第3話

文字数 2,894文字

「待て待て待て陽!」
 突如志季の慌てた声が響き、晴はふと顔を上げるなりぎょっと身を引いた。志季に後ろから羽交い絞めにされた陽が、険しい顔で拳を振り上げている。
「何で止めるんだよ! 志季、昨日一発かましてくれるって言っただろ!」
「あれはノリだノリ! 気持ちはすげぇ分かるけどな、この馬鹿一応病み上がりみたいなもんだし、ここは耐えろ。それにこれ以上馬鹿になったら困るだろ、なっ」
 馬鹿呼ばわりも知らないうちに交わされたらしい物騒な約束も、ひとまず聞かなかったことにする。今はすぐにでも飛びかかってきそうな陽だ。こちらを睨む眼差しはわずかに濡れ、唇はきつく結ばれている。苛立ち、悲しみ、寂しさ、あるいは悔しさだろうか。色々な感情が涙に浮かんでいて、痛々しい。
 拳を握ったまま、陽は不本意と顔に書いてゆっくりと腕を下ろし、志季が恐る恐る解放した。
「だから……っ!」
 晴を見据えたまま、耐えかねたように声を絞り出す。
「どうしてそうやって一人で抱え込もうとするんですか! 考えてることとか、思ってることとか、全部話して欲しいなんて言いません。兄さんから見れば僕はまだ子供で頼りないだろうし、守ろうとしてくれていることは嬉しいです。でも僕も一緒に戦ったんです。だったら……っ、こんな時くらい頼ってくれてもいいじゃないですか! 一緒に背負わせてくれてもいいじゃないですか!」
 言葉を発するごとに涙が溢れ出し、とうとう零れ落ちた。
「僕たちは家族なのに!」
 吐き出された言葉に、ひっぱたかれたような衝撃を覚えた。
 家族――。
 晴はゆらりと視線を泳がせ、手元に目を落とした。
 明と陽は、自分にとってこの世でたった二人の家族で、兄弟だ。だからこそ、守らなければと思った。守りたいと思った。母から託され、父もそう願ったから。
 逆の名前のことも、霊力量のことも。先日まで、何一つ陽には話していなかった。自分の弱さを知られたくないという打算込みで、明と自分の問題なのだから余計なことを知る必要はないと思っていた。もちろん限界はある。けれど、でき得る限り危険から遠ざけ、時には自分が盾となり、悩みの種を与えないようにすることが――陽がいつも笑っていられるようにすることが、「守る」ことなのだと。そう信じて、疑わなかった。
 それが――守ろうとすることが、陽に寂しい思いをさせていたなんて。
 ――何が、守るだ。
 守るどころか、泣かせているではないか。
 守ることに必死で、陽の気持ちをこれっぽっちも考えていなかった。習わしとは違う兄二人の名前に気付いた時、どう思っただろう。何も教えてもらえないことに、寂しさや疎外感を覚えたかもしれない。まだ子供だからと、もっと成長した時にはと、自分に言い聞かせただろうか。陽の少し大人びた部分は、両親を亡くしたせいだけではないのかもしれない。
 不甲斐ない。のたうち回りたい衝動にかられ、晴は押し込むように強く拳を握った。
「言っておきますが」
 陽が鼻をすすり、ぼそりとぶっきらぼうに言った。
「晴兄さんが何と言おうと、僕は僕にも責任があると思うことをやめません。だってそれが真実で、何より僕の勝手ですから。誰に何を言われても、絶対に譲りません」
 言うだけ言って、陽はふてくされた顔でぷいと明後日の方を向いた。その子供じみた仕草をきょとんとした顔で見つめていた晴と志季が、おもむろに視線を合わせる。廃ホテルでもそうだった。普段は実に素直なのに、こういう時は妙に頑固というか意固地というか。誰に似たんだ。
 先にくっと笑ったのは、志季の方だ。そっぽを向いた陽の頭を、大きな手でがしっと掴む。
「うわっ」
「お前、そういうの開き直りって言うんだぜ?」
「別に開き直ってないよ。そもそも志季が言ったんだよ? 僕の勝手だって」
「そうだったか?」
「え、記憶力大丈夫?」
 どうやら昨夜、二人で何やら話をしたようだ。どういう意味だこら、ちょっと志季痛い痛い、とじゃれ始めた二人を眺めながら、晴はゆっくりと息をついた。
 必死に後ろをついて来ていた、あの頃とは違う。抱っこをせがむことも、一緒に風呂に入ることも、嵐に怯えて泣くこともなくなった。もう、あれこれと守ってやらなければならないような、幼い子供ではない。それでも、まだ十四だ。心身ともに不安定な時期で、全体的に小柄だし、陰陽師としても未熟で、感情が高ぶった時は癇癪を起こしたみたいになるし、子供扱いすれば拗ねる。まだまだ守ってやらなければならない時もあるだろう。けれど、一番大切なことを分かっていて、この罪を共に背負うと言えるほど、成長した。
『子供の成長舐めんなよ』
 先日、明にそう言ったばかりなのに。人のこと言えねぇな。思わず漏れた苦笑いに、志季の両頬をつねっていた陽が手を放して振り向いた。
「何ですか」
 ぶっきらぼうに尋ねる陽は、どこか照れ臭そうだ。志季は、痛ぇなあもうと頬をさすっている。
「いや」
 晴は苦笑いを浮かべたまま、首を横に振った。
 大切だから――大切すぎて、言えないこともある。反対に、伝えないことが、やたらと守ろうとすることが相手に寂しい思いをさせ、悲しませることもある。難しい塩梅だ。
 本音を言うなら、陽に責任を感じたままでいて欲しくない。けれど、この様子ではどんな理屈を並べても納得しないだろう。陽が自分のせいだと思っている限り、完全に払拭することは難しい。
 これは、逃げだろうか。都合のいい理由を探して、一人では重すぎる責任を陽にも負わせ、彼の優しさに甘えて楽になろうとしているだけかもしれない。だとしたら、もっと時間をかけて説得した方がいいのだろうか。
 優先するべきは、自分の本心か、それとも陽の気持ちか。どちらが正解なのか、分からない。
唯一分かるのは、一つだけ。陽だけではない。こう見えてお人よしなところがある志季も、きっと。
「あのさ……」
「はい?」
「あ?」
 同時に反応した二人を前に、躊躇が生まれた。親子のような関係の弟と、主従関係を結んだ悪友のような式神。改めて伝えるには、気恥ずかしい相手だ。視線を逸らし、晴は照れ臭さを押し込むように首の後ろに手を当てた。
「……悪かった。ありがとな」
 寂しい思いをさせて、辛い判断をさせて悪かった。一緒に責任を負うと言ってくれてありがとう。本当はそう伝えたいのに、出てきたのはやっぱり言葉足らずの謝罪と礼だった。この素直になれない性格は、そう簡単に変えられそうにない。
 ぼそりと、しかも少々早口でそう告げた晴に、陽と志季が揃って目を丸くし、顔を見合わせた。
「こりゃあ、今日は嵐だな」
「どうしよう。結界が破られたら」
「やめろ。それ有り得そうで怖ぇ」
「素直な晴兄さんとか不吉すぎる」
「天変地異レベルだもんな」
「お前ら喧嘩売ってんの?」
 散々な言われようだ。宗史といい、たった二言で何故ここまで言われねばならんのか。しかもあれで素直と捉えられるなんて、普段どれだけ素直じゃないと思われているのだろう。実に心外だ。
 くすくす笑う陽と意地の悪い笑みを浮かべる志季を交互に見やり、晴は困ったようにはにかんだ。
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