第7話

文字数 3,844文字

「……何、今の……」
 普通の人には見えないだろうが、視聴者撮影の動画には、初めに掴み合いの喧嘩をしていた二人組の男から大量のモザイクが噴出し、怒声と比例して瞬く間に画面を覆い尽したのだ。デジタル機器を通して見るのは初めてだが、あれはおそらく邪気。あんなことが、近畿全域で起こっていたなんて。しかも、人が目の前で消えている。
 左近が神妙な面持ちで言った。
「昨夜、援軍が来たであろう」
「え? うん。……あ」
 腕の痛みと悔しさで記憶が曖昧だったが、思い出した。あの時、宗史と左近が話していた。街を狙ったみたいだな、対策済みだと。つまりあの映像は、敵が街に悪鬼を放ち、人々に取り憑いた証拠。
 しん、としばし重苦しい沈黙が落ちる。
 巨大結界の発動を阻止するために、街の人たちを巻き込むなんて。長期休暇の真っ只中だ。あの動画の家族のように、旅行中の人々もたくさんいただろう。そんな中でわけの分からない騒動に巻き込まれ、怖い思いをするなんて。動画を提供するくらいだ。あの家族は無事なのだろうが、それでも、せっかくの家族旅行が怖い記憶として残るのだ。直前まであんなに楽しそうだったのに。その上、アナウンサーは目の前で消えたという証言があると言った。つまり悪鬼に食われた人がいる。目撃した人は、食われた人の家族や友人は、きっと今頃混乱している。そして、その「誰か」を食った悪鬼を、自分たちが調伏したかもしれない。これから、調伏するかもしれない。
 大河はぎゅっと唇を噛み締めた。
 今さらながら実感する。悪鬼を調伏するとは、そういうことなのだ。
 悪鬼と同化すれば、もう助けられない。廃ホテルでもそうだった。一度悪鬼に食われたから想像できる。同化すれば悪鬼の一部となり、逃げ場のない暗闇で延々と人の恨み事を聞かされ続け、いずれは耐えられなくなって精神が崩壊するだろう。だから陰陽師は悪鬼ごと調伏し、解放するのだ。分かっている。分かっているけど、でも、それでも「生きた人」を食った悪鬼がいるのだと冷静に実感してしまうと――。
 ――違う。
 大河は、頭をもたげた迷いを押し殺すように口の中で呟いた。
 違うだろう。これで何度目だ。いちいち感傷に浸る癖を直さなければと何度思った。本当にこれで良かったのかと、何度揺れた。
『人であれ悪鬼であれ、切り捨てるべき時を見誤るな』
 初陣の時、宗史は言った。そうだ。割り切らなければ次に進めない。失ったものは戻ってこない。ならば、これ以上失わずに済むようにすることが、今自分のやるべきことだ。
 考え方を変えろ。宗一郎と明が対策を講じていた分、被害は少なかっただろう。巨大結界が発動して助かった人もいるかもしれない。やれるだけのことをやった。あれ以上、自分たちにできることはなかった。
 こうなると分かっておいて、冷たいと、無責任だと言う人もいるかもしれない。他にできることがあったのではないか、責任から逃れるための都合のいい言い訳だと。でも割り切らなければ、この先きっと、戦えなくなる。
 もしそうなれば、犠牲になった人たちに――影正に、顔向けできない。
 大河はゆっくりと深く息を吸い込むと、おもむろに両手を上げて思い切り自分の頬に打ち付けた。バチンと甲高い音が部屋に響く。
 自分の無力さを嘆くのも、不甲斐無さに落ち込むのも、全ては事件が終わってからだ。
「よし」
 小さく一人ごちて顔を上げると、じっとこちらを見つめる宗史と目が合った。
「いいか?」
「うん、大丈夫」
 考えがまとまるのを待ってくれていたのだろうか。笑顔で強く頷くと、宗史は満足そうに「そうか」と言って微笑んだ。
「さて。父さんたちがどんな対策を講じたのか気になるが、支度しないと朝食を食べ損ねるな。大河、体調は大丈夫か?」
「うん」
「じゃあ、少し早めに出て、買い物してから帰ろうか」
「はーい。あっ、省吾たちにメッセージ返さないと。っと、その前に着替えよ」
 あの番組は全国放送だ。近畿全域、しかも不可解な大騒動となると、他の局でも扱っているかもしれない。そのどれかを見て、心配してくれたのだ。小田原と翔太も同じだろう。早く返信しなければ心配させる。
「省吾くんたちから連絡があったのか?」
 宗史が腰を上げながら尋ねた。
「うん。あと優さんと翔太からも」
「そうか。俺もあとで返さないと」
「さっきめっちゃメッセージ来てたけど、宗一郎さんたちじゃないの?」
「大学の友人だ」
「ああ、そっか」
 半分忘れかけていたが、宗史は大学生なのだ。(普段は)優しいし、友達も多そうだ。でも、晴たち以外の人と一緒にいる姿が想像できない。とか言ったら何をされるか分からないので黙っておく。
「あ、省吾が事件と関係があるのかって言ってたよ」
 ガウンタイプのパジャマは、肌触りはいいがやっぱりスカスカしてちょっと違和感がある。ボタンを全部外すのも面倒なので、大河は裾からめくり上げて一気に脱ぎ捨てた。
「ほう。やはり奴は察しが良いな」
 楽しげに口角を上げた左近に大河は目を白けさせ、宗史は苦笑いで洗面所へ消えた。何がそんなに楽しいのか知らないが、どうやらやけに気に入ったことだけは分かる。宗一郎と明も気に入ってるみたいだし、連絡先もバレている。まさか事件に巻き込むようなことはしないだろうが、おかしなことを吹き込むのだけはやめて欲しい。
 大河は長い溜め息をついて、荷物を漁った。


 よくよく思い起こせば、弘貴たちと近所を散歩したり、寮を抜け出したり、双子を探してあちこち走り回ったりしたことはあったが、観光はおろか、真っ昼間に買い物や食事と、いわゆる一般的な「お出かけ」をするのはこれが初めてだ。
 ここはぜひとも観光気分を――味わえないことは、重々承知している。
 一カ所で用事が済むため、立ち寄ったのは大型ショッピングモールだ。案の定、駐車場から目的の店へ向かうまでの通路、エスカレーター、そして「夏の大感謝祭セール」中の某衣料量販店でも、男女問わずあちこちから好奇心と好意の混じった視線が注がれ、色めき立った声が聞こえ、メンズコーナーは客で溢れ返った。左近は素知らぬ顔で「ほう、これは涼しげだな」などと言いながら店内をうろちょろし、宗史は宗史で「こっちの方が安いな」と真面目な顔でセール品を漁っていた。この二人を制御するなんて自分には無理だ。
 改めて思う。鈴の新幹線使用の許可をしなかった明は非常に正しい。宗史は大学でもこんな感じなんだろうか。
 こんなに注目を浴びていてはゆっくり買い物などできない。裾上げは混んでいたので華に頼むことにして、Tシャツ三枚とパンツ一本をさっさと選んでさっさと家電量販店へ向かう。ちなみに、試着した時、裾上げはどうされますかと聞かれて断ったら、お姉さんはちょっと残念そうな顔をした。イケメンを少しでも長く見ていたかったのだろう。なんかすみません。
「宗史さんて、普段ああいう店に行ったりするの?」
 飛んでくる視線と色めき立った声は気にしたら負けだ。何気に高い服を着ていそうだと思って尋ねると、宗史は不思議そうな顔で頷いた。
「当たり前だろ。むしろ多いくらいだな」
「えっ、そうなの? ブランド物じゃないんだ」
 宗史が「そういうイメージなのか」と苦笑した。
「ブランド物に興味はないし、特にこだわってるわけじゃないんだけどな。ただ、どうせ訓練や仕事で汚れるから、高いものはどうしても躊躇する。かといって安すぎるのも不安だろ。あのメーカーは価格と質がちょうどいいんだよ。シンプルだから合わせやすいし。あとは、母さんが洗濯機でガンガン洗える物がいいって言うから」
「なるほど」
 あんな大きな屋敷に住んで高級車を所有する、いわばお坊ちゃまなのだ。そんな彼でも一般人御用達の店を利用するのかと先入観満載だったけれど、夏美に言われたからというところも含めて、宗史らしい合理的な理由だった。
 家電量販店では迷わず同じフィルムを手に取り、さっさと会計を済ませ、注目を浴びながらマッサージチェアを試乗している宗史と左近の元へ足を向けた。探す手間が省けるので、これはこれで便利と言えよう。神様も肩が凝るのか。
 店舗を出たところで、宗史の携帯が着信を知らせた。
「父さんだ。ちょっといいか」
「うん」
 通路の端に寄って立ち止まる。メッセージのようで、宗史が文面に視線を走らせる間、大河は何気なく周囲を見渡した。
 明るい照明が店内を照らし、たくさんの店にたくさんの商品がお洒落にディスプレイされ、そこで元気に働く人たちがいる。それらを見て回る家族連れ、カップル、友人同士――目の前を行き交う人々の笑顔と、耳に飛び込んでくるざわめき。
 日常的なごくごく普通の光景に、自然と頬が緩んだ。
 もし昨日巨大結界が破壊されていたら、この光景は見られなかった。各地の悪鬼が解放されて今頃騒ぎになっていた。そして日が変わった瞬間、千代によって浮遊霊たちは食われ、悪鬼化され、昨日とは比較にならないほどの騒ぎとなり、混乱で買い物どころではなくなっていた。
 改めて気付く、日常という安心感。
「なんか、いいね」
 ぽつりと呟いた大河に、左近がついと視線を落とした。微笑みを浮かべ、ゆっくりと周囲に視線を巡らせる大河の眼差しはとても優しくて、愛おしげだ。大河の向こう側でも、連絡が終わったらしい宗史も同じように周りを見渡している。
「そうだな」
 微かに口角を緩めて同意した左近に、大河はさらに相好を崩した。
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