第16話

文字数 2,488文字

 舗装はされていないものの整備され、白線で描かれた長方形がいくつも並んでいる。河川敷を利用した、熊野本宮大社の二十四時間営業の臨時無料駐車場だ。収容台数は五百台。今でこそ一台も停まっていないが、連休や初詣などはほぼ埋まるのだろう。
 調べた時、収容台数の多さに驚いたが納得だ。圧倒的な河川敷の広さだけが目立ち、土手から見てもどこに水が流れているのかよく分からない。
「最近、車中泊とか流行ってるから誰かいるかなと思ってたけど、大丈夫みたいだね」
 好き放題に茂った雑草がさわさわと揺れる土手を、駐車場を見下ろしながら足を進める。
「みたいだな。こっちに引き離すか?」
「できれば。どのくらいなのか分かんなかったけど、これだけ広かったら大丈夫でしょ。土手で道路からは見えないし、少しは防音壁代わりになってくれる。暗さで姿も見えないと思うよ」
「周辺の店は、遅くても七時半には閉まるみたいだからな。神社も境内には入れないらしいぞ」
「そうなの? だからか。この時間でもあんまり人や車がいないのって」
「ただ、消防署がそこだ。派手に暴れたら様子を見に来るかもな」
 土手の右下に建つ、三棟の建物のうちの一棟へ視線をやる。
「消防署かぁ。ここで戦うならもっと奥か、下流の方がいいかもね。ていうか、あとの建物は何なの?」
 あれだけ気合いが入っていたのに、調べたのはスイーツのことだけか、こいつは。怜司は溜め息をついた。
「世界遺産熊野本宮館、和歌山県世界遺産センターだ。熊野古道についての歴史や観光情報、地域情報、あとは世界遺産の保存と活用のための拠点として作られた施設だそうだ」
「ふーん。もう閉館してるよね」
「どっちも五時までだな」
「じゃあ大丈夫じゃない? 閃」
 そう言って樹は足を止め、後ろを振り向いた。
「鬼か式神がいた場合は、できるだけこっちに引き離して。一番いいのは山の中」
「承知した」
「人間でも同じことだけど、悪鬼は確実に本殿を狙ってくるだろうから、誰か一人は残らないといけないんだよね。まあ、臨機応変にいくしかないか」
「結局そうなるな」
「相手が誰か分からないからねぇ」
 溜め息交じりに言って、樹は周囲に視線を巡らせた。つられるように、怜司と閃も遠くへ視線を投げる。
 少し傾いた太陽はもう橙色に染まり始め、青空をうっすらと塗り替えている。町を抱くように連なる、どっしりと腰を据えた深緑の山。田んぼでは稲が青い穂を揺らし、陽射しはまだじりじりと肌を焼くけれど、澄んだ空気はわずかな涼が感じられる。コントラストが鮮やかな風景だが、交通量や人通りが少ないため、時折訪れるぽっかりとした静けさは、わずかな寂しさを連れてくる。
 目に止まったのは、コンクリート造りの高さ約三十四メートル、幅約四十二メートルの大斎原(おおゆのはら)の大鳥居。日本一と言われるだけのことはある。ここから十分ほどの距離があるが、その大きさははっきりと確認できる。田植え直前の時期には、晴れた夜、満天の星と鳥居が水田に映り、静寂に包まれた幻想的な光景を見ることができるそうだ。
 大斎原は、その背後にこんもりと見える森を指す。かつて、熊野本宮大社は熊野川の中州・大斎原に建立されていた。神が舞い降りたと伝わっており、五棟十二社の社殿、舞殿、楼門や神楽殿などがあり、現在の数倍の広さだったそうだ。明治時代に起きた大水害によって社殿の大半が流され、難を逃れた四社が今の場所に遷座された。今は石造りの祠が祀られ、桜の名所やパワースポットとしても有名らしい。
 今はどこもかしこもパワースポットだな。怜司は小さく嘆息した。
「行くよ」
 踵を返した樹と閃に続いて、怜司も身を翻した。
 河川敷からほんの百五十メートルほど。体が不自由な参拝者用の本殿近くを除けば、駐車場は先程の河川敷と世界遺産熊野本宮館、大斎原入口の四カ所と、そして熊野本宮大社の鳥居脇に二カ所。
 一つは、瑞鳳殿と名付けられた施設の二十四時間営業の駐車場。2011年の紀伊半島大水害で全壊し、2014年に再建された。研修施設や会議などを行える大広間、研修者の宿泊施設、カフェや茶房、土産物屋などが入っており、災害時の避難場所としても開放されるらしい。もう一つは隣接する土産物屋の「樹の里」。広いのはこちらだが、すでに営業時間は終わっていて、利用できるのもその時間内だけなので封鎖されているだろう。
 神社の敷地前には、歩道ぎりぎりに侵入防止用の木製の柵が並べられていた。それを横目に脇道に入ると、「瑞鳳殿」と一枚板に右読みで書かれた看板が見える。上に乗ったオブジェは、三本脚の八咫烏(やたがらす)。主祭神の須佐之男命(すさのおのみこと)の使い、導きの神としても信仰されている。また、ボールをゴールに導いて欲しいという願いから、日本サッカー協会のシンボルマークとして使用され、多くの選手や関係者が参拝に来るそうだ。
「どういう意味であの名前にしたんだろう……ていうか、わざと?」
 少し先にある「樹の里」の看板を複雑な顔で睨みながら呟いたのは、言わずもがな樹だ。わざと配置する意味が分からないが、ないと言い切れないのがあの当主たちだ。
 瑞鳳殿の駐車場へ車を入れ、さっさと参道へ向かう。そろそろ悠長にしている時間はない。
 直接鳥居の前へ出られるらしく、駐車場出入り口近くに設置された自動販売機の横を通り抜ける。何メートルあるのだろう。高い木々で囲まれた入口には、灯籠に狛犬、社号碑。そして屋根の乗った木製の鳥居の向こうは、平坦な参道が延びている。
 両脇を「奉納 熊野権現」としたためられた無数の旗と、これまた背の高い木々に挟まれ、まるで奥へ奥へといざなわれているようだ。夕日に照らされた枝葉がオレンジ色に染まり、透けるように輝いている。
 鳥居の前で一礼し、できるだけ右によって参道を行くと、やがて長い階段が現れる。樹が顔をしかめた。
「長い上に急すぎる。これ何段あるの」
「百五十八段だ。黙って上れ」
 一蹴した怜司と閃のあとに、樹がしかめ面で続く。
 美しいオレンジ色の日差しが落ちる参道は、どこか幻想的でメルヘンチックでもある。だが、男三人は不毛だ。
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