第2話
文字数 5,481文字
「宗史くん、大河くん」
口を挟んだのは茂だ。
「僕も協力するよ」
にっこり笑って思いがけない提言をした茂に、大河と宗史は面食らって目をしばたき、柴と紫苑は目を丸くした。と、
「あたしも協力するわ」
「あたしもします」
「俺も俺も」
「俺もだ」
華に続いて、美琴と弘貴と怜司が名乗りを上げた。
「ただねぇ、僕もこの年だから、さすがに大河くんほどあげられないだろうし、美味しくないかも。一応陰陽師だから、少しは足しになるといいけど」
まるで孫に小遣いをやる祖父のように言った茂を、華があらと笑った。
「あんなに動ける人が何言ってるんですか」
「そうですよ、俺より強いのに。もしかして俺より精気みなぎってんじゃないですか?」
「いやいや、それはないよ。もうすっかり疲れが取れなくなってきてるからねぇ。今日だって、なかなか起きられなくて困ったよ」
茂はやれやれと言った風に溜め息をついた。まだまだこれからじゃないですか、そうですよ、と和気あいあいと和む茂らに、大河は鯉のように口をパクパクさせて動揺を露わにした。
宗史が怒った気持ちがちょっと分かった。噛み付かれて精力を吸い取られれば当然痛みも伴うし、力も抜ける。下手をすれば柴と紫苑の制御が利かなくなる可能性がある。どう考えてもリスクしかないのに。しかし自分に止める権利はない。
どうしよう、と言外に助けを求めて宗史を振り向く。
「何故だ」
柴が、少し語気を強めて問うた。
「何故、我らにそうまでする。利害が一致しているとはいえ、お前たちにとって、危険だということは分かるはずだ」
一見、いつもと変わりない無表情。けれど、その声と深紅の目はどこか苦しくて切なそうで、大河はわずかに目を細めた。どうして、そんな目をするのだろう。
「柴、紫苑。それと、宗史くん、大河くん」
茂は酷く穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた声色で語った。
「確かに、利害は一致してる。最大の目的はそこだ。でもね、それだけじゃないんだよ。僕たちは、君たちとひとつ屋根の下で暮らすことを選んだ。仲間が困ってるのに、見て見ぬふりはできないよ。これは君たちだけでも、宗史くんと大河くんだけの問題でもない。僕たちの問題でもあるんだ。だから、できる限りのことはさせて欲しい」
「そうそう」
弘貴が腕を組んで大きく頷く。
「それにさ、いつどんな状況になるか分かんねぇだろ。宗史さんだって万全じゃない時があるかもだし、保険かけといて損はねぇよ」
な、と弘貴はにっと白い歯を覗かせて笑った。
確かに、弘貴が言うようにどんな状況で二人が欲求を覚えるか分からない。保険としてならば、と思わないこともない。それに、この様子ではどう説得しても無駄な気がするが。
大河は判断を仰ぐように思案顔を浮かべた宗史を見やり、柴と紫苑へと視線を投げた。こちらもまた複雑な面持ちだ。続けて宗一郎と明へと顔を向けると、二人して口をつぐんだまま、静かに宗史を見据えていた。
やがて、宗史が溜め息をついた。
「分かりました。ただし、あくまでも保険です。俺と大河が与えられない時や緊急時以外はやめてください」
はい、と素直な返事を聞き、宗史は柴と紫苑に視線を投げた。
「俺たちは二人一組で動いている。状況に関わらず、一人に限ってくれ」
「……心得た」
了承に宗史が頷き返すと、柴はゆっくりと視線を巡らせた。
「皆に、心から感謝する」
紫苑と共にゆったりと頭を下げた柴に皆から笑みがこぼれ、ふと思い出したように大河が尋ねた。
「あのさ、俺の精気ってご馳走だって言うけど、他の人と何が違うの?」
「濃いのだ」
強いではなく、濃い。端的すぎてよく分からないのは、大河だけではないらしい。皆に一様に首を傾げられ、二人は逡巡した。
「味があるの?」
「いや、味はないが……」
彼ら自身もどう表現したらいいのか分からないのだろう。柴が言い淀んだ。
「もしかして、酸素みたいなものか?」
口元に手を添えて考える姿勢を取っていた宗史が視線を上げた。
「そもそも目に見えるものじゃなく、感じるものだろう。酸素濃度と似たようなもので、霊力の影響で人より濃いのかもしれない」
あー、と皆から長い納得の声が漏れ、樹が言った。
「なるほどね。だから大河くん体力あるんだ。精気って人の動力源だし」
「それを言うなら、宗も樹もそうだろ。細身のわりに体力あるもんな」
晴の見解に、あー、とまた長い声が漏れる。だが宗史と樹は細身だと言われたことが不満らしい。
「体格は関係ないでしょ。日々の訓練の賜物だって言って欲しいね」
「同感です」
二人から睨まれて苦言を呈された晴は、おどけるように肩を竦めた。
「濃いということは、その分、量も少なくて済むのか?」
怜司の質問に、柴が頷いた。
「お前たちの話はよく理解できぬが、おそらく、他の者よりは少なくて済む」
言葉の問題は置いておいて、とにかく大河の精気は濃度が濃い酸素と同じようなものらしい。つまり、少量でも十分だが、大量に摂取すれば、鬼にとってはそれだけ栄養になる。大河の精気が垂涎ものと言われる理由だ。
「じゃあ、思ってたよりたくさんじゃなくていいんだ」
「みたいだな」
「正直ちょっと安心したろ」
からかい顔で覗いた晴に、大河はへらっと笑ってごまかした。
人より少量で済むのなら、まさに大河は適任と言える。柴と紫苑の加減一つではあるが、多少気だるさは感じても、島の時のように完全に力が抜けることはないだろう。覚悟はしていたが、少し気が楽になった。
「話がまとまったところで、何か質問はあるか?」
明が皆を見渡して問うと、弘貴が少々躊躇いがちに手を上げた。
「質問っていうか、お願いなんですけど」
「何だ?」
「保険の話、春たちには黙っておいてもらえませんか」
「理由は?」
「春もそうだけど、夏也さんが絶対心配するんで。もしかしたら、自分が代わるって言い出すかも。柴と紫苑は加減してくれるだろうけど、でも実際どのくらいの量になるか分かんないし、危ないじゃないですか」
霊力が強いほど与える量が少ないということは、弱いと量が増えることになる。吸い尽くすことはないだろうが、危険度は増す。
「確かに、夏也なら言いそうね」
「もしかしたら香苗ちゃんも言うかもしれないね。二人を怖がってるわけじゃないし」
「ですよね。それに、夏也さんあれで一度言い出したら聞かないとこあるから、平行線になると思うんですよね」
華と茂が追随し、弘貴は明へ視線を戻した。
「駄目ですか?」
明は逡巡してから言った。
「知られずに済むかもしれないが、もし知った時はかなりショックを受けるんじゃないのか?」
「そうなんですけど……でも、その時はその時で俺がなんとかします。お願いします」
そう言って弘貴はテーブルに額がくっつきそうなほど頭を下げた。弘貴の心配も分かるし、明の言うことももっともだ。どちらも夏也たちを思っているからこその意見。
しばらくして、根負けした明が嘆息した。
「分かった」
弘貴が弾かれたように頭を上げた。
「だが、全てを黙っておくことはできない。大河くんと宗史くんのことだけは話す。いいな」
「はい、ありがとうございます!」
満面の笑みで礼を告げた弘貴に、微笑ましい笑みがこぼれる。
「皆を呼んできてくれ」
「はーい」
ご機嫌な返事をしながら弘貴は腰を上げ、小走りに廊下に出た。この間にと、華も立ち上がり冷蔵庫から麦茶のポットを取り出して、注いで回る。
弘貴は二人のことを本当に大事に思ってるんだな。和んだ気持ちに任せて大河はふっと息をつき、無意識に肩に入っていた力を抜いてソファに背を預け――ようとして、腹筋に走った鈍痛に息を詰めた。話に夢中になって筋肉痛のことを忘れていた。俺って成長しない、と硬直したまま痛みが治まるのを待つ。
「……ねぇ、まさかとは思うけど」
おもむろに届いた樹の訝しげな声に、大河ははっと我に返った。そろそろと顔を向けると、端正な顔を台無しにした樹と目が合い、しまったとすぐさま顔を背ける。
「筋肉痛なの? 僕の訓練受けておいて筋肉痛なの?」
二度繰り返された質問に、大河は助けを求めるように宗史と晴を見やった。だが二人ともそっぽを向いて肩を震わせ、助け舟は期待できそうもない。茂や怜司の方には樹がいるし、宗一郎と明はどうせ助けてくれないだろうし、年下の陽や女性陣に求めるのは格好悪い。
心の中で盛大に悲鳴を上げて冷や汗を流す大河の背後から、ふっと影が覆った。直後。
「ひ……っ」
肩甲骨の一点に走った痛みに自然と体が跳ね、引き攣った悲鳴が漏れた。同時に痛みが増してさらに顔が歪む。
「まさか全身筋肉痛とか言わないよね。僕の訓練受けておいてねぇ」
「いたっ、痛いっ、痛いですってごめんなさい!」
嫌味と共に指であちこちつつかれ、大河は堪らなく宗史の腕にしがみつく。逃げたいのは山々だが、長時間座っていたため体が固まって素早く動けない。
「おい樹、あんまりいじめてやるなって。なりたくてなったわけじゃねぇんだしさ」
「そうですよ。本人が一番よく分かってます」
晴と宗史のフォローは有り難いが、笑いながらではあまり嬉しくない。もう、と溜め息交じりに呟いて、樹は手を引っ込めた。
「体術訓練、もっと厳しくするからね。夏也さんにも言っとくから覚悟しといて」
信じられない、とぼやきながら席に戻った樹に、大河は「はーい」と力なく返事をして宗史の腕を離す。皆から聞こえるくすくすとした笑い声が、筋肉痛より痛い。
「ああ、そうだ。樹、大河の真言と独鈷杵 の進捗は?」
聞くなら笑いを収めてからにしていただきたい。大河は震える声で尋ねた宗一郎を恨めしげな視線を送り、ソファに沈んだ明にも唇を尖らせる。さらに、兄さん笑いすぎですって、と言いつつ顔が笑っている陽 に、情けなさが倍増した。
「真言は問題ないよ。ペナルティで何回も繰り返し唱えさせたから大丈夫。独鈷杵も、昨日の襲撃で精度が上がってた」
「え?」
意外な評価に、大河は樹を振り向いた。
「俺、自分でも気付かなかったですけど。樹さん、あの中で見てたんですか?」
「当たり前でしょ、師匠だもん。大河くん、やっぱり実戦で成長するタイプだよ」
さも当然と言わんばかりの顔をする樹に、大河は感嘆の息を吐いた。霊刀を具現化したのは悪鬼に襲撃を受けてからだ。あの混乱の最中で、しかも樹自身あんな状態だったのに。
やっぱりこの人すごいんだ、普段はこんなだけど。と決して本人には言えない感心をする。
「大河、あとでやって見せてくれるか」
「あ、はい。分かりました」
「宗史、美琴の独鈷杵は」
「一週間ほどだそうです」
「一週間か……」
宗一郎は、ふむ、と思案顔を浮かべた。
「あたしの独鈷杵を貸しますよ。男性陣のだと少し大きいでしょう。美琴、遠慮しないで言ってね」
「ありがとうございます」
麦茶を注ぎ終えキッチンに戻る華に美琴が頷く。明がゆっくりグラスを持ち上げながら言った。
「この際、予備をいくつか準備しておいた方がいいですね。大河くんの前例もありますし、レベルを上げるならまた必要になるかもしれません」
割ってしまった独鈷杵のことだろう。非難でないのは分かっているが、大河は苦笑いを浮かべて肩身を狭くした。
「そうだな。サンプルの中に似通った物があるだろう、いっそ予備として使うか。右近 、千作 さんには私から連絡しておく。明日、哨戒がてら取りに行ってくれ」
「了解した」
「明、陽はどうだ?」
「順調ですよ。ただ、実戦で行使するには速度が心許ないですが」
「すみません……」
厳しい評価に、陽が肩を竦めた。
「陽、速度と強度を重視しなさい。見た目が多少不格好でも使えれば問題ない。あとでいくらでも修正できる」
「はい、分かりました」
「美琴、陽、お前たちもあとで見せてくれ」
「はい」
二人が声を揃え、晴が「あいつらちょっと遅くねぇか」とぼやいた時、リビングの扉が開いて弘貴たちが戻ってきた。弘貴を先頭に茶封筒を抱えた春平 が続き、夏也 と双子、その後ろから昴 と赤い箱を抱えた香苗 がどこか緊張の面持ちで入ってくる。
弘貴が振り向いて春平の背中をぽんと叩き、夏也と双子が席につく。春平と昴、香苗がローテーブルの前で足を止めた。話を切り出したのは昴だ。
「あの……柴、紫苑」
どこか緊張した声で呼ばれ、二人は三人を見据えた。昴はぎゅっと唇を引き締め、意を決した面持ちで告げる。
「僕たち、二人が怖いわけじゃないんだ。あの話を聞くと……怖いと、思うかもしれないことが、自分の弱さが怖かったんだ。二人が僕たちに気を使ってくれてるって分かってるのに、すごく申し訳なくて、情けなくて……。だから、自信が持てるまでもう少し待ってもらえると嬉しい。です」
最後は不自然な敬語で終え、昴は息を吐いた。
三人は、柴と紫苑を怖いと思いたくないから聞かないのだと思っていた。けれど、それだけではなかったのか。
自分の弱さが、怖い。想像とは少し違う理由に、大河は目を丸くした。
確かに、昴は初対面の時は気が弱そうだなと思ったけれど、公園の事件で印象は一変した。それは春平も香苗も同じだ。三人とも、あの件で必死に守り、守ろうとしてくれた。そんな三人が、弱いわけないのに。
「そうか……」
不意に柴が言った。
「しかし、お前たちが詫びる必要はない。私は、あの時、仲間を守ろうとしたお前たちが、弱いとも情けないとも思わぬ。だが、その気持ちは受け取っておこう。ありがとう」
三人は、柴の評価に少し驚いた顔をして、しかし嬉しそうにはにかんだ。
口を挟んだのは茂だ。
「僕も協力するよ」
にっこり笑って思いがけない提言をした茂に、大河と宗史は面食らって目をしばたき、柴と紫苑は目を丸くした。と、
「あたしも協力するわ」
「あたしもします」
「俺も俺も」
「俺もだ」
華に続いて、美琴と弘貴と怜司が名乗りを上げた。
「ただねぇ、僕もこの年だから、さすがに大河くんほどあげられないだろうし、美味しくないかも。一応陰陽師だから、少しは足しになるといいけど」
まるで孫に小遣いをやる祖父のように言った茂を、華があらと笑った。
「あんなに動ける人が何言ってるんですか」
「そうですよ、俺より強いのに。もしかして俺より精気みなぎってんじゃないですか?」
「いやいや、それはないよ。もうすっかり疲れが取れなくなってきてるからねぇ。今日だって、なかなか起きられなくて困ったよ」
茂はやれやれと言った風に溜め息をついた。まだまだこれからじゃないですか、そうですよ、と和気あいあいと和む茂らに、大河は鯉のように口をパクパクさせて動揺を露わにした。
宗史が怒った気持ちがちょっと分かった。噛み付かれて精力を吸い取られれば当然痛みも伴うし、力も抜ける。下手をすれば柴と紫苑の制御が利かなくなる可能性がある。どう考えてもリスクしかないのに。しかし自分に止める権利はない。
どうしよう、と言外に助けを求めて宗史を振り向く。
「何故だ」
柴が、少し語気を強めて問うた。
「何故、我らにそうまでする。利害が一致しているとはいえ、お前たちにとって、危険だということは分かるはずだ」
一見、いつもと変わりない無表情。けれど、その声と深紅の目はどこか苦しくて切なそうで、大河はわずかに目を細めた。どうして、そんな目をするのだろう。
「柴、紫苑。それと、宗史くん、大河くん」
茂は酷く穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた声色で語った。
「確かに、利害は一致してる。最大の目的はそこだ。でもね、それだけじゃないんだよ。僕たちは、君たちとひとつ屋根の下で暮らすことを選んだ。仲間が困ってるのに、見て見ぬふりはできないよ。これは君たちだけでも、宗史くんと大河くんだけの問題でもない。僕たちの問題でもあるんだ。だから、できる限りのことはさせて欲しい」
「そうそう」
弘貴が腕を組んで大きく頷く。
「それにさ、いつどんな状況になるか分かんねぇだろ。宗史さんだって万全じゃない時があるかもだし、保険かけといて損はねぇよ」
な、と弘貴はにっと白い歯を覗かせて笑った。
確かに、弘貴が言うようにどんな状況で二人が欲求を覚えるか分からない。保険としてならば、と思わないこともない。それに、この様子ではどう説得しても無駄な気がするが。
大河は判断を仰ぐように思案顔を浮かべた宗史を見やり、柴と紫苑へと視線を投げた。こちらもまた複雑な面持ちだ。続けて宗一郎と明へと顔を向けると、二人して口をつぐんだまま、静かに宗史を見据えていた。
やがて、宗史が溜め息をついた。
「分かりました。ただし、あくまでも保険です。俺と大河が与えられない時や緊急時以外はやめてください」
はい、と素直な返事を聞き、宗史は柴と紫苑に視線を投げた。
「俺たちは二人一組で動いている。状況に関わらず、一人に限ってくれ」
「……心得た」
了承に宗史が頷き返すと、柴はゆっくりと視線を巡らせた。
「皆に、心から感謝する」
紫苑と共にゆったりと頭を下げた柴に皆から笑みがこぼれ、ふと思い出したように大河が尋ねた。
「あのさ、俺の精気ってご馳走だって言うけど、他の人と何が違うの?」
「濃いのだ」
強いではなく、濃い。端的すぎてよく分からないのは、大河だけではないらしい。皆に一様に首を傾げられ、二人は逡巡した。
「味があるの?」
「いや、味はないが……」
彼ら自身もどう表現したらいいのか分からないのだろう。柴が言い淀んだ。
「もしかして、酸素みたいなものか?」
口元に手を添えて考える姿勢を取っていた宗史が視線を上げた。
「そもそも目に見えるものじゃなく、感じるものだろう。酸素濃度と似たようなもので、霊力の影響で人より濃いのかもしれない」
あー、と皆から長い納得の声が漏れ、樹が言った。
「なるほどね。だから大河くん体力あるんだ。精気って人の動力源だし」
「それを言うなら、宗も樹もそうだろ。細身のわりに体力あるもんな」
晴の見解に、あー、とまた長い声が漏れる。だが宗史と樹は細身だと言われたことが不満らしい。
「体格は関係ないでしょ。日々の訓練の賜物だって言って欲しいね」
「同感です」
二人から睨まれて苦言を呈された晴は、おどけるように肩を竦めた。
「濃いということは、その分、量も少なくて済むのか?」
怜司の質問に、柴が頷いた。
「お前たちの話はよく理解できぬが、おそらく、他の者よりは少なくて済む」
言葉の問題は置いておいて、とにかく大河の精気は濃度が濃い酸素と同じようなものらしい。つまり、少量でも十分だが、大量に摂取すれば、鬼にとってはそれだけ栄養になる。大河の精気が垂涎ものと言われる理由だ。
「じゃあ、思ってたよりたくさんじゃなくていいんだ」
「みたいだな」
「正直ちょっと安心したろ」
からかい顔で覗いた晴に、大河はへらっと笑ってごまかした。
人より少量で済むのなら、まさに大河は適任と言える。柴と紫苑の加減一つではあるが、多少気だるさは感じても、島の時のように完全に力が抜けることはないだろう。覚悟はしていたが、少し気が楽になった。
「話がまとまったところで、何か質問はあるか?」
明が皆を見渡して問うと、弘貴が少々躊躇いがちに手を上げた。
「質問っていうか、お願いなんですけど」
「何だ?」
「保険の話、春たちには黙っておいてもらえませんか」
「理由は?」
「春もそうだけど、夏也さんが絶対心配するんで。もしかしたら、自分が代わるって言い出すかも。柴と紫苑は加減してくれるだろうけど、でも実際どのくらいの量になるか分かんないし、危ないじゃないですか」
霊力が強いほど与える量が少ないということは、弱いと量が増えることになる。吸い尽くすことはないだろうが、危険度は増す。
「確かに、夏也なら言いそうね」
「もしかしたら香苗ちゃんも言うかもしれないね。二人を怖がってるわけじゃないし」
「ですよね。それに、夏也さんあれで一度言い出したら聞かないとこあるから、平行線になると思うんですよね」
華と茂が追随し、弘貴は明へ視線を戻した。
「駄目ですか?」
明は逡巡してから言った。
「知られずに済むかもしれないが、もし知った時はかなりショックを受けるんじゃないのか?」
「そうなんですけど……でも、その時はその時で俺がなんとかします。お願いします」
そう言って弘貴はテーブルに額がくっつきそうなほど頭を下げた。弘貴の心配も分かるし、明の言うことももっともだ。どちらも夏也たちを思っているからこその意見。
しばらくして、根負けした明が嘆息した。
「分かった」
弘貴が弾かれたように頭を上げた。
「だが、全てを黙っておくことはできない。大河くんと宗史くんのことだけは話す。いいな」
「はい、ありがとうございます!」
満面の笑みで礼を告げた弘貴に、微笑ましい笑みがこぼれる。
「皆を呼んできてくれ」
「はーい」
ご機嫌な返事をしながら弘貴は腰を上げ、小走りに廊下に出た。この間にと、華も立ち上がり冷蔵庫から麦茶のポットを取り出して、注いで回る。
弘貴は二人のことを本当に大事に思ってるんだな。和んだ気持ちに任せて大河はふっと息をつき、無意識に肩に入っていた力を抜いてソファに背を預け――ようとして、腹筋に走った鈍痛に息を詰めた。話に夢中になって筋肉痛のことを忘れていた。俺って成長しない、と硬直したまま痛みが治まるのを待つ。
「……ねぇ、まさかとは思うけど」
おもむろに届いた樹の訝しげな声に、大河ははっと我に返った。そろそろと顔を向けると、端正な顔を台無しにした樹と目が合い、しまったとすぐさま顔を背ける。
「筋肉痛なの? 僕の訓練受けておいて筋肉痛なの?」
二度繰り返された質問に、大河は助けを求めるように宗史と晴を見やった。だが二人ともそっぽを向いて肩を震わせ、助け舟は期待できそうもない。茂や怜司の方には樹がいるし、宗一郎と明はどうせ助けてくれないだろうし、年下の陽や女性陣に求めるのは格好悪い。
心の中で盛大に悲鳴を上げて冷や汗を流す大河の背後から、ふっと影が覆った。直後。
「ひ……っ」
肩甲骨の一点に走った痛みに自然と体が跳ね、引き攣った悲鳴が漏れた。同時に痛みが増してさらに顔が歪む。
「まさか全身筋肉痛とか言わないよね。僕の訓練受けておいてねぇ」
「いたっ、痛いっ、痛いですってごめんなさい!」
嫌味と共に指であちこちつつかれ、大河は堪らなく宗史の腕にしがみつく。逃げたいのは山々だが、長時間座っていたため体が固まって素早く動けない。
「おい樹、あんまりいじめてやるなって。なりたくてなったわけじゃねぇんだしさ」
「そうですよ。本人が一番よく分かってます」
晴と宗史のフォローは有り難いが、笑いながらではあまり嬉しくない。もう、と溜め息交じりに呟いて、樹は手を引っ込めた。
「体術訓練、もっと厳しくするからね。夏也さんにも言っとくから覚悟しといて」
信じられない、とぼやきながら席に戻った樹に、大河は「はーい」と力なく返事をして宗史の腕を離す。皆から聞こえるくすくすとした笑い声が、筋肉痛より痛い。
「ああ、そうだ。樹、大河の真言と
聞くなら笑いを収めてからにしていただきたい。大河は震える声で尋ねた宗一郎を恨めしげな視線を送り、ソファに沈んだ明にも唇を尖らせる。さらに、兄さん笑いすぎですって、と言いつつ顔が笑っている
「真言は問題ないよ。ペナルティで何回も繰り返し唱えさせたから大丈夫。独鈷杵も、昨日の襲撃で精度が上がってた」
「え?」
意外な評価に、大河は樹を振り向いた。
「俺、自分でも気付かなかったですけど。樹さん、あの中で見てたんですか?」
「当たり前でしょ、師匠だもん。大河くん、やっぱり実戦で成長するタイプだよ」
さも当然と言わんばかりの顔をする樹に、大河は感嘆の息を吐いた。霊刀を具現化したのは悪鬼に襲撃を受けてからだ。あの混乱の最中で、しかも樹自身あんな状態だったのに。
やっぱりこの人すごいんだ、普段はこんなだけど。と決して本人には言えない感心をする。
「大河、あとでやって見せてくれるか」
「あ、はい。分かりました」
「宗史、美琴の独鈷杵は」
「一週間ほどだそうです」
「一週間か……」
宗一郎は、ふむ、と思案顔を浮かべた。
「あたしの独鈷杵を貸しますよ。男性陣のだと少し大きいでしょう。美琴、遠慮しないで言ってね」
「ありがとうございます」
麦茶を注ぎ終えキッチンに戻る華に美琴が頷く。明がゆっくりグラスを持ち上げながら言った。
「この際、予備をいくつか準備しておいた方がいいですね。大河くんの前例もありますし、レベルを上げるならまた必要になるかもしれません」
割ってしまった独鈷杵のことだろう。非難でないのは分かっているが、大河は苦笑いを浮かべて肩身を狭くした。
「そうだな。サンプルの中に似通った物があるだろう、いっそ予備として使うか。
「了解した」
「明、陽はどうだ?」
「順調ですよ。ただ、実戦で行使するには速度が心許ないですが」
「すみません……」
厳しい評価に、陽が肩を竦めた。
「陽、速度と強度を重視しなさい。見た目が多少不格好でも使えれば問題ない。あとでいくらでも修正できる」
「はい、分かりました」
「美琴、陽、お前たちもあとで見せてくれ」
「はい」
二人が声を揃え、晴が「あいつらちょっと遅くねぇか」とぼやいた時、リビングの扉が開いて弘貴たちが戻ってきた。弘貴を先頭に茶封筒を抱えた
弘貴が振り向いて春平の背中をぽんと叩き、夏也と双子が席につく。春平と昴、香苗がローテーブルの前で足を止めた。話を切り出したのは昴だ。
「あの……柴、紫苑」
どこか緊張した声で呼ばれ、二人は三人を見据えた。昴はぎゅっと唇を引き締め、意を決した面持ちで告げる。
「僕たち、二人が怖いわけじゃないんだ。あの話を聞くと……怖いと、思うかもしれないことが、自分の弱さが怖かったんだ。二人が僕たちに気を使ってくれてるって分かってるのに、すごく申し訳なくて、情けなくて……。だから、自信が持てるまでもう少し待ってもらえると嬉しい。です」
最後は不自然な敬語で終え、昴は息を吐いた。
三人は、柴と紫苑を怖いと思いたくないから聞かないのだと思っていた。けれど、それだけではなかったのか。
自分の弱さが、怖い。想像とは少し違う理由に、大河は目を丸くした。
確かに、昴は初対面の時は気が弱そうだなと思ったけれど、公園の事件で印象は一変した。それは春平も香苗も同じだ。三人とも、あの件で必死に守り、守ろうとしてくれた。そんな三人が、弱いわけないのに。
「そうか……」
不意に柴が言った。
「しかし、お前たちが詫びる必要はない。私は、あの時、仲間を守ろうとしたお前たちが、弱いとも情けないとも思わぬ。だが、その気持ちは受け取っておこう。ありがとう」
三人は、柴の評価に少し驚いた顔をして、しかし嬉しそうにはにかんだ。