第6話

文字数 3,706文字

      *・・・*・・・*

 それは、どこか遠い場所で鳴っているような、幻聴かと思うような、霞がかった音だった。
 それでもそれがメッセージの着信音だと脳が自動的に判断し、大河は布団の中からもぞもぞと手を出して、枕元に置いていた携帯を掴んだ。寝起きの視界に画面の明かりは強すぎる。顔をしかめ、薄目で相手の名前を確認した。
「……優さん……?」
 以前依頼を受けた、小田原優からだ。しかも、熟睡していて気付かなかったらしい。早坂翔太から一度、省吾と風子とヒナキからグループメッセージへ一度ずつ、さらに影唯からも届いている。
「え、何?」
 六人から同時にメッセージが来るなんて怖すぎる。不安にかられ、大河はまだはっきりしない頭を動かして、のっそりと体を起こした。と、今度は隣で寝ている宗史の携帯が立て続けに三度の着信音を鳴らした。何気なく見やると、宗史は寝返りを打って横向きになり、本当に寝ているのかと疑いたくなるほどの素早さで布団から手を出し、叩き付けるように携帯を引っ掴んだ。やかましいと言わんばかりだ。
 しばしその恰好で沈黙し、掴んだ携帯を引き寄せる。そしてまた静寂が落ちたと思ったら、ぱたんと携帯を伏せた。あれ、二度寝? 宗一郎か誰かからではなかったのだろうか。そんなことを思いながら、大河はまあいいやと自分へ届いたメッセージを確認した。
「……何のこと?」
 寝起きの頭では理解できない内容に、思わず首が横に倒れる。小田原のメッセージには、こう書かれてあった。
『おはよう。昨日の騒ぎ、大丈夫だった?』
 騒ぎといえば一つしか思い浮かばないが、小田原が知っているわけはないし、何のことだろう。ひとまず返事は後回しにして、残りのメッセージにも目を通す。
 翔太。
『昨日の騒ぎ巻き込まれなかったか?』
 省吾、風子、ヒナキ。
『大河、無事か? そっちおかしなことになってたみたいだけど、もしかして事件絡みか?』
『なんか大変なことになってるけど、たーちゃん大丈夫?』
『大河お兄ちゃん巻き込まれてない? 大丈夫?』
 影唯。
『おはよう。大変なことになってるみたいだけど、大丈夫かい? お母さんも心配してるから、できるだけ早めに連絡しなさい』
 五人のメッセージも似たり寄ったりの内容で、ますます意味が分からない。分かるのは、何やら大変なこと、省吾が事件絡みかと思うようなことが起こっていた、ということくらいだ。
「……ん?」
 大河は違和感を覚え、眉根を寄せた。そっち、ということは、つまりこちら。京都だ。そして省吾たちは山口にいる。ということは――どういうことだ?
 駄目だ頭が起きてない。とりあえず眠気覚ましに顔を洗ってこよう。大河は潔く諦めて携帯を放り出し、布団を剥いだ。すると宗史の布団がまたごそりと動き、枕に顔を擦り付けるようにしてうつぶせになり、顔だけをこちらへ向けた。手には携帯を持ったままだ。意外と寝起きが悪いのだろうか。
 ふ、と開いた目と視線が合った。状況を思い出そうとしているかのように、何度も瞬きをする。
「おはよう、宗史さん」
「……ん。おはよ」
 一拍遅い反応に、寝ぼけ顔と少し気だるそうな口調。いつもの凛とした宗史とは正反対だ。独鈷杵争奪戦の翌日もあとから起きてきたが、ここまでぼんやりではなかったのに。
「先に洗面所使うね」
「んー……」
 曖昧な返事は、まだ寝足りなさそうだ。この人、起きぬけはこんな感じなんだ。しゃきっと起きて、てきぱきと身支度を整えそうなのに。まあ昨日の今日だしと、笑いを噛み殺しながらベッドから下りて、ふと気付く。左近がいない。
 予約されていたのは、エキストラベッドを入れれば三名まで宿泊可能のツインルームだった。これが省吾や弘貴たちなら公平にじゃんけんで決めたのだが、何せ一番年下で、交通費も食事代も宿代も両家持ち。さらに独鈷杵を奪われた後ろめたさもあって、自らエキストラベッドを選んだ。補助ベッドなだけに期待はしていなかったのだが、これが意外と悪くない寝心地だったため熟睡できたのは幸いだ。
 それはともかく、宗史の向こう側で寝ているはずの左近がいないのだ。洗面所からも物音はしない。となると。
「大浴場かな」
 温泉ではないが、朝の入浴は六時から九時までだと、インフォメーションブックに書いてあった。それを読んで、「ほう」と興味深そうにしていたから、一人でいそいそと行ったのだろう。これが柴と紫苑ならちょっとまずいけれど、式神は一見して人と区別がつかないので問題ない。無駄に目立つだろうが。
「あれ、でも……」
 洗面所に入りながら思い出した。確か、式神は自分の名前が体に刻まれるとか言ってなかったか。契約の証なのだろうが、知らない人から見ればタトゥーか刺青にしか見えないはずだ。こういう施設は禁止なのでは。
「……まあ、見られなきゃ大丈夫か」
 何か言われたら戻ってきているだろうし。楽観的な結論を出して、大河は歯ブラシに歯磨き粉を捻り出した。
 顔を洗い終えたところで、部屋のドアが開く音がした。左近が帰ってきたようだ。何やらぼそぼそとした話し声を聞きながら洗面所を出ると、左近は実に満足そうな顔でペットボトルをあおっており、どうやら目が覚めたらしい、ベッドの端に座った宗史が真剣な眼差しでテレビに見入っている。
 無事堪能できて何より。大河は笑いを噛み殺して、テレビに視線をやった。
 全国ネットの朝の情報番組だ。「関西で謎の騒動・原因は」とタイトルが付けられ、聴者提供と注釈が入った映像が流れる大型画面を、アナウンサーやコメンテーターが注目している。家族旅行に来ていたのだろう、顔にモザイクを掛けられた小さな少年が、恐竜のぬいぐるみを大事そうに抱えている。騒動の文字に一瞬どきりとした時、撮影者であろう男性の声が入った。
『楽しかった?』
『うん、楽しかった! こうやってね、ガオーって……』
『何だてめぇ! 何が言いたいんだ!』
 モザイクの下では満面の笑みを浮かべているのだろう。弾んだ声で感想を語る少年の無邪気な声を、突如、男の怒声が遮った。画面が驚いて跳ね上がり、映ったのは駅の構内。一瞬、大勢の人々が足を止めて同じ方向を見やる光景が映し出され、怒声の主を捉えた。こちらもモザイクがかかっているが、少し先で私服姿の男二人が掴み合っている。
『やだ、喧嘩?』
 母親だろう、女性の声だ。
『みたいだね。ちょっと離れようか』
『そうね』
 子供もいるし、巻き込まれればせっかくの旅行が台無しになる。そう判断し、移動するために撮影をやめようとしたのであろう、画面がブレてたくさんの荷物を映した。直後。
『いい加減にしろ! いっつも我儘ばっかり言いやがって、付き合わされるこっちの身にもなれ!』
 すぐ近くから、怒鳴り散らす若い男の声が飛び込んだ。それを皮切りに、まるで男の怒りが伝染したように周囲で次々と怒声が上がり始める。
『え、何? 何なの?』
『ママぁ』
 画面は荷物を映したままで、母親と少年の不安そうな声に、もう何を言っているのか聞き取れないほど人の怒声や叫び声が重なり、音だけでも相当混乱していることが分かる。
『よく分からないけど、一旦ここから出よう。急いで』
 うん、と母親が頷いたところで、動画が停止した。コメンテーターたちから訝しげな声が漏れ、女性アナウンサーがこちらを振り向いて手元に目を落とした。
『こちらは阪急梅田駅での事件直後の映像ですが、同じような光景が繁華街を中心に近畿各地で見られたそうです。この数分後、騒ぎ出した人たちは突然正気に戻ったように落ち着いたということですが、一部ではしばらく収まらなかったようです。警察が出動し、現在はどの地域も終息しています。猪口さん、これは一体何だったのでしょう』
 アナウンサーが神妙にコメントを求めたのは、白髪交じりの初老の男性だ。化学評論家と肩書のついたテロップが映され、猪口は難しい顔で唸った。
『うーん……警察が詳しいことを調査中らしく、周辺に不審物がないか調べていると情報は入っていますが……』
『それは、バイオテロを考慮した上でのことでしょうか。例えば、人の凶暴性に働きかける何らかの毒物とか』
『あくまでも可能性の一つとしてでしょう。ただ、今のところそのような不審物は見つかっていないようですし、気分が悪くなったり、亡くなった人もいないようです。確かに、映像を見る限りでは突然怒りを爆発させたように見えますが、そもそも凶暴性にピンポイントに働きかけて、なおかつ短時間、ほんの数秒や数分で症状が治まる毒物というのは聞いたことがありません。時間経過によって興奮状態になるものはありますが、それとは全く別物のように思えますね』
『そうですか。えー、他にも様々な憶測が飛び交っていて、闇組織の陰謀、集団ヒステリー。中には、幽霊の仕業なんていうのもありまして、我々の取材でも、目の前で突然人が消えたという証言がいくつも出ています』
 コメンテーター席から軽く失笑混じりの声が上がり、そこで宗史がテレビを消した。宗史と左近から深い溜め息が漏れ、大河は呆然と黒い画面を見つめている。
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