第14話

文字数 3,577文字

 よくよく考えてみれば、今から帰る場所には内通者がいるのだ。当然、こちらが内通者の存在に気付いたことも知っている。今まではいると確定されていなかったから普通にしてこられたけれど、この事件で断定されてしまった。
 どんな顔をして帰ればいいのだろう。皆といつも通りに接する自信がない。男たちに殴られ、悪鬼に受けた傷以上に胃が痛む。いや、これは腹が空き過ぎているせいか。
 浮かない顔で窓の外を眺める大河を、陽がひょいと覗き込んだ。
「大河さん、大丈夫ですか?」
「……うん……」
 振り向き、視線を落としたまま漏れた煮え切らない返事に、陽が眉を寄せた。
「大河さん」
 体勢を戻す陽に視線を向ける。
「僕、この事件が起こる前は頻繁に寮に行ってたんです。勉強を教わったり訓練をしてもらったり」
 突然どうしたのだろう。大河は首を傾げ、宗史と晴がルームミラー越しに一瞥した。
「皆さん、いつも楽しそうに笑っていました。正直言って、内通者のことは信じたくありません。けど思ったんです。僕たちの情報を流していても、それが本心だとは限らないんじゃないかって」
「……嫌々してるってこと?」
 はい、と陽は笑顔で頷いた。
「あるいは、迷っているとか。初めは内情を探るために寮に潜入したんだと思います。でも、毎日あんな風に楽しくて優しくされたら、人間って少しずつ癒されるんじゃないかと思うんです」
 あ、と気付いた。陽は、両親を亡くしているのだ。いつどんな形でかは知らないが、その時皆がいて、癒されたのだろう。また自分もそうだった。影正を殺害され、自分を責めた。けれど両親や省吾たち、宗史と晴のおかげで前を向けた。そしてここで、皆の明るさに救われた。皆がいるから、笑っていられる。
「今日の樹さんの話を聞いて、余計にそう思いました」
「樹さん?」
「はい。だって樹さん、寮に来た時ちょっと……」
 困り顔でふっと噴き出した陽に釣られた宗史と晴が、喉を鳴らして笑った。以前、華が心底ひねくれていたと言っていたことを思い出す。
「樹さん、昔どんなだったの?」
 そうですねぇ、と呟きながら思案する陽の横顔は、やっぱり明に似ている。
「この世の全て僕の敵! みたいな感じでしたね」
「警戒心が強かったってこと?」
「はい」
 あれだけのことがあったのだから仕方ないと思うが、大河からしてみれば初対面があれだっただけに、どちらかと言えば人懐こい印象の方が強い。大河は宗史と晴に顔を向けた。
「宗史さんと晴さんはどんな印象だった?」
「凶暴な野良猫」
「左に同じ」
 即答だ。茂もすごかったと言っていた。これは相当だったのだろう。でも今は、あれだ。
 ははっと笑った大河に、陽が笑みをこぼした。
「油断しちゃいけないのは分かってます。でも、心変わりしてるかもって思ってもいいんじゃないでしょうか。……甘いですかね?」
 不安気に俯いた陽をじっと見つめ、大河は首を横に振った。
「そんなことない。俺も、そう思いたい」
 大河と陽は顔を見合わせて微笑んだ。
 内通者は、過去にこの世を滅ぼしたいと思うほど傷付いたのだろう。今でもなお、情報を流しているのは確かだ。でももし陽が言うように、皆と生活をする中でその傷が少しでも癒されていたのならば、気持ちが変わり始めているかもしれない。
 油断は禁物だ。皆の命がかかっている。けれど、信じることはできる。心変わりをしていると信じて、今まで通り普通に接して笑っていれば、迷いも消えるかもしれない。
 宗史と樹が言っていた、事態が大きく動くまでどのくらい時間があるのか分からない。それまでにこちら側に気持ちを傾けることができれば、助けられる。これ以上、罪を重ねないように。
 大河は無意識に入れていた肩の力を抜いた。
「陽くん、ほんと俺よりしっかりしてる」
 北原に礼を言った時もそうだったが、中学二年生でここまで考えらえるものだろうか。
「いえ、そんな……」
「そりゃあ俺の弟だからな」
「明さんの弟だからだ」
 自慢気に口を挟んだ晴に宗史が即座に訂正を入れた。
「同じことだろ、兄弟だぞ」
「受ける印象が違う」
「どういう意味だ!」
「言葉の意味そのままだが?」
「蹴り落としてやりてぇ……っ」
「死にはしないだろうから、殺人未遂だな」
「可愛くねぇなお前はほんとにもう!」
 ぎりぎりと奥歯を鳴らす晴と、涼しげな顔で前を見据える宗史の諍いに、大河と陽は苦笑した。いつも通りのやり取りに、ほっとする。
 すっかり日が変わった時間、住宅街は静まり返り車のエンジン音が必要以上に響く。
 昼間、寮を出るや否や閉じられた正面の門は開かれ、吸い込まれるように車を乗り入れた。腹減った、眠い、風呂入りたい、と口々にぼやきながら車から降りたはいいが、志季たちがまだ見えない。
 とりあえず玄関前に集まりながら待つ。
「宗史くん、柴と紫苑が一緒って報告してるんだよね」
「はい」
「それじゃあ、大丈夫かな……」
 ぼそりと呟いた樹の言葉で今さら気付き、大河は困った顔で俯いた。
 春平と昴、茂と香苗、そして双子は公園で鬼に襲撃されているのだ。同じ鬼とはいえ柴と紫苑は違う、公園で助けてくれただろ、と自分に言う権利はない。何せ、一番初めに柴と紫苑を責めたのは自分だ。もし春平たちが怖がったとしても、何も言えない。
「大河、大丈夫だ」
 唐突に言われ、大河は向こう側の屋根に視線を投げる宗史を見やった。
「彼らが正気なことも、助けられたことも報告している。……俺がいい例だ」
 最後に付け加えた意味が一瞬分からなかった。逡巡して思い出す。宗史は島でも賀茂家での会合でも、柴と紫苑を頑なに拒んでいた。
「二人のこと、信じた?」
 大河も視線を投げる。
「……どうかな。でも、危害は加えないだろうと判断した。だから連れてきた」
「そっか」
 まだ少し迷っているようだが、昨日と今日の事が決め手になったのだろうか。
「よかった」
 ふっと笑みを浮かべた時、地面を滑りながら志季が着地した。続けて柴と紫苑、最後に椿がふわりと降りてきた。
「悪い、ちょっと遅れた」
 志季が両手を腰に当て、深い溜め息をついた。相当お疲れのようだ。
「御苦労様。報告が終わったらすぐに戻って構わないから、もう少しだけ我慢してくれ」
「それはいいけど、とにかく何か食わせろ、風呂入りてぇ」
 風呂好きなのだろうか。廃ホテルでも風呂に入りたいとぼやいていたが、神様も風呂に入るのか。檜風呂や岩風呂や露天風呂に入っている場面が浮かびかけて、大河は勢いよく頭を振った。誰を想像したのかは墓場まで持って行く。
 俺って罰当り、と自己嫌悪に思わず顔を覆った大河を、陽と椿が首を傾げて見ている。
「分かった分かった。帰って一緒に風呂入ろうなー」
「アホか入らねぇよッ!」
 晴のうんざりした軽口に志季が鋭く突っ込んだ。
「もー、イチャつくなら後にしなよ。早く入ろー」
「イチャついてねぇッ!」
 今度は気だるそうな樹のからかいに晴と志季が同時に突っ込む。やはりこれはこれで仲が良いのだろう。息がぴったりだ。
「お前が余計なこと言うからイチャつくとか言われんだぞ」
「お前が文句ばっか言うからだろ」
「文句じゃねぇ要求だ」
「普段神だなんだって威張り腐ってるわりにはせこい要求だな」
「そのせこい要求すら叶えらんねぇお前は甲斐性なしだろ」
「叶えてやろうとしたのにお前が拒否ったんじゃねぇか」
「何で俺がお前と風呂入らなきゃなんねんだ。さみしがり屋か」
「違ぇよ、主様の背中流せっつってんだ」
「むしろ神の背中流せ」
 侃々諤々(かんかんがくがく)な晴と志季、それに深い溜め息をつく宗史、未だ自己嫌悪から立ち直れない大河に、心配する陽と椿、少々呆れ気味の紫苑と無表情で皆を見つめる柴を引き連れ、うるさいな、と怜司がぼやいた。
「もう、晴くんと志季うるさい!」
「ああ!?」
 先頭を行く樹の叱咤に、二人が同時にドスの利いた声を上げた。
「てめぇ樹、そもそもだなぁ……っ」
「ただいまー!」
 志季の苦言を遮り、樹が勢いよく玄関扉を引っ張り開けた。とたん、リビングの扉が乱暴に開かれる音が響き、複数の足音が鳴った。聞けよ! と噛み付く志季を後ろから陽と椿が押し込み、ぞろぞろと土間へ入って行く。
 数秒後、華の悲鳴が寮内に響き渡った。
「あんたたちそのまま入るんじゃないわよ、庭で水浴びてきなさい! 柴と紫苑ね!? あんたたちもよ!」
 初対面で臆するどころか追い出された柴と紫苑の、
「……女は、いつの時代も強いものだな」
「そのようです」
 と妙に感心した様子の会話に、帰還組がどっと笑い声を上げた。
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