第1話

文字数 2,830文字

 寮の門をくぐると、石畳の先に正面玄関があり、左手に行けば庭へと続く。右手には寮専用の屋根付き駐車場が完備され、二台の乗用車と、壁際には弘貴(ひろき)春平(しゅんぺい)の自転車、大型バイクが二台停められている。そこから裏庭へぐるりと回ると、物干し場にゴミ置き場、物置がある。さらに向こう側は、生活空間である寮と客を迎えるための施設である離れを分けるため、竹製の間仕切りが設えてあり、通り抜けができない。ちなみに、表の庭の方にも同じく間仕切りがされている。
 午前十時頃に起きて階下に下りると、リビングダイニングの前の長い廊下の窓から見える裏庭には、すでに大量の洗濯物が緩い風にはためいていた。
 挨拶をしながらリビングに入ると、すでに宿題を終えたらしい学生組全員が庭で夏也(かや)から訓練を受け、(すばる)と手合わせをしている最中。ダイニングテーブルでは華がペンとメモを片手にチラシとにらめっこをしており、リビングでは(しげる)と双子がお勉強中だった。
 すっかり見慣れた光景に挨拶を交わし、朝食を摂る。
 食事が終わってから用を足し、リビングへと戻る途中で廊下の窓から見上げた空に、大河(たいが)は残念そうな息を吐いた。
 京都に来て、初めての曇天だ。灰色の雲はどんよりと重く垂れ込み、今にも降り出しそうだ。昨夜の天気予報では夕方からと言っていたが、風が吹いているところを見ると予報より早く降り出すかもしれない。そうなると、外での訓練は中止だ。
 今日は真言の暗記と霊符の練習か、それとも仕事で遅れている宿題を片付けるか、と待ち受ける苦手分野に気を重くして、リビングの扉を開けた。
「大河くん」
 勉強が終わったのか、片付けを終えてローテーブルでお絵かきをする双子の側で、茂が手招きをした。
「昨日の報告書は書いた?」
「あ、まだです」
「じゃあ、そっちを先に終わらせてしまおうか。その後で訓練の話をしよう」
「はい」
 大河はテレビボードに置かれたノートパソコンをローテーブルに移動させ、横に携帯を置いて床に直接座り込んだ。
 共有のパソコンは二台あり、個人で持っているのは華、怜司(れいじ)(いつき)、茂の四人。弘貴と春平は共同で買った一台を使っており、昴と夏也、美琴(みこと)香苗(かなえ)は共有のパソコンを使っている。
 昨日、宗史(そうし)に教わった通り「報告書」のファイルを開いて「仕事用」の文書をクリック。開いた書式を眺め、さてとキーボードに手を置いた。とりあえず自分の名前、同行者名、日付と時間、場所、依頼者氏名、依頼内容を書き込んでいく。このあたりはいいが、問題はこの後だ。
 現場での流れを詳細かつ正確に書くように、と言われたが、どこからどこまでをどの程度書けばいいのか見当が付かない。トイレに行ったことまで書くのだろうか。対象者が出たのがその後だから、流れとしては書くべきなのだろう。ならばその前の樹たちとの会話は? 待っている間に居眠りをしたことは?
「いや、それはまずいだろ」
 ぼそりと一人ごち、とりあえず書き進める。熟睡した樹がそのことを報告したのかは分からないが、仕事中に居眠りをしたことなど、特殊な仕事とは言え普通なら報告するべきではない内容だ。
 大河はあの時の状況を思い出しつつ、文章の流れや表現に躓きながらも少しずつ枠内を埋めていく。状況はもちろん、聞こえた対象者の声、感じた温もりも忘れることなく書き込んだ。
 小一時間ほどかけて書き終わり、じっくりと読み直す。よし上出来、と自画自賛してから、ふと最後に一文を付け加えた。
『華さんがとても幸せそうでした』
 よし、と呟いてメールに添付してから宗一郎たちに一斉送信する。
 書き終えた報告書は、保存するも破棄するも自由だ。昨日昴たちに聞いてみると、昴は「後で読み返して自分の行動と文才の無さに落ち込みたくないから破棄する」と苦笑い付きで返ってきた。逆に夏也と美琴と香苗は「反省の意味も込めてUSBに保存している」と言っていた。
 どちらの意見も頷けるが、ここは感情に任せて行動することが多い自分を律するために後者を見習う。とは言え、USBメモリーを持っていない。見られて困るものではないし、ひとまずデスクトップにフォルダを作って保存することにした。
「コンビニに置いてたかなぁ」
「何が?」
 ぼやきながらファイルを作っていると、疑問の声と石鹸の香りが届いて振り向いた。濡れた髪のままタオルを肩にかけた弘貴と春平と昴がひょいと覗き込んでいる。
「ああ、USB。報告書保存しとこうと思って」
「それなら、使ってないやつがあるからあげるよ」
 春平の申し出に手を止めた。
「いいの? もう使わない?」
「うん。一年の時、情報の授業の課題で使ったんだけど、容量が少ないやつ買っちゃって使ってないんだ。でも文書なら十分だと思うよ。待ってて、取ってくる」
「ありがとう、助かる」
 うん、と頷いてリビングを出る春平を見送り、大河は時計を確認した。十二時近い。
 気付けば、華と着替えた夏也がキッチンに立ち、美琴と香苗の姿もない。午前中の訓練を終えシャワーを浴びに行っているのか。漂ってくるソースの香ばしい香りに腹を鳴らしながら、俺も早く訓練したい、と恨めしげに弘貴と昴を見上げると、二人が苦笑した。
「そんな目で見られても。ねぇ、昴さん」
 昴は、頷きながら口元をタオルで押さえて笑い声を漏らした。
「初めは覚えること多くて大変なんだよね」
「そうそう。特に俺ら学校の勉強もあるからなぁ」
「しかも、大河くんはこの状況だし余計だよね」
「ああそっか。でもま、頑張れよ。大河が真言の暗記してる間、俺らはもっと強くなってるからさ」
 にっと不遜に口角を上げた弘貴に、大河が悔しげに唇を尖らせた。それでなくても皆とは大きな差があるのに、これ以上差をつけられたくない。
「くっそ、悔しい! 早く訓練したい! でも新しい術も覚えたい!」
 自分が二人いて体術訓練と術の訓練の二手に分かれて会得した後一人に戻れたらどれだけ効率がいいか、と渋面を浮かべる大河に、双子と一緒にテーブルの上の片付けをしていた茂が口を挟んだ。
「やる気があっていいねぇ、教え甲斐があるよ。昼から真言覚えてもらおうと思ってたんだけど、もう一つくらい増やそうか」
 しまった、余計なことを言った。大河は肩を竦めて小さく首を振った。
「い、いいです遠慮します!」
「遠慮しなくてもいいよ。僕は大丈夫だから」
「俺が大丈夫じゃないんで!」
 今度は頭がぽろりと取れそうなくらい首を横に振る大河に、弘貴と昴が楽しそうな笑い声を上げた。
 USBメモリーを手に戻ってきた春平が首を傾げ、すぐ後からさっぱりした顔で美琴と香苗が入ってきて、
「皆、お昼できたわよ。手を洗ってきてね」
 華の声に皆の返事が重なった。
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