第2話

文字数 2,072文字

 伊勢神宮は三重県の南東部、伊勢市を流れる五十鈴川(いすずがわ)のほとりに鎮座する。
三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」をご神体とし、主祭神・天照大御神を祀る皇大神宮(こうだいじんぐう)(内宮)、衣食住・産業の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(外宮)、その他別宮や摂末社を含めた百二十五の宮社をひっくるめた神社が、伊勢神宮だ。日本の総氏神として崇められ、参拝者数は年間約八百人。内宮・外宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)(二十年ごとの建て替え)が行われた2013年には、1420万人以上もの人々が参拝に訪れた。「お伊勢さん」と呼ばれて親しまれ、正式名称は「神宮」。他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称されるが、本来「神宮」は伊勢神宮のことを指す。参拝時間は季節によって代わり、夏の時期は午前五時から午後七時まで。終了時間は、ちょうど夕飯時だ。
 午後六時半頃。ちらちらと向けられる視線から逃げるように食事処を出て、店の裏手の駐車場でこそこそと鈴が小型の朱雀に変化し車へ乗り込む。さっそく夏也が社務所へ電話を入れると、大宮司が対応してくれた。宇治橋鳥居の前で待っているので、A1の駐車場に停めるようにと言付かった。
 一般的に、神社の役職は上から宮司、権宮司(ごんぐうじ)禰宜(ねぎ)権禰宜(ごんねぎ)出仕(しゅっし)となっている。しかし、伊勢神宮には独自の役職が設けられており、祭主、大宮司、小宮司、禰宜、権禰宜、宮掌(くじょう)、出仕となっているらしい。祭主、大宮司は伊勢神宮にしかない役職で、小宮司が一般的にいう宮司に当たる。
 かつて天照大御神がこの地を鎮座地と決めた時、天皇の代わりとして仕えた者を「斎王(さいおう)」と呼び、いつしか制度化され、神宮の役職に大きな影響を与えたそうだ。
 空はまだ青空が広がっている。伊勢神宮から街へ出る車の方が多く、今から向かう車はない。
 本来、内宮から車で十分ほどの場所に建立された外宮を参拝するのが正式な順序だが、何せ伊勢神宮は広い。さすがに参拝はしなければいけないだろうし、境内をざっと見るにしても、少々時間がかかるだろう。
 指定された二十四時間営業の駐車場は、管理棟を境に、右のA1が四十九台、左のA2が百五十五台。奥をぐるりと森に囲まれている。この駐車場を西へ抜けると、足神さんと呼ばれ親しまれる宇治神社が建立されている。病気平癒、特に足に関する病や悩みには必ず加護があると言われ、お礼に草鞋を奉納する習わしがあるそうだ。
 華は入口のゲートバーをくぐり、車のいないA1の駐車場へ入れ、森に近い方のスペースに車を滑り込ませた。道路側にも植え込みがあり、木が茂っているのでちょうど目隠しになる。すぐ側には、森に埋もれるようにして小ぢんまりとした鳥居が建っている。饗土橋姫神社(あえどばしひめじんじゃ)だ。宇治橋の守り神が祀られており、ちょうど対角線上の位置にある。
 A2の駐車場には、出庫途中の車が数台いるだけだ。広い上に管理棟が目隠しになり、鈴と紫苑はこそこそしなくてもいい。とはいえ、二十四時間営業のため管理棟に人がいるようなので、念のために鈴が車の影で人型へ変化し、紫苑が刀を腰に佩く。
「まだ人がいるけど、刀大丈夫かな」
「大丈夫だろ。コスプレにしか見えねぇって」
 弘貴は楽観的に言うが、念のために引きとめられやしないか不安だ。と、春平は小首を傾げた。遠くの方へ視線を投げたままの紫苑の横顔は、少し不快げに眉が寄っている。
「紫苑、どうしたの?」
 春平が声をかけると、必要な荷物を選り分けていた華たちが一斉に視線を寄越した。
「駄目か」
「ああ。入れぬこともないだろうが、神気が強い。できれば足を踏み入れたくはない」
 鈴と紫苑の会話に何のことだという沈黙が落ち、しばらくして春平たちが声を揃えた。
「そうか」
「そうでした」
 刀に不安を覚えたが、もう一つ気にする部分があった。紫苑は鬼で、ここは神域なのだ。しかも、巨大結界の一端を担うほどの神気で満ちている。
「いやだ、忘れてたわ」
「お前たち大丈夫か?」
 春平たちの言葉を代弁した華に鈴が突っ込んだ。
「だって、普通になっちゃってるもの」
「つい忘れてしまいますよね」
 華と夏也に春平は苦笑いし、弘貴はうんうんと頷き、鈴は呆れ顔で嘆息する。
「俺、最近コスプレにしか見えなくなってきたんだよな」
「あたしは角すら見えなくなってきたわ」
「それは医者にかかった方が良いのではないか?」
「何の違和感もありません」
「僕もです」
 だよねー、と本人そっちのけで盛り上がる春平たちを見つめる紫苑の顔は、どこか複雑そうだ。例の照れ隠しではなく、本当に複雑に思っている。
「……お前たちは、警戒心が薄すぎる」
 溜め息交じりにぼそりと呟いたかと思ったら、
「周囲を見回ってくる」
 そう言い置いて、さっさと饗土橋姫神社(あえどばしひめじんじゃ)へと身を翻した。森の中から上へ出て、ぐるりと回り込むつもりだろう。
「行くぞ」
 鈴に促され、改めて管理棟の方へ向かう。出口がA1の方にあるので、管理棟と森の間に行き来するための通路が設けられている。その通路を抜け、管理棟の横を通り、横断歩道を渡ったところに参拝路があるのだ。車が多ければ危険だろうが、今はいないため大丈夫だろう。
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