阿呆のお陰で閃と鈴に無駄にしごかれたのだ。ぜひ薬草の効能にあやかりたい。この事件の関係者は全員もれなくゆっくり温泉にでも浸かりたいと思っていることだろう。しかし、まだ時間に余裕はあるけれど、志季の風呂がちょっとで終わるわけがない。放っておいたら一時間は余裕で入っているような奴だ。
 ほんとこの式神は。晴は疲れた顔で嘆息した。今すぐ上級神らに問い質したい。何故こんな式神を自分に付けたのかと。
「あ、志季」
 険悪な空気に耐えられなかったのか、陽が手早く携帯をいじって振り向いた。
「ほら、今日泊まるホテル、全部の部屋に檜風呂ついてるみたいだよ。ガラス張りになってて、景色が見えるんだって」
「マジか!」
 何とか志季の機嫌を直そうと調べたらしい。健気で泣けてくる。
 一方、世話の焼ける神は速攻で食い付いた。ぐるんと音がしそうなほど勢いよく振り向いて、差し出された携帯に顔を寄せる。しかし、掲載された写真と紹介文に目を通し、
「温泉じゃねぇのか……」
 と残念そうに呟いて息をついた。
「まあでも、大浴場じゃねぇならゆっくり入れるしな。しょうがねぇ、檜風呂で手ぇ打ってやるか」
「どこから目線で言ってんだお前」
「神目線だ」
 ふふんと鼻を鳴らし言い放つと、今度は鼻歌なんぞを歌いながら車窓へ目をやった。ついさっきまでの不機嫌はどこへやら。現金すぎる。晴は深い溜め息をつき、陽は苦笑いして体勢を戻した。
「でも、いいんですかね? こんな高そうなホテル」
「たまに泊まるくらいバチは当たんねぇよ。……ホテル代も敵側(あいつら)に請求してやろうか」
 最後にドスの利いた声でぼやいた晴に、陽は空笑いを漏らした。
 式神は術を解けば宿泊人数に入れなくて済むのに、しっかり予約を取ってあるらしい。志季以外は主と行動が別だ。護衛を兼ねているので、術を解くことができないからだろう。それなら小型化して荷物に押し込むなりすればと思わないこともないが、何せ神だ。そんな詐欺まがいのことをさせるわけにはいかない。あるいは労いの意味もあるのだろう。他のホテルはどうか知らないが、部屋と大浴場を行き来する手間も省けるし、何より人目を気にせずいつでも入浴できる。もちろん、阻止成功が前提ではあるが。
 十分ほどで、左脇のフェンスに設置された「伊吹山ドライブウェイ」の看板が見えてくる。岐阜県不破郡関ケ原町。その名の通り、あの関ヶ原の戦いの舞台となり、672年に起こった壬申の乱の戦場でもある。
 看板を左折してさらに道なりに一分ほど。すでに閉鎖されているため、行き交う車はない。道路の両脇に迫る土手には雑草が生い茂り、向こう側は畑が広がる。時折民家や倉庫を通り過ぎると、左手に一台だけ車が停まっている従業員専用の駐車場がある。その少し先、料金所が視界に映るなり、晴は速度を緩めた。
「住職か?」
 二つのブースと三カ所のゲートのうち、真ん中のゲートだけポールが外されており、右側のブースの側に眼鏡をかけた坊主頭の中年の男が一人立っている。スラックスにジャケットという普段着。
 晴が険しい顔で停車させると、すかさず志季が飛び出した。男を見据えたまま、車の前に立ち塞がる。と、警戒されていると察したのか、男が深々と頭を下げた。
 晴は窓を下げ、顔を覗かせる。
「志季、行ってこい」
「了解」
 硬い声で答えると、志季は慎重に足を踏み出した。
 駐車場には車が一台。周囲に悪鬼の気配は感じない。男も特に変わった様子は見られない。私服ではあるが出で立ちからすると住職で間違いないと思うけれど、敵の人数が全員判明していない以上、警戒して然るべきだ。陽も緊張の面持ちでじっと志季を見守っている。男との距離が縮まるごとに、強い警戒心が帯びてゆく。
 志季が男の数メートル手前で足を止めた。言葉を交わし、警戒を解くように肩が上下する。志季が振り向いた。
「やっぱ住職だってよ」
 そう声を張り、ちょいちょいと手招きする。住職がもう一度こちらへ向かって会釈した。晴と陽は安堵の息をつき、車をゆっくりと走らせる。
 ゲートに入って停車すると、住職が腰を折って窓から覗き込んだ。
「お疲れ様でございます。すみません、誤解させてしまったようで」
「ああいや。こっちこそすんません。つい」
 互いに苦笑いを交わす。
「あの、ご一緒致しましょうか。車もありますので」
 やはり駐車場の車は彼のものらしい。
「いや、大丈夫です。戻ってくるの時間かかるみたいなんで。――志季」
 こういう説明は苦手だ。晴は志季を見上げた。
「お前、住職さんに結界の説明してそのまま追いかけて来い。山頂まで一時間くらいかかるから先に行くわ」
「了解しましたー」
 それらしい言い訳をして逃げた主を見透かし、志季は呆れ顔で承諾した。
「それじゃ」
「はい。どうぞお気をつけて。よろしくお願い致します」
 深々と頭を下げた住職に目礼し、晴はアクセルを踏み込んだ。ルームミラーを一瞥し、さっそく説明を始めたらしい志季と、相槌を打つ住職を確認して前方へ視線を投げる。ガサツだが人見知りもないし、口もよく回る。大丈夫だろう。
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