第15話

文字数 2,504文字

 雅臣が悪鬼を取り憑かせていることは間違いない。それだけでも悪鬼の調伏は最優先事項だが、メリットとデメリットがある。それと、一つ気になることも。
 春平は小声で告げた。
「夏也さん。朱雀を一体援護に付かせます。あと一体は僕たちに。それと、弘貴――」
 春平は声量を落として作戦を伝えると、弘貴はにっと不敵に笑った。
「確かに、言われてみれば気になるな。了解、それで行こうぜ」
「待ってください、春くん。朱雀はもともとお二人に……」
「大丈夫。朱雀のこの大きさなら戦力としては十分だし、悪鬼が調伏できればいいから」
「そうだよ、夏也さん。それに俺ら二人だし、厄介なのは悪鬼だからな」
 春平と弘貴の断言に、夏也は迷った様子で視線を泳がせた。
 このメンバーの中で一番不利なのは夏也だ。擬人式神がいるし体術も問題ないが、霊力は心許ない。その上、独鈷杵が使えない。長引けば霊力が尽きる。対して犬神はどうやら触手を扱えるようだし、何よりも飛べる。一対一での戦いは少々不安だ。だが、こちらも不安要素がある。ならば、できるだけ早く悪鬼を調伏し、すぐに朱雀を夏也の援護に回す方が効率はいい。もちろん心配だが、夏也には踏ん張ってもらわなければ。
 黙ってやり取りを聞いていた華が口を挟んだ。
「あたしも賛成よ。夏也、二人を信じなさい」
 華にまで説得されると反論できないだろう。夏也は逡巡し、結局分かりましたと小さく同意した。春平と弘貴が、顔を見合わせて頷く。
「作戦は決まったか?」
「ええ、いつでもどうぞ」
 雅臣に華が笑顔で答えた。あいつほんと上からだな、と弘貴が苛立たしげにぼやく間に、じわりと雅臣の全身から悪鬼が昇り立つように這い出てきた。禍々しい姿。写真で見た素朴な印象は一切ない。これも悪鬼の影響なのだろう。
 悪鬼を取り憑かせるには、増幅する負の感情に飲まれて理性を失わないような、強い精神力がいる。そうまでして強さを求めるほど、彼は河合尊たちを、この世を恨んだ。
 春平はわずかに感じたやりきれなさを押し込むように、静かに深呼吸をした。頭を切り替えろ。今は同情も迷いも葛藤も全て忘れて、戦いに集中しろ。そうしないと、殺される。
 睨み合う四人と二体、二人と一体の間に、沈黙が落ちた。
 結界が火花を上げる音が何度も響く。本宮で、鈴が巨大悪鬼相手に戦闘を繰り広げている。と、鈴の神気が大きく膨れ上がり、結界が大きな火花を上げた。
 それを合図とし、華と夏也、真緒が地面を蹴り、朱雀が火玉を顕現させた。刀がぶつかり合い、犬神が夏也と朱雀に素早く触手を伸ばし、火玉が衝突して爆音を響かせる。
 そして春平と弘貴の方では、朱雀が一発の火玉を放ったのと、悪鬼が触手を伸ばしたのが同時だった。
 触手は火玉をするりと避け、その火玉を雅臣が後退しながら霊刀で一刀両断した。素早く上昇した朱雀を追って、触手が軌道を変える。朱雀が無数の火玉を顕現し、急旋回して一気に放った。触手と火玉が激突し、白い煙が上がる。
 訓練には、対触手を想定した、水塊や火玉を避けるメニューがある。略式でもいいのだが、速度や数の微妙な調節、あるいは軌道を変化させる必要があるため、主に式神が担当している。視認できる速度から徐々に上げていき、同時に数も増やす。動体視力には限度、かつ個人差があるので、それを見極めつつ、慣れると合格が出る。春平と弘貴が合格をもらったのは、ちょうど一年前。入寮して三年間、毎日飽くことなく続けてきた。
 春平は、四方八方から襲いかかる触手を軽々と避けながら、あちこちに移動する雅臣から付かず離れず、ほぼ真横の位置を維持する。
 触手を伸ばす悪鬼本体を背負う雅臣の姿は、まるで千手観音だ。
 標的は、春平、弘貴、朱雀の二人と一体。それぞれに分かれた触手の数はそう多くない。目算で三十本かそこら。朱雀の火玉に消されて新しい触手は再生されるが、数は増えていない。
 間違いない。茂や宗史が指摘していたとおりだ。自我や自制心を失わないために、取り憑かせる悪鬼の強さには制限がある。おそらく、あまり強力な悪鬼ではない。その証拠に、触手のスピードは、訓練で受けた式神たちの水塊や火玉と比べて遅い。にもかかわらず紫苑でさえ拒んだこの場所にいられるのは、雅臣の精神力の強さだ。逆を言うなら、雅臣はこの場所に居心地の悪さを感じているはず。つまり、万全ではない。
 その精神力別のとこで使えよ、と弘貴なら言いそうだ。それはともかく、悪鬼を調伏しなければ。雅臣の向こう側へ視線を送ると、余裕の表情で触手を避けていた弘貴が気付いて、小さく頷いた。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
「オン・バザラナラ・ソワカ」
 春平と弘貴の声が重なった。雅臣がぴくりと反応して足を止め、二人を順に見やる。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)渾天雨飛(こんてんうひ)――」
 手の中で霊符が自立し、どこからともなく空中に小さな水塊と火玉が無数に顕現する。春平と弘貴を狙っていた触手の数本が標的を変えた。次々と水塊と火玉を破壊してゆく。だが、顕現する水塊と火玉の数の方が圧倒的に多い。全ては消し去れない。
斥濁砕破(せきだくさいは)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!!」
 立ち止まった春平と弘貴が霊符を放ち、声が高らかに響き渡る。同時にものすごい勢いで水塊と火玉が雅臣目がけて空を切った。
 雅臣は小さく舌打ちをかまし、空を仰いだ。とたん、ぐんと強く上へ引っ張り上げられる。春平たちを狙っていた触手も攻撃をやめ、先端を上へ向けて縮みながら上昇した。
 やっぱりか。いくら霊刀が扱えて略式が行使できたとしても、両側から無数の水塊と火玉に両側から攻撃されれば、さすが全部はカバーできない。確実に捉え損ねが出る。ならば、逃げ道は上しかない。飛べるのなら間違いなく上へ逃げる。悪鬼を移動手段にしているのならもしかしてと気になっていたのだが、当たりだ。それともう一つ分かったことがある。雅臣は無真言結界が使えない。もし行使できれば絶対に使っている。九字結界と違って、二枚の霊符を使えば防御は可能だ。それなのに上へ逃げた。
 飛べると分かった以上、デメリットはあってもやはり早急に悪鬼を調伏しなければ厄介だ。
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