第3話

文字数 3,368文字

 府警本部の前で熊田や佐々木とは別れ、ロビーで近藤と別れた。そして一課に入るや否や、あっという間に同僚たちに囲まれた。
「北原は大丈夫なのか」
 詰め寄るように緒方(おがた)が聞いた。
「あいつが簡単に死ぬと思いますか。あとで病院に行ってきます」
「そうか、そうだよな。あいつ意外としぶとそうだもんな」
 自分に言い聞かせるようにそう言ってほっとしたのも束の間、集まった全員が期待の眼差しを紺野へ向けた。
「で、本部長の秘密って何だ」
 初めて北原が不憫に思えた。本当に心当たりはないと何度も否定し、一課長の鶴の一声でやっと解放されたのだが、何でそんなの知りたがるんですかと緒方に聞いたのが間違いだった。
「警察官っつってもしがないサラリーマンだぞ。使えそうな情報収集はするに越したことねぇだろ」
 何に使う気だったのかはあえて聞かなかった。警察官らしからぬ答えに、紺野が今日何度目かの溜め息をついたのは言うまでもない。
 警察手帳を持ち、右京署へ向かう前に捜査車両の中で下平と明に報告を入れると、一服中らしい下平からすぐに電話がかかってきた。至極真面目な声で「そんな裏技があるなら早く言え」と言われた。一課の連中といい下平といい、彼らの中で自分はどんな奴なのだろう。どこの誰か知らないが、有難い反面少しだけ迷惑だ。一方明は驚いたクマのスタンプを送ってきたので、もう深く考えないことにした。熊田と佐々木を加えたメッセージのグループを作る話をして、右京署へ車を走らせる。
 到着してから届いていたグループに登録し、捜査本部へ向かった。
 さすがに同じ反応はないだろうと思いつつ、紺野が丸一日ぶりに足を踏み入れると、同じどころか正反対の反応が返ってきた。全員ではないが、不審な眼差しにうんざりだ。
「紺野」
 声をかけたのは加賀谷(かがや)だ。
「どんな手を使ったのかは知らんが、朝辻昴の肉親であることに変わりない。監視は続ける。今日から沢村と組め」
 監理官は府警本部一課長より下の階級だ。心当たりがないという紺野の証言を信じていなくても、一課長と本部長の命令には逆らえないだろう。
「分かりました」
 加賀谷の側に控えていた沢村を一瞥する。
 沢村光寛(さわむらみつひろ)は、同じ府警本部の一課に所属する先輩刑事で、何度か同じ事件を担当したことがある。口数は少なく、眼光鋭い細い目と眉に無表情。加えて大柄な体格だ。下平も大柄だが、表情が豊かなだけ彼の方がよほど親しみやすい。沢村は、例えるなら岩石のようなどっしりとした雰囲気があり、人を寄せ付けない威圧感がある。マル暴にいそうだ。結束力がものを言う組織にいながら、飲み会には一度も参加したことがなく、課内でも少々変わり者として有名だ。結婚していると聞いた時は驚いた。しかし仕事ぶりは非常に真面目で、黙々と業務を完璧にこなすため信頼は厚い。必要以上の会話をしたことはないが、近藤同様、仕事ができて話が通じれば問題ない。
 ただし、今回ばかりは都合が悪い。加賀谷とは高校で部活の先輩後輩だったらしく、かなり親しいと聞いている。つまり、加賀谷の息がかかった捜査員に、一番近くで監視されることになるのだ。何かあった時、明たちへの連絡が遅れてしまう。
 紺野が嘆息して熊田と佐々木の後ろの席に腰を下ろすと、沢村が隣に座った。
 鬼代事件と亀岡の事件は、共に進展なし。事件現場となった鬼代神社への侵入経路、亀岡のハイキングコースまでの足取りも未だ掴めず、また三宅(みやけ)の私物も見つかっていない。三宅と田代基次(たしろもとつぐ)との関係、凶器、拉致手段も判明しておらず目撃者も出てこないままだ。さらに、健人(けんと)がどうやって田代の住居を突きとめたのか、その方法も未だ判明していない。当然、健人、加えて昴の行方も未だ掴めていない。
 そして、昨夜の北原の事件だ。
 一連の事件において、被疑者は健人と昴、重要参考人として明の名が上がっているだけだ。平良の容姿とはかけ離れている。東山署は、やはり北原の個人的なトラブルと鬼代事件関連の、両方を視野に入れてまずは加害者の特定を急いでいるらしい。
 また北原を監視していた捜査員は、近藤の推測通り、薄暗く背を向けていたため顔ははっきり見えなかったらしい。男で金髪、ピアスを複数個着けていたこと、背格好から身長は百七十センチ以上、年齢は不明と証言した。凶器については、近藤と捜査員からは日本刀、また複数の目撃者からも曖昧ではあるが長細い物だったとの証言が取れ、しかし追った捜査員はどう思い出しても手ぶらだったと断言しているため、混乱が広がっている。
 ま、そうだろうな。
 そこここから困惑した唸り声が漏れる中、紺野は一人、余裕の表情でメモ帳にペンを走らせる。
 加賀谷がふいと紺野に視線を投げた。
「紺野。昨日、指示を破って朝辻神社と実家に行ったらしいな。目的は。宮下成美(みやしたなるみ)にも会っていたそうだが、偶然か? 何を話した」
 示し合わせたように捜査員全員から刺さるような視線を向けられ、紺野はうんざりした顔で息をついた。監視の捜査員から報告を受けているだろうに。
「様子を見に行っただけです。宮下成美とも偶然です。甥のことを心配してわざわざ来てくれたそうで、特別な話はしていません」
「……分かった」
 成美も同じ証言をしたのだろう。加えて沢村と組ませているという余裕もあってか、意外とあっさり引き下がった。
 その後、健人と昴の捜索に全力を上げろとの指示が出て、捜査会議は終了した。本日二度目のやれやれを心で呟いて、紺野は腰を上げた。
 前の席に座っていた熊田と佐々木も疲労困憊の息をつきながら立ち上がり、それらしい会話をしながら廊下へ向かう。
「まあ、それしかねぇよな」
「どこに行ったのかしら」
「まだ市内にいるとは限りませんよね」
「それを言ったらすでに県外かもしれねぇよな」
「地道に探すしかないわよねぇ」
 昴はともかく、問題は健人だ。地道は刑事の十八番だが、範囲が広すぎる上に絞り込みすらできない。溜め息ばかりが漏れる。
 こちらで健人を発見できれば、おのずと犯人たちの潜伏先が割れる。だからこそ、そう簡単には見つからないだろう。ただ、潜伏先を探っているであろう、機動力のある(さい)紫苑(しおん)に加えてこの人数だ。若干確率は上がる、と思いたい。


 沢村と連れ立って駐車場へと向かう途中、携帯が着信を知らせた。まさか明たちかと思いつつ恐る恐る確認すると、朝は一課にいなかった同僚だった。
「はい」
「おー、紺野。お前ほんとに復帰したのか?」
 東山署の捜査本部からかけているらしく、電話の向こう側がざわついている。
「しました。俺もわけが分からないんですが」
「ほんとに心当たりないのか。嘘だったら何されるか分からないぞ」
「嘘じゃありません。それで、どうしたんですか」
 語気を強めて否定し、うんざりした溜め息をつくと苦笑いが届いた。今日一日で何度同じ質問をされるのだろう。
「ちょっと聞きたいことがあってさ。北原の遺留品の中にメモ帳がなかったんだよ。あいつ持ってたよな?」
「ええ、持ってましたよ。ないんですか?」
「ああ。鑑識の話じゃ現場にも落ちてなかったらしくて、犯人が持ち去ったって証言もない。あそこ防犯カメラもないし、一応今から探しに行くところだ。それともう一つ。あいつ手作りのお守り持ってたんだよ。確か彼女いたよな」
「はい、いますよ。彼女じゃないんですか?」
 そういえば喧嘩していると言っていたがどうなっただろう、と詮索がちらりと頭をよぎる。
「携帯が壊れてて連絡先分からないんだよ。血まみれで指紋が期待できないから、実際に見て確認してもらおうと思ってるんだけど、あの壊れ方じゃ復元もどうだろうなぁ」
「そんなに酷いんですか」
「バッキバキの上にこっちも血まみれ。あいつが見たら泣くな。おっと、じゃあ行くわ。ありがとな」
「いえ、お疲れ様です」
 おう、と軽い返事を最後に通話が切れた。余計な話題はあったが、やはり確認の電話だったか。
 何をどう転んでもメモ帳は出てこないし、お守りの出所も判明しないし、犯人の足取りも追えない。仲間を裏切っているようで、今さらながら罪悪感を覚えた。
「……北原の件か」
 キーレスで鍵を開けて運転席に乗り込むと、沢村が口を開いた。
「ええ。遺留品のことでちょっと」
 そうか、と沢村は一言返して口をつぐんだ。

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