第13話

文字数 3,554文字

 しばらく見送り、一同脱力するように息を吐く。残っているのは、大河、陽、怜司、樹、茂、華に志季。紺野と下平、そして柴と紫苑だ。
「ていうか、下平さん」
 しばしの沈黙を破ったのは、樹の少し不機嫌な声。
「なんでそんなへろへろなの。しかもその傷なに。触手の傷だよね。護符持ってなかったの? それともそんなに強力な悪鬼だったの?」
 鋭い視線でじろりと睨まれ、下平はうっと声を詰まらせた。ああごめん、と茂が横から口を挟む。
「へろへろなのは僕のせいなんだ。車飛ばしてきたから」
「ああ、酔ったんだ。じゃあ傷は?」
 目を据わらせた樹にずいっと迫られ、下平はふいと顔を逸らした。
「逃げるなっ」
 樹は両手で下平の顔を挟んだ。こちらを向かせたい樹と、目を合わせたくない下平との攻防が始まった。何故下平が茂や華と一緒にいたのかは分からないが、もう何か隠しているとしか思えない。
 まったく、と嘆息して足を踏み出した怜司と紺野に倣い、大河と陽は顔を見合わせて噴き出してあとに続いた。少し離れていた柴と紫苑も集まってくる。
「どうせ報告するんだから白状しろ!」
「ろうひぇひょうひょくひゅるんりゃかりゃ」
「何言ってんのか分かんないよ!」
 思い切り両頬を寄せられれば、まともに話せるわけないだろうに。笑い声と呆れた溜め息が混じる。ああもう、と言いたげに下平が無理矢理樹の手を引っぺがした。
「ああするしかなかったんだよ!」
「だから何したの!」
 重ねて問うた樹に下平はむむと眉間に皺を寄せ、バツが悪そうな顔をした。視線を逸らしてぼそりと答える。
「……お守りは、尊に渡したんだ」
 樹がぽかんと間抜けな顔をして固まった。
「……は?」
「だってしょうがねぇ」
「しょうがなくないッ!」
 視線を戻した下平の声を、樹が鋭く遮った。一瞬、しんと静寂が落ちた。
 睨むように見据える樹の眼差しは、怖いくらい真剣だ。下平が息をのみ、わずかに身を引いた。
「言っとくけど、もし河合尊(かわいたける)を守るために下平さんに何かあったら、僕はあいつを許さないから」
「お前な」
「だってそうでしょ。元々は河合尊が菊池雅臣を脅したことが原因なんだよ。僕からしてみれば、あいつがどうなろうと知ったことじゃない。むしろ自業自得でしょ。でも、下平さんがあいつを守りたいのなら協力する。その代わり、下平さんに何かあったら絶対に許さない。だから」
 樹は一旦言葉を切り、きゅっと唇を引き締めてから告げた。
「僕にあいつを殺させたくなかったら、死なないで」
 静かで、しかし強い声に、下平が目を丸くした。
 刑事である下平にとって、尊は保護対象だ。例え狙われる原因が尊自身にあったとしても。しかし、樹にとっては尊より下平の命の方が大切なのだ。尊がくだらないことをしたせいで下平が命を落としたとなれば、犯人はもちろん、元凶を憎んでも仕方ない。そもそもお前があんなことをしなければ、と。
 下平はしばし樹を見つめ、やがて息を吐いて照れ臭そうに頭を掻いた。
「分かった、悪かったよ。約束する」
「絶対だよ?」
「ああ」
 よし、と不遜な顔で納得した樹に、思わず笑みが漏れる。
 一見、冷たくも尊大にも聞こえる樹の言い分は、反面とても優しくて、素直で、彼らしい。
「ああ、それとな。さっき冬馬に電話した。圭介たちが、智也が搬送された病院に行ったらしい。傷は大して深くなかったみたいなんだけどな、何針か縫ったから今夜は様子見で入院だそうだ。リンはナナの家に行ってる。二人とも無傷だ」
「そう、良かった」
 安堵の顔でほっと息をついた。
「あいつ、今賀茂家にいるんだってな」
「みたいだね。ていうか、冬馬さんから連れて行けって言ったのって、本当なの?」
 樹が志季を振り向くと、一斉に視線が移動した。
「嘘ついてどうすんだよ。つーか、厳密に言うと智也が冬馬を行かせたんだけどな」
「智也さんが?」
 ああ、と志季が頷くと、樹は怪訝な顔をし、下平は何やら窺うような目で樹を見やった。そして唐突に樹の頭に手を置いて、ぽんぽんと叩きながらぐるりと全員を見渡した。ちょっと何いきなり、と樹が鬱陶しそうに払いのける。
「ところで、さっきの美琴のGPSってのは、もしかして……」
 おそらく下平も話しを全て聞いていたのだろう。とはいえすぐに可能性が浮かぶあたりは、さすが刑事だ。下平が濁すと一様に顔を曇らせ、紺野がええと目を伏せた。
「すみません。人質に取られました」
 下平がそうかと難しい顔で呟いて、短く息をついた。
「で、宗史と椿はどうした?」
 気を取り直した下平とは反対に、ますます顔を曇らせた大河たちに目をしばたく。樹が答えた。
「椿が宗史くんを刺して、姿を消した。多分、昴くんたちと一緒だと思う」
 想像をはるかに超えていたらしい。下平はしばらく言葉を失った。一度だけとはいえ、廃ホテルで冬馬を治癒した椿を見ているのだ。信じがたいだろう。
「……それ、本当か。ああいや、それより宗史は無事なのか?」
「うん。右近と閃が治癒をして、今は寮にいる。香苗ちゃんと右近と律子さんがついてる」
「二人がかりで……、そうか……」
 呆然と呟いた下平の言葉に、大河はふと違和感を覚えた。衝撃的なことが多すぎて、考えがまだまとまらない。けれど、こうして落ち着いてあの時のことだけを思い出すと、何かおかしい。
 椿が宗史を刺して姿を消したのは事実だ。でも、どこか腑に落ちない。何だ。
「――あ」
 そうか。大河は口の中で小さく呟いた。
 やっぱり、椿が宗史を裏切るわけない。でもそうなると、いやそんなまさか、でもそうでないと辻褄が合わない。
 初めてこんな速度で頭を働かせて辿りついた答えに、イラッとした。心の底から。
 これが正しかったら殴ってもいいかな。大河が誰にともなく心で問いかけた時、寮の方から香苗と右近と律子が、玄関の方からは、氏子らを全員見送ったらしい、宗一郎たちが戻ってきた。律子が少し疲れた顔をしている。それがさらに宗史への苛立ちを募らせた。
「右近、宗史の様子は」
 携帯を袂にしまいながら宗一郎が声を張って問うた。
「よく眠っている」
「怜司、美琴は」
「すぐそこまで戻っています。そろそろ……ああ、あれかな」
 寮の方へ視線を投げた怜司に倣って見上げると、遠くの夜空に、何か長細い物体が近付いてくるのが見えた。何だろう、と思って目を細めた次の瞬間、大河はぎょっと目を剥いた。
 それは、ゆっくりと上空からこちらへ緩い曲線を描きながら下降し、大河たちの頭上を通り越した。大きく旋回して戻りながらさらに高度を下げ、離れの庭に滑り込んだ。ふわりと吹いた風に髪が煽られる。
「嘘……」
「マジか」
「でけぇ……」
 龍の大きな顔を目の前にして、大河と紺野と下平が愕然と呟いた。
「ああ、大河くんも見るの初めてだっけ」
「しげさんから、話は聞いてましたけど……。ほんとに龍だ……」
 樹に答えつつも、視線は龍――閃に釘付けだ。紺野と下平もぽかんと口を開けた間抜けな顔をして、固まっている。
 全長は四メートルほど。色は、黒に近い濃紺。立派な髭もたてがみも全体的に黒っぽく、瞳の色だけが灰色だ。犬の式神も驚いて然るべきなのだろうが、何せ犬だ。巨大な犬。全世界の犬には悪いが、見た目だけなら龍の方が断然インパクトが強い。さらに伝説の生き物という付加価値が加わるのだ。しかし、男心を優先するなら俺も乗せてと諸手を挙げて喜ぶのだが、今はそれどころではない。
「美琴!」
「美琴ちゃん!」
 華と茂、夏也、春平、そして寮の庭から香苗が小走りに駆け寄った。
 閃が腹を地面につけて姿勢を低くすると、背に乗っていた美琴がすべり台を滑るように体表を滑った。華と茂が両側から体を支え、赤く染まったカットソーの首元を見て顔を歪める。その後ろでは、閃の周りに大量の水が出現し、体を覆い隠した。次第に質量が減り、縦長へと形を変えていく。
「美琴、怪我はちゃんと治してもらったわね?」
 顔を覗き込むように尋ねた華に、美琴は俯いたままこくりと頷いた。
「美琴」
 ほっとする間もなく、宗一郎がゆっくりと歩み寄り、美琴の前で足を止めた。その横顔は一見いつもと変わらないけれど、美琴を見下ろす目には、わずかな憤りが見える。茂たちが、譲るように脇へ避けた。
「二度とするな。命令だ。いいな」
 諭すように強く、ゆっくりと告げられた言葉に、美琴が体を竦ませる。怖がっているのだろうか。それとも、泣くのを我慢しているのだろうか。
「……はい。すみませんでした」
 かろうじて聞こえるくらいの小さな声で答えが返ってきた。すると、宗一郎がおもむろに手を上げ、ぽんと美琴の頭に乗せた。
「無事で良かった」
 打って変わって優しい声。子供をあやすように頭を撫でて、手を離した。
 美琴が、両手を強く握った。
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