第16話

文字数 2,157文字

 と。突如、犬の長い遠吠えが言葉を遮った。揃って上を仰ぎ見る。
「あら、犬神が悪鬼を呼んだみたいね」
「犬神が悪鬼を?」
「ええ。あたしもつい先日知ったんだけど、融合すれば巨大化できるらしいわよ。やあね、敵わなかったのかしら」
 呆れ気味に息をついた皓を見据えたまま、逡巡する。
 巨大化しただけならさして問題はないが、いくらなんでも大きくなっただけで勝てるとは思っていないだろう。動きが俊敏になるなどの、何か利点があるはずだ。
 さて、どうするか。
 柴から、彼らのことを頼まれている。だが、今ここで無理に突破しようとしても間違いなく邪魔される。ならばこの状況を利用して、油断させる方が得策だ。
「そちらの顔ぶれは」
「うん? えーと、真緒と雅臣よ」
 案の定、何の迷いもない答えが返ってきた。犬神の巨大化もそうだが、どうせあとから分かるのだ。隠しても意味がない。こちらが不利な顔ぶりだとしても、皓からすれば足止めするだけ。問題はない。
 鈴の報告では、真緒の実力は怜司と同等と見られているが、あくまでもそう見ていた方が無難というだけだ。雅臣は春平や弘貴と大差ない。ならば、華が真緒、春平と弘貴が雅臣、犬神を夏也、といったところか。悪鬼を呼んだくらいだ、使いは夏也についている。雅臣は悪鬼を取り憑かせているだろうが、調伏して接近戦に持ち込めば春平と弘貴なら容易に制圧できる。その程度のことはさすがに気付くだろう。華が少々不安ではあるが、話が終わって即座に攻撃を仕掛ければ、ほんのわずかでも隙は作れるだろう。
 大河が標的になっていることは、皆知っているのだ。あと少し、踏ん張ってくれることを祈るしかない。
「続けよう」
 意外だったのか、あら、と皓が目をしばたいた。
「いいの?」
「よい。制圧できなければそれまでだ」
「薄情ねぇ」
「私が守るべき相手は、柴主のみだ」
「ますます薄情だわ」
 呆れているのか、逆に感心しているのか分からない溜め息をつく。
「何とでも言え。して、先程のような詭弁に千代が納得するとは到底思えんが」
 言葉通り続けた紫苑に、皓が諦めたように肩を竦めた。
「そうなのよね。千代が剛鬼と手を組んだのは事実だけど、千代がどう思っていたかは分からないわね。まあ、今さらって気もするし、聞く機会もなかなかないのよね。あまり部屋から出て来ないし、ほとんど喋らないのよ。聞いても答えてくれるとは思えないわ」
 確かに、それこそ今さらだ。剛鬼を裏切るつもりだったのであれなかったのであれ、どちらにせよ戦は起こっただろう。剛鬼と千代の標的は同じだったのだから。
 それより、最後に付け加えたひと言。部屋から出て来ない。先日の会合で宗史が言っていたが、やはり千代はまだ完全ではないか。今はどうか分からないが。
「次だ。夜襲の目的はこちらの弱体化と言っていたが、それは向こうも同じであろう。何か策があったのか」
 紫苑の指摘に、皓はすぐに口を開かなかった。その沈黙はどこか躊躇しているようで、紫苑は小首を傾げた。
 やがて皓はゆっくりと唇を開き、
「判断は、貴方に任せるわ――」
 やけに重苦しげに、そう前置きをした。
 夜襲から大戦まで、百年以上経っている。弱体化した戦力の強化に、それほど長い時間をかけなければいけなかった理由は、間違いなく鬼の生態だ。だが、それは双方同じこと。ならば、結局失敗したようだが、こちらより早く強化する手立てがあったはずだ。
 けれど、自分にはそれが思い付かない。ゆえに尋ねたのだが、皓の口から語られる方法は実に非道で、かつ許しがたいものだった。
 先程の躊躇したように沈黙した理由はこれか。柴が知ったら、どう思うか――。
 紫苑はぎりっと奥歯を噛み締めた。
「外道が……っ」
 皓が気を取り直すように息をついた。
「餓虎の非道さは身に沁みていたけど、さすがにね」
「当然だ。あの戦で誰が奴を討ち取ったのかは知らんが、私なら八つ裂きでは済まさん!」
 それも疑問の一つだ。大戦の折、相当な混戦だったせいもあるが、剛鬼とおぼしき姿を目にした記憶がない。憎々しく声を荒げると、皓が言った。
「全部の話しを聞き出したあと、隗が八つ裂きにしたそうよ。ああ、八つ裂きじゃ収まらないわね。口から刀を突っ込んで、片目をくりぬいて、耳や指を引き千切って、あとは皮を剥いだんだったかしら。とにかく、死なない程度に拷問して、最後は内臓を引きずり出して切り刻んで山に捨てたらしいわ」
「手を組んでいたのではないのか」
「表向きね。初めからそうするつもりだったみたい。隗らしいわ。あれでも情に厚い奴だもの。何百年経ってもはらわたが煮えくり返っててもおかしくないわ」
「ならば、剛鬼を八つ裂きにしたあと、後釜に就いたのか」
「ええ」
 なるほど。隗なら、一匹の野鬼ごとき相手ではない。しかも「元」三鬼神となれば、傘下の野鬼らも認めざるを得ないだろう。むしろ喜び勇んだかもしれない。これ以上ない味方ができた、と。
 そして剛鬼。奴は、百年以上もかけた企ての結末を見ずに、最後は無残に殺された。だが、そこに一片の同情も湧いてこない。大勢の死者を出すきっかけを作った奴にそう簡単に死んでもらっては、父母や仲間たちが浮かばれない。その点に関しては、隗に感謝する。けれど、裏切ったことに変わりはない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み