第4話

文字数 2,668文字

「で、だ。話がまとまったのはいいとして」
 志季の中ではまとまったらしい。表向きそう捉えられなくもない流れだったし、これ以上引っ張ってもおそらく平行線だ。ならば、一旦置いておくのも手か。やれやれと言いたげに、志季がどすんとベッドの端に腰を下ろした。
「報告の続きしなくていいのか」
「あ、そうだった」
「何かあったのか?」
 頭を切り替えるためにペットボトルをあおりながら問うと、陽は少しだけ顔を曇らせて頷いた。
「まず、紺野さんたちは全員ご無事だそうです。詳細は今日の会合でお話されると思います。問題は宗史さんたちの方で、こちらも詳しくは分からないんですが、実は――」
 志季の隣に座りながら、陽は報告の続きをした。
「――大河さんはもう立ち直っているようですが、伊勢神宮班の皆さんの方が、ちょっと……」
「あいつら絶対何か隠してるよな」
「うん。しかも結構重要なことかも」
「そうか……」
 晴はペットボトルの水を飲み干して、低く唸った。宗史が一緒だ。大河は心配いらないだろうが、確かに弘貴たちの態度は気にかかる。間違いなく、何か不都合なことが起こっている。
「それともう一つ」
「うん?」
「先程、おじさんから連絡がありまして。迎えをやるから彼らに送ってもらえと。あれだけ出血していれば貧血を起こすだろうからって」
「そりゃ助かるけど、誰だ? 右近たちか?」
「いえ。それがよく分からないんです。スーツの男性二人で、ロビーで待機している、としか」
「は?」
 心当たりはと言外に見やると、志季は「さあな」と肩を竦めた。スーツの男二人――まったく心当たりがない。誰だ。
「そういや、車はどうしたんだ」
「あ、それは昨日、おじさんが代行を手配して……」
 陽が何かに気付いて言葉を切った。
「お前ら、その『代行』と会ってないんだよな」
「ええ……」
「まさか、その二人組か」
「多分な」
 呆れ気味の志季に、晴は盛大な溜め息をついた。秘術がそうだったように、十二神将の真言や霊符をはじめ、当主のみが継承する術や人脈など、陰陽師家には自分たちが知らない秘密がまだ多くあるのだろう。だが、あの二人の秘密主義はもう今さらだ。他の式神連中も同様、どこの誰だと問い質しても、のらりくらりとかわされるのがオチに決まっている。
「どうせ聞いても無駄だろうし、あの二人が手配した奴なら大丈夫だろ」
「ですね」
 陽も若干諦め気味だ。
「他に何かあるか?」
「はい。あと一つだけ。その、今回のことですが。一切他言するな、宗史さんには自分から話すと」
 大河を含めた寮の者と紺野たちに話す気はないらしい。その理由は、考えなくても分かる。宗一郎は、彼らがどう思うかよりも、事件の解決を優先した。「今」話すべきではないと判断したのだ。
 ――では、自分は?
 などと自問自答せずとも、答えはもう出ている。
「いや、俺が話す」
 自分がやらかしたことだ。筋は通さなければ。
 見つめ合ったまま一瞬沈黙が落ち、陽が短く息を吐いた。
「分かりました。報告は以上です」
「了解」
 だったら自分もと言うかと思ったが、意外とあっさり納得してくれた。気持ちを察してくれたらしい。何とも出来の良すぎる弟を持ってしまったものだ。
「晴兄さん」
「うん?」
「朝食はどうされますか。レストランはもう閉まってますから、コンビニで何か買ってきましょうか?」
 本当に出来が良すぎやしないか。そのうち頭が上がらなくなりそうで怖い。腰を上げた陽に密かに恐怖を覚えながら、晴はそうだなと頷いた。
「じゃあ頼むわ。気ぃ付けて行けよ」
「はい。志季、行こう」
「はいよ」
 お前は目立つからと止めたいところだが、昨日の今日だ。陽を一人で外出させるわけにはいかない。それに、今は一人の方が都合がいい。
 テーブルに置いていた自分の携帯と財布と独鈷杵を持った陽が、そうだとこちらを振り向いた。
「お風呂、入れそうなら入ってください。溜めてありますから」
「おー、そうしろよ。なかなか景色もいいぜ。これで温泉なら言うことねぇんだけどなぁ」
「昨日一時間も入ってたくせに」
「やっぱ檜風呂最高。なあ、うちも檜にしようぜ」
「手入れが大変らしいから無理だと思うよ。じゃあ、行ってきますね」
「おお」
 そもそも志季はうちのお風呂入らないでしょ、毎日召喚させる、と言いながら部屋を出る二人を見送り、晴は呆れ顔で携帯へ手を伸ばした。何故風呂のためだけに毎日志季と顔を合わせねばならんのか。大体、そうなったらなったで鈴が自分もとうるさいだろうし、閃に至っては無言で圧をかけてきそうだ。さらに言うなら、右近と左近にバレた日には面倒臭いことになるに決まっている。今回は迷惑をかけたと思うが、それとこれとは別問題だ。
 深々と溜め息をつきながらメッセージを開き、賀茂宗一郎の文字を見て、つい指が止まった。自分の身代わりをさせてしまう相手とどんなふうに話せばいいのか、どう話を切り出せばいいのか、さっぱり分からない。だが、ここで躊躇しても何も始まらない。
 意を決して通話ボタンをタップすると、すぐに無機質な呼び出し音が鳴り、晴は静かに息を吸い込んだ。コールが一回鳴るごとに、心臓の鼓動が速くなる。
 陽に連絡してきたのなら起きているはずなのだが、五回ほど鳴って、風呂か? と諦めようとした時、呼び出し音が途切れた。思わず息をのむ。
「私だ」
 一日しか経っていないのにずいぶんと懐かしく思うその声は、いつもと変わらない、落ち着いた声色だった。緊張からか、返事が一拍遅れた。
「……俺」
「ああ。おはよう」
「おはよう」
「体の調子はどうだ?」
「え、ああ……、うん、まあまあ」
 会話の流れとしては自然なのに、宗一郎から話を切り出すきっかけを与えられたようで一瞬動揺した。情けないほどたどたどしい返事。
「そうか。それは良かった」
 会話が途切れ、ごくりと喉を鳴らしてから、ゆっくりと口を開く。
「あの、さ……」
「ああ」
 覚悟を決めたはずなのに、言葉は喉に詰まってなかなか出てこない。晴はきつく唇を結んだ。
 宗一郎のことだ。どうせ電話した理由などお見通しなのだろう。そもそも、生まれた時から今まで、それこそ恋愛遍歴まで筒抜けなのだ。今さら取り繕うだけ無駄だ。
 晴は改めて覚悟を決め、口を開いた。
「陽から、聞いた」
「そうか」
「……ごめん」
 自分でも分かるほど弱々しいひと言に、すぐに答えは返ってこなかった。もともと何を考えているのか分かりづらい人ではあったけれど、今はそれ以上に彼が何を考えているのか分からない。この沈黙が恐ろしい。生きている心地がしない。
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