第16話

文字数 2,463文字

「ただですね。さっき僕、おそらく、と言いましたよね」
「え?」
 そう問われて思い返す。確かに満流は、「おそらく亡くなっています」と言った。しかし。
「え、何。あいつ死んでねぇの?」
 平良が問い返した。
「いえ、そういう意味では……えーと、すみません。これ僕の悪い癖ですね。初めからご説明します」
 先程紛らわしい言い方をして誤解を生んだことを思い出したらしい。満流は苦笑いを浮かべ、晴が神降ろしの呪を行使するまでの経緯を語った。
「――あのまま留まれば間違いなく攻撃を受けていたので、すぐに撤退したんです。さすがに不動明王を相手にするほど馬鹿ではありませんから。ですから、その後どうなったのかまでは、確認していないんですよ」
「でも、神との契約は覆せないだろう」
 健人が言った。
「ええ、それはもちろん。ですよね、杏、椿」
「ああ」
「はい」
 二人が声を揃えて頷いた。
「じゃあ確実に死んでんじゃね?」
 平良くんっ、と百合子からの叱責が飛び、椿が大丈夫ですからと止めに入る。
「それがですねぇ、そうとも言い切れない、というか、正確に言えば、土御門晴さんが亡くなっていると言い切れない、と言った方が正しいですね」
 ますます皆の眉間にしわが寄り、健人が問う。
「どういう意味だ?」
「よく考えてみてください。土御門晴さんが結界を発動させたのならば、当然両家のご当主は、『自分たち以外の誰かが発動させた』ことが分かります。となると、間違いなくどちらかが伊吹山へ向かったと思うんですよねぇ」
 弥生が訝しげに眉をひそめ、同時に椿が思い当たった。まさか――いや、やはり考えにくい。
「つまり、不動明王と交渉して、当主のどっちかが代償を支払ったって言いたいの? それはそれで、あたしたちにとっては好都合でしょ。式神も二体いなくなるわけだし。でも可能性としては低くない? 椿がここにいるんだから、式神の数はぎりぎりだったわけよね。あいつらは全員あたしたちと戦ってた。平城宮跡にいたのは土御門尚で、式神はいなかったってことでしょ。どうやって移動するのよ」
「……十二天将、ですか」
 椿がぽつりと口にすると、一斉に視線が集中した。
「ご存知ですか」
「はい。ですが、私たちとは違い、彼らを召喚するのはかなりの霊力を消費します。巨大結界を発動させようとしていた明様に、それほどの霊力が残っていたとは思えません」
「やっぱり、そうですよねぇ」
 満流は難しい顔でうーんと唸った。
「ちょっと満流、あんた言ってることが矛盾してるわよ」
「そうだよー。結局どっちなの?」
「はっきりしろ」
 弥生、真緒、雅臣から苦言が飛んだ。
「宗一郎さんと明さんのことが気になってる?」
 今度は、不意に口を挟んだ昴に視線が集中する。満流が、窺うような目付きで見やった。
「ええ、まあ。それと、もう一つ気になることが」
「何?」
「ほら、補充と援軍用を確保するために、街に悪鬼を放ったじゃないですか。見ました? あれ。いくらなんでも小さくなかったですか?」
「ああ、確かにね。僕は直接見ていないけど、邪気がかなり小さいなとは思った。こっちの動きを読んで、何か対策をしていたんだなって」
 前線組が確かにと追随したが、真緒だけがそうなの? と小首を傾げた。
「でも、ちょっと難しくないかな」
「そう、僕もそう思いました」
「どうして?」
 真緒が尋ねた。
「いいですか。あちらもこちらも、全員が本拠地を離れるわけですから、警戒して当然だとは思います。対策されていても不思議ではありません。ですが、今の皆さんの反応を見る限り、近畿全域ですよ? いくら両家でもちょっと無理があると思うんです。初めは、十二天将を事前に召喚して警護につかせたのかと思ったんですが、そんなに強い神気は感じませんでした。いれば綺麗さっぱり調伏されているでしょうし、杏が気付きます」
 杏が無言で頷く。
「となれば、十二天将ではない別の誰かが警護についていた、としか考えられないんです。でも、僕にはそれが誰なのか皆目見当もつきません。そこで先程の、土御門晴さんの件です。もし僕たちが把握していない陰陽師がいて、さらにその方々が式神を使役しているのだとしたら。あるいは、こちらが思いもよらない手段で移動できたのだとしたら、不動明王と交渉を行って契約を変更させたのではないか、と思ったんです。そうですね。状況から見て、おそらく動いたのは賀茂宗一郎さん。彼が対価を支払ったのでは、と」
 満流の思いがけない推測に、一同がざわついた。もしこれが当たっていたとしたら、人員も戦力の差も歴然となる。敗北が決定したようなものだ。
 椿はぐっと拳を握り、滲みかけた涙を押し込んだ。満流が言うように、伊吹山へ向かうとしたら宗一郎だろう。もし何かしらの移動手段があったとしてもなかったとしても、どちらにせよ、晴、宗一郎、志季、右近、左近のうちの数名は、もうこの世にいないのだ。
 不安と心配が、今にもどっと溢れてきそうだ。
 不意に、拳に置かれた小さな手にぎゅっと力が入った。隣を見やると、里緒の心配そうな顔がこちらを見上げていた。
 里緒の過去に何があったのか、まだ分からない。けれど、小さな手に刻まれた痛々しい焼き印が、その壮絶な過去を語っている。大人でさえ自分が受けた痛みに囚われて、人の痛みを理解するどころか不幸を願う輩は一定数いるというのに。この少女は、人への気遣いを知っている。優しい子だ。
 椿はするりと片手を離し、優しく里緒の手に重ねた。
「大丈夫ですよ」
 笑顔を浮かべ、小声で告げてやると、里緒は微かに笑って頷いた。それを見届けてから、椿は真っ直ぐ視線を上げた。
 彼らの気持ちは分かる。だが、負の感情に囚われた彼らを、救いたい。穢れから人を護るのが陰陽師の役目であるように、式神の役目もまた同じなのだ。その役目をまっとうせねば。彼らのために、主のために、そして、自分自身のために。だから今は、宗史たちを信じるしかない。きっと、同じように悲しみを押し殺し、歯を食いしばって前を向いているから。
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