第13話

文字数 4,839文字

 不意に下平が声を上げた。
「そう言えば、あの噂、今どこまで回ってんのか冬馬は言ってなかったか?」
 ちょうどウーロン茶に口をつけた紺野に代わって、北原が答えた。
「え? ああ、確かあの辺り一帯と言ってましたけど、それが?」
「競合店に探り入れてみようかと思ってな。樹のことは競合店の奴らも知ってたし。でも、もし回ってなかったら気が進まねぇなと思ってたんだが」
「どうしてですか?」
「ああいう噂ってのは、競合店からしてみれば客寄せに聞こえるだろ。そこから揉め事に発展することがあるんだよ。特にすげぇ当たる占い師とか、スピリチュアルって言うのか? 女が食い付きやすいネタだし。だから俺たちが余計なこと言えねぇんだ。揉め事の種蒔くことになるからな。けど、もう回ってんのなら遠慮しなくていい。明日あたり行ってみるか」
「下平さんが聞いた時は、まだそこまで回ってなかったんですか?」
「ああ。俺が聞いた時はアヴァロンの中だけって話だった。もしかしたら回ってたかもしれんが」
「いつ聞いたんですか?」
 紺野が口を挟んだ。
「えーと、夏休みに入ってすぐだから、22……23日だな。アヴァロンで昼間のイベントがあった日だ」
 北原が日付を反復しながら手帳を繰った。
「23日って、犬神事件の日ですね。それ以前から流れてたとしたら一週間以上経ってますし、確かに回りそうですね」
「ああ。アヴァロンの客が競合店にも行くし、逆もあるからな」
 北原は、なるほど、と納得して頷いた。
「だがそう考えると、もし樹が三年前に同じようなことをしてたとしたら、俺の耳に入らなかったってのは、不思議だな」
「ああ、確かにそうですね。今回は狙ったにしろ、状況は似ているでしょうし」
「ったく、どんな手ぇ使ってやがったんだ、冬馬の奴」
 忌々しげにぼやいた下平の口から出た名に、紺野が眉を寄せた。
「そう言えば、あの冬馬って奴はどういう人物なんですか? 初め、あいつが冬馬だと気付きませんでした」
「あ、俺もです。下平さんの話のイメージと違いました。もっとこう、いけ好かない奴をイメージしてたので」
 溜め息交じりに問うた紺野に、北原が追随し下平は渋面を浮かべた。
「あいつなぁ、見た目は爽やか好青年だが、相当したたかだぞ。色々きな臭い話は聞くけど、それこそ噂レベルだ。裏を取っても何も出てこん。それに、俺が初めて会った時にはすでに成人してたし、店のオーナーは別にいるが、許可も取るもん取ってて経営自体に問題はねぇ。クスリなんかも手ぇ出してねぇみたいだぞ」
「聞く限りは真っ当ですね。でも、かなり場数を踏んでいるように見えましたが」
「ああ、あれで三十近いらしいからな。若い頃に何やってたかまではさすがに分からん。反社と関わってたなら情報が入るだろうが、今のところ聞かねぇな」
「えっ、じゃあ俺より年上かもしれないんですか?」
 マジかぁ、と北原が驚きの声を漏らした。確かに北原より年下には見えたが、どこに感心してるんだ。
「そうだ、下平さん。一応、樹がアヴァロンに行ったという証拠か証言が欲しいんですが、構いませんか」
「ああ、分かってる。何とかしてみよう」
「お願いします」
「ああ。それで、お前たちは寮の奴らの身元調査の続きか」
「ええ、まあ。でも、警察のデータにないので、どうしようかと」
 紺野が眉尻を下げると、「ん?」と下平は首を傾げた。釣られるように北原も「ん?」と首を傾げた。
 しばらく妙な沈黙が流れ、下平がおもむろに手帳を繰った。
「今残ってんのって、確か高校生四人と、あと里見くんと小泉夏也だったな」
「はい、そうですけど」
「里見くんと小泉夏也、刀倉大河はともかく、他の高校生三人はすぐ調べられるだろ」
「いえ、学校までは、さすがに……」
 調べてないので、と言いかけて気付いた。そうか。
「中学か」
「あっ、そうか。学区!」
 彼らがいつから寮にいるのか分からないが、もし一年、あるいは二年以上前からいたとしたら、学区内の中学校に通っているはずだ。そこから高校も聞きだせる。私立や越境入学ならば難しいが、確率は高い。何故気付かなかったのか。
 妙案を思いついたような顔で互いを振り向いた紺野と北原に、下平が笑い声を上げた。
「やっぱまだまだだなぁ、お前ら。推理に気ぃ取られて視野が狭くなってねぇか?」
「そうかもしれません。助かりました」
 五年前に府警本部に配属になり、後輩を指導するようになって一人前のつもりでいたが、まだ修行が足りないようだ。紺野は面目無いといった顔で頭を掻き、北原は肩を竦めた。
「捜査中にこんなこと言うのもなんだが、休み取ってるか?」
「あ、はい。明日は非番なんです」
「何だそうか。落ち着かねぇだろうけど、頭を休ませることも必要だ。しっかり休めよ」
「はい、ありがとうございます」
「あと他に打ち合わせとくことねぇか?」
 そう尋ねられ、二人は同時に手帳を繰った。それを見て、下平が微笑ましげに笑みをこぼした。
「話すこと多かったですからねぇ……」
「一気に情報が入ったからな。こっちも話したし……」
 ぶつぶつ呟くように会話をしながら手帳を確認し、これまた同時によしと顔を上げた。下平が喉を鳴らして笑った。
 くつくつと笑いをこぼす下平に、紺野が眉根を寄せた。
「何ですか?」
「いや、何でもねぇ。大丈夫か?」
 何でもないと言いながら笑みを隠さない下平に首を傾げつつ、はいと頷いた。おかしなことなど何もないが、どうしたのだろう。
「じゃあ、出る前にもう一服いいか?」
「ええ。あ、じゃあ俺、ちょっとトイレに」
 言いながら腰を上げた紺野を、おう、と下平は煙草をくわえて見送った。
 階段を下りる足音が遠ざかった頃を見計らい、再度手帳を繰る北原を見やって下平は口を開いた。
「北原、ちょっと聞いていいか」
「はい?」
 北原が顔を上げた。紫煙を吐き出してから、率直に尋ねる。
「紺野と科捜研の近藤、仲良いのか」
 息を詰め、頬をわずかに強張らせた北原を見て、やっぱりなと心で呟いた。
 探るような目で見据えてくる下平の威圧感に屈し、北原は気まずそうに目を逸らした。
「俺が配属される前から知り合いだったようなので、付き合いは長いと思います……気付きましたか」
「ああ。警察関係者に仲間がいるって聞いた時にな。誘導されている感じがした。あいつは気付いてないみたいだが、言ってねぇのか」
 北原は小さく頷いた。
「先に近藤さんの経歴を調べてからと思ってるんですが、なかなか隙がなくて……紺野さんに言うと、調べる前に直接問い質しそうなので。もしそうだとしたら、近藤さんなら上手くかわすと思うし……」
「そうか……個人的には、どう思ってんだ?」
「俺は……」
 一旦言葉を切り、北原は考えあぐねたように息を吐いた。
「分かりません。状況証拠だけなら確実に怪しいですが、でも……」
 個人的な感情を完全に切り離せないといったところだろう。刑事とはいえ人間だし、北原はまだ若い。甘えが許されない立場ではあるが、仲間を疑い調べようとしているだけでも良しとするべきか。
「分かった、近藤の経歴は俺が調べてお前に報告しよう。名刺持ってるか」
 内ポケットから財布を取り出して名刺を差し出すと、北原が顔を上げた。
「いいんですか?」
「ああ」
 名刺名刺、と言って北原は慌ただしく財布から名刺を取り出して下平に手渡した。受け取った名刺をそれぞれ財布にしまう。
「それともう一つ。紺野の甥の昴。あいつは?」
 再び視線を逸らして俯いた北原に、下平は呆れたように溜め息をついた。息の合っているいいコンビだと思ったが、合いすぎて言えないことがあるのは問題だ。あるいは、北原の方が紺野を慕いすぎているせいか。
「北原、先輩を慕うのは良いことだが、言うべきことは言わねぇと逆に失礼だぞ。見くびってると取られることもある。特にあいつみたいなタイプはそうじゃねぇのか?」
「……はい……」
 まだ迷っている様子で頷いた北原が、不意に顔を上げた。
「あの、実は……」
 と、階段を上ってくる足音が聞こえ、北原が口をつぐんだ。
 紺野がひょいと顔をのぞかせると、何やら妙な空気が流れていた。
「どうしたんですか?」
 何をした北原、と怪訝な視線を向けると、下平が紫煙を吐きながら言った。
「いやな、お前にその霊力ってのがあるんなら、いっそ訓練とやらを受けさせたらどうだって言ってたんだよ。もしかしたら未解決事件の中にその手のモンがあるかもしれねぇしなって」
 北原が盛大に噴き出し、小刻みに肩を震わせた。紺野はじろりと睨みつけ、呆れた溜め息をつきながら腰を下ろした。
「何言ってるんですか。北原、どうせお前だろ、そんなくだらない話題振ったの」
 北原は顔を上げ、声を震わせて言った。
陰陽師刑事(おんみょうじでか)、格好良いじゃないですか……っ」
「笑ってんじゃねぇか! 大体、常に見えてるわけじゃないし、見えるからってあいつらみたいな力があるわけじゃねぇって言ってただろうが」
「昴くんと血縁で、しかも犬神を阻止したのなら可能性があるとも言ってました」
 珍しく反抗してきた上に余計なことを言った。案の定、へぇ、と下平が興味深げな声を漏らした。
「現実になるかもな、陰陽師刑事」
「やめてください下平さんまでっ」
 紺野は笑い声を上げる二人をじろりと睨み付け、残りのウーロン茶を飲み干した。合わせるように下平が吸い殻を灰皿に押し付けた。
 さて行くか、と言いながら伝票を取った下平を制し、レジ前で遠慮の応酬をするおばちゃんのごとく支払いをどうするか話し合った。
 結局、下平が端数込みで少し多めに支払い、残りを紺野と北原が割り勘することで落ち着いた。
「そういや、一つ疑問に思ってたことがあるんだが」
 駅へと向かいながら下平が口を開いた。
「お前ら、よく俺のこと信じたな。警察内部に仲間がいるって知ってたんだろ。疑わなかったのか?」
 当然の疑問だ。紺野と北原は「あー」と気まずそうな声を漏らした。
「失礼かもしれませんが、下平さんは、演技ができるほど器用じゃないかと」
「ほんとに失礼だな」
 食い気味に突っ込まれ、すみませんと思わず二人同時に謝った。
「でも確かにそうだな。演技は昔から苦手、つーかトラウマだ。小学校の演芸会でなぁ、体がでかいって理由で鬼の役が付いたんだが、あまりにも下手くそだからって下ろされたことがある。子供心に傷付いたぞ」
 小学生に演技のクオリティを求めるなと言いたいが、よほど下手だったのだろうか。それはそれで見てみたい気がする。
 それは酷いですね、と苦笑する北原に、だろ、と下平が渋面を浮かべた。だがすぐに、
「まあ、下手なおかげでこうして信用されたんだ。悪いことばっかりじゃねぇか」
 そう言って、下平は照れ臭そうに笑った。
 下平の自宅は伏見の方らしく、烏丸線ではあるが紺野と北原とは逆方向だ。
「じゃあな。分かり次第すぐに連絡入れる。お疲れさん」
 下平は改札を通ったところでそう言い残し、エスカレーターへと向かった。遠ざかる背中を見つめたまま、北原がぽつりと呟いた。
「もし樹くんが犯人だったら、下平さん……」
 最後まで口にしなかったが、北原が言わんとしていることは分かった。どこか申し訳なさそうな表情を浮かべる北原の気持ちは、痛いほど理解できる。
「……止めても無駄だろう。そういう人だ」
 あの時の失態を、三年経った今でも後悔し続けているような人だ。誰がどう説得しても、決意を変えようとはしないだろう。
 けれど、そんな状況に巻き込んでしまったのは、まぎれもなく自分たちだ。
 行くぞ、と北原を促し、紺野はエスカレーターへと足を向けた。
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