第15話

文字数 3,436文字

 熊田は、佐々木を連れてまずは玄関横の部屋へ。古びた木製の引き戸が一枚。何かいれば使いが反応するだろうが、油断は禁物。玄関扉を開けた時と同じように二手に分かれ、壁際に背をくっつける。腕をめいっぱい伸ばして取っ手に手をかけた。佐々木と水龍に目で合図をし、そして一つ深呼吸をすると、勢いよく引き開けた。
 ガラッ、とレールに引っかかることなく開いた扉から――何も出てくることはなかった。あえて言うなら、熱気と埃臭さだ。詰めていた息を吐き出して、胸を撫で下ろす。先陣を切った水龍に続いて、二人も中を覗く。六畳ほどの板張りの部屋だ。
「……物置ですかね?」
「みたいだな」
 懐中電灯に照らし出されたのは、右手の窓と、壁一面に造りつけられた天井までの棚。スーパーから持ち帰ったのだろう。商品名が印字された段ボールや、百均に売っていそうなプラスチックのかごが棚や床にいくつも放置され、しかし中身は空だ。水龍がぐるぐると部屋の中を周回する。
 熊田は棚に置かれた段ボールを引っ張り出した。
「結構埃が積もってるな」
「やっぱり、しばらく人の出入りがないみたいですね」
「ああ」
 佐々木も棚に指を滑らせて埃を確認する。
「特に何もねぇか。次だ」
「はい」
 二人と一体は部屋を出て扉を閉め、右に延びる廊下を進んだ。
 天井からは、平たい傘を被った裸電球が等間隔でぶら下がっている。左手には、障子が八枚。四枚目を境に柱が建っているので、おそらく二間続きだ。向こう側では栄明が順調に捜索中のようで、懐中電灯の明かりがほのかに透けて見え、カタカタと物音がする。廊下は途中で左へ折れ、正面には扉が一枚。あの先にも部屋があるのか、それとも裏口だろうか。そして右手は板壁が続いている。
 どこもかしこもレトロで埃臭く、時折床がぎしっと鳴く。暗さも相まって不気味だ。
「さすがに電気は通ってないだろうな」
「通ってないでしょうねぇ」
 佐々木が笑いを噛み殺した。明るければ何とも思わないのにと思ったことがバレたか。前を飛んでいた水龍が、大きく尻尾を振った。笑われているのか、それとも励ましているのか分からない。
 壁が途切れたところからは、木製の扉が四枚並んでいた。先程と同じように壁際に寄り、熊田はバツの悪い顔のまま取っ手に手をかけた。勢いよく引っ張り開ける。少し待ったあと、するりと入った使いに続いて覗き込み、懐中電灯の光を泳がせた。
 奥行きはあまりないが、横幅が広い。天井には、細長い蛍光灯を二本使用した照明が二カ所取り付けられている。扉の壁際には大きな食器棚。左側から正面にかけて、壁に沿ってレンジ台とL字のシンクと冷蔵庫。真ん中にダイニングテーブルが二台並んで置かれ、デザインや高さがまちまちの椅子が設置されている。側には移動式のワゴン。右側には、食糧庫だろう。引き戸が開けられたままだ。そして窓は、シンクの前と正面。
「ダイニングキッチンか」
「椅子の数からして、やっぱりここで生活してたみたいですね」
「ああ。そういやこういう昔の家って、床下収納とかありそうだが……」
 まさか仲間や悪鬼が床下から飛び出してくるなんて、びっくり箱のような真似はしないと思うけれど。言いながら床を照らすが、それらしい切れ目や収納取っ手はない。周回する使いも、何かに反応した様子は見られない。
「楠井親子の経歴を探るのなら私室だろうが、とりあえず確認するか」
「そうですね」
 どこに何が残されているか分からない。くまなく現場を確認するのは、捜査の基本だ。念のために扉を全部引っ張り開けて、熊田は食器棚、佐々木は携帯のライトを付けて食糧庫へと分かれる。
 食器棚は、真ん中を境に左右対称の作りになっていた。上半分が食器入れ、下に引き出しが二つ、さらに下が物入れになっている。
 熊田は左側から取りかかった。上のすりガラスが嵌め込まれた引き戸の中には、湯呑やグラス、皿や茶碗がいくつか残されているが、それだけだ。
「熊さん」
 すぐに佐々木がやってきた。
「何もなかったか」
「はい」
 答えながら、右半分の食器棚の扉を開ける。熊田も、続けて引き出しを開けた。仕切りの付いたトレーに箸が何膳も入ったままで、しゃがんで覗き込んだ物入れには、賞味期限切れの乾物が転がっていた。
「今の潜伏場所に持ってったか、処分したのか」
「みたいですね。こっちもほとんど何も残ってないっぽいです」
 今どき、百均に行けば生活雑貨は何でも揃っているし、安価で手に入る。しかし、人数が多ければそれなりの金額になるだろう。今の潜伏場所がどこか知らないが、隗と皓がいるなら多少重くても運べるだろうし、ホームセンターなどでトラックの貸し出しも行っている。道には轍が残っていたから、車を所持していたかもしれない。
 それぞれ複雑な過去を抱えた者同士。けれど、寮の彼らとは逆の選択をした。犯人たちは、ここでどのくらいの期間一緒に生活し、どんな話をしながら食事をしたのだろう。
「まあ、事件の計画を練りながら飯は食いたくねぇなぁ」
 消化に悪そうだ。熊田はぼそりと一人ごち、腰を上げて白いレンジ台へ移動する。背の低いレンジ台は米びつ付きの物で、しかしデザイン自体はシンプルだ。一段目は何の変哲もない棚。その下に米びつと引き出し式の棚。棚の下が物入れ。天板の上に電子レンジ、一段目に電気ポットとトースター、引き出し式の棚に炊飯器が放置されており、物入れには空のガラス瓶が三つほど転がっていた。
「家電はそのままなのか」
 それこそ金がかかるのに。とおかしな心配をしてやる義理はない。次はシンクだ。
 吊り棚へ腕を伸ばしたところで、佐々木が食器棚の確認を終わらせた。ちなみに、水龍は棚を開けることができないので、ダイニングテーブルで待機中だ。
「やっぱり何も入っていませんでした。ところで熊さん。さっきから気になってたんですけど、この音」
「うん?」
 言われて耳を澄ます。ブーンと、低い機械音がする。
「冷蔵庫じゃないですか?」
 揃って冷蔵庫を見やる。ツードアの冷蔵庫は、大人数で暮らしていた割には普通の大きさだが、見るからに色褪せていて古そうだ。
「電気が通ってんのか」
「だと思います。でも、おかしくないですか。停止の手続きなんか、ネットか電話一本ですよ?」
「確かにそうだが……でも、冷蔵庫だろ? 手続きはともかく、単にコンセント抜き忘れたとかじゃねぇのか?」
「そうかもしれませんけど……、確認しますね」
「ああ」
 冷蔵庫へ向かう佐々木の背中を見送って、熊田は再び吊り棚に手を伸ばした。
 時々、年配者が無意識に通帳や財布を冷蔵庫にしまって大騒ぎ、なんて話を聞くが、まさか重要な証拠やヒントを隠しているなんてことはあるまい。ましてや悪鬼が隠れているなんて。
「悪鬼を冷やしてどうすんだよ」
 寒さで動きが鈍くなったりしないのだろうか。などとくだらないことを考えている場合ではない。吊り棚の中に残されたホーロー鍋や片手鍋を確認して、扉を閉める――と。
「きゃあッ!」
 突如、佐々木の甲高い悲鳴が響き渡った。
 弾かれたように振り向くと、真っ青な顔をした佐々木が、携帯を握りしめた手を胸の前で組んで後ずさっていた。水龍が素早く佐々木の元へ飛び、一歩遅れて熊田も駆け寄る。佐々木が悲鳴を上げるなんて初めてだ。
「どうした」
 肩を掴んで険しい声で尋ねる。佐々木は体を強張らせたまま、縫い付けられたように冷蔵庫を凝視し、ゆっくり腕を伸ばした。そして、震える指で冷蔵庫を指す。水龍が佐々木を守るように側に控えた。
 熊田は、佐々木の視線と指の先を懐中電灯で照らし、ごくりと喉を鳴らした。開けられているのは二段目。微かに冷気が漂って来る。冷凍庫だ。悪鬼が飛び出してきた様子はない。
 では、何を見た。
 ゆっくりと、一歩足を踏み出す。ぎし、と床が軋む音と鼓動を速める心臓の音が緊張と恐怖を煽り、呼吸が浅くなる。懐中電灯を握る手が汗ばみ、一筋の汗が背中を滑り落ちた。
 冷凍庫の中が見えるまであと一歩の距離で止まり、もう一度喉を鳴らす。刑事の勘が強く働いた。そこに、何があるのか。
 意を決してもう一歩踏み出し、
「う……っ」
 上げかけた悲鳴を、とっさに口を押さえることでかろうじて飲み込む。仰け反りながらもそれを見つめたまま、熊田は手の中で愕然と呟いた。
「これ、誰だ……」
 そこには、おびただしい量の血で真っ赤に染まった保冷剤が敷き詰められ、男の生首が一つ、埋まっていた。
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