第10話

文字数 3,414文字

 樹が軌道修正した。
「まあ何にせよ、楠井満流が島を絞り込んでたかどうかとか、いつあの島だと断定したのかとか、結局文献を見ないと分からないんだよね。誰が残したのかも、僕たちからしたら今さらって気はするし」
「まあな」
 怜司が同意したところで、話が途切れた。
 満流が学校をさぼっていたにせよ誰が文献を残したにせよ、敵側の潜伏場所が分かるわけでも、事件を終息させる策が捻り出せるわけでもないのだ。
「あの、すみません、ほんとだから何って話で。休憩中だったのに……」
 先程まで饒舌に語っていた奴と同一人物とは思えないほど恐縮した声だ。我に返って焦ったのだろう。
「構わないよ。皆、いい勉強になったようだ。ありがとう」
 まあね、そうだね、と声が上がり「すみません」ともう一度謝った省吾の声は、それでも安堵した様子の声だった。
「省吾くん」
 画面の中から明が少しだけ声を張り、宗一郎が携帯を近付けた。
「はい」
「晴の兄の、土御門明といいます。些細なことでも構わない。また、何か気付いたら連絡をくれるかい?」
「あ、はい。分かりました」
 携帯を引っ込め、今度は宗一郎が声をかける。
「省吾くん、報告をありがとう。これからもよろしく頼む」
「はい。こんなことで良ければ」
 嬉しそうで、けれど照れ臭そうな声。ふ、と口角を上げ、宗一郎は携帯を大河へ戻した。携帯を受け取り、スピーカーをオフにして耳に当てる。
「もしもし、省吾? 俺」
「あっ、大河お前……っ」
 スピーカーを思い出したらしい、言葉を詰まらせた省吾に、大河は小刻みに肩を震わせた。こんなに動揺する省吾は珍しい。
「大丈夫、オフにしたから」
「お前なぁ、いきなりやめろ!」
「だってしょうがないじゃん。宗一郎さんには逆らえませんって。無理無理」
 開き直ったような大河の言い草に、隣で宗史が噴き出し、宗一郎が何の話だと首を傾げ、右近と左近が笑いを噛み殺した。
「あー、まあ、分かる気がする。しゃべり方は穏やかだけど、なんていうかこう、圧を感じた」
「だろ? でも、省吾普通に話してたじゃん」
「そんなわけあるか。すげぇ必死だったわ。正直、明さんの方がまだ話しやすそうだった」
「分かる」
 笑い上戸という共通点はあっても、会合やふとした時に慄くほどの威圧感を放つのは宗一郎だ。あれが無自覚であれ故意であれ、恐ろしいことに変わりはない。
 省吾が脱力したように長い溜め息をついた。
「じゃあ、休憩中に悪かったな。お前もなんかあったら連絡しろよ」
「うん、分かってる。ありがとな」
 おう、と軽い返事を残して通話が切れた。
 大河が気安い話をしている間、ダイニングテーブルの方では地図アプリを使って向小島の散策が行われていた。景色がいいねぇ、海が近い、畑ばっかり、人がいない、これ大河んちじゃね、と感想が飛び交っている。地図アプリを作った人は、あんな何もない島にまで渡ったのか。いつの間に。
「田舎っつっても、本土の方はでかい商業施設もあるし、思ってたより街なんだな」
 弘貴の発言に、大河は苦笑した。どんな所を想像をしていたんだろう。島は畑だらけの「ザ・田舎」だが。
 大河が電話を切るタイミングを見計らっていたように、茂がぽんと一つ手を打った。
「さて学生の皆。問題だよ。山口と言えば?」
「壇ノ浦の戦い」
 げ、と思う間もなく美琴が即答し、
「吉田松陰っ」
 香苗が何故か気合たっぷりで答え、
「初代内閣総理大臣の伊藤博文」
 春平がさらりと続き、
種田山頭火(たねださんとうか)とか、中原中也(なかはらちゅうや)
 大河が答えると、一様に視線を寄越した。どういう意味の視線か考えなくても分かるぞ。
「山頭火は新山口駅に銅像があるし、中原中也は写真が印象的だったんで。山口市に記念館があるって、現国の先生が」
「あの帽子を被った写真な」
「僕、最初女の人かと思った」
「『汚れっちまった悲しみに』だったわね」
 怜司と樹と華が口を挟み、一人未回答の弘貴に視線が集まる。弘貴は腕を組んでうーんと唸り、やがて閃いたように顔を上げた。
「ふぐ!」
 まさか食べ物で来るとは。どっと笑い声が上がり、弘貴がだってと唇を尖らせて携帯をいじる。
「巌流島くらいは出て欲しかったなぁ。吉田松陰繋がりで高杉晋作とか」
「あっ、そっか」
 夏也が口を挟んだ。
「でしたら、詩人の金子みすゞも確か山口ですよね。『私と小鳥と鈴と』。小学校の教科書に載っていました」
「ああ、懐かしいなぁ。みんなちがって、みんないい。だね。東日本大震災の時にも、『こだまでしょうか』って作品がCMで使われてたね」
「あ、これ美味そう」
 山口の歴史や著名人を調べていたはずの弘貴が、話題とは関係ない感想を漏らした。
「何調べてるの、弘貴」
 春平が呆れ顔で指摘する。
「だってほら、これ。瓦そばだって。熱した瓦の上に蕎麦が乗ってんだぜ。気になんねぇ?」
 ああ、と反応したのは帰郷組みと、話を聞いていたらしい当主と式神で、留守番組はどれどれと身を乗り出す。確かに美味しそう、つけ麺みたいな感じかな、彩りが綺麗だねと各々感想を漏らし、最後に樹が聞いた。
「これ、お土産にないの?」
 昨日土産を渡す時に、他の土産は宅配で送ったと説明はしたが、中身は教えていない。一様に期待顔を向けられて、大河は得意げな笑みと共にピースを突き出した。
「宅配の荷物、それです。明日には来ると思います」
 言うや否や、わっと歓声が上がる。
「大河ナイス!」
「楽しみだねぇ。僕、山口のご当地グルメって初めてだよ」
「僕も、瓦そばって初めてです」
「どうせなら本格的にしたいよね。火天で焼けるし、どこかに瓦、落っこちてないかな」
「落ちてるわけないだろ」
「牛肉足りるかしら」
「買い出しに行った方がいいかもしれませんね」
「あたしお蕎麦大好き。美琴ちゃん、楽しみだね」
「そうね」
 すっかり盛り上がるダイニングテーブル組を眺めながら、大河は相好を崩した。まさかここまで喜んでもらえるとは。美琴の返事はそっけないけれど、心なしか浮かれているように見える。春平も笑顔だ。
「ああ、そうだ。それ俺らの分も一緒に入ってるから、間違っても食うなよー」
 どのみち寮へ行くのだから、送料節約のために一緒に送ったのだ。思い出したように張った晴の声にぴたりと会話が止み、携帯へ顔が向けられる。しばし流れた何とも言えない沈黙に、柴と紫苑が小首を傾げた。
 やがて、示し合わせたように全員が顔を戻した。
「瓦、探しに行く?」
「おい――――ッ!」
 何ごともなかったように話を戻した樹に、晴と志季の怒声が綺麗に重なり、宗一郎と明が噴き出した。
「大河」
「うん?」
 宗史が久々に口を開いた。振り向くとずいと迫られ、大真面目な顔でがっしりと両肩を掴まれる。
「死守しろ。厳命だ」
「いくらなんでも人んちのお土産食べないよ」
「樹さんを舐めるな」
 速攻で反論され、以前、弘貴のお菓子を食い尽したことを思い出した。さすがの樹でもと思うけれど、もしもという可能性を考えなければいけないのが樹だ。
「了解っす」
 頷くと、宗史はよしと言って体を引いた。桜が楽しみにしているんだ、と誰に言うでも呟く宗史の目は据わり切っている。必死になる理由はやっぱりそこか。
 食ったら一生恨むからな、燃やすぞお前ら、とぎゃんぎゃん喚き立てる晴と志季を無視し、ダイニングテーブル組はひとしきり盛り上がっていた。
 と、樹がけらけら笑いながら背もたれに体を預けた。
「まあでも、明日は無理かな。せっかくなんだから、ゆっくり味わいたいし」
 何気なく樹が言った言葉に、今までの盛り上がりが嘘だったようにしんと静まり返る。明日はきっと、瓦そばに舌鼓を打っている余裕はない。
「楽しみができたな」
 不意に、怜司がそう口にした。虚をつかれたように皆一瞬目を見開き、思い思いに顔を見合わせる。
「そうだね」
 穏やかに、けれど強く頷いた茂に、弘貴たちは頷きで答えた。そして、一同宗一郎へ視線を投げる。
 争奪戦の報告は昨日の昼間に宗史がしているし、昨日の件は左近と報告書で十分だ。それなのに宗一郎と明が会合に参加したのは、明日の話しをするため。
 全員からの視線を浴びて、宗一郎がゆっくりと口を開いた。
「では、明日のことについて話そう」
 そう言って告げられたのは、コンビと担当箇所。出発時間や移動方法。小さな意外はあったが、全員の実力を考慮した上での判断は、妥当でもあった。
 そしてそのあと、柴と紫苑から一つ報告がなされた。

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