第2話

文字数 5,822文字

 寮の玄関で靴を履き、「お疲れ様でした」「気を付けて」と労いの声に見送られ、紺野(こんの)と下平は寮をあとにした。
 住宅街ならば、そろそろ寝静まろうかという時間。しかし、先程の騒ぎもあって家々の明かりはそこかしこで灯ったままだ。不安で警戒しているのだろう。しかし人通りは少なく、一人の中年のサラリーマンが携帯で会話をしながら足早にすれ違ったくらいだ。地震がどうとか、安否を確認するような言葉が聞こえたので相手は家族だろう。
 そんな住宅街の中を、申し訳ない気持ちを抱えつつ、二人は笑いを噛み殺して大通りへ向かう。話す時間を確保するように、その足取りはゆっくりだ。
「当主っつっても、やっぱ人の親だな」
「ええ」
 あのあとのことだ。寮の門へ向かう途中で、宗一郎に楠井(くすのい)親子の犯歴を調べるように頼まれた。署に戻る下平がそれを受けると、宗一郎が急に「あっ」と声を上げた。何ごとかと思ったらぽんと手を一つ打ち、志季にこう言った。
「志季、悪いが髪をくれ」
 と。志季は驚いた顔をしたのち、困惑と不可解が混じった何とも言えない顔をした。
 宗一郎によると、神の髪は護符になるらしい。護符を今から描くと乾くのに時間がかかるため、ひとまずそれで代用するのだと言う。
 ああなるほど、と納得しながら志季が髪を一房切り落とした瞬間、今度は大河(たいが)があっと声を上げた。
「そういえば、前に宗史さんが描いてくれた護符の予備が、あった……んだ」
 時すでに遅しとはこのことだ。振り向いた志季が目を引ん剥いて大河の頭をがっしり掴み、早く思い出せてめぇこの野郎と凄んでいる間に、下平が切り落とされた髪をしぶしぶハンカチに挟んだ。いくら護符になると言われようが有難い神の髪だろうが、髪は髪。持ち歩くのは不気味だろう。それでもちゃんと受け取る下平は大人だ。
 明日も来るからと言って、お守り袋も一旦断り、今に至る。
 もう少し早く思い出していれば、その分大河も早く思い出していただろうし、志季も髪を切らなくてすんだだろう。おそらく、宗一郎は宗史のことが心配で忘れていたのだ。
「まあ、俺も忘れてたから人のこと言えねぇけど」
「樹ですか」
「ああ。護符とか傷のこともそうだが、あいつのこともあって来たんだ。でもまあ、ちょっと過敏になってたけど、大丈夫だろ」
 死なないでと告げられたことだ。栄晴(えいせい)や冬馬たちだけでなく、怜司(れいじ)までも被害者だった。激怒するのは当然だし、そこへ下平までも負傷すれば、過剰に反応するのも当たり前だ。紺野は樹の真剣な面持ちを思い出し、苦笑した。
「またずいぶんと熱烈な告白でしたね」
「変な言い方すんな。あれはな、脅迫って言うんだよ。別に死ぬつもりなんかねぇけど、意地でも死ねなくなったじゃねぇか」
 渋い顔をした下平に、紺野は短く笑った。確かに、あれはこれ以上ないほど効果抜群の脅迫だ。
「……大丈夫か?」
 不意に、渋い顔を収めた下平が遠慮がちにぽつりと呟いた。紺野は目を落とし、薄く笑みを残したまま、ええと頷く。
北原(きたはら)のお手柄です」
 だな、と下平は溜め息と共に吐き出した。
 (すばる)が内通者だと判明したのは、北原が襲われた日。宗一郎は他にも理由がある口ぶりだったが、決定打はあのメモ帳だった。
「朝辻昴。母親の噂。入院。派遣バイト。ネットカフェ。二年前に失踪。一年前に入寮」と書かれた箇条書きのメモは、「母親の噂」「派遣バイト」「ネットカフェ」の部分が二重線で消されており、横には「嘘」と書かれていた。
 朝辻豊(あさつじゆたか)から聞いた正体不明の男は、間違いなく北原のことだ。朝辻から情報をもらった日の三日ほど前といえば、非番の日。あの日、北原は午後から彼女と会うと言っていた。おそらく午前中に足を運んだのだろう。
 北原は車を持っていない。電車とバスを使い、同じバス停で降りた客に朝辻神社の場所を聞いた。それが偶然近所の住民らで、「派遣バイト」を昴に会いに来た理由として使った。住民らは色々聞いたらしいから、これ幸いと便乗し「どうしてそんなこと聞くんですか?」などと聞き返したのだろう。あれでも刑事だし、人当たりもいい。聞き込みに向いている。
 その際、養子の話が出て、殊勝な顔で「実の親はどうしてるんですか?」と尋ねれば、噂が本当なら口ごもるなりの曖昧な反応が返ってくるだろう。しかし返ってきたのは、おそらく朱音(あかね)と昴への同情や心配の言葉。こればかりは北原から直接聞くしかないが、多分間違っていない。そうでないと「嘘」と判断しない。
 では、何故昴が嘘をつく必要があったのか。理由は一つだ。
 失踪したのは、初めから敵側と合流するため。だから本当のことを言えず、嘘をついた。一年間バイトをしていたというのもでまかせだ。そうなると、二年以上前から敵側の誰かと接触していたことになる。いつ、どこで、誰とどう出会ったのか。また、文献を持ち出したのも間違いなく昴だ。
 文献が朝辻神社に残されていたいきさつは相変わらず不明だが、内通者と文献を盗んだ犯人は判明した。しかし、これはこれで新たな謎が出てきた。
 一つ目。何故、昴は調べればすぐに分かるような嘘をついたのか。例え紺野が身内の甘さから信じたとしても、北原がいる。北原がすぐに報告していれば、容易に拘束されていた。
 二つ目。こんな事件を起こすほど三宅を恨んでいたことは分かるが、そもそもどうやって三宅のことを知ったのか。三歳の頃の記憶、それも家にほとんどいなかった父親のことなど、覚えているものだろうか。
 三つ目。メモを見た時、北原が襲われた原因はこれかと思ったが、すでに調べたあとだし、近藤によると私物を奪おうとするような素振りはなかったらしい。北原を襲った理由は、結局分からずじまいだ。
「それにしても」
 溜め息まじりの声に、紺野は我に返った。
「俺ら、見事に踊らされちまったな」
 下平の自嘲と悔しさが混じった苦笑いを見て、紺野は渋面を浮かべて嘆息した。
「まさか、加賀谷(かがや)管理官の名前を知っているとは思いませんでした」
「まあなぁ。でも、例え怜司の身辺を調べても、さすがに分からなかっただろ」
「ええ、横領のことまではさすがに。桂木香穂(かつらぎかほ)の家族の居場所が分かっても、口を閉ざしたでしょうし。それに、事故を指揮していたといっても警部でしたから、どう考えても(あきら)たちと接触しているとは思えなかったんですよね」
「そうなんだよなぁ。あの事故が計画殺人だって知ってたわけだし、実際に明さんたちは加賀谷を知らなかったしな」
「ええ……」
 警部は管理職だ。部下をまとめ、捜査の指揮するのが役目であり、捜査には滅多に出ない。
 さらにもう一つ。加賀谷が、栄晴の事故、少女誘拐殺人事件、鬼代事件を担当し、何かを隠しているのは間違いない。もし本当に加賀谷が協力者だったのなら、栄晴の事故は事故ではないかもしれない。加賀谷は真実を知っていて、ならば被害者遺族とは接触しないだろうと思ったのだ。だから加賀谷の確認印がある少女誘拐殺人事件のファイルを渡したことを重要視しなかった。しかし、明たちはあの時点ですでに怜司の件から加賀谷の名前を知っていた。警察のデータでは桂木香穂は自殺で処理されており、裏で横領事件が絡んでいるなど誰が考えるだろう。
「確か、鬼代事件の管理官って一回代わってるんだよな」
「ええ」
「加賀谷自らが買って出たってことはねぇよなぁ」
「俺もそれは考えたんですが、草薙の証言を聞く限りないと思います。管理官が交代したのは、少女誘拐殺人事件が解決したあとです。タイミング的に白羽の矢を立てやすかったんでしょう。……複雑だったでしょうね」
 下平は深い溜め息をついた。
「怜司の件といい。偶然なんだが必然なんだか……」
「さあ、俺には何とも……」
 昼間、昼食のあと、トイレに行ったついでに携帯を確認すると、宗一郎からメッセージが入っていた。会合時間と、仕事が終わってからすぐに連絡が欲しい旨が書かれてあった。
 一旦帰宅し、玄関扉を閉めながらすぐに宗一郎へ電話して、全貌を聞いた。
 宗一郎たちが初めて加賀谷の名を知ったのは、草薙の横領の証拠からだったらしい。
 栄晴の事故から四年もの間、彼らは岡部を探したが全く進展がなかったと言う。そんな時に、栄明(えいめい)郡司(ぐんじ)が怜司と出会った。二人は怜司から事情を聞き、彼が「視える」体質であることを知り、さらに当時から既に霊力のコントロールができるようだと分かり、六年前の事故と寮のことを話した。双方の目的は一致しており、怜司は本来の目的を隠したまま、入寮した。
 岡部の行方を追いつつ、一方で草薙の横領について調べるうちに、「カガヤトシユキ」という名が浮上した。金の流れから、草薙と繋がっていることは確実だが、事故に関与しているのか、一体どこの誰なのか、何者なのかまではさすがに分からなかった。
 そんな時に、鬼代事件が起こった。
 紺野と北原から犬神事件のことを聞き、少女誘拐殺人事件の捜査資料を渡され、「加賀谷」という確認印に気が付いた。もちろん名字だけで同一人物だと断定できない。けれど、もし同一人物であり、六年前に下鴨署に勤務していたと仮定すると、栄晴が何故あのタイミングで殺害されたのかの説明がつく。
 けれど、あくまでも仮定だ。ただ一つ確実なのは、警察関係者、特に少女誘拐殺人事件の捜査員の中に協力者がいる可能性が高いということだけ。
 つまり宗一郎たちは、近藤(こんどう)も疑いつつ、初めから加賀谷を探らせるために紺野と北原に推理を話したのだ。仮定が正しければ六年前の事故に行きつく。そうすれば、必ず調べるだろうと踏んだらしい。
 さらにそこへ、ホームレスの「主」からの情報だ。若い男の警官が岡部のことを聞きに来た、と。紺野には監視が付き、北原は負傷。となると、動けるのは下平だけ。榎本(えのもと)の件で、部下がいることは宗一郎たちも知っている。指名手配されているといっても、六年前に逃亡した男をわざわざ探しに来る警察官は限られている。部下をうまく言いくるめて探させたのだろうと思い、紺野たちが加賀谷のことを調べていると確信した。
 そして今日、捜査本部に届いた合成映像。
 紺野は密かに息をついて気持ちを切り替えた。
「下平さん、会合の報告をしておきます」
「おう、頼む」
 下平は宗一郎から全て聞いている。あの時、車酔いで一歩遅れて合流し、聞き損ねた美琴(みこと)の取った行動はもちろん、楠井と草薙が出会った経緯と犯人たちの名前、ボイスレコーダーのことを含めた志季からの報告、そして草薙たちへの処分内容を伝えた。
 下平は悩ましい声を漏らし、まずは彼らしい部分に気を止めた。
「まさか自分からとは……。まだ一年だし仕方ないとは思うが、楽観視できねぇな」
「ええ。香苗(かなえ)の件の時も過呼吸を起こしたらしいですし」
 あの時、昴は「度胸がいい」と言ったけれど、あんなもの度胸とは言わない。ただの自暴自棄だ。これから先、もしまた同じことがあったらと思うと看過できない。
「お前ら全員に止められて、賀茂さんにもあんなふうに言われたのならと思わなくもねぇけど、美琴がどう捉えるかだな」
「素直に受け取ればいいんですけど」
「トラウマがある上に、繊細な年頃だからな。樹たちがいるし大事にはならねぇだろうけど、明日隙を見て(しげる)さんにでも聞いてみる。熊田(くまだ)さんたちにも話しておく」
「はい、お願いします」
「で、やっぱ榎本が見たのは弥生(やよい)だったか」
「あれで全員だとしたらそうなります。もう一人は玖賀真緒(くがまお)ですね」
「犬神の術者か……。玖賀って、確か舞鶴の旧家だったよな。何か聞いたか?」
「いえ、まだ。明が調べるとは言ってましたけど」
「明日、報告があるかもな」
「ええ」
 下平はうんざりした顔で息をついた。
「それにしても、蘆屋道満が出てきたか」
「大戦時にどうしていたのか気にはなりましたけど、本当に絡んでくるとは思いませんでした。本格的に小説やドラマみたいな展開になってきましたね」
「確かに」
 下平は短く笑った。
「蘆屋、今は楠井だったか。父親の道元(どうげん)の情報は何もないみたいだけど、何やってんだろうな。加古川市って、神戸市よりもっと西だったか?」
「多分」
「んー、京都から行き来するにはちょっと遠いか。自宅に行ったことないって証言は本当かもな」
「俺もそう思います。初めにホテルを指定したのも、警戒したんでしょう。三、四年前だと、防犯カメラ映像も残ってないでしょうね」
「だな。それに、足がつく危険があるから悪だくみをするならなおさら会わねぇだろうし、今の世の中携帯一つで何でもできる、って、携帯持ってないんだったな。嘘って可能性もあるけど」
「もしかすると、それも計算のうちだったのかもしれません」
「初めから潜伏場所を変えるつもりだったのか。ったく、一体どこまで考えてんだ……」
 楠井道元は相当頭が回る、というより、ずるがしこいと言った方がしっくりくる。
「ああ、そうだ。電話番号を越智さんに渡していたので、犯歴が出なければ越智さん頼りです」
「エクシードならすぐ分かるだろうけど、他社だったらちょっと時間かかるかもな」
「ええ。それと、息子の満流(みつる)ですが……、どう思います?」
 窺うように尋ねると、下平は鼻から息を吐き出した。
「そうだなぁ。心霊スポットにいたのは、単純に考えれば除霊か? 廃ホテルの時、宗史たちもあそこに調査に来たって言ってただろ。ただなぁ……」
「蘇生術は、気になりますよね」
「ああ。まさか、息子の方が構築したとはな」
 新しい術を構築するほどの知識と才能。だとすれば、あの凄まじい攻撃も満流――いや、道元は陰陽術、満流は知識に秀でているという可能性もあるし、他に仲間がいるかもしれない。何にせよ、あの場には他に誰かがいて、こちらの様子を窺っていた。そしてそいつは、志季の結界を破るほどの実力者。
「もしかすると、術を試していたのかもしれません。そう頻繁に人は来ないでしょうし」
「有りだな。てことは、調べるならその武家屋敷と自宅か」
「はい。でも結局、肝心の潜伏場所は不明のままなんですよね。何か出てくればいいんですが」
「こればっかりは調べねぇてみねぇとなぁ」
 そう言いつつも、下平の顔は難しい。草薙から連絡先が割れ、これまでのいきさつや自宅住所が特定されるのは承知の上だろう。とすれば、何も出てこない可能性の方が断然高い。ここまで来て収穫なしとなると、ことさら(さい)紫苑(しおん)に頼るしかなくなってきた。
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