第12話

文字数 6,496文字

 熊田から連絡を受け、紺野と北原はすぐに捜査本部がある右京警察署へと車を走らせた。
 「鬼代神社宮司殺人事件」の捜査には、府警本部、右京警察署、鑑識から、総勢五十名ほどの捜査員が投入されている。
 捜査本部が設置された一室には、整然と並んだ長机の列と向き合う形で、ノートパソコンを備えた巨大なスクリーンを背景に、左右に一台ずつ長机が設置されている。補助として暗幕が引かれた窓際に置かれたホワイトボードには、事件当初から何一つ変わっていない、事件関係者の顔写真や関係が示された図が描かれている。ほぼ全員の捜査員が席についており、右京署・捜査一課の馬場係長(ばばかかりちょう)加賀谷管理官(かがやかんりかん)らが、捜査員から資料を受け取っている。
 紺野と北原が駆け込むと、熊田が「こっちだ」と手招きをした。後ろから、同じく呼び戻された捜査員が数名駆け込んでくる。
「新しい犠牲者って、どこで発見されたんですか」
 熊田と相棒の佐々木薫子(ささきかおるこ)の後ろの席に腰を下ろしながら問うと、熊田はまあまあと両手を上下に仰ぐようにして紺野を宥めた。
「俺たちも詳しいことは聞いてねぇんだよ。亀岡市ってことくらいで」
「亀岡?」
 京都府亀岡市は、京都府の中西部に位置する。京都市と大阪府高槻市に隣接し、京都市、宇治市に次いで人口第三位の市だ。トロッコ列車や保津川下り、愛宕神社(あたごじんじゃ)が有名で、京都市との国境の大枝には酒吞童子の伝説がある。
 ああ、と熊田が頷いたところで、加賀谷が声を張り上げた。
「全員揃ったな? では始める」
 静まり返った本部に張り詰めた空気が流れる。
「まず初めに、こちらは亀岡署の重光係長(しげみつかかりちょう)だ」
 重光が軽く会釈をすると、加賀谷は早々に話を進めた。
「本日、亀岡市にて鬼代事件の新たな犠牲者と思われる遺体が二体、発見された。詳細は亀岡署の方から」
 加賀谷が捜査員席の前方に座っている一人に視線を投げると、彼はメモを片手に立ち上がり、スクリーンの側へと歩み寄った。
「亀岡署の寺坂(てらさか)です」
 寺坂は名乗るとすぐに本題へと移る。
 遺体が発見されたのは、本日午前九時頃。場所は亀岡市の立岩、府道401号線沿いに建立され、保津川が見下ろせる請田神社(うけたじんじゃ)から、一キロほど離れたハイキングコースだったらしい。第一発見者は、ハイキングに来た亀岡市在住の三人家族。亀岡署にて聴取され、現在は帰宅しているそうだ。
「こちらをご覧ください」
 そう言って、寺坂はパソコンを操作した。スクリーンに現場写真が映し出されると、一部の捜査員たちからざわめきが起こった。現場に行っていない鬼代事件担当の刑事たちだ。
 真っ黒に焼けた地面の真ん中に横たわる真っ白な人の骨。そして少し離れた場所に、四肢と胴体、首が切断された無残な遺体が並べられていた。地面は広範囲に渡ってどす黒く染まっており、出血量の凄まじさを物語っている。
 う、と小さく呻いた北原が、口を押さえて俯いた。ぎょっとして、我慢しろ、と紺野が小声で囁くと小さな頷きが返ってきた。
「まずはこちらの身元ですが」
 寺坂は遺体の方を、指を揃えた手で示しメモを読み上げた。
 名前は田代基次(たしろもとつぐ)、49歳、独身男性、京都市左京区在住。財布や時計、携帯などの所持品には一切手がつけられておらず、切断された以外の外傷は今のところ見当たらないらしい。
「田代は四年前、京都市内で通り魔殺人を起こして、無罪になっています」
 紺野はメモを取っていた手を止め、顔を上げた。同じく北原も青白い顔で寺坂に視線を投げた。
 それは、真昼の事件だった。被害者は渋谷健人(しぶやけんと)(当時22歳)の妻、渋谷由香(しぶやゆか)(当時22歳)と長男の勇人(ゆうと)(生後九カ月)の二名。勇人の乳児健診の帰りに、正面から歩いてきた田代に突然襲われた。由香は包丁で喉と胸を貫かれ、病院に運ばれたが出血多量のため死亡。勇人は腹を刺されてその場で死亡が確認されている。目撃者は多く、二人を刺したあと、呆然と立ち尽くす田代を一般人が取り押さえ、駆け付けた警察官により緊急逮捕。その時田代は「悪魔を殺せと声が聞こえた」と意味不明な言葉を繰り返していたという。
「田代は母子家庭で育っており、当時、母親の介護と仕事の過度のストレスから統合失調症を患っていて、数年前からの通院歴がありました。犯行時は心神喪失状態だったと鑑定結果が出され無罪。大阪の指定医療機関に入院していましたが、今年の三月に退院し、左京区の指定通院医療機関への通院措置に変わっています」
 医療観察法が適用されたのか。紺野は眉根を寄せ、複雑な表情を浮かべた。北原もまた、口をつぐんだまま悲痛な表情を浮かべている。
 刑法第39条により、心神耗弱状態は刑の軽減、心身喪失状態は罰しないと定められている。「心神喪失等医療観察法」は、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に対して適用され、指定医療機関への入院や医療を提供し、病状の改善、社会復帰を促進するための制度である。
「母親は一年半前に死亡しており、退院後は別れた父親と共に生活しています。遺体の硬直具合から、殺害されたのは本日午前一時から七時の間と推測されます。ですが、請田神社の当直職員の話では、早朝五時には起きていたらしく、不審な物音は聞いていないということです」
「つまり、午前一時から五時頃に絞られるってことだな?」
 加賀谷が口を挟んだ。
「はい」
「分かった。では次」
 はい、と返事をし、寺坂は持っていた書類に目を落とした。
「遺体の損壊についてですが、監察医の所見によると、鬼代神社の時と同じように、道具を使用した痕跡は見られず、しかし心臓が抉り取られているとのことです。また四肢や首ですが、切り口が綺麗であることから、おそらく骨ごと鋭い刃物で一刀両断されていると思われるそうです。詳しいことは鑑定待ちです」
 骨ごとって、そんなことできるのか、と捜査員たちから疑問の声が上がった。それに振り向いて答えたのは、一番前の席に座っている中年の男性だった。机の上に紺色の帽子が置かれているところを見ると、鑑識員のようだ。
「可能か不可能かで言えば、可能です。ただし、頑丈な刃物と、相当な技量の持ち主に限られます。かつては斬首という刑罰があったくらいですし」
 ああ、と息を吐くような納得の声が漏れた。
「凶器は推測できるのか」
 加賀谷が尋ねると、鑑識員は前を向き直った。
「一刀両断となると、日本刀や斧、洋剣あたりだと思われますが」
「鑑定結果次第だが、もしそうだとしたら、そのあたりから絞り込めそうだな……分かった。続けてくれ」
「はい。では次に、こちらの白骨ですが」
 寺坂はパソコンを操作し、白骨を拡大した。
「田代の遺体と同じように、四肢や首の骨が切り落とされ、胸骨や肋骨が折れていることから心臓も抉られていると見ていいそうです。現場を見る限り、この場所で遺体を焼いた可能性が高いと思われますが、ガソリンなどを使用した痕跡はなく、また例え使用したとしても屋外で人体を焼き尽くすのは不可能だそうです。しかし……」
 寺坂はふと言葉を切り、小さく咳払いをした。
「炭が多く残っているので、まず間違いないのではないかと。方法については模索中です。身長と頭蓋骨の縫合からおそらく成人男性。炭を含め、詳しい年齢の解析は現在科捜研へ依頼しています。歯形が残っているので、分かり次第、念のため京都市、亀岡市の歯科医院に協力要請を出します。以上です」
 遺体を見てきた警察官と言えども、人体の炭化した部位をはっきり言葉にすることはいたたまれないだろう。寺坂は、どこかほっとしたような面持ちで席に戻った。
「では次、鑑識から」
「はい」
 返事をしたのは、先程「一刀両断は可能だ」と説明した鑑識員だ。彼はファイルを抱え、スクリーンの横に立った。
「亀岡署・鑑識課の土井(どい)です。こちらの地図をご覧ください」
 そう言ってスクリーンの画像を切り替えると、道路を指で辿った。
「ご存知の通り、現場は保津川と山林に挟まれています。現場までの道は二つ。府道25号線から401号線に入るルートと、嵯峨嵐山の府道50号線から入るルートです」
 前者は亀岡市内から、後者は京都市内からのルートだ。
「ただし、前者は請田神社を過ぎてすぐ、落石の危険があるため一般車は通行禁止になっています。後者も同じく、途中で関係車両以外の車は通れず、どちらも新しいタイヤ痕は発見されませんでした。手袋をしていたのでしょう、指紋は一切残されていませんでしたが、足跡の方は砂地でハイキングコースとなっているため、鮮明ではありませんが複数のものが残っていました。ご遺体の周辺にも多く、現在鑑定中です。ただ、一つは鬼代神社で発見されたものと一致しています」
 捜査員たちが小さくざわついた。
「犯人が男とは言え、男を二人連れてるんだ。共犯者がいると考えた方が妥当だな」
 加賀谷は顎に手を添え、一人ごちるように呟いた。
「しかし、タイヤ痕が発見されないとなると、徒歩になりますが……」
「移動距離が限られてきませんか。そもそも、田代は左京区なのに、どうして亀岡に?」
「白骨遺体との関係性も重要になってきますね」
 馬場と重光が見解を述べると、加賀谷が顔を上げた。
「要するに、侵入経路は分かっていないんだな?」
「はい。対岸から保津川を渡れれば登ることはできるでしょうが、あの辺りは流れが急で泳いで渡るのは不可能かと。田代基次の遺留品は鑑定中ですが、白骨の人物の遺留品は見つかっていませんし、範囲を広げて詳しい調査を進めています。それと、防犯カメラも現在回収、確認中です。以上になります」
 土井がそう言って締めると、加賀谷ら三人は、顔を寄せ合って捜査方針の検討を始めた。捜査員らも各々見解を述べ合う。
 紺野と北原は同時に息をついた。
 まともな捜査を行うのなら、田代の交友関係と足取りを追い、父親と近隣住民、入院・通院していた病院から聞き込みをし、四年前の事件の被害者遺族の現在の様子を探り、念のため火葬場に聞き込み、と言ったところか。
「何で一人だけ遺体を燃やしたんですかね……?」
 メモに視線を落したまま、北原が呟いた。紺野も特に視線を向けることなく答える。
「気になるよな」
「なりますね。単純に考えて、捜査の遅れを促すため、ですか?」
「妥当だな。けど、それなら二人とも燃やした方が効果的だろ」
「お前、効果的とか不謹慎なこと言うな」
 不意に熊田の声が割って入ってきた。顔を上げると、呆れ顔の熊田と溜め息をついた佐々木が半身振り向いていた。
「ああすみません、失言でした」
 素直に謝罪を口にすると、佐々木が小さく笑った。どことなく元気がないように見える。
「紺野くん、そういう素直なところは昔から変わってないわね」
 確かに年上で先輩だが、三十も半ばになったというのに、少々子供扱いされているような気がして複雑だ。はあそうですか、と曖昧な笑みを浮かべると、北原が珍妙な物でも見たように目を見開いた。
「素直? 紺野さんが?」
「何だよ、素直だろうが」
「どこがですかっ。素直に褒めてくれたことなんて三年一緒にいて数えるほどですよ!」
「それはお前に褒める要素がないからだ」
「酷いっ」
「うるせぇな。もういいから、前向け」
 ほら、と顎でしゃくると、北原はぶつぶつ不満を漏らしつつ前を向いた。熊田と佐々木も笑いを噛み殺しながら体勢を戻す。
「では、今後の捜査方針を発表する」
 加賀谷はそう前置きをして、紺野が想像した通りの捜査方針を告げた。
 捜査員らは、鬼代神社の捜査班と、亀岡署の捜査員を中心にした立岩殺人の捜査班に分けられた。紺野と北原、熊田と佐々木は引き続き鬼代神社班だ。
「つってもなぁ、もうこれ以上どこをつつけばいいんだか……」
 解散した捜査本部で、腰を上げながらぼやいた熊田に続いて紺野たちも席を立った。立岩班たちの捜査員が担当の割り振りをする中、思案顔で鬼代神社班たちが部屋を後にする。
 戸口に向かいながら、佐々木が尋ねた。
「紺野くんたちの方はどうなの? あれから何か出た?」
「いえ、何も出ませんね」
 即答すると、そう、と佐々木は疲れたように溜め息をついた。さっきから気になっていたのだが、
「佐々木さん、ちょっと顔色悪くないですか? 大丈夫ですか」
 一カ月前より少しやつれたように見える。佐々木は力ない笑みを浮かべた。
「ちょっと寝不足かしら。この事件、さっぱり進展がないから気になっちゃって」
 長い溜め息をついた佐々木を見やり、紺野と北原は眉尻を下げて目を細めた。警察の捜査では進展はない。けれど、陰陽師側では小さな一歩があった。熊田と佐々木ならば話してもと思わなくもないが、すでに下平を巻き込んでしまっている。これ以上、仲間を危険に晒すわけにはいかない。
 廊下に出ると佐々木は、駄目ねぇと自嘲するように呟いた。
「熊さん、先にお手洗いいいかしら」
「ああ、いいぞ」
 じゃあ失礼して、と佐々木は小走りに化粧室へ向かった。
 その背中を見送り、今度は熊田が溜め息をついた。この事件に関わっている刑事は、もれなく溜め息が増えている気がする。
「佐々木なぁ、ちょくちょく鬼代神社に様子見に行ってるみたいなんだよ」
 窓枠に腰を預けるようにして寄りかかると、熊田はおもむろにそう切り出した。
「例の娘さんですか?」
「ああ。あまり肩入れするなとは言ったんだがな……」
「……そうですか」
 高校生の娘と、両親を押し入り強盗に殺害された時の自分。重ねたくなる気持ちは分かるが、情が湧けば湧くほど気は急く。気が急けば真実を見誤る確率が高くなる。刑事歴が長い佐々木なら大丈夫と思いたいが、あの様子を見れば熊田が心配する気持ちも分かる。
「奥さんの方はどうなんでしょう」
「まだ時々不安定になるみたいだとは言ってたけど、少しずつ良くなってるそうだ。こういうのは時間が必要だからな」
 紺野と北原はほっと息を吐いた。
「そうですね。でも、良かったです」
「ああ。そうだ、何でも、娘さんが神職の資格を取ってあの神社を継ぐって言ってるらしいぞ」
「え……」
 父親が殺された神社をですか? と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「代々守り続けてきた神社だし、氏子さんや慕ってくれてる地域の人たちにも申し訳ないからって理由らしい。実際、近所の誰かがしょっちゅう顔見せてるみたいだぞ」
「それだけ、あの家族が慕われてるって証拠ですね」
「そうだな」
 こんな時、矢崎徹の良い評判を疑った自分が恥ずかしくなる。それが仕事だと分かっていたとしてもだ。同時に、そんな家族を壊した犯人を早く捕まえなければと、改めて気が引き締まる。
 ふと、そういえば明が毎月渡していた報酬はどうなるのだろうという疑問が頭をよぎった。あれは千代の骨を守護する報酬として渡されていた金だ。盗まれてしまった今、打ち切るのが筋ではあるが、薄情と言ったら言い過ぎだろうか。何せ千年以上も守護してきた家系なのだ。破壊された本殿の修繕費もかかるだろう。
 どうせ今日中に報告を入れなければいけない。その時に聞いてみようか。
「じゃあ熊さん、俺たち先に出ますね」
「ん、ああ」
 じゃあ、と軽く頭を下げて背を向ける。
「――おい、お前ら」
 不意にかけられた声に、二人は振り向いた。
「あー……いやいい。また後でな」
 何か言いかけてやめた熊田に首を傾げつつ、はいと返事をして再び背を向けた。
 とりあえずどうしましょう、そうだな、と行き先を相談しながら遠ざかる紺野と北原の背中を、熊田はしばらく見つめていた。
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