第5話

文字数 3,153文字

      *・・・*・・・*

 歪んだ口元から、溜め息が漏れた。
「残念、樹じゃねぇのか。俺のクジ運も大したことねぇなぁ」
 クジ運。まさか、配置をクジで決めたのか。ふざけやがって、と大河は口の中で呟いた。こちらの当主二人も大概ふざけた性格だが、相手はそれ以上だ。もしくは、誰と対峙しても負けないという自信があるのか。
「でもまあ、あんたなら楽しめるかもな」
 薄笑いで視線を向けられた宗史が、冷ややかに平良(たいら)を見つめ返す。反対に、大河はむっと眉根を寄せた。ずいぶんと強気な発言だ。お前が宗史さんに敵うわけないだろ、と声を大にして言ってやりたいが、ここは我慢だ。
 これで対峙する相手が決まった。こうも眼中にないと悔しいと思わないこともないけれど、樹を執拗に狙う平良が宗史を選ぶのは当然だし、自分に奴を抑えられないのも分かっている。当然の成り行きだ。ならばせめて、宗史の邪魔にならないようにしなければ。ただ、腑に落ちないことが一つある。悪鬼は独鈷杵に触れない。平良が奪取する以外方法がないはずだが。他に仲間が潜んでいるのか、それとも、よほど宗史を倒す自信があるのか。どちらにせよ、独鈷杵を死守しなければ。
 大河はぎゅっと霊刀を握りしめ、平良の背後に浮かぶ巨大な悪鬼を睨みつけた。
「大河、体調は」
 宗史が小声で尋ねた。
「平気、何ともない」
「絶対に護符と独鈷杵を離すなよ。障気に襲われるぞ」
 護符、つまりお守りと独鈷杵。あえて両方――そうか。
「分かった」
 霊障は受けていない。だが、さっき悪鬼は躊躇いなく襲いかかってきた。お守りと独鈷杵、二つの力と邪気が拮抗しているのかもしれない。どちらかが欠ければとたんに瘴気に襲われる。この大きさだ。一瞬で失神するか、酷く嘔吐してそのまま気を失いかねない。それともう一つ。この推測が正しければ、悪鬼に独鈷杵を奪われる危険がある。護符は反応するだろうが、悪鬼の力が同等、あるいは上回れば可能なのだ。だから平良は、自分の相手を悪鬼にさせるのか。
 いっそ紐か何かで手と独鈷杵を括りつけてくれば良かった。そう頭の隅で考えていると、平良が「あ、そうか」と何か思い出したように呟いた。小首を傾げ、うーんと考え込む仕草をする。
「まあいいか。殺さなきゃ大丈夫だろ」
 大河の負の感情も、敵の狙いの一つだ。俺のことかなと思いつつ、今さら確認しなくてもとも思う。大河と宗史が怪訝な顔をすると、平良が顎で大河をしゃくった。
「てことで、お前らの標的はあいつな。死なねぇ程度なら好きにしてもいいけど、あくまでも狙いは独鈷杵。いいか殺すなよ、俺が満流に怒られっから。それと――」
 平良がこちらを見据えたまま、低い声色で告げた。
「絶対にこっちには手ぇ出してくんな。消されたくなかったらな」
 口元に浮かんだのは、不敵で、かつ不気味な笑み。こちらを真っ直ぐ見据えた目には、獣のような獰猛さと静かな狂気を孕んでいる。
 悪鬼への抑圧と、こちらへの挑発。気圧され、わずかに悪鬼が後ずさりしたのが分かった。悪鬼を取り憑かせているわけでもないのに、この威圧感と禍々しさ。
 ――この男は、本当に人間か?
「そんじゃあ」
 平良が霊刀を握り直した。反射的に、大河と宗史も身構える。
「楽しませてくれよ?」
 ほんの一瞬だけ空白の時間が流れ、そして三人と一体、悪鬼が一斉に動いた。
「朱雀!」
 大河は素早く身を翻し、即座に反応した朱雀と共に来た道を引き返した。刀がぶつかり合う甲高い音を聞きながらロープをひょいと飛び越え、石段を駆け上がる。
 参道の両脇は急斜面だ。境内を背に右側はほぼ九十度に近い崖で、足元は枯れ葉に覆われているため、下手をすればそのまま転がり落ちる。下りるのは危険。となると、左側。壁のように迫る斜面を登るしかない。先程までいた場所の斜面は、垂直に近く高い。だが麻呂子杉の辺りは比較的緩やかになっていたはず。登るならそこからだ。本当は本殿の結界に悪鬼を近付けたくはないのだが、仕方ない。あれほど威圧されたのなら、攻撃することはないだろう。
 一気に階段を駆け上がる大河を、朱雀が追い越した。と思ったらくるりと振り向き、勢いよく火を噴いた。長い首を左から右へ振って、追いかけてくる悪鬼を焼き尽くす。後方の悪鬼が、炎に飲まれた仲間を置き去りにして分裂し、津波のように大きく浮き上がった。
 大河は、空気を揺らす低い呻き声に押されるように階段を駆け上がった。麻呂子杉を素通りし、傾斜がかなり緩やかになった低い斜面を、斜めに登る。枯れ葉で足を滑らせないように力を入れ、しかしできるだけ速度を落とさないよう、一気に。
 這いつくばるようにして登り切った時、朱雀が追いついてきた。大津波のような悪鬼が頭上を覆う。大河は歯を食いしばり、足にぐっと力を入れて強く地面を蹴った。
「うわっ、と!」
 枯れ葉で足が滑り、前のめりに体が傾いだ。とっさに左手をついて、つんのめりながらも走り体勢を立て直す。足を滑らせた場所に、悪鬼が覆いかぶさるようにして激突した。そこへ、長い首を後ろへ捻った朱雀がゴッと火を噴いた。ぎりぎりだ。
「ごめん、朱雀!」
 一つ謝りながら森の中へ駆け込む。足元は、地面が見えないほど雑草が生い茂っている。左側、数メートル先にある結界の壁がほのかな光を放ち、森を照らしている。見るには困らない。
森の中。相手は巨大な悪鬼。中からの調伏を警戒するはず。けれど分裂すれば護符の影響で近寄ることすらできない。ならば、分裂はない。大きい分、触手の数は多いだろうが、廃ホテルの時のように細かく分裂されるよりはマシだ。
 雑草を踏み分けながら結界の壁に沿って森の奥へと走る大河に、朱雀が追いついた。ほぼ同時に、左右から回り込んだ長細い悪鬼が目の前に滑り込んできた。
「く……っ」
 とっさに靴底で地面を擦って止まる。行く手を塞がれた。朱雀が背後につき、大河は霊刀を構えて視線を周囲に巡らせる。ぐるりと周りを取り囲んでいる。
 これは何体分の悪鬼なのか、おおよその見当すら付かない。元々悪鬼だったものもあるだろう。それに加え、浮遊霊や人が抱える邪気を集めて悪鬼化し、従える。千代の強大な力にも驚きだが、それ以上に、悪鬼ではないものを故意に悪鬼化させ戦わせるその根性が気に入らない。未練を断ち切って、きちんと成仏するはずだった浮遊霊もたくさんいただろうに。これではもう、転生できない。
 人を恨みながら人の想いを利用するなんて、矛盾している。――いや、恨んでいるからこそ、だろうか。
 大河は気持ちを落ち着かせるように深呼吸した。
 負の感情がどれだけ醜いものか、どれだけ辛いものか、痛いほどよく知っている。だからこそ、解放してあげなければ。
「朱雀」
 この状況を、被害を最小限に抑えつつ、自分と朱雀だけで対処しなければならない。だからといってすぐに方法は思い付かない。でも絶対に何か方法がある。島の時と同じだ。動きながら考えろ。
「後ろは任せた」
 こんな漫画みたいなセリフを口にする日が来るとは。でも、今の自分に一人でこの状況を打開できるほどの実力はない。朱雀が、任せろと言わんばかりに飾り羽を揺らした。
 頭上から結界が派手に火花を散らす音が降り、参道の方からは、微かに剣戟の音が響いてくる。左近も宗史も戦っている。今頃、宗一郎と明は巨大結界の発動、尚は二人の援護に全力を注いでいるだろう。樹や紺野たちは、各々の場所で戦っている。賀茂家で待つ藍と蓮や桜たち、下平の部下。北原も、今日のことを聞いて心配しているはずだ。
 何が何でも、巨大結界を発動させて生きて帰らなければ。
 悪鬼を鋭い眼差しで見据えたまま、ゆっくりと息を吸い込む。そしてぐっと息を詰め、大河は強く地面を蹴った。
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