第9話

文字数 2,279文字

「あの時さ――あっ!」
「えっ?」
 突然叫んだと思ったら、省吾は素早く立ち上がって駆け出した。咄嗟にその背中を目で追いかけた先では、地面に膝をついた宗史の周りに、晴たちが慌てた様子で集まっている。紫苑との体術で当たり所が悪かったのか。一歩遅れて大河もTシャツを放り出して駆け出す。
「大河、水!」
「えっ、う、うん!」
 省吾から飛んだ指示に、大河は急停止して踵を返す。水ということは熱中症か。あるいは貧血。ちょくちょく休憩は挟んでいたが、体調が万全ではないだろうし、この暑さも堪えたのだろう。
 正面にしゃがみ込んだ晴が、呆れ顔で宗史の顔を覗き込む。
「無理すんなって言っただろ」
「してない。ただの目眩だ」
「ただのじゃねぇだろ。青白い顔した奴がなに言ってんだ、馬鹿」
 晴と宗史の会話を聞きながら、ペットボトルと紙コップを抱えて舞い戻る。
 耐え切れなかったようで、柴と紫苑に肩を抱かれてうなだれる宗史の顔色は、汗が流れているのに青白い。省吾に紙コップを渡して蓋を捻り、なみなみと注ぐ。省吾から晴に渡された。
「飲めるか」
「ああ」
 宗史はわずかに顔を上げ、腕を持ち上げて紙コップを受け取った。馬鹿正直に水を持ってきたけれど、スポーツドリンクの方が良かっただろうか。
 ゆっくりと紙コップを傾ける宗史を眺めていた晴が、深い溜め息をついて志季を見上げた。
「志季、こいつもう連れて帰れ。これ以上は無理だ」
「だな、了解」
 それならと大河はレジャーシートへ身を翻した。
「お前は帰ったら大人しく寝てろ。動いたらぶん殴る」
「……ああ」
 物騒な脅しに、宗史は少々不満気な顔で目を逸らしつつも小さく頷いた。空になった紙コップを晴に渡すと、紫苑と場所を交代した志季がゆっくりとお姫様だっこで抱え上げた。
 大河がスポーツドリンクを抱えて駆け戻った。
「これ、持って帰れる? 多分家にないから」
「ありがとう」
 心配そうな顔で差し出すと、宗史は微かに笑って受け取った。腹に乗せて、両腕で包み込むように抱える。
「ごめん、やっぱりうちでやった方が良かったかな」
 ここで訓練をしようと提案したのは自分だ。道場も使えるし、家ならすぐに休めたのに。どうしてこう、気が利かないのだろう。肩を落とした大河に、宗史が困り顔で笑った。
「お前の責任じゃない。俺の自己管理が甘かったんだ。それに言っただろう、実際の山で訓練できるのは有難いって。いい訓練になったよ。少し休めば大丈夫だから、心配するな」
「うん……」
 頷きはするものの顔が晴れない大河を一瞥し、晴と志季が顔を見合わせる。志季が、じゃあなとひと言残して地面を蹴った。
 消えていく二人を見送り、溜め息をついた大河に晴が言った。
「あいつの言う通りだぞ。いい予行練習になったし、無理すんなって言ってたんだ。つーか、そもそも自業自得だろ。気にすんな。で」
 つらつらと励ましたと思ったら、晴はくるりとこちらを向いた。
「お前、何で裸なんだ?」
「え、あっ。Tシャツ脱いだままだった」
 忘れていた。小走りでレジャーシートへ戻る大河のあとを、晴たちが「休憩するか」と言って続いた。
「宗と鈴を入れ替えるべきかぁ……?」
 しっとり濡れたTシャツに腕を通していると、晴の悩ましいぼやきが聞こえてきた。
「しかし、奴が素直に聞くとは思えんが。妹のこともあるだろう」
「そうなんだよなぁ……」
 紫苑の指摘に晴が難しい顔で唸り、各々レジャーシートに腰を下ろす。大河と省吾が水とスポーツドリンクを紙コップへ注ぎ、それぞれへ手渡した。
 晴の気持ちも紫苑の指摘も、どちらももっともだ。けれど、あの処分があるのだ。戦況が分からずやきもきするよりは、自ら現場に行きたがるだろう。悩みどころだ。
 晴が一気にあおり、長く息を吐き出した。携帯で時間を確認する。
「とりあえず、俺らもあと三十分で引き上げる。体力温存しとこうぜ」
「分かった」
 力強く頷いた大河と、無言で首を縦に振った柴と紫苑を見守っていた省吾が、心配そうに眉を寄せた。
 それから省吾が時間を計り、きっちり三十分後、三時半頃に下山した。
 省吾を見送って玄関をくぐると、速攻で雪子に着替えと一緒に風呂に放り込まれた。汗まみれに埃まみれなのだ、仕方あるまい。だが、男四人、しかも大河以外は体躯の良い奴らばかりだ。さすがに一度に全員は無理なので、柴と紫苑を先に、大河と晴は脱衣場で待機した。時間はかからなかったが、それはシャワーだからではなく、早くしろと大河がせっついたからだ。紫苑の至福の時間を待っていられるか。おかげで今にも絞め殺されるんじゃないかと思うほど睨まれたが。
 脱衣場には、宗史の服もあった。同じくシャワーを浴びたらしい。二階の方が静かだろうということで、大河の部屋で休ませているそうだ。
 ひとまず柴と紫苑は浴衣に、大河と晴は部屋着に着替えて居間へ入ると、続きの間で志季が大の字で昼寝をしていた。以前、宗史と晴が泊まった部屋だ。晴が苛立ちのあまり無言で頭をはたいても起きなかった。戻って来ないはずだ。
 お土産のバームクーヘンで小腹を満たすと、すぐに眠気に襲われた。うつらうつらとする大河を見かねて、柴が「少し休め」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
 じゃあ俺もと便乗した晴と一緒に、座布団を枕にして続きの間でごろんと横になる。
 今頃、寮では訓練の真っ最中だろう。秘術の訓練はどうなっただろう。春平はどうしたかな。紺野や冬馬たちは、何をしているだろう。そして敵は、今どこにいるのか。
 あれこれと考えながらも、意識は夢の中へと吸い込まれた。
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