第1話

文字数 4,802文字

 昨日、正午に面会の約束を取り付けた沢渡(さわたり)に会うべく、紺野(こんの)北原(きたはら)は午前九時半過ぎに京都を出発した。
 京都市から神戸市までは二時間かからない。だが、夏休み真っ只中ということもあり、高速が混むことを予測してかなり早めに出発した二人の元に、土御門明(つちみかどあきら)から一本の電話が入った。
「俺だ。どうした」
 犬神の件以降、あれこれと調査を頼まれ、何度となく電話やメールを繰り返しているせいか、すっかり口調が砕けてしまった。
「お疲れ様です。今、大丈夫ですか?」
 明の方も口調は変わらないが、かしこまった声色がずいぶん柔らかくなった気がする。
「ああ、いいぞ。何かあったか?」
「実は、お知らせしておきたいことと、調べて頂きたいことがありまして」
「またか。今度は何だ?」
 仕方がないと分かってはいるが、これで何度目だろう。溜め息交じりに尋ねると、明が苦笑を漏らした。
「昨日の深夜のことなんですが――」
 明はそう前置きをすると、耳を疑うような話をした。
「それ、本当か……?」
 紺野の訝しげな声に、北原がちらりと視線を投げた。
「ええ、何か気になることでも?」
「いや、また復活してるってことに驚いただけだ。それで調べて欲しいことってのは、もしかしてその現場の防犯カメラの映像か?」
「はい。さすがですね」
 この口先だけの称賛はいい加減どうにかならんのか。紺野は白けた表情を浮かべた。
「お褒めいただき光栄だ。つーか、それ管轄は下京署……ああ、そうか、なるほどな」
「ええ。二人の報告によると、顔をしっかり隠していたらしいので、おそらく科捜研の方に回るかと」
「そうだろうな。ったく、そこまで考えて俺に連絡寄越したのか」
近藤(こんどう)さんでしたか、極秘に資料を渡すほど仲がよろしいようですし、少しの融通は利くかと思いまして」
「あのなぁ、誰と誰が仲が良い……」
 それは聞き捨てならない。何故近藤と仲が良いと思われるのか。悪いわけではないが良いわけでもない。仕事上の付き合いだ。確かに何度か家に泊めたり飯を食わせたりはしたが――。
「断じて良くねぇッ!」
 一般的にそれは仲が良いと言われるのではないか、という考えがよぎり、紺野は全身に立った鳥肌に身震いした。突然の憤慨した声に北原がびくりと体を震わせた。電話の向こうでは明がくつくつと笑い声を漏らしている。こいつわざとおかしな言い回しをしやがった。
 上手く戯れを回避したつもりが結局これだ。いちいち反応してしまう自分の単純さも悪いが、こちらの性格を把握した上でわざと癪に障ることを言う明も相当な悪趣味だ。
 紺野は舌打ちをかまし、とにかくと話を戻す。
「今、出先なんだよ。一応近藤に確認は入れるが、あいつの仕事の都合にもよるし報告はいつになるか分からん。それでもいいか」
「ええ、構いません。できれば犯人の画像を送ってください。それと舞鶴の件ですが、こちらで調査中です。玖賀家(くがけ)について詳細が分かり次第、寮の皆に伝えるつもりですので、他言無用でお願いします」
 会合で調査は宗史(そうし)(せい)の担当だと言っていたから、あの二人がしているのだろう。
「分かった。じゃあそっちも何か分かったら教えてくれ」
「分かりました、では」
 すんなりと通話が切られ、紺野は深い溜め息をついた。狸二人を兄と父と上司に持つあいつらは大変だろうな、と思わず同情の念が生まれた。
「ど、どうしたんですか? 明さんですよね?」
 ちらちらと横目で視線を投げつつ、北原が恐々と尋ねた。
「いつものことだ。それより、新しい情報が入った」
「ああ、何か引っかかってたようですけど……」
 紺野は携帯を内ポケットにしまいながら、神妙な面持ちで明からの報告を伝えた。
「――それが、昨日の深夜一時頃だそうだ。あいつらは、千代の力と酷似してることから、千代(ちよ)は復活してる、つまり事件の関係者だと判断した。で、昨日の夜、調書の確認のために下京警に行ってる」
「鬼に続けて千代もですか……」
 北原は眉を寄せて溜め息をついた。
「樹くんのこと、下平(しもひら)さんは知らないんでしょうか」
「いや、知ってるだろうな。昨日連絡があった時、あの人、何か言いかけたんだよ。多分そのことだ」
「でも、それじゃあ何で俺たちに話してくれなかったんでしょう」
「さあな。こればっかりは直接本人に聞くしかねぇ」
 明の報告を聞きながら、樹と怜司が遭遇した事件、アヴァロンに流れる噂、そして鬼代事件全てが繋がるかもしれないと気付いた時、愕然とした。何故、ここまでする必要があるのかと。
 ただ、三つを繋げるための絶対条件があまりにも曖昧だ。その条件が満たされるという保証がないのに、わざわざこんな手の込んだことをするだろうかとも思う。しかし、もし条件が満たされ三つが繋がった場合、一つだけ断言できることがある。
 紺野は低く唸り、乱暴に頭を掻いた。
「しょうがねぇ、本人に直接聞くか」
「下平さんにですか?」
 ああ、と頷きながら紺野はしまったばかりの携帯を取り出した。この時間帯は、もしかすると仮眠中か自宅で寝ているかもしれない。だが、できるだけ早くはっきりさせておきたい。着信だけでも、と紺野は下平の番号へ繋いだ。
 コールを五回ほど鳴らして、紺野は通話を切った。
「繋がりませんか?」
「ああ。寝てるんだろ、深夜勤だろうしな」
 携帯をしまおうとして、そうだと再び携帯を操作した。近藤に例の防犯カメラの映像を確認しておかなければならない。
 こちらもコール五回鳴らして繋がらず、しかし切ろうとした間際に繋がった。
「何!?」
 開口一番、苛立った声が耳に飛び込んできて、思わず顔を歪め携帯を離した。まだずいぶんと機嫌が悪そうだ。
「俺だ」
「分かってるよ! 何か用!?」
 声の向こうでせわしなくキーボードを叩く音がする。パンッ、とキーを力任せに叩いたような音が響いた。ここは下手に出た方が賢明か。
「忙しいとこ悪いな。聞きたいことがあるんだが、いいか」
 突然沈黙が流れた。電波は悪くないはずだが。近藤? と口を開きかけた時、怪訝な声が余計なことを言った。
「何、その殊勝な態度。気持ち悪いんだけど」
 人が下手に出たらこれだ。だが冷静さは取り戻したようで、選択は正しかったとも言える。しかし「気持ち悪い」は心外だ。少々複雑な思いで、紺野はとにかく聞き流すことにした。
「下京署の少年課から、防犯カメラ映像の解析の依頼が来なかったか」
「下京署? どうだろう、僕は聞いてないけど。何? 今度は下京署の事件と関係してるの?」
「断定はできねぇけどな。ちょっと気になることがあるんだよ」
「ふぅん。分かった、ちょっと待って。聞いてくる」
「ああ」
 ここで「悪いな頼む」などと言うとまた余計なことを言われるのでやめておいた。
 携帯を持ったまま移動したのか、電話の向こう側で何やら話し声が聞こえてくる。しばらくして、今度は呆れた声で近藤が電話口に出た。
「下京署から来てたよ、解析依頼。今やってる。でも、これさぁ」
「何だ?」
「さすがにこの映像から犯人の顔を割り出すのは無理だよ」
「そんなに悪いのか」
「それもあるけど、顔自体がほぼ映ってないんだよね。もし前歴があるのなら照合できるけど、どうかなぁ、ちょっと荒いよねぇ、この映像」
 顔を割り出すのは無理と言いながら、前歴があるのなら照合できる、という理屈が分からない。紺野は首を傾げた。
「どういうことだ?」
「ああ、耳介認証(じかいにんしょう)って言って、耳で個人の判別ができるんだよ。耳の形は指紋と同じで個人個人違うし、ほとんど変わらないって言われてるから。この犯人、耳が出てるからね」
 なるほど。前歴者なら写真が残っている。そこから照合が可能というわけだ。だが前歴がなければ分からない。これで鮮明化限界なの、そうなんですよ、と困ったような唸り声を漏らす所員との会話が聞こえた。どうやら防犯カメラから犯人特定は難しそうだ。
 しかし、映像の確認はしておきたい。
「近藤」
「うん?」
「その映像、いつ下京署に戻す?」
「この感じなら今日中に……終わるってさ」
 所員と目配せでもしながら話しているのだろう。
「確認しておきたいから、夕方くらいまで待てないか。必要なら俺が鑑定書届ける」
 届けてくれるって言ってるけど、と伝える声が聞こえる。
「分かった。こっちも手間が省けるし、来る前に連絡ちょうだい」
「分かった。じゃあ頼んだぞ」
「うん」
 近藤の返事を聞いて通話を切ると、紺野は眉を寄せて液晶画面を見つめた。やけにすんなりこちらの要求を飲んだ気がする。それこそ気味が悪いが、電話に出た時の機嫌の悪さといい、仕事に忙殺されてそれどころではないのだろう。
「近藤さん、どうでした? 機嫌悪そうでしたけど」
「忙しいみたいだな、こっちもいつものことだ。それより、映像解析の依頼、やっぱり来てるらしい。神戸から戻って直接科捜研だな。下平さんの方は連絡次第だ」
「分かりました」
 できれば科捜研から下京署の順が助かるが、下平も仕事があるし無理強いはできない。
 今度こそ携帯を内ポケットにしまい、紺野は代わり映えのしない高速の風景に視線を投げた。
 樹の件に関しての推理は、正直複雑だ。条件次第で複数の推理が成り立つ。しかも、成り立つだけで確証が一切ないし、所どころ謎が残る。一番手っ取り早い方法は、本人に問い質す。もしくは、当主二人に意見を求めるか。
 ただ一つ引っ掛かるのは、明からの報告の中に、樹の噂の話が出なかったことだ。話す必要がないと判断したか、樹が報告を上げていないか、もしくは下平が話さなかったのか。
 下平に会って話が聞ければ、その謎は解ける。
「北原」
「はい?」
 紺野は車窓から視線を前に移した。
「少し長くなるが、聞くか」
 北原はちらりと紺野に視線を投げ、真剣な面持ちで頷いた。
「はい」
 紺野は、淡々と推理を語った。ピースが欠けたパズルか虫食い問題のような推理を、北原は黙って聞いていた。
 話しを終えた後、しばらく何かを考え込んだ北原は神妙な面持ちで口を開いた。
「紺野さん」
「うん?」
 振り向くと、北原は眉根を寄せて言った。
「あの噂、不自然だって言いましたよね」
「ああ」
「推理を聞いて思ったんですけど、もしかして、内容はどうでもよかったんじゃないでしょうか」
「どういうことだ?」
「とにかく樹くん、もしくは自分に似せた噂を流すこと自体が目的だったんじゃないかと」
 紺野は眉間に皺を寄せ、そうかと呟いて顎に手を添えた。
 二人が同一人物であれ別人であれ、とにかく樹に似た人物がいると匂わせることが目的だった。同一人物だった場合はおそらく冬馬たちへ、別人の場合は樹へ向けて。
「なるほど、確かにそう考えると納得できるな」
 樹、除霊師、高額の依頼料、アヴァロンのキーワードが入っていれば、不自然だろうが矛盾していようが構わなかった。とにかく関係者の耳に入れることが目的で、それは達成された。
 紺野はわずかに口角を上げて、北原を横目で見やった。
「お前、最近冴えてんな」
「最近ですかぁ?」
「最近だ」
 北原は、えー酷い、と不満気な声を上げた。
「北原」
「はい?」
 視線を前に向け、静かな声で問う。
「下平さんの回答次第では、協力を仰ぐかもしれない。いいか」
 含んだ言い回しに込めた意味を察したのか、北原は顔を引き締めた。
「はい」
 下平の協力が必要になる。そんな予感を抱え、紺野と北原は神戸へと車を走らせた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み