第16話

文字数 3,924文字

 午後六時。特に何事もなく哨戒を終えて寮へ戻ると、華と美琴も哨戒から戻っており、美琴以外の全員がリビングに集まっていた。キッチンでは華と香苗が夕飯の支度をし、ソファでは怜司が夕方のニュースを見て、茂と昴は蓮と藍の遊び相手をしている。そして縁側では、宗史、晴、樹が夏也の指導を受けている大河を眺めつつ、体術についてあれこれ意見を交わし合っていた。
 ただいまと声をかけるとさっそく樹に手招きされ、弘貴と春平は大河の成果を聞いて愕然とした。
「独鈷杵を割った?」
 弘貴が呟くと、樹はどこか嬉しそうに頷いた。
「大河くんの霊力に耐え切れなかったんだと思う。安物とはいえ、真鍮の独鈷杵を割るなんて思わなかったよ」
 ほらこれ、と樹は縁側に無造作に転がっていた独鈷杵を拾い上げた。確かに真っ二つに割れている。
 すっごい霊力量だよね、と浮かれた様子の樹の声を聞きながら、弘貴と春平は互いに顔を見合わせ、夏也の指導を受けている大河を見やった。
 前回し蹴りのコツを教わり、それを忠実に再現しようと試みる大河の表情は真剣そのものだ。だがとても楽しげでもある。
 たった二日で基本的な結界を会得し、独鈷杵を使ってみろと樹に言わしめる才能。無意識とはいえ霊符もなしで式神を召喚し、独学で略式の術を行使する資質。ほんの数日前まで、陰陽師の家系であることすら知らなかったのに。
 きつく握りしめられた弘貴の拳が、視界の端に映った。
「ああそうだ。今日、昼間に刑事さんたちが来てさ、二人ともいなかったから勝手に紹介しといたよ」
「え、樹さんが?」
 樹の警戒心の強さは皆が知るところだ。ゆえに、術のこととはいえ大河にあれだけ警戒心なく声をかけたのには驚いた。
「まさか。宗史くんが」
 何言ってるの、と言いたげに見上げられ、ですよね、と弘貴と春平は苦笑いを浮かべた。刑事に皆の紹介をする樹の姿など想像できない。
「刑事って、会合の時にいた昴さんの叔父さんとかいう人ですか?」
 弘貴が尋ねると、樹はそうそうと頷いた。
「また何で……何か新しいことでも分かったんですか?」
「いや、それがさ、大河くんに挨拶に来たんだって。明さんから聞いたって言ってたから、一応共同戦線張ってる以上、その辺の情報交換もしてるんだろうね。影正さんのことも知ってたし」
「ああ……」
 二人揃って納得の声を上げる。若い刑事の方は、正直あまり印象に残っていない。もう一人の、昴の叔父だとかいう刑事は、確か紺野と言ったか。昴には悪いがあまり良い印象はない。気が短くすぐに手が出るタイプに見える。だが、わざわざ大河に挨拶に来るくらいだ。刑事としてのプライドは高いのだろう。
 腰を捻って右足を回し蹴ったはいいが着地に失敗し、しこたま尻を打ちつけた大河を眺め、春平は小さく溜め息をついた。
「二人とも」
 落ち着いた声色で宗史に呼ばれ、我に返った。
「帰ってきて早々悪いんだけど、聞きたいことがあるんだ。来てくれるかな」
 宗史が腰を上げると弘貴が姿勢を正し、はっきりとした口調で宣言した。
「コンビを解消するつもりはありません。夏也ね……夏也さんと怜司さんに指導をお願いしたいと思ってます」
 少し大きめの声に、その場にいた全員が注目した。大河と夏也も中断して視線を投げる。
「これまで訓練を怠っていたつもりはありません。でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ気が緩んでたかもしれません。なんで、一からご指導よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いしますっ」
 がばっと勢いよく頭を下げた弘樹に倣い、春平も頭を下げる。直角よりさらに低い位置まで頭を下げる二人を宗史はじっと見据え、ソファにいる怜司へ、
「了解した」
 そして庭の夏也へ視線を投げた。
「はい」
 二人からの承諾に、弘貴と春平は頭を下げたまま、
「ありがとうございます!」
 声を揃えて礼を告げた。
「よかったね」
 下から見上げてきた樹が口角を上げた。
「正直、ほっとしたよ」
 頭上から聞こえたのは宗史の穏やかな声だった。驚いて顔を上げると、宗史が微笑んでこちらを見下ろしていた。この人、こんな表情をする人だったかな。
「もし二人がコンビ解消してもいいとか言い出したらどうしようかと思った。今そんな余裕ないからね。よかった、二人が前向きに考えてくれて」
「宗史くん甘い。コンビ解消しないってことはレベルアップする覚悟ってことでしょ。言っとくけど、その辺は怜司くんも夏也さんも承知の上だからね。覚悟しときなよ、二人とも」
「はい」
 硬い声で諭され、二人は表情を引き締めて大きく頷いた。
「樹、あんたも覚悟しなさいよ」
 不意にキッチンから華の声が届き、樹がきょとんとした顔で首を傾げた。
「今日のメニューはピーマンの肉詰めよ」
「げっ。僕今日夕飯いらない」
「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ。口に詰めてでも食べさせるからね」
「華さんが口移しで食べさせてくれるなら食べてもいいよ」
「馬鹿なこと言わないで! セクハラよそれ!」
「じゃあいらない」
 樹が拗ねたようにふいと庭へ顔を背けると、華の苛立ったぼやきと共に、荒い包丁の音と皆の笑い声が響いた。時折思い出したように華にセクハラまがいのことをしてはぶちのめされかけるのは、もう慣れた。厳しいことも言うが普段は子供のような樹に、年上だと知っていても微笑ましく思ってしまう。
「樹さん、ピーマン嫌いなの?」
 そろそろ訓練終了だろうか。夏也と一緒に柔軟をしながら大河が尋ねてきた。
「嫌い。苦いの嫌い」
「こいつ、こう見えて甘党なんだよな」
「へぇ、意外」
 そう言えば、と宗史が小さく笑いながら言った。
「前にケーキを二十個買ってきて華さんに叱られたことありましたね」
「二十個!?」
 あったあった、と皆から懐かしげな声が上がる。
「そう。誕生日のケーキを頼まれて買ってきたんだ。色んなのがあった方が楽しいと思ってピースのケーキを二十個買ってきたら、女心が分かってないって言って叱られた。足りない分は自腹切ったのに」
「女心って?」
「余分にあったら食べたくなる、太るでしょって。だから、食べた以上に動けばいいって言ったら、女心が分かってないって言って腹パンされた。華さんの体術、明さん仕込みだから威力あるんだよ。内臓粉砕したかと思った」
「樹! 人聞きの悪いこと言わないで!」
「うわ地獄耳っ」
 ぴょんと跳ねるように背筋を伸ばす樹に笑い声が起こった。
 皆一緒になって上げた笑い声は、夏の空に響いた。こうしていると、殺人事件や鬼のことが嘘のようだ。今までと同じ平穏な日常を過ごしているような錯覚を起こす。
 ひとしきり笑った後、さて、と宗史と晴が腰を上げた。
「そろそろ帰りますね」
「大河、明日も覗きに来るからしっかり訓練しとけよ」
「うん。色々ありがとう。気を付けて」
 ぞろぞろと縁側まで見送りに出てきた皆に手を振り、二人は玄関の方へと姿を消した。
「弘貴、春くん、荷物部屋に置いて手を洗ってきてね」
 はーい、と返事をしリビングを出ると、弘貴がドヤ顔で春平を見下ろした。
「間違ってなかったろ」
「だね」
「きつくなるだろうけど、頑張ろうぜ」
「うん」
 階段を上りそれぞれの個室へ入る。電気をつけて背負っていたリュックを下ろし、ベッドの端に座る。
「は――――……」
 春平は長い溜め息をついた。
 気がかりはなくなった。けれど、これからのことを考えると気が重い。訓練が嫌なわけではない。必要性も樹や宗史や他の皆の気持ちも十分分かっている。だが、どうしても弘貴や大河との差がのしかかる。
 霊力は生まれ持ったものだから仕方ないが、弘貴は生来の身体能力が高いし、あれで負けず嫌いな部分もあるからきっと訓練をすればするほど伸びるだろう。大河においては、もう世界が違う。安倍晴明の寵愛を受けるほどの陰陽師だった宇奈月影綱の霊力を受け継いだということは、つまり宗史や晴たちと同じサラブレッドだ。成長の早さがそれを物語っている。身体能力も、剣道を教わっていたというだけあって体力はあるし、さっき少し見た限りでも夏也の訓練についていけていたようだから高いのだろう。
 それに比べて自分は体力もない。霊力もそこそこ。身体能力もそれほど高くない。同じ年で同じ男なのにどうして自分は、という卑屈な気持ちと二人に対する嫉妬心が頭をもたげる。
 頭では分かっているのだ。比べても持って生まれたものは仕方がない。羨んでもどうしようもないものというのはあるのだと。うじうじと悩んでも仕方ないのなら、できる限りの努力をしなければ。不満を言うのなら限界までやった後で言うべきなのだと。分かっているのに。
「おい春。先に下りるぞー」
 何の前触れもなく部屋の外から声をかけられ、春平はびくりと体を震わせた。
「あ、うん。着替えてから行くから先に下りてて」
「分かった」
 軽快に階段を下りる足音が聞こえなくなってから、春平はもう一度溜め息をついた。
 僕、ここにいていいのかな。
 不意によぎった弱気な自分の声に、春平は頭を振った。
『私たちの許へ来ないか。君の力を貸して欲しい』
 かつて宗一郎が言ってくれた言葉を思い出す。
「うん、大丈夫」
 あの人が必要としてくれた。あの時の言葉を支えに今までやってこられた。弘貴や大河のようなすごい陰陽師にはなれないけど、せめて彼らの手助けができるようにはならないと。
 春平は自分の頬を両手で叩いて気持ちを入れ替え、部屋着に手を伸ばした。
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