第15話

文字数 3,418文字

            *・・・*・・・*

 揺れがぴたりと止み、宗史は弾かれたように顔を上げて瞬時に状況を把握した。見事に社と自分たちだけを避けて、高質化した無数の土の針が広場いっぱいに地面から伸びている。
「柴、紫苑、大河を連れて行けッ!」
 素早く指示を出すと、二人は即座に反応した。大河を抱え、土の針に沿うように上へと飛び上がる。
「待て……っ!」
「よせ、撤退だ」
 大河たちを追いかけようとした雅臣を制したのは、式神だ。満流を腕から離し、左足の甲を貫通している短い針を躊躇いなく抜いて変化した。
「独鈷杵はどうする……っ」
 雅臣が振り向いて言葉を詰まらせた。
「やってくれるわね。痛いじゃない」
 皓が苦悶の表情を浮かべながらぼやいた。こちらもまた、右足の甲に針が一本貫通している。足を持ち上げて躊躇いなく抜くと、真っ赤な血が滴り落ちて地面に吸い込まれていく。
「仕方ありません、撤退します」
 満流が溜め息まじりに告げて式神にまたがると、雅臣が忌々しげに舌打ちをかました。昴は宗史たちを一瞥して満流に続き、皓が雅臣を俵担ぎした。
 一方宗史たちは、悪鬼を見上げて霊符を構える。
「おいおい、マジか。ずいぶんと根性の入った悪鬼だな」
 晴が見上げながら軽口を叩いた。気持ちは分かる。一帯を覆い尽くした悪鬼は、無数の針に串刺しにされながらも、一部は消滅しているが大半はまだもぞもぞと動いている。難を逃れたのは、社の上にいた一部の悪鬼だ。本体から分裂する前に、志季が火玉で一掃した。
 宗史は、霊刀はそのままに、霊符を挟んだ左手を口元に当てた。
「動きは封じられている。金剛夜叉で調伏するぞ。志季は取り逃がした悪鬼を頼む」
「了解」
 二人が声を揃えた。廃ホテルで一部の悪鬼に逃げられた前例がある。油断はできない。
「オン・マカヤシャ・バザラサトバ――」
 宗史と晴が声を揃えて真言を唱え、志季が刀を構えて悪鬼を注視する。霊符が手から離れ、自立した。
 背後で、式神が体当たりして針の群れを突破し、森の中へ消えていく。向島の方だ。倒された針が瓦解し、解放された悪鬼が本体から分裂してこちらへ向かってきた。
「ジャク・ウン・バン・コク・ハラベイサヤ・ウン!」
 志季が舌打ちをかまし、火玉で一掃する。ピシッと音を立てて、すべての針に罅が入った。霊符が悪鬼に張り付き、悪鬼が低い唸り声を上げながら振り払おうと激しくもがいた。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。邪気捩伏(じゃきれいふく)碍魂誅戮(がいこんちゅうりく)無窮覆滅(むきゅうふくめつ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 唱え終わると同時に全ての針が崩れ落ち、砂埃と共に霊符が強烈な光を放って悪鬼を飲み込んだ。悪鬼がさらに大きな唸り声を上げる。一部の悪鬼が最後のあがきとばかりに伸ばした触手を叩き切る。
 収まる光と比例して悪鬼の唸り声は小さくなり、黒い水蒸気のように宙に溶けていく。
 やがて静寂を取り戻し、月の明かりが枝葉の隙間から差し込んだ頃、三人は同時に息をついた。瓦解した針の土に覆われたのか、式神と皓の血痕をはじめ、大地が針へと変形していたとは思えないほど、地面には何の痕跡も残っていない。(なら)したように綺麗だ。それぞれの刀が、音もなく消えた。
「ほんとにどっから連れてきた、っと」
 ぐらりと傾いだ宗史の体を、咄嗟に晴と志季が受け止めた。
「おいおい、大丈夫かよ」
「ま、霊刀具現化してあれだけ動いた上に、金剛夜叉はちょっときついか。むしろよくもったわ、お前」
 言いながら独鈷杵をポケットに押し込んで、晴が宗史の腕を自分の首の後ろへ回して腰を支えた。
 いつもならこのくらいなんともないのに、とは思うものの、自業自得だ。めまいは酷くないが、体に力が入らない。偉い偉いと茶化されながらも素直に支えられて、宗史は顔を上げた。
「志季、大河たちの様子を見てきてくれ。俺が戻ると足を引っ張る」
「よく分かってんじゃねぇか。了解」
 あっさり肯定されてしまった。志季は身を翻して、刀倉家の方へ向かって大きく飛んだ。
「晴、大河の独鈷杵がどこかに転がってるはずなんだ」
「そういや落としてたな。つーか、他に方法がなかったっつっても、無茶したよなぁ。下手すりゃ腕の骨折れるだろ、あれ」
 鳥居へ向かいながら溜め息まじりにぼやいた晴に、宗史も苦笑した。突然結界が張られた時はどうする気かと思ったが、まさか結界同士をぶつけるとは。独鈷杵を落とさなければ、社に張った結界に霊刀を突き刺し、切り裂き季ながら下りればもっと安全だったのだろうが、後の祭だ。吹っ飛ばされたところを志季に助けられたのだろう。
「まあでも、あの状況をよく一人で切り抜けたよ」
「あとで褒めてやんないとな。で、やっぱ牙か?」
 よっこらせと言いながら鳥居の柱の元へ宗史を下ろすと、晴は携帯を引っ張り出した。
「間違いない。奴らの狙いの一つも、おそらく牙だ」
「あいつらからしてみれば一番の脅威だからな」
「ああ」
 晴は携帯のライトを点灯させ、一つ息をついた。
「んじゃ、ちょっと探してくるわ」
「頼む。あ、それと、ついでに社の中も片付けてくれ。御扉を開けっ放しなんだ」
「了解。大人しくしてろよ」
 さらりと釘を刺し、まずは社の回りへライトを向けた晴の背中を見送る。宗史は柱に体を預け、脱力するように息を吐いた。
 大河が初めて牙を召喚した時の状況は、昴も知っている。もちろん、霊符がないのに顕現した理由もだ。となると、敵側からしてみれば、契約をしていない式神、つまり神本来の力を存分に行使できる式神が加わることは、脅威以外の何ものでもない。あちらの式神がすぐに撤退を進言したのも、それが理由だ。あれ以上続ければ、間違いなく彼らは全滅していた。いくら変化できるとはいえ、行使できる力はあくまでも「神本来に近い力」にすぎない。同じ大地の眷族神だからこそ、その恐ろしさは理解できるだろう。
 この争奪戦は、双方にとって独鈷杵回収・奪取の他に「大河がピンチに陥った時、牙がどう出るか」を確認するためのものでもあった。大河にあんな真似をしたのはそのためだ。しかし予想外に自分で切り抜けた。それでも結局、召喚していないにも関わらず牙は干渉してきた。
 助かったのは確かだが、この場所だからこそ、とも考えられる。影綱が生まれ育ち眠るこの島だからこそ、むやみに血で汚されるのは我慢ならないだろう。さらに、独鈷杵が他人の手に渡ることもまた、許すわけにはいかないのだ。
 それを踏まえると、これから先、牙が干渉する可能性は低く思える。だが、影綱の子孫であり、霊力を受け継いだ大河の存在がどう影響を与えるか。契約が切れたあともこれほどの思慕があるなら、日記を読み解く限り、確率は跳ね上がる。
 と、推測できるが、果たしてどうだろう。状況は把握できただろうに、干渉してきたものの姿を現さずじまいだったのだ。ただ、尚同様、敵への牽制にはなる。
 宗史はぐっと奥歯を噛んだ。
 独鈷杵も文献も刀も、奪われずにすんだ。だがこれは、牙がいたからこその結果。経緯にこだわっている場合ではないのは分かっているが、素直に喜べない。
 社の裏側から出てきた晴が、握った手を振った。どうやら見つけたようだ。低く手を上げて答えると、晴はそのまま社の中へ消えた。
 宗史は短く息を吐き、持ったままの自分の独鈷杵に目を落とした。
 個人的に満足できる結果ではないけれど、得たものもある。
 つい半月前まで戦いとは無縁だった高校生が、ここまで成長するとは。持って生まれた資質と受け継いだ霊力の影響もあるだろうが、それだけ、大河が覚悟をしている証拠でもある。
 寮の者たちの成長ぶりを目にしても、もちろん嬉しくはあったが、こんなふうに思うことはなかったのに。
「……感傷的になってるな」
 疲れているせいだろうか。宗史が自嘲気味に嘆息すると葉音がして、社の前に志季が降り立った。
「あれ、晴はどうした? ションベ、だっ!」
 志季が最後まで言い終わる前に、後頭部目がけてカップ酒が飛んできた。ゴンと鈍い音が鳴る。お供え物でなんてことを。志季が振り向きざまに慌ててキャッチし、社の扉を閉める晴の元へ歩み寄る。
「いってぇな! なんてことすんだこの罰当たりが!」
「で、どうだった」
 聞き流した晴を睨みつけ、志季は扉の前にカップ酒を置いた。一緒にこちらへ向かいながら、悩ましい顔でうーんと一つ唸る。
「どうだろうなぁ。とりあえず、行きながら説明するわ」
 曖昧な報告に、宗史と晴は眉根を寄せた。
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