第4話

文字数 5,380文字

「あの……」
 遠慮がちに口を開いたのは、佐々木だ。
「どうぞ」
「はい。犯人たちは、こちらが目的に気付いていることを分かっているんでしょうか」
「おそらく」
「でしたら、もっと早く結界を壊してしまおうとは思わなかったんでしょうか」
 ああ確かに、と刑事組と一緒に大河も同意し、確かにそうだよなとローテーブルを囲む弘貴たちからも声が上がる。
「その点については――」
 宗一郎は言葉を切り、宗史を見やった。言外に、気付いたかと問う視線だ。宗史が分かりましたと言いたげに息を吐く。次期当主も大変だ。
「あくまでも推測ですが、千代の問題かと」
 端的な答えに、宗一郎が満足げに微笑んだ。
「千代の?」
「どういう意味だ?」
 問い返したのは、紺野と下平だ。
「先程の説明にもありましたが、巨大結界を破れば、各地の悪鬼や浮遊霊が解放されます。それら全てを従えるほどの力が戻っていなかった。つまり、魂が定着していなかったのではないかと」
「あー、なるほど」
 と声を上げたのは陰陽師一同と志季だ。一方、刑事組は少々困惑顔をしている。
「骨が盗まれたのは先月上旬です。我々は、千代の魂を戻すための呼び水、あるいは魂を肉体に定着させるために使われたのではないかと考えています。しかし、かつての自身の骨を利用し取り憑くことはできても、強大な邪気を持った魂を定着させるには、肉体に相当な負荷がかかると思われます。短期間で完全に魂を定着させ、力を取り戻すのは少々難しいかと」
 宗史が口を閉じると、刑事組は一斉に「はー」と感心した声を漏らした。下平が言う。
「確かに、それだと納得できるな」
「ええ。となると、一連の事件は千代の力を試す意味もあったんでしょうね」
「この日に合わせて調整してたってことか」
「どこまでも計画的ですね」
 紺野、熊田、佐々木と続く一方で、宗史のこれでいかがですかと言いたげな視線に、宗一郎はにっこり笑顔を返してきた。腹の探り合いみたいなやり取りはやめて欲しい。両隣の大河と晴が、顔を強張らせて仰け反った。
「ですが」
 紺野が難しい顔をした。
「結界の破壊を回避しても、十六日に亡者が戻ってくることは同じですよね。昼間は避けるとして、十五日の夜は人出があるから可能性としては低い。でも、十六日の零時以降に狙ってくるんじゃないですか」
「それは、勝敗によります」
 訝しげに眉を寄せた紺野につられて、大河も難しい顔をした。紺野の懸念はもっともだ。結界の破壊を阻止しても、亡者が戻ってくることは回避できない。そこから二十四時間はこちらの世界に留まるのだから、狙ったとしてもおかしくないと思うのだが。
「どういうことですか?」
「地獄の支配者が誰か、ご存知ですか?」
「は?」
 問い返された不可解な質問に、紺野たちはぽかんと口を開けた。答えを確認するようにそれぞれ困惑顔を見合わせ、紺野が怪訝な声で答える。
「えーと、閻魔大王、ですか……」
「その通りです。一度地獄に落ちた亡者は、閻魔大王の管理下に置かれます。その亡者に手を出せば、当然、逆鱗に触れるでしょうねぇ」
 宗教上の死生観なのだから、いきなり閻魔大王なんて言われても戸惑って当たり前だ。だが、ここまで来て否定はできないだろう。えーとつまり、と頭をひねる紺野たちをよそに、大河はこっそり宗史に聞いてみた。
 宇治川の瀬織津姫(せおりつひめ)といい酒吞童子といい、神様は皆、自分の縄張りや管理下にあるものに手を出されたら怒り狂うのだろうか。
「ねぇ、閻魔大王を怒らせたらどうなるのかな?」
 話の流れ的には至極当然の疑問だが、子供の純粋な質問のようでもある。宗史が苦笑いした。
「怒らせたことがないから分からないな」
「だよね」
「ただ、少なくとも千代は捕えられて阿鼻地獄行き、もしくは裁き無しで消されるかもしれない」
「……魂を?」
「そうだ」
「阿鼻地獄って、阿鼻叫喚の阿鼻?」
「ああ。地獄の中で最も過酷とされる地獄だ。絶え間無いという意味で、無間地獄(むけんじごく)とも呼ばれる」
 仏教の神様のことは調べたが、地獄まではさすがに調べていない。もう名前からして怖そうだ。ふぅん、と曖昧な相槌を打って、大河は視線を落とした。
「それ、分かっててやろうとしてるのかな……」
「……さあ、どうだろうな」
 返ってきた答えは曖昧で、間はあったけれど他人事のようにあっさりしていた。
 他の者はどうか分からないが、少なくとも満流は陰陽師家の末裔だ。地獄の亡者に手を出すことがどういうことなのか、知らないわけではないだろう。千代だってそうだ。今より迷信や宗教が熱心に信仰される時代で生きていた。知っていてもおかしくないように思う。
千代は――彼らは、まさに魂をかけてこの世を恨んでいる。
「そうか」
 腕を組んで唸っていた下平が、閃いた顔を上げた。
「俺たちが勝った場合、閻魔大王に対抗する戦力がない。だから亡者を悪鬼化する可能性は低い」
 なるほど、と刑事組が続き、大河もこっそり納得する。要は、十四日から十五日にかけて悪鬼化を進め、十六日、閻魔大王に反撃する戦力にするつもりだったのだ。当然、敗北すれば計画は破綻する。
「その通りです。閻魔大王だけでなく、裁判を行う十王や獄卒と呼ばれる地獄の鬼たち。地獄そのものを敵に回すことになります。悪鬼がいても、太刀打ちできるかどうか」
 何だか壮大な話になってきた。地獄を敵に回すとか想像できない。地獄の鬼は柴と紫苑のような人に近い容姿なのか、それとも絵巻物のような赤鬼や青鬼なのか。千代を捕らえるとしたら、どんな方法を使うのだろう。不思議な力で地獄へ移動させるとか、刺客を送り込むとか、まさか徒党を組んでこの世に押し寄せてくるのだろうか。色々疑問は多いが、何にせよ恐ろしすぎる。
 あまり考えないようにしよう。まさに鬼の形相で金棒を振り上げた赤鬼と青鬼を脳内から消し、思考を放棄する。
 紺野が言った。
「もう一つ。こんなことを言うのは何ですが、十四日にもし結界が破壊されたとしても、十五日は丸一日開くわけですよね。その間に結界を張り直して、ある程度抑制できないんですか」
「おそらく無理です」
 速攻で否定され、紺野が眉根を寄せた。
「伊吹山と各神社は、媒体の役目も果たしています。媒体があるのとないのとでは、結界の形成速度や強度がかなり変わるんです。これほど大規模で強度も保つとなると、どちらか一方の媒体だけでは膨大な霊力と時間が必要になる。一日では不可能です」
 大河は改めて地図へ視線を落とした。確かに、県をまたいだ巨大結界だ。いくら当主二人の霊力を持ってしてでも、媒体なしでは時間がかかりそうだ。
「互いにチャンスは一度切りってことですか……」
「はい」
 溜め息交じりの紺野に、宗一郎は躊躇いなく頷いた。
「他に質問は」
 全員が首を横に振る。
 では、と宗一郎が地図上の結界の中心を指でとんと叩いた。
「間違いなく、敵側の狙いはこれだ。お前たちは、各地へ赴き阻止しろ――」
 そうして紺野たちへの指示が出され、今日。担当箇所とコンビが発表された。
 元伊勢内宮皇大神社(もといせないぐうこうたいじんじゃ)――宗史、大河、左近
 伊吹山(いぶきやま)――晴、陽、志季
 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)――樹、怜司、閃
 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)――茂、美琴、香苗、柴、右近
 伊勢神宮(いせじんぐう)――華、夏也、弘貴、春平、紫苑、鈴
 宗史と晴を分けるのかと意外に思ったけれど、二人を組ませたままだと、大河と陽が残るのだ。式神がいるとはいえ、さすがにこの二人だけでは心許なさすぎる。また、柴と紫苑を組ませたままだと、各地に式神は必須なので、戦力が大きく偏ってしまう。実力と現場の敷地の広さを考慮した配置だった。

          *

『宮司や関係者には、すでに話をつけてある。敵が動くのは陽が沈んでからと考えていい。到着後、各自で結界を張って警戒を。巨大結界発動後は融合し、強化される。頼んだぞ』
 そう、宗一郎は言った。話をつけたのはきっと尚だろう。そしてすでに平城京跡にあるらしい錫杖を運んだのも彼だ。
(なお)さん、今日来るのかな」
「来るだろうな。父さんと明さんの護衛に付くと思うぞ。結界を発動させる間は、無防備になるからな」
「そっか」
 この戦いが終われば会えるかもしれない。瓦そばともう一つ、楽しみができた。
 宗一郎が言うように、敵側の誰がどこに配置されるか、現場に行かないと分からない。それは敵側も同じ。まさに運任せだ。ただ、それは――。
 大河は顔を曇らせ、宗史を振り向いた。「椿(つばき)は?」と尋ねようとして、とっさに飲み込む。
 向小島には来なかったけれど、総力戦である以上、参加してもおかしくない。誰と対峙するか、分からない。でも、そんなこと宗史が一番分かっている。
 宗史が不意に視線を投げた。
「何だ?」
「あ、ううん。何でもない」
 へらっと笑って前を向き直る。ついでにルームミラー越しにちらりと盗み見た左近は、眠っているわけではないだろうが、腕を組んで静かに目を伏せていた。
 初めから、宗史も左近も、椿と対峙することを覚悟している。そして実際に対峙した時は、互いに手を抜いたりしないのだろう。潜入させた以上、中途半端な真似をすれば椿の命に関わるのだ。
 それともう一つ。会合での説明は、少しだけ足りない部分があった。
 敵側は結界を破ったあと、悪鬼を集めるために、大河の負の感情を利用するつもりだ。誰がどこに配置されるか分からないということは、つまり、誰に当たっても対応できるだけの策を講じてくるということ。
 もし目の前で宗史と左近が殺されたら、もし誰かが殺されたら――そう考えるだけでぞっとする。影綱の独鈷杵があっても、きっと負の感情を抑えられない。
 ふと気になって、大河は宗史へ顔を向けた。
「ねぇ、宗史さん」
「うん?」
「俺が標的になってること、皆には話してるんだよね」
 誰も話題にしていないが、紺野たちが参加した会合の日の午前中、全員に真実が伝えられている。ならばその時に話しているのだろうと思っていたが。
「いや、話していない」
「え……」
 反対の答えが返ってきて、大河は目を丸くした。
「話してないの?」
「ああ」
「何で!?」
 思わず身を乗り出す。
「樹さんの件で、注意喚起は済んでいる」
「でもそれって樹さんが……っ」
 皆が責めることはないだろうが、それでも、もし何かあった時、樹はきっと自分のせいだと思う。全責任を背負わせることになる。
「今から皆に」
「大河」
 鋭く呼ばれ、大河はボディバッグから携帯を引っ張り出す手を止めた。
「必要以上の警戒と緊張は逆効果だ」
 ぐっと声を詰まらせ、大河は手元に目を落とした。確かに、宗史の言うことも一理ある。過度なプレッシャーは、判断力を鈍らせてしまう。
「でも、皆が……」
「それと」
 言葉を遮られて、視線を上げる。
「おそらくだが、樹さんと怜司さん、しげさんと華さんは気付いていると思うぞ。夏也さんはちょっと分からないが、華さんから聞いているかもしれない。もしかすると美琴も」
 言われてみれば、大人組みは冷静で頭のいい人ばかりだ。美琴も、普段は落ち着いていて、地図の件で華が「あの子まとめるのが上手いのよね」と言っていた。状況整理や分析力に長けているのだ。そして何よりも、昴のことを先に知らされていた。当主から認められている証拠だ。となると、気付いていてもおかしくない。
 しかし、だからといって話さなくていい理由にはならない気がする。
 大河は再び手元に視線を落とし、携帯を強く握った。
「……俺は、ちゃんと話したい」
 ぼそりと呟いた大河に、宗史が嘆息した。
「なら、せめてこの件が終わってからにしろ。とにかく今はやめておけ。出発前の様子を見る限り、香苗はかなり緊張していた。これ以上は負担になる」
「あ……」
 そういえば、右近はずっと香苗の側を離れなかった。庇護欲からだと思っていたけれど、香苗を心配したゆえのものだったのか。香苗だけではない。程度の差はあっても、皆きっと緊張している。
 長く、ゆっくり息を吐き出して、気を落ち着かせる。
「分かった、そうする」
 皆に警戒して欲しくて、樹にだけ責任を負わせたくなくて、話した方がいいと思った。もちろん本心だ。けれど、黙っている後ろめたさから解放されたいという気持ちも確かにあって、今の皆の心境を考えていなかった。
『要は、どっちを優先するかなんだよ』
 省吾が言っていた。自分の気持ちを優先するか、相手の気持ちを優先するか。それは状況によって変わる。今は、間違いなく皆の気持ちだ。優先順位を間違えた。
 駄目だなぁ。自分への不甲斐なさと皆への心配がない交ぜになって、つい情けない顔になる。
 のろのろと出しかけた携帯を引っ込める大河を横目で盗み見し、宗史は前を見据えた。
「大河」
 強く呼ばれて顔を上げる。
「樹さんたちが気付いているのなら、きっとお前の気持ちも分かっている。それに、父さんと明さんが、これならと考えて配置したんだ。柴や紫苑、式神も付いてる。皆を、信じろ」
 前を見据える宗史の眼差しは、とても真っ直ぐで、強かった。これまで一緒に過ごしてきた皆の力を、信じているのだ。
「うん」
 今は、自分の不甲斐なさに落ち込んでいる場合ではない。そもそも、皆は自分よりはるかに強く、経験値も上だ。
 ――大丈夫。信じろ。
 大河は携帯を持つ手に力を込めて、真っ直ぐ前を見据えた。



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