第8話

文字数 2,052文字

「省吾」
「うん?」
「ありがとな」
 満面の笑みで告げられた礼に、省吾は一瞬目を丸くした。だがすぐに眉を寄せて視線を逸らす。
「礼なんていいよ。風を止められなかったし、結局あんなことになってさ」
「そんなことない」
 強く一蹴されて、省吾はゆっくりと視線を上げた。
「省吾がいなかったら、風はもっと早くうちに来てた。そしたら、最悪敵に捕まってた。鈴や尚さんもそうだけど、省吾がいてくれたから、俺たちは独鈷杵の回収に集中できた。それに……」
 大河は視線を泳がせてもごもごと言い淀み、やがてへらっと笑った。
「他にも色々。省吾には、いっぱい助けてもらってる。ありがと」
 照れ臭そうに笑う大河の言葉の意味は分からない。けれど、こういうところは変わっていないなと思うと、少し安心する自分がいた。
 とはいえ、こう面と向かって言われると、やっぱり幼馴染みゆえの照れ臭さとむず痒さがある。しかも、不覚にも鼻の奥がつんと痛んで、省吾はごまかすように不遜に笑った。
「そんなの今さらだろ。何年お前の世話してると思ってんだ」
「世話って何だよ、世話って」
「世話だろ。お前のせいで俺がどれだけ被害被ってきたか分かってるのか?」
「よく言うよ。自分だって楽しんでたくせに」
「お前が無理矢理巻き込んだんだろ」
「そんなことない。漁港の消火器は省吾が先に、って、そうだ、聞きたいことあるんだけど」
「うん?」
 不意に何かを思い出した様子で、大河は話題を一転させた。
「二年前のこと覚えてる? オスクのファンアルバムが発売された日」
「あー、あれか? お前がチラシ飛ばしたやつ」
「そうそれ。あの時、拾ってくれた人いたじゃん」
「いたな。遠目だったからよく見えなかったけど、同じ年くらいの」
「そいつだった」
「……何が?」
 端的すぎて理解できない。省吾が目をしばたくと、大河は真剣な顔で言った。
「楠井満流。蘆屋道満の子孫で、この事件の首謀者の息子。あの時の奴だった」
「え……、マジで?」
「マジで」
 まさかすでに会っていたとは。これはさすがに驚く。
 顔は、遠目だったせいではっきり思い出せない。背恰好で同じ年くらいだろうかと思った程度だ。ただ一つ、何か違和感を覚えた気がするけれど、何だっただろう。
「二年前って、昴さんが朝辻神社にあった文献を持って、失踪した頃なんだ。文献のことは聞いた?」
「犯人が独鈷杵狙いに来るかもって聞いた時に。あ、そうか。あいつ、独鈷杵を探しに来てたのか。でも残ってたんだろ?」
「うん、あった。鈴は、牙を警戒したんじゃないかって言うんだけど、それって今だからこそ言えることじゃん。これまで牙みたいな式神の話しは聞いたことがないから、二年前には思いもしなかっただろうって」
「なるほど……でも、じゃあ何で来なかったんだろうな。観光客が島に入ったって話し、聞いた記憶がないぞ。ましてや子供一人なら、絶対噂になるだろ」
「そうだよね。俺も聞いたことないから、理由が分からなくてさ。やっぱり、省吾も聞いてないか……」
 大河は、何なんだろうあいつ、と困惑気味に呟いた。確かに不自然だ。刀倉家に直接行くのは憚られただろうが、島を回れば神社があることは分かる。神社と陰陽師。素人考えではあるが、念のために調べるくらいはしてもいいのではないか。それに、この事件を起こす前に独鈷杵を盗んでいれば、面倒な手間をかけずに済んだのに。
「そういえば、話は変わるんだけど」
「うん?」
「今日、風とヒナはどうしてんの? 夏期講習?」
「午前中だけな。明日から盆休みだって。寄り道してなかったら、もう帰ってるだろ」
「そっか……」
 大河は、ぽつりと呟いて一点を見つめたまま何か思案し、
「んあ――っ!」
 突然頭を抱えて奇声を発した。びくりと体を震わせる。
「びっくりした。いきなり叫ぶなよ、どうした」
「ん――……」
 大河は長く唸ると、バツの悪そうな顔で俯いて、首筋に手を当てた。
「強く言いすぎた……かも……」
 ぼそりと返ってきた言葉の意味は、考えるまでもない。
「まあ、ヒナにも怒られてかなりへこんでたけど、あいつにはあのくらいがちょうどいいんじゃないか」
「父さんたちも似たようなこと言ってたけど、そうかな……?」
 不安げな上目遣いに、省吾は苦笑した。風子の気持ちを知って割り切れなくなったのだろう。
「そうだって。むしろ、あいつのためを思えばへこむくらいでいい。ほんっと聞きわけが悪いよな、あいつ」
 追いかけた時の苦労を思い出し、省吾は苦い顔で長く溜め息をついた。あの距離を全速力で走ったおかげでふくらはぎはパンパンで、風呂で念入りにマッサージする羽目になったのだ。ははっと大河が笑う。
「あとで連絡してみる。うちに来られるんだったら、柴と紫苑にも会わせておきたいし」
「だな。そうしてやれ」
 風子は非常に顔を合わせづらいだろうが、気にしているのは間違いない。互いに心残りを抱えたまま別れるよりはいいだろう。省吾が帰ったあとヒナキと二人で話しをし、落ち着いたはずだ。男がいては話せない内容も含めて。
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